東方我楽多叢誌(とうほうがらくたそうし)は、世界有数の「同人」たちがあふれる東方Projectについて発信するメディアです。原作者であるZUNさんをはじめとした、作家たち、作品たち、そしてそれらをとりまく文化の姿そのものを取り上げ、世界に向けて誇らしく発信することで、東方Projectのみならず「同人文化」そのものをさらに刺激する媒体を目指し、創刊いたします。

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同人誌評
2023/12/22

「私小説としての秘封倶楽部と、それから」同人誌レビュー「独白」/不定形ロコモコメテオ、「タイトルコール:『』」/びろうど廻廊

同人誌レビュー「独白」「タイトルコール:『』」

 みなさん、「秘封倶楽部」をご存知でしょうか。

 一昔前は、東方シリーズをプレイしている人でも、秘封倶楽部のことをよく知らない人がそれなりに多かった気がしています。そして、十年一昔とは言いますが、今年2023年は秘封倶楽部というサークルが世に出てからなんと20周年になります。おめでとうございます。この20年で、秘封倶楽部のことを知っている人も、随分増えたのではないでしょうか。

 これまで東方Projectにおいては、二通りの秘封倶楽部が登場しています。

 一つは、音楽CDであるZUN’s Music Collectionシリーズにおいて主に登場する、互いに奇妙な眼を持つ宇佐見蓮子とマエリベリー・ハーンが結成する、大学生オカルトサークルの秘封倶楽部です。2003年の「蓮台野夜行 〜 Ghostly Field Club」が初出ですね。

 もう一つは、2015年の「東方深秘録 〜 Urban Legend in Limbo.」で初登場したサイキック女子高生、宇佐見菫子が初代会長を名乗る、一人オカルトサークルの秘封倶楽部です。

 後者の場合、宇佐見菫子の存在がほぼイコールで秘封倶楽部なので、単に「秘封倶楽部」と呼称した場合には、宇佐見蓮子とマエリベリー・ハーンの秘封倶楽部を指すことが多いような印象が強いですね。

 これら秘封倶楽部には、以下のような要素が共通しています。

1)主人公が現代もしくは近未来日本に住んでいること
2)主人公が異能を持った学生であること
3)SF、オカルトなど、多彩なモチーフが混在していること

 これはつまり、学生である(あった)私たちの世界との重ね合わせが容易だということです。現実世界と秘封倶楽部の世界は絶妙な塩梅で重なり合っているため、私たちは同じ「幻想郷という異界に憧れを抱く存在」として、彼女たちの活動に共感することができます。これは幻想郷の住民ではない、現の世に生きる秘封倶楽部ならではの特性であると言えましょう。

 このような要素から、秘封倶楽部は非常に二次創作のモチーフにしやすいようです。同人誌のバリエーションも豊かであり、秘封倶楽部が実際の土地を探訪するものや、実在のファッションカタログのようなもの、架空の学問である相対性精神学をまとめたものなど、枚挙に暇がありません。学生として日々を生きる秘封倶楽部は、私たちの「今ここにある青春」もしくは「あったかもしれない青春」の依代になることができるのです。

 さて、前置きが長くなりましたが、本レビューでは、秘封倶楽部の二次創作同人誌を二冊ご紹介します。と言っても、セピア色の思い出話のように古いものではありません。共に2023年に出た同人誌に収録されている作品になります。

 

「私を前座にしやがって」

 まずご紹介するのは、サークル「不定形ロコモコメテオ」の「独白」です。

 この同人誌が初めて頒布されたのは、2019年の第9回科学世紀のカフェテラス。そして、2023年第11回科学世紀のカフェテラスにて、その完全リメイク版が短編集「スピカ」に収録される形で頒布されました。

画像は2019年版「独白」より引用

 この作品において、主人公である宇佐見蓮子は、高校の美術部に所属しています。コンクールで佳作を取る程度の力はありますが、一番にはなれない。その悔しさを薄笑いで誤魔化しては虚しさを感じつつ、自尊心を守るために自虐したり、自分のアカウントを教えてくれない神絵師のクラスメイトに嫉妬したり、そういった青春の煩悶に身をよじらせる日常を送っている少女です。

 もちろん、原作の宇佐見蓮子に、美術部であったとか、クラス演劇を傍観していただとか、そういった設定はありません。けれども「独白」では、そんな宇佐見蓮子の自尊と不遜、自虐と諧謔かいぎゃく、青臭くも峻烈な感情が、まだ見ぬ未知を追い掛けようとする原作の宇佐見蓮子のキャラクターを裏打ちするように馴染んでいることに驚かされます。

 さらに、声に出して読みたくなるモノローグ、緩急を巧みにつけた展開や画面構成の巧みさ。そういった技術面の素晴らしさは、読者に「これは、私の物語でもあるのではないか?」と錯覚させるようなドライブ感と没入感を与えます。

画像はスピカ版「独白」より引用

 原作という魅力的な原液を、作家自身のフィルターに注いで濾過することで、どんな新しい味わいを加えていくか。それこそが二次創作の醍醐味に尽きると言えるでしょう。

 その点において、まさに「独白」は作家さんの特濃抽出液ではないかと感じさせられる、圧倒的なパワーを持っているのです(余談ですが、作者のはわ男さんの絵柄は、洒脱でありながらも、眼、口、そして指の表現などに、とても強い身体性を感じさせます。そして、妙な「汁気」がある。滴る汗、涙で歪む瞳。生のデフォルメがとても豊かです)。

「独白」の本文に話を戻します。宇佐見蓮子は、おそらく菫子と思わしき誰かが描いた「幻想郷に関するノート」を見つけ、そこに残された記録に惹かれていきます。蓮子自身の幻想郷への憧れに呼応するように、彼女の絵は魅力を増し、様々な人の承認を得ることで、「スポットライトの下って熱いのね」と彼女自身が感じられるようになっていきます。

画像はスピカ版「独白」より引用

 けれど、大舞台である文化祭の展示を前に、蓮子は宇佐見菫子の残していたスケッチブックを新たに見つけ、開いてしまいます。そこに描かれていた、自分の展示を超えるような特濃の幻想に、蓮子は打ちのめされます。そして、それまで感じていた熱狂は、まるで夢と現を引っ繰り返すように反転します。

 物語の終盤、宇佐見蓮子は文化祭の展示構成を見て、怒りと悲しみを込めて呟きます。

画像はスピカ版「独白」より引用

 その承認の喜びと、反転したやるせない情動は、私たちの体験と何処かでリンクし、心をざわつかせるものです。誰かにとっての唯一、ナンバーワンでありたいと願いつつも、そうならなかったこの現実世界への憤りと悲しみ。その結果としての、妥協と再起。

 そのような挫折の傷は、自分にとって唯一の存在となるはずだった相棒、マエリベリー・ハーンと出会った後も、いえ、むしろオカルトの才に満ちた彼女と出会ったからこそ、誰にも言えない秘密としてより強く反復されます。一人であるよりも、二人である方が苦しい。そういった春の苦しみに満ちながら、物語は幕を閉じます。

 本作に描かれたこれら激情の表現は、自らの魂の一部を作品という舞台に上げること、まさにタイトル通り「独白」を他者に晒すことによって、成し遂げられたのではないかと思います。時に痛みや羞恥しゅうちさえ伴うような、そういった泥臭い勇気と、それを支える技術の結晶なのだろうと。

 それ故に、この作品は極めて高い熱量を持ち、人生のある一点を封じたかのように輝き続けています。

 短編集「スピカ」では、この作品についてのあとがきで、こう触れられています。

ポイント:「これが私のすべてだった」「何者にもなれなくて、ごめんなさい」

 なんと切実な言葉なのかと思います。

 そして、それが過去形で表されているところに、きっと作者は今も先に歩み続けているのだろうと感じ、また新しい試みを垣間見たいと思わされるのです。

 私小説的な印象を読者に与える、作家性の高い二次創作。本作品は、その一つの到達点であると言って差し支えないと思います。

 驚くべきことに「独白」はpixivで無料公開されています。それも、新旧2つのバージョンが。基本的に全編書き直されているのですが、一部にほぼ書き直していないシーンがあるのが、また味わい深いと感じます。未読の方は、是非ご一読下さい。

 さてさて。

 このような二次創作の熱にあてられて、仮に私が、もしくはあなたが、自分なりの二次創作を生み出したくなったとしましょう。きっと初めは、思いのままに筆が進むでしょう。けれど、活動を続けていく中で、称賛されたり、見向きもされなかったり、生活の場が変わったり、人間関係に翻弄されたりして、いつしか私たちのフィルターには異なる味が加わっていくかもしれません。

 二次創作の原液となる原作世界と、それをし出すための自分のフィルター、その相性は、いつまでも変わらないものなのでしょうか。

 当然、そんなことはないでしょう。歳月を重ねるごとに、人も物語も変節していくものです。「秘封倶楽部」の定義でさえ、冒頭でお伝えしたように変わっているのですから。

 けれど、時に考えることがあります。いったいいつまで、私たちは二次創作を続けられるのか。いつまで、二次創作を楽しめるのか。

 様々な可能性があり、どれが正しく、どれが悪い、といった話ではありません。

 ただ、恐らく二次創作を続ける、もしくは楽しむということは、こういった葛藤と多かれ少なかれ付き合っていく側面もあるのだと感じています。

 

作品情報

作品名:
独白

サークル名:
不定形ロコモコメテオ

作家名:
はわ男

Twitter:
https://twitter.com/DWID_D_

はわ男さんより、ひとことコメント:
メリーだから、じゃない。

 

「秘封倶楽部になれなくて、いいよ」

 ここで次に紹介させていただくのは、サークル「びろうど廻廊」の「タイトルコール:『』」です。

画像は作者・心葉御影氏のTwitterより引用

 びろうど廻廊は、秘封倶楽部の二次創作を長く(私の観測した限りでは、少なくとも10年以上)続けてきたサークルです。これまでかなり幅広い試みを行っており、宮澤賢治作品からの叙情的な引用や、グレッグ・イーガン作品などからの近未来的なモチーフを汲みつつも、創意に満ちた特殊装丁のみならず、実写とイラストの融合、秘封倶楽部を現実世界の中で撮影するアクリルキーホルダー、コース料理での音楽CD再現(???)など、その作風は極めて多彩です。世界と秘封倶楽部の関係性について、様々な形で向かい合い続けてきたサークルであると言ってよいでしょう。

 さて、実はこの本「タイトルコール:『』」には、二次創作としての分かりやすい物語の形では、秘封倶楽部は出てきません。ただ、秘封倶楽部になろうとする、猫と鳥の仮面ペルソナをかぶった二人組がいるだけです。そしてその二人組さえ、実は秘封倶楽部を演じようとする一人の、鏡映しの像に過ぎなかったりします。

画像は「タイトルコール:『』」より引用

 これは、かなりメタに攻めた構成です。読者が既に「秘封倶楽部」という存在を深く知っており、そこに強い思い入れを持っていないと成立しない物語構造だからです。言葉を選ばずに言うならば、それはエンターテイメントと呼ぶには個人的な感情に満ちた、極めてエゴイスティックな姿勢であり、そしてまさに私小説そのものでもあると言えましょう(作者様本人も、あとがきにて「過去一番くらいにエゴい本を書きました。読んでくださってありがとうございます」と述べておられます)。

 しかし、そのような難易度の高い表現を、分かった上で自ら選択すること。そこには、作者にとっての強い必然性を感じざるを得ません。

 では、その筆致はどこに行き着くのか。

「秘封倶楽部」は、私たちの青春の依代として機能することができる。そのように私は、冒頭で述べました。

「永遠にこの瞬間が続いて欲しい」と願う一瞬というものが、青春にはあります。

 しかし変わり続ける私たちは、いつまでも青春に留まっていられるわけではありません。人が見る世界は時と共に変容し、世界を見る自分自身もまた変容し、心の有り様も変わっていくでしょう。かつて愛していたものを愛せなくなったり、新しい何かを愛せるようになったり、若い頃の自分から想像もしなかったような行動を取ってしまうかもしれない。

 現在は一瞬のうちに過去となり、覆水は盆に返らず、誰もがいつかは死んでしまう。結局のところ、永遠を祈る私たちは、熱力学第二法則を憎まざるを得ないのでしょうか?

「タイトルコール:『』」は、とても印象的な終盤を迎えます。

 ネタバレになってしまうのですが、もはやそこに登場人物としての秘封倶楽部はありません。「秘封倶楽部になろうとしていた二人」は、各々が仮面を脱ぎ捨て、全てを晒した頼りない、ただ一人の裸の人間として互いに歩き始めていくのです。

 茫漠とした荒野にただ一人取り残された主人公が、「またひとりになっちゃったなぁ」と呟いたところで、目覚まし時計が鳴ります。

 夢から醒めた現。そこには、マエリベリー・ハーンや宇佐見蓮子のような相棒はおらず、やはり主人公は一人きりです。

 そこには、ただ描きかけの素描があるばかりで。

 それでも、主人公はスケッチブックにまた筆を落とそうとします。ただ、宇佐見蓮子とマエリベリー・ハーンを描きつける、一人の作家として。

画像は「タイトルコール:『』」より引用

 そこには、二次創作の初期衝動としての、憧れにも似た感情の確認があります。

「自分は、この物語にどんな感情を抱いたのか」
「自分は、この物語からどんな声を聞いたのか」
「自分という空洞は、その声をどう反響させたのか」

 赤子が初めて歩いた時のように、作品に抱いたその原始の感情に、二次創作を通じて立ち返る時。人は過去の自分の熱い眼差しに、もう一度出会うのでしょう。

 そして、視線に未だ残る熱は、また新しい一歩を踏み出す力として、再び背中を押してくれるのだと。

 そのように、この本では締め括られている気がします。

画像は「タイトルコール:『』」より引用

 あとがきの一文が象徴的ですので、最後に引用させていただきます

「また、変化する自分自身とともに書いていきます」

 そう。変わったって構わないんだと思います。

 世界も、自分自身も、少しずつ変わっていく。

 そんな世界の中で、変わりながら書き続けていこう。

 秘封倶楽部をずっと書き続けてきた作家さんが、今もなお、このような作品を作ってくれることに。私は小さくも確かな勇気を貰った気がしました。

 今回は、秘封倶楽部にまつわる、二冊の同人誌を紹介させていただきました。

 変わらないで欲しいという願いと、変わっていこうという勇気の、一瞬の交錯。それはまるで、東方Project本編で描かれる、妖怪と人間の交わりのようでもあります。

 マエリベリー・ハーンや宇佐見蓮子、宇佐見菫子みたいに、私たちは今日も幻想郷を覗き込もうとします。そこに垣間見える色彩の豊かさに、一体これからどんな思いを乗せ、何に恋い焦がれ、何を喪って、何を思い出していくのでしょう。

 そんな胡乱なことを考える時。

 こんなにも人の熱量を受け止めることのできる、「秘封倶楽部」という現と夢をつなぐ存在の、その懐の深さに。私もまた、思いを馳せるのです。

 

作品情報

pixivにて「タイトルコール:『 』」期間限定公開

作品名:
タイトルコール:『』

サークル名:
びろうど廻廊

作家名:
心葉御影

Twitter:
https://twitter.com/coconoha_m

委託:
https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=1937444

心葉御影さんより、ひとことコメント:
二次創作同人というのは、誰かの作ったお庭で遊ばせていただきながら二次創作者のエゴというフィルタを通さざるを得ない、微妙なバランス感覚で成り立っていることに面白さを感じます。二次創作を続ける上でこのフィルタと向き合う時が来たなと感じて描いた、エゴ特盛りの本です。