「ねえねえ女苑、さっき川でめっちゃいいもの拾っちゃったんだけどさ」
帰ってくるなり、姉さんはうれしそうに後ろから声を掛けてきた。私は鏡を見つつ髪をセットしながら、
「何? 腐った魚でも拾ってきたの?」
「えっなにその雑な態度……どんなのか興味ないの?」
「いや、ドツボの姉さんが拾えるものってそんなもんでしょ」
「そんなことないってば。ほらあ」
仕方なく振り向くと、姉さんが両手に抱えていたのは、握り拳くらいある水晶玉だった。
「なんか占い師とかが使ってるやつっぽくない? これで私も占い師になれるかもっ」
いや確かにそれっぽいデカさだけど、それより気になるのは、その玉からやたら禍々しいオーラが漂ってることだ。ほんとに水晶か? っていうくらい白く濁りきっているし、あちこち刃物で切り付けられたような物騒な傷跡だらけだし、よく見ると中からドクロっぽい模様がうっすらみえるし……。こんな縁起が悪そうな代物を無邪気に拾ってこれるのはさすが姉さんだと思う。
さらに観察しようと顔を近づけたところ、オオオ……と、うめき声みたいな音が聞こえてきたので、私はぎょっとして水晶から顔を離した。
「姉さん、これ絶対ヤバいって!」
「いやーでもさ、これを見てると、今まで見えなかったものが見えてくるような気がするんだよね」
「それ幻覚じゃない? 大丈夫?」
「いやちょっと待って! なんか見えてきたっ」
姉さんは、両手でつかんだ水晶玉をじーっと見つめながら、
「見えたぞ……女苑が富くじの1等を当ててる未来が!」
「え、マジで? でも姉さんのことだからなあ。ちなみに番号はわかるわけ?」
「当たり札は……『寿の3233』だ!」
1等といえば家だって買える賞金だ。不吉な水晶玉によって姉さんの不運が逆にひっくり返って幸運に目覚めたのかもしれない。
というわけで、その番号の札を買い、当選発表の日を迎えた。ドキドキしながら当選番号が書いてあるお寺の掲示板を見た。
「いやふつーに外れてんじゃねーか!」
「あっれえ? 見間違えたかなあ」
その後も姉さんは首にぶらさげている水晶を見つめながらちょいちょい予知をし続け……そして、ことごとく外し続けた。オイチョカブや花札に賭け相撲、全部だ。相撲の勝敗なんて二択なのに10戦やって全部外した。これでは目をつぶって賭けたほうがまだマシだ。
「姉さんのことだからとは思ってたけどさ、あまりにひどくない?」
「いやいや次は当たるから!」
意地になっている姉さんは予知をだんだんみみっちくし始めた。アイスキャンデーを買ったら当たりの棒が出る、まちで歩いていたらアメを拾う、ラーメンを頼んだらナルトが1枚多い……姉さんの願望が多分に入ってるけど、それでもまるで当たらない。アイスはすっ転んで川に落とすし、まちで歩けば財布を落とすし、ラーメン屋は閉店してるし……。
「あーもう! 次、次こそは当たるから!」
「予知って当たるまでやるものなの?」
「じゃあ、明日は晴れ! これなら絶対当たるはずだって」
空を見上げると、雲ひとつないきれいな夕焼けが広がっている。確かに雨なんて降りそうにない。
次の日の朝、屋根を叩く大きな音で目覚めると、外は滝のようなどしゃ降りだった。
……私はだんだん思い始めた。
ここまで外れ続けるのはさすがにおかしい。もしかすると、姉さんの予知は「絶対に当たらない」のでは? 不吉な水晶玉の相乗効果で姉さんのドツボっぷりが限界突破したとか……。
「あーもう! じゃあ次の予知は……ええと、今は8月だから、明日は夏!」
季節って予知するものじゃねーし。
いやでも……これでも外れたら……。
果たして私の予感は当たっていた。次の日から突然「オーガ」という季節がはじまったのだ。
朝起きて部屋のカーテンを開けたところ、庭のすみっこに、手のひらサイズの、タヌキと猫の中間みたいなふわふわした生き物が、わらわらと固まっていた。窓を開けると、ささやくような鳴き声が聞こえる。耳を傾けると、どうやら「オーガ」と鳴きあっているようだ。
そのとき私は、ごく自然に「あ。オーガの季節がやってきたな」と思ってしまったのだ。
他の季節名は夏とか冬とかなのにだいぶ毛色が違くない? と常識がツッコミを入れてくるのだけど、その一方で「でもオーガの季節だし……」と、受け入れている自分もいる。
寺に行って村紗に今の季節を尋ねると、若干口ごもりながら、「オーガ……じゃない? ほら、あいつらがいるし」と、寺の隅で固まっている例の生き物を指差した。
……どうやら姉さんの予知を外すため、春夏秋冬だった四季は、春夏オーガ秋冬の五季に改変されてしまったらしい。間に挟まってるオーガの違和感がすごい。絶対に姉さんの予知を当てさせやしないという強い意志すら感じる。
「くっそー、もっともっと簡単な予知だったら当たるでしょ。じゃあ、明日も1日は24時間だし、昼間のあいさつは『こんにちわ』だよ!」
姉さんはついに単なる事実を予知と言い張るようになった。
すると、次の日から1日が5分だったり100時間だったりとランダムになり、あいさつは「カナブンを相手めがけて投げつける」になった。
噂によると、朝ごはんを食べているうちに1週間経ってしまったせいで〆切に間に合わなくなった作家と貸本屋が揉めていたり、夜が24時間以上続いたせいで居酒屋の看板娘が過労で倒れたり、知人が多い巫女が毎日全身カナブンまみれになっていたりと、あちこちで騒ぎが起きているらしい。
みんな、おかしいと思いつつも、挨拶代わりにカナブンをぶつけることをやめられないのだ。カナブンにとってはいい迷惑だけど、私だって自然とカナブン専門店に寄って挨拶用のアオカナブンを買ってしまっていたし。いつの間にか時計に追加された、その日の終わりの時を示す赤い針を確認して、「今日は1時間で終わりかあ」と普通に思っていたのだ。
恐ろしいことに、姉さんの予知を外れさせるためには、時間の概念や風習すらも改変させられてしまうらしい。ここまでくると、姉さんのドツボっぷりに敬畏すらおぼえてしまう。
のんきに構えてる場合じゃないぞ。この騒ぎの元凶が姉さんだってバレたらやばい。
……いや、それよりもだ。考えなしの姉さんがふいに取返しのつかないことを予知してしまったらどうなる。例えば「明日は生物がいる」とか、「明日は空気がある」とか……。やばい。やばすぎる。
急いで居間にいる姉さんのところに向かうと、姉さんは、ごろごろ仰向けに寝転びながら、つかんだ水晶を覗き込んでいる。
「くっそー、今度こそ絶対に外れるはずがない予知を……」
「待てい! もう予知は禁止!」
「えー? なんでよ?」
「これ以上世界をメチャクチャにしないでよ!」
「私はただ予知を言ってるだけなんだけど……」
「とにかく下手なことは言わないで! どうせ絶対外れるんだから!」
すると、姉さんはぶすうっと頬を膨らませると、
「そんな言い方ないでしょ。私だって予言者としての意地があるし」
「一度も当たらない予言者がいるかっ」
「いいもん、次こそ絶対に当たる予知を言うし。明日もずっと、私は女苑と一緒にいる!」
……え?
今この姉、なんて言った?
明日? 明日ってあと……。
時計を見る。今日の終わりを示す赤い針は8時を指している。
今の時刻は、7時55分。
「あと5分で明日じゃん!」
明日になると私たちは「一緒にいない」こととなる。こんなこと、1日の時間をランダムにするよりずっと簡単だろう。
問題は、「一緒にいない」というのが、どういう意味かだ。
「一緒に住んでいない」ってことならまだいい。会おうと思えば会えるし。
でも。「同一の空間に存在しない」のなら。この先ずっと会えなくなるし。いや最悪、私と姉さん、どちらかがこの世から消えて……。
「ね、姉さんのアホ! なんでこんなアホなこと言ったのよ!」
「そんなにアホって言わないでよ。女苑もいよいよ私に愛想を尽かせちゃった?」
「愛想なんてもとから尽いてるよっ」
「じゃあ、家を出るの?」
「え? い、いや……今更だし」
「じゃあ、ここにいてくれるってことだね。よかったあ」
そう言って姉さんは、にっこり笑った。
「女苑だけは、そう言ってくれると思ってたもんね」
自分の予知が当たることを。つまり、私がずっとここにいることを疑いもしてないって笑顔だった。まじでアホだな。
アホだけど、正直いい笑顔だと思った。
あと5分で見られなくなるのは、少し惜しいな。しょーがねーな。
「うおーっ!」
私は姉さんの首に掛かっている水晶玉をつかんだ。元凶は明らかにこの水晶だ。こいつを放り捨ててやれば解決するはずだ。私は後ろに回っているヒモを外してもぎとろうと引っ張った。
「ぎょおっ?」
すると、姉さんが首ごと引っ張られてバタバタもがいている。みると、外したはずのヒモが姉さんの首に掛かっている。
「じょ、女苑、首が締まるっ。い、いきなり何すんのっ」
「な、なんで外れないのっ」
「な、何故かこの水晶玉、二度と首から外れないんだよね……」
「典型的な呪いのアイテムじゃねーか!」
ダメだ。どう引っ張っても姉さんの首が締まるばかりだ。このままだと、ヒモより先に姉さんの首が限界を迎えてしまう。
やばい。もう時間がない。どうしよう。
「……そ、そうだ! 姉さん、予知を追加してよ!」
「よ、予知を追加って……?」
「さっきの予知の真逆を言うのよ! そうすればどっちかは絶対当たるじゃないの!」
どっちに転ぶかわからないけど、ここはうまくいく可能性に賭けるしかない。
「おっ、それはグッドじゃん。じゃあ、明日は女苑と一緒にいない!」
時計が鳴ったのはそのときだった。ちょうど8時になったらしい。
すると、目の前の姉さんが、伸びたり縮んだり、半透明になったりピカピカ光ったりしはじめた。矛盾した2つの予知のせいだろうか。
どうなるんだこれ……とドキドキしていると、しばらくして、ようやくおさまってきた。
でも、やっぱり姉さんの姿が少しおかしい。へらへらだらしない口元もキリッと引き締まっているし、いつも眠そうな目もしゃんとしている。もともと顔だけはマシだったのだけど、さらにきれいになっている。
なんかその……姉さんなんだけど、姉さんらしくないみたいな……。
そのらしくないきれいな姉さんは、こちらをじーっと見つめている。いや。ちょっと恥ずいんだが。
「な、なによ?」
「いや……女苑の姿がおかしいんだよ。女苑なんだけど女苑らしくないというか。すらっとしてて痩せてるし……」
「いつもの私は痩せてないって言いたいのか? おお?」
どうやら私たちは、お互いらしくないようにさせられて、「一緒にいる」とも「いない」ともつかない状態にされたようだった。
らしくない姉さんは、いつもよりしっかりしている。例えば、朝自分で起きるし、買い物もするし、なんとごはんまで作ってくれるのだ。
というわけで、今晩の食卓も姉さんの手料理だ。肉野菜炒めにみそ汁にごはん。まさかあの姉さんの手料理が食べられる日が来るなんて。
その肉野菜炒めの中の小間切れ肉がもぞもぞ動いている。今朝の姉さんの「生き物はいつか死ぬ」という予知により、生物が死ななくなったせいだ。どうも姉さんは呪いのせいで、定期的に予知をつぶやかずにいられないらしい。
炒めても生きている豚肉は、ハシで捕えながら踊り食いするのがセオリーだ。慣れれば野菜も肉も生きているから新鮮で悪くない。
「お肉屋さん、動き回る肉の塊を切って袋に押し込めるのに四苦八苦してたよ」
「でしょうね」
「こっちも困ることがあってさ。お金が漬物石になってから買い物するのに重くて腰が折れそうになるの。あと、感謝の言葉が口から火を吹くになったでしょ。会計のたびに火をかわさないといけないしさ。ねえ、そろそろこれ、壊せるんじゃない?」
きれいな姉さんは、さらにボロボロになった水晶を机の上に載せた。
姉さんは、身に着けるものの価値を失わせるデバフ持ちだ。そんな姉さんが常に持っていれば、すぐにこうもなるだろう。この呪いの水晶も憑りついた相手が悪かったというわけだ。
「よくわからないけど、これが元凶なんでしょ。みんな迷惑してるし、壊したほうがよくない?」
姉さんのくせに、まっとうなことを言う。やっぱりらしくない。
「まあ、まだいいんじゃない?」
「この前は慌てて捨てようとしたくせに。女苑、やっぱちょっとらしくないよね」
「お互いさまだって」
だって。姉さんの手料理なんて、今しか食べられないしね。
私は逃げ回るお肉をハシで刺して捕まえると、口に放り込んだ。
「あっ予知が来た。この騒動は私たちが原因ってバレずに終わる! よかったねえ」
「……え?」