【連載】妖世刃弔華
妖世刃弔華【第25回 88】
依然として燃え続けているT-34の残骸を尻目に、地上に降り立ったにとり。担いでいた空の発射筒を投げ捨ててKar98kに持ち替えると、辺りの様子を伺いながら進んでいく。
「にとり?」
「離れ業を披露してくれたばっかりで悪いけどさ、妖夢。亡霊の生き残りが隠れていないか警戒しといて」
近付いてきた妖夢の問いかけへと一方的に返し、にとりは戦車ではなくその奥に鎮座し天に向かって聳え立つ“鋼の柱”の群れへと歩みを進める。
つれない返事に小さく肩を竦めた妖夢は、諦めてにとりの後を追いながら周囲に残存兵がいないか視線をさまよわせる。
「やっとこさ戦車ってのを片付けたのに、上の援護に行かないのと先に進まない理由はそれかい?」
空間を渡ってきたのかいつの間にか妖夢の隣に立った小町が訊ねる。
「そうだよ。こいつが上手く使えれば、たぶんこの戦いの風向きも変わる。敵に使われたら厄介だけど、取り込めたらかなり有利になるんじゃないかな」
鈍い輝きを放つそれに向かい、にとりはほぼ確信をもって言い切った。
「ふーん。河童のあんたがそこまで言うってことは、それだけの価値があるシロモノだと思うけれど、都合よくなんでもこなせるものなんてあるのかい?」
FlaK 36――――口径88mmの高射砲で製造されたドイツでは対航空機砲を意味するFlugabwehrkanoneの名を持つが、長いため将兵からは「Acht-Acht」と略された。
「あるんだなぁ。もちろん魔法みたいに上手くはいかないだろうよ。でもね、こいつはそれに近いだけの性能を持っているのさ」
例のごとくにとりは妖夢たちに細かい解説はしないが、このFlaK36は本来の目的である対空戦闘任務以外にも、対戦車戦闘や陣地攻撃にも威力を発揮したとの記録が残されている。
これが戦場で起きたただの偶然であったならまだしも、FlaKシリーズを搭載した自走砲までもが作られ、さらには高射砲型を改造した強力な戦車砲も開発されて活躍したとなれば、もはやその実力は折り紙付きと言えるだろう。
「そりゃ空を向いていたんですから、目的はそうなんでしょうけど。でも、地上にいながらあの鉄の箱や羽虫まで落とせるってことですか? にわかには信じられませんが……」
妖夢が疑問を呈するのも無理はなかったが、対空砲として開発された8.8cm砲は、同時に優れた対戦車砲としての能力も有していた。
当初より対戦車砲としての使用を考慮して開発されていたこともあったが、スペイン内戦での経験によって開発元はその対陸上戦闘能力を確認したという。
そんな知見もあってか、第二次世界大戦の中盤頃からは野砲や対戦車砲として地上目標への攻撃に使われることが多くなり、最終的には任務全体の大半にものぼったというのだから、FlaKシリーズがどれほど優れていたかがわかろうというものだ。
「戦車がまた来たって上手くやればこいつで撃退できる。でも、その前に空を好き勝手飛んでる邪魔な連中を撃ち落としてやらないといけないからね。えっと、弾は弾は……あった」
辺りを見回して、放置された機材の中から目当てのものを探し出す。
「うっ……! やっぱり、重いな、これっ!」
近くに積んであった平たい木製の弾薬箱から使用弾薬であるPzgr.39を持ち上げるにとり。10.2㎏にもおよぶ砲弾を砲身に装填。鎖栓式閉鎖器を閉じ、それぞれのハンドルをくるくると回して砲の向きと角度を操作していく。
「あー、こういう感じで動くんだなぁ。もっとゆっくりいじりたかった……」
初めて触れる未知の兵器に場違いな声色がにとりから漏れる。
「大丈夫なのかい?」
小町の声にはわずかながら不安の色があった。
銃弾を見て、実際に撃った経験もあるだけに、FlaK36で使用する砲弾の大きさからそれがどれだけの破壊力を持っているかおぼろげながら理解できるのだろう。
もちろん、にとりは兵器の専門家ではない。河童のエンジニアにして幻想郷へ時折流れ着く外のものをいじったりする程度だ。
巻き込まれてしまったので仕方ないにしても、そもそもこれほどまでに兵器の群れが流れ着くこと自体今回が初めてのようなもので知見などあるはずもない。
端的に言えば趣味である機械いじりの延長くらいに思っていたのだ。じっくりいじってその機構だとか諸々を解明し、いずれは自分たちの趣味の発明に流用しようと思っていただけだ。
だが、そんな暢気なことを言っていられる事態ではなくなった。世界の危機が迫っているのだ。
「妖夢、あんたは引き続き陽動を頼むよ。そろそろ魔理沙が騒ぎ出しそうだ」
「わかりました。任せていいんですね?」
妖夢の問いを受け、にとりは大丈夫だと頷く。表情に無理をしている気配はない。
「ああ、すこしは河童のエンジニアの実力を見せつけてやらないとね。魔理沙とアリスには、距離をなるべく保ってこのへんの上空にまで引っ張ってくるように言ってくれるかい? あと、なるべく高度は変えないように」
「わかりました。では、またあとで」
援護へ向かう妖夢。なんだかんだと彼女はにとりに信頼を置いていた。
河童は技術に対する関心が高く、それらと真摯に向き合う。そこから妙な事件を起こさないとは限らないが、幸いなことに今はそんな余裕もない。
つまり共通の目的を達成するために兵器を扱わせても大丈夫ということだ。
「さーて、やりますか。……小町、たしか距離を操れたよね」
「そうだけど?」
なにをいまさら?と怪訝な表情を向ける小町。
「ということは、目標との距離も大体わかるんじゃないの?」
にとりが求めているのは測距技能だった。
対空射撃に必要な指揮標定装置があっても、兵士としての訓練を積んでいないのだから使いこなすのは至難の業だ。ぶっつけ本番なんてレベルにすら達していなかった。
「あー……。そりゃまぁある程度はね。どんくらいかがわからなきゃ、ぽーんと飛んだって相手の背後を衝けたりはしないからねぇ」
小町からの返事には微妙な間があった。たぶん真剣に考えたことはないのだろう。
「よし! ならもっと勝算が見えてきたよ!」
技能がないとなれば、それを補う――――頼るべき存在は各自が持つ“能力”しかない。
しかし、偶然にもほどがある。いや、なんという幸運だろうか。ここにきて小町の能力は兵器を運用するにおいて“おあつらえ向き”とすら言えた。
「向きとか角度はこっちで調整するから、これを覗いてわたしに指示を出して。目盛りの見方はややこしいかもしれないけれど――――」
砲身の右側に備え付けられた簡易照準器へと小町を着かせ、味方を説明していくにとり。その際、どこから持ってきたのかドイツ軍のフリッツヘルムを小町へと投げ渡す。
「これは?」
「被っておきな。さすがに危ないからね」
「って言っても、亡霊のだろ?」
イヤそうな表情を浮かべ、外観を確認していく小町。
幸いにして亡霊のものと思われる血などは付着していなかった。安全には代えられないが気持ちの問題だけはどうにもならない。
「そう言うなよ。それに多少は気分も出るだろ? こういう時のゲン担ぎさ」
先ほどSd.Kfz.223の銃座でMG34をぶっ放していた際、小町が被っていたのを目撃していたのだ。
そして、にとりも自分もトレードマークの帽子をいつの間にか同じくヘルメットへと変えていた。何も言われなければ気付かないくらい違和感がない。さすがはエンジニアの端くれとでもいうべきだろうか。
「……なるほどねぇ。そういう茶目っ気、あたいは嫌いじゃないよ」
観念したか自身もヘルメットを被って表情を引き締めた小町は照準を覗き込む。
内部にはどの距離で目標がどれくらいに見えるかなどややこしいほどの目盛りが刻まれているが、幸いにして小町には敵との距離が直感的にわかる。そこから逆算して、にとりに向きを変えさせればいいのだ。
「もうちょい右! あとすこし上! あー、行き過ぎ! 今の半分下に戻して! 高度……えっと、これは1000!?」
「了解、まずは試射いくよ! 死にたくなかったら口を開けて耳を塞ぎな!」
耳栓を突っ込んだにとりが叫びながら発射レバーを引く。小町も慌てて指示通りに両手で耳を塞いで口を開けた。
ほぼ同時に腹の底を揺さぶるような鋭い砲声が響き渡る。
強烈な反動を砲身のみを後座させることで軽減する駐退復座機が作動、後退しながら砲弾の空薬莢を排出した砲身を元の位置へと戻す。
そして、打ち上げられた砲弾は超高速で飛翔。遥か大空で咲く、お世辞にも綺麗とは言えない“花火”だった。当然、試射なので命中弾――――直撃弾を狙うものではないので破片は敵に当たらなかった。
「外れた!」
「今のはいいんだよ! 次弾装填! 照準変更の必要は!?」
「大丈夫! みんなが上手く敵を誘導してくれてる!」
「わかった!」
排出と同時に開いていた閉鎖器へと次の砲弾――――今度はきっちりと高度を設定したものを押し込む。
相変わらず砲弾は重いはずなのだが、気持ちが昂っているからか今は気にならなかった。
「……来たよ! 今だ!」
「発射!」
当たれと念じてレバーを引く。神頼みに近いがそれくらい必死だった。
応えるように響き渡る二発目の咆吼。
銃弾などとは比較にならない速度で飛翔した口径88mmの砲弾は、大気を貫くように突き進み設定された高度へ到達したタイミングで時限式信管が作動。
対空榴弾の名に恥じぬ真価を発揮し、後半へと破片を高速で撒き散らすことで範囲内に侵入していたP-36Cの翼をボロボロに引きちぎった。
「命中! やったじゃないか!」
照準器を覗き込んでいた小町が喝采を叫ぶ。
ついに、地上からあの忌々しい敵の翼をもぎ取ってやった。