【連載】妖世刃弔華
妖世刃弔華【第8回 首魁】
後日、霖之助はふたたび幻想郷に流れ着いた兵器群の前にいた。
よくもまぁこれだけのものが一度に流れ着いたと思えるほどの鉄塊の前には今ではちょっとした人だかりができている。
玄武の沢をはじめとして幻想郷の水辺に住む河童だった。
この地では河童は手先が器用で道具の作成に長けていることで有名だ。
そこで霖之助は中途半端に知識だけある自分が動くよりも、人間には理解不能な物をどうにかするためには河童に頼るのが正解と判断したのだった。
ご指名を受けた彼女たちはユニフォームのように統一された水色の服に身を包んで作業にあたっているが、それぞれで微妙にデザインだったり身につけている小道具が違っている。このあたりで個性を出しているのだろう。
「どう? できそうかい?」
霖之助の問いかけを受け、山積みになった鉄の塊を興味深げに検分していたひとりの河童が振り返る。緑の帽子と背中の大きなリュックが特徴的な少女だ。
彼女の名は河城にとり。この場にいる河童の中でも特に優秀なエンジニアで、時折流れ着く人工物を見るやいなやすぐにその特性を理解し、分解するだけでなく元通りにすることができるある種の天才だ。
筋金入りのエンジニアっぷりを遺憾なく発揮するため、彼女のリュックや服のポケットにはありとあらゆる種類の工具や材料、そして燃料などが詰まっている。
あまり河童は自らの技術を広めるような真似をすることはしないが、元来人間に対しては友好的であるため霖之助は彼女たちに声をかけたのだった。
「そうだね~。このへんにある諸々を鉄くずにバラすだけなら、しばらく時間をかけたらわたしたちでもやれると思うよ」
河童は性格にムラッ気があるため、興味があるうちはあくせく働くだろうが、一度他に対象が移ってしまうと復帰までに時間がかかる。
「時間がかかっても構わない、やってくれるだけで助かるよ。僕には知識はあっても、実際に現物をどうにかする力はないからね」
「なーに人間は河童の盟友だからね。困ったことがあるなら頑張ってみせるさ」
もっともらしいことを言っているが、それ以上に未知の物体への好奇心が抑えられないのだろう。
霖之助との話を切り上げて作業に戻りたそうに、にとりの視線が先ほどから兵器群へとちらちら向いている。
「そういえば前に見たよりもいくつか減っているみたいだけど?」
気になった霖之助がにとりに訊ねる。紫に依頼された時に比べてあきらかに機械類の山が減っていた。
ここは滅多に誰かがやってくる場所ではないため持ち去られたということも考えにくい。
なまじ危険なものであることは理解している霖之助としては確認しておきたいところだった。
「それは他の河童たちだね。作業するにもスペースがかぎられているからさ。ここでぜんぶやるわけにもいかないし、まずはそれぞれの住処に運んでバラすつもりなんだよ」
誰にも邪魔をされず好きなだけ機械類をいじりたいんだろうな。霖之助はそう思ったが口には出さなかった。
河童たちが自分のマッドサイエンティズムを満たそうとするのは勝手だ。ちゃんと頼んだ仕事さえやってくれればそれでいい。
さらにいえば、自分の住処の近くで物騒なものをいじられるよりはずっと気が楽だった。
それから数日間、霖之助は監督役として次第に余所へと運ばれていく兵器を眺めることになった。
そうしてあらかたの運搬作業が終わったところで、にとりが最後の問題を片付けるべく動きはじめた。
「おや、ずいぶんと綺麗に片付いたじゃないか」
いつもより遅れてやってきた霖之助が声を上げる。
あれほどあったはずの兵器群は今や姿を消し、元の地面が姿を見せていた。
もっとも、ぜんぶまるっと解決したと宣言するにはこれからの河童たちの頑張りが必要となるのだろうが、なんとなくひと段落ついたような気分になる。
「まだどかしただけだよ。これから河童たちがあれをバラして他の用途に使えるように考えるのさ。そこからはこっちの好きにさせてもらうよ」
好きにするとは言うが元のものほど物騒なものにはしないだろう。
「依頼主からそこには言及されていないから好きにしたらいいんじゃないかな。でも、この調子なら案外早く終わりそうだね」
「普通のはそれでいいだろうさ。ただ奥にあるヤバそうなのはあのコ次第じゃないかな」
にとりの表情にすこしだけ険しいものが宿ったが、霖之助はそれに気付かなかった。
「うにゅ?」
にとりの声が聞こえたのか間の抜けた声を上げて首を傾げる長い黒髪を大きな緑のリボンで縛った少女。白のブラウスに緑のスカートを着て、背中には大仰なマントを羽織り、その下に折りたたまれた鴉を思わせる羽が備わっていた。
「あ、ごめん。おまえバカだったな……」
「ちょっと! すぐにわたしをバカ扱いするんだから!」
両腕を振り上げて抗議する少女だが、説得力は皆無だった。
なにしろ、とんでもない高火力を持っているにもかかわらず、肝心の本人の頭に多大なる欠陥――――もとい問題があった。
外の世界の者ならこう言われることだろう。「動物園のチンパンジーに核ミサイルの発射ボタン持たせているようなものだ」と。
「扱いですまないからバカって言ってるんじゃないか。そのくせとんでもない力を持っているから余計にタチが悪いんだよ」
にとりに嘆かれる彼女の名前は霊烏路空 。
本来の種族は地獄鴉と呼ばれる動物の姿をした妖怪であったのだが、なにやら色々とあった結果に今の姿に転じたというか変わってしまった。
どこぞの神が力を与えたことが原因だというが、その力がまた問題だった。
核融合――――“神の火”とも喩えられる八咫烏の力をこの少女は身体に宿している。
「べつに今は地上を焼き払おうなんて思っていないよ?」
「思われたら困るんだよ。ああもう、どうして山の神はこんなヤツにヤバい力を与えたんだ……」
この世の不条理を嘆くにとり。
今の空は元々の住処であった地霊殿ではなく、妖怪の山の麓に作られた間欠泉地下センターの最下層で炉の管理をしている。
本当に管理できているのかは霖之助もにとりも詳しく知らないが、今のところ異変は起こっていないので大丈夫なのだろう。深くは関わりたくないためそう思うことにしていた。
ちなみに間欠泉地下センターとは、地下から間欠泉と怨霊が噴き出した異変の後、守矢神社や河童によって妖怪の山の麓に建設された施設である。
核融合炉の実験と研究を行なっている施設とまことしやかにささやかれているが、ほとんどの妖怪や人間が核融合のことなど知らないため“よくわからない施設”扱いに留まっている。
元々幻想郷には小難しいことに興味のない者が多いため、結局は地下深くまで続く妖しい竪穴くらいのイメージしかないのだった。
「まぁバカでもなんでもいいや。これさえ片付けられるのならね」
深く溜め息を吐いて、にとりはこれ以上深く考えるのをやめた。
面倒事さえ先に処理してしまえばあとは存分に外から流れ着いた機械たちをいじることができる。それまでの辛抱なのだ。
だからだろう。この時点では、にとりも彼女に依頼した霖之助も事態を楽観視していた。
「それはちょっと困るわね」
新たな声が発せられるまでは。
近くで発せられた聞き覚えのない声を受け、弾かれたように振り返る霖之助たち。
不思議なことにその場にいた誰ひとりとして新たな人物の接近には気づかなかった。
季節は春も半ばを過ぎ、わずかではあるがすでに夏の近付く気配さえある。
そんな真昼の空の下だというのに、冬用のものと思しき黒衣に身を包むひとりの女が立っていた。
黒光りする鍔が前方に伸びた奇妙な形の帽子を目深に被り、その下にある双眸まではこちらかではよく見えない。
「誰だ、あれ……?」
怪訝な表情を浮かべてにとりがつぶやく。不意に場へと風が吹き込んできた。
「それはね、とても大事なものなの。こちらに渡してもらえるかしら?」
周囲の木々から離れた葉が静かに虚空を舞う中、凛とした――――いや、聞く者にとって背筋に悪寒が走るような冷たい響きが発せられる。
漆黒のロングコートを吹く風になびかせ、踵をわざと打ち鳴らすようにして女は悠然と霖之助たちのほうへと歩み寄ってくる。
背には槍――――いや、全長3メートル近くにも及ぶ鉾を負っていた。
鉾身は鉄製で中央に鎬を造り、区元の一部を除いて立ちはだかる敵を打倒すべく肉をそぎ落とした形状。穂の左右には逆刺がつき、上下の大刺、中央の4つの小刺がそれぞれ装飾性を高めている。
一方、長大な柄には蔓が巻き付いた自然木が使用されており、それがまたある種の神秘性を与えていた。
ふと見ただけでは儀式に使われる神具の類かと思われるが、それを打ち消すように鉾身が有する鬼気が圧力として大気中に放射されていた。
それだけでも然ることながら、左の腰には堅牢な造りの刀を佩いている。
もちろん、それが外の世界において“軍刀”と呼ばれるある種の工業製品であることを幻想郷の住人が知ることはないが、選ばれし物が携える業物とはまた違う完成度を誰もが瞳に捉えていた。
(荒々しい――――)
見ているだけで息が詰まりそうだった。
なぜこの女はこうも他者を威嚇するように鋼を身に纏うのか。まるで戦うためだけにこの世へと生を受けてきたような印象を見る者に与える。
しかし、これほどまでに目立つ外見をしているにもかかわらず、霖之助は女に見覚えがなかった。
あるいは新たに幻想入りした妖怪だろうか。最近は西洋の吸血鬼が現れたこともそうだが、人々に忘れら去られし神ですら外の世界からやってくることもある。ちょっとばかり変わった住人が増えたとしてもなんら不思議ではない。
そう考えたところで、女が顔をわずかに上げる。そこで霖之助の表情と思考は凍りついた。
「っ!」
伸びた金色の髪にまっすぐに通った首筋と鼻梁。整った容貌は間違いなく美しいと形容できるもので、往来を歩けば多くの者の羨望を集めることだろう。
だが、彼女の持つ“それ以外の要素”が自身を異形の存在であると知らしめていた。
身に纏う黒衣の間から覗く素肌は透き通るような白磁の如き色合いを宿し、形の良い唇にもおおよそ生気と呼べるものを感じることができない。
極めつけは彼女の“左目”だった。
最初は眼帯を着けているものかと思ったが、よく見ればそこに眼球は存在せず漆黒の闇があるのみ。
にもかかわらず、その深淵を連想させる空間は彼女の美をいささかも損なうことはなく、かえって埒外の美として昇華させていた。
(もしかして、亡霊なのか……?)
霖之助はそう結論付けるが、仮に亡霊であるとしても目の前の女から漂うは彼岸に住まう西行寺幽々子が持つ揺蕩うような雰囲気ではない。むしろそれとは正反対の存在にしか思えなかった。
自身の予想に対して言い知れぬ不安を覚える霖之助。すぐ近くにいあるにとりもいつしか居心地の悪そうな表情を浮かべている。
「……大事なものだって? 大事になりそうなものの間違いではなく?」
昼間に現れる亡霊など確実に厄介案件だ。その証拠に先ほどから「この女には関わるな」と本能が激しく警鐘を鳴らしていた。
だが、同時にもし逃げ出そうと背を向けようものなら問答無用で殺される未来が見えた霖之助は声が震えてしまわないよう意識しながら亡霊へと話しかける。
「そうね。あなたたちにとってはそうかもしれないわ。でも、わたしには必要なものなの」
特に感情は込められていない返答だが、その声には有無を言わせない響きがあった。
ここで受け答えを間違えればろくなことにならない。霖之助の背中にはすでに汗の玉が浮かび上がっていた。
おそらくにとりも同じような状態なのだろう。とうとう服だけではなく顔色までもがほのかに青白くなっている。
「なんだよ、おまえ。いきなり出てきて好き勝手言って」
そこで空気を読まない空が口を開いた。
((お願いだから今だけでも黙っていてくれ!!))
知らずのうちに霖之助とにとりの内心は同調していたが、その願いは残念ながら八咫烏の少女に届くことはなかった。
「わたしは早く終わらせてやらなきゃならない仕事があるんだから。おまえみたいな知らんヤツにかまってる暇なんてないんだよ。どっか行ってろ」
明確な敵意こそ見せていないが、およそ友好的な態度からは対極に位置している応対だった。
「よく囀る地獄鴉ね……。いえ、それだけじゃない。ふぅん、あなたその小さな身体に“面白い力”を宿しているのね」
女が持つ凍土の“隻眼”にはじめて他者に対する興味の色が混じった。
「もしかして、わたしのことをバカにしてるのか?」
女亡霊の韜晦した物言いを受け空の眉根が寄る。
それを見て、両者の様子を窺っていた霖之助とにとりの顔色がさらに悪くなっていく。
空ははっきり言ってしまうとバカだが、その身に宿す力はきわめて強力だ。ここで暴発などした日には周囲一帯に灼熱地獄が生まれかねない。
「まさか。渡りに船と思っただけよ」
虚無の奈落に紅い炎が灯る。
事態があまり好ましくない方向へ動き出した瞬間であることは否応なくわかるものだった。
「……いったいなんなんだ、君は」
頬を伝う汗の流れを感じながら霖之助は喉の奥から絞り出したような声で問いかける。
亡霊は緩く弧を描く唇に薄い笑みを浮かべて口を開いた。
「そういえば、名乗りを上げるのが遅れたわね。わたしはジェーン・カーネル・オウスティナ。亡霊兵団の首領にして皆からは“大佐”と呼ばれているわ」