【連載】妖世刃弔華
妖世刃弔華【第56回 地下】
「ええと……たしか……あったあった、ここだ」
森の中を進んでいくと、昨日繰り広げられた戦いの爪痕に出くわした。
戦艦マラートから数多く放たれた30.5センチ砲弾は、あちこちの地面をクレーター状に深々と抉り取っている。艦砲射撃の想像を絶する威力を雄弁に物語っており、あらためて外の兵器の恐ろしさを妖夢たちに思い知らせると同時に、二度とあんな非常識な存在と戦いたくはないと思わせるものだった。
点在するクレーター内部を覗き込んでいるにとりに妖夢が声をかける。
「こんなところで寄り道している時間なんてあるんですか?」
妖夢としては早いところ昨日見つけた地下への入り口に向かいたがっており、どこか落ち着かない様子だ。
「まぁ、そう焦りなさんなって。……あーやっぱり。昨日の帰り際にもちょっと変だなって思ってたんだよな」
にとりが立ち止まって眼前の穴の中を指差しつぶやいた。
彼女が見つけたのはそのなかの一部、クレーター内で月が欠けるように土が大きく崩落している部分だった。
「なんだいこれ? 砲弾の跡にしちゃあ妙だね。底の方で穴が広がってるのかい?」
横合いから覗き込んだ小町が疑問を差し挟んだ。
大量の土砂が吹き飛ばされ、あるいは巻き上げられた痕跡にしては形状がおかしい。外周部が大きく崩落して、内部に空洞があることを示唆していた。
「山だったら水は内部に浸透して流れていくけど、この辺は平地の森だし湖も近いから、土に水分がたくさん含まれてるんだ。だから外部からの衝撃でこうして簡単に崩れちゃうんだよ」
「地面の地下に空洞……もしかして地下世界へ続いているってことですか?」
「ご明察。だいたい敵が待ち構えているってわかっているのに、わざわざ馬鹿正直に正面から乗り込むことはないって思ってたんだよ」
口ぶりから察するに、最初からにとりはこうするつもりだったらしい。
出掛けに前もって説明しなかったのは、直接見せた方が早いと判断したからだろう。あるいは、妖夢たち脳筋勢に「迂回しよう」と言葉を尽くしても無駄だと諦めていた可能性もある。
「ああなるほど。だからヘルメットを被っていたんですね」
ようやく合点がいったように妖夢が手をぽんと叩いた。
「そういうこと。まぁ山の坑道や洞窟でも本当なら必要なんだけどね。ほら、あんたたちにも」
答えたにとりが妖夢と小町に工業用ヘルメットを手渡す。もちろん取り出したのは例の鞄からだった。
「え。ということはここから行くんですか? 内部が亡霊たちのアジトに繋がっているって保証は?」
妖夢の疑問はもっともだった。
これだと思って進んだ挙句、まったく関係のない妖怪の住処にでも行きあたってしまったらとてつもない時間の浪費となる。そんな賭けのような真似はできない。
「妖怪たちが掘った道じゃないかって心配だろ? 今じゃ多少緩くなったとはいえ、地上とは関わらないよう取り決められているんだ。自分たちからトラブルを招こうとはしないはず。だからこんな浅いところに道なんか作らない」
「言われてみればたしかに」
「じゃあ早速下りていくけど、補強した穴じゃないから崩落には充分注意して」
すでに結論は出たとばかりに答え、にとりは動き出す。
ガスランタンを手に、額にはヘッドライトも装着している。いつにない完全装備だ。こんなものまで普段から持ち歩いているならあまりにも用意が良すぎると思うが今さらである。
「わかりました」
「どう注意したらいいのかわかんないけど」
後に続く妖夢と小町が答えるが、やはりこのふたりには緊張感の欠片もない。
「天井から土が連続して落ちてきたり、変な音がしたりしたら急いでその場を逃げればいいんだよ」
「「なるほど」」
その時にはもはや手遅れなのではないかと思ったが、せっかく見つけ出した最短ルートだ。この際文句は言うまい。
クレーターの底から地下へと入り、そこから道なりにゆっくりと下りて行くこと体感時間でおよそ10分。目印になるものも存在しない闇の中を進んでいると、当たり前だが徐々に方向感覚が若干麻痺してくる。
「ずいぶん深いですね」
足音以外の静寂に耐え切れなくなった妖夢が声を上げた。
方角はわからなくとも、なんとなく平衡感覚に伝わる傾斜具合からどれくらい潜ってきたかわかるらしい。獣が妖怪化したとかでないわりに、妖夢にも野生の勘のようなものが働いているのだろうか。
「間欠泉騒動のときに魔理沙が潜ったときの深度よりはずっと浅いけどね。でも何だろう、この空間は」
「まだ知られていない地下世界があるとか?」
「かなぁ? まぁどこのどいつが作ったかわからない場所なんて、いくらでもありそうだけどさ」
だって幻想郷だしね……と、にとりは内心で続けた。
気が付いたら新しい住人や何かが増えているのだ。今さらひとつやふたつ、新発見があったところで驚愕には値しない。
未知の場所へ向かう不安を振り払うように、とりとめもない会話を続けながらもうしばらく歩いてくと、とりあえずの底らしき場所に辿り着いた。崩落した土が落ちていて軟らかい感触を足裏に伝えてくる。
だがその周りはやや開けた空間になっており、さらに違う空間と繋がっているようだ。
「なんだいこれ?」
地面を見た小町が声を上げた。そこには鉄と思われる細長い線状の物体が並行して並んでいる。両者の間には固定するためか気の柱が垂直に横渡っていた。
「これは……もしかして線路?」
小町の疑問に答えるでもなくにとりがつぶやいた。
それなりに集めていた外の世界に関する情報から、にとりはこれが“鉄道”と呼ばれる輸送手段だと思い至る。
「何だか知らないけど、どっちにも向かって伸びてるねぇ。こりゃ分かれ道かい?」
「こんな空間があったんですね」
「いや、これは違うな。どっちかっていうと人為的に掘削した跡だ。誰かが最近作ったんだよ」
「じゃあ今下りてきた場所はなんだったんです?」
「何だろう。トンネルの退避所みたいに思えるけど、そんなはずはないしなぁ」
どうしても亡霊たちとトンネル堀りが結びつかないのだ。妖怪の山の地下にアジトがあるなら、敢えて他の妖怪などに見つかるリスクを冒してまで拡張させるだろうか?
「「??」」
にとりの独白に妖夢と小町は首を傾げる。
「まぁいいか。それでどっちに行く?」
ここで考えていても始まらない。にとりは思考を切り替えて妖夢たちに問いかけた。
「そんな軽い調子で訊かれても……。はてさてどちらに進むべきか……」
腕を組んだ妖夢はうーんと唸る。元来生真面目な性格をしているので、こういう局面で必要以上に考えこんでしまう。これまで大事な判断はすべて誰かが代わりにしてくれていた弊害もあろうが。
「あたいにいい考えがあるよ。何か棒みたいなもの、ないかい?」
仕方ないとばかりに小町が口を開いた。何か策があるというのだろうか。
「棒? それをどうするつもりですか?」
「そりゃ迷ったら長物を倒して進むのさ。ほら、ちょうどいい長さだ。楼観剣そこに立てて倒しなよ」
ものすごく気軽に言いだした。
「イヤですよ! 目釘が歪んだらどうするつもりなんですか! 小町の鎌でいいでしょ!?」
さすがに妖夢も黙ってはいられなかった。
この死神は業物をなんだと思っているのだろうか。たしかに気軽に振り回していると言われれば返す言葉もないが、それでもこの刀の価値は変わらないのだ。
「ちょいと!? いつものレプリカじゃないんだよ!? 目抜き釘が取れたらどうしてくれるんだい!」
小町は小町でふざけるなと言い返すが、どっちもどっちにしか見えない。
「いやそもそも複雑な武器だと重心に偏りがあるだろ。ちょっと考えたらわかるじゃん」
「うーん。じゃあ、間を取ってにとりが持ってる武器でいいんじゃないですか?」
「バカ言うな暴発したらどうするつもりだよ! ていうか今の聞いてた!?」
心底嫌そうな表情を浮かべてにとりが反論する。衝突を避けたところまでは賢明だったが、そこから新たに自分まで巻き込むのはやめてほしい。
「大丈夫です、弾を抜けばいいんですよ」
妖夢がまともなことを口にした。明日あたり雨か槍か、はたまた砲弾が降るかもしれない。
「ちっ……兵器のへの字も知らなかったヤツらが、下手に知恵をつけやがって。人類の科学の叡智をよもや道標に使おうなんて、こいつら何を考えているんだか……」
「聞いたことあるよ、“最初に光あれ”だろ? 神の御業に近づけるんだ、きっと本望さ」
したり顔で語る小町と、うんうんと同意している妖夢。前者はおそらく適当に言っているだけだし、後者は本当にわかっているかもあやしい。
「絶対ないと思うし、戦争の神は幻想郷にいないだろ……ああいや、八坂の大将が一応軍神か。いやぁだからってあの方々に命運預けられるか?」
「気持ちはわからんでもないよ」
「実際、今も裏で何かコソコソやってそうな雰囲気ありますしね」
今までが今までだ。信用のなさは折り紙付きだった。
「まぁいいや。なんか棒……棒みたいなものあれば……探してみるか」
鞄を地面に置いてごそごそとまさぐっていくにとり。
「望遠鏡……割れる……。竿……下手すりゃ折れる……。ドライバー……小さい……。スパナ……バランス悪い……。物差し……傷付く……。レベルメーター……割れるか倒れない……。ダイナマイト……論外……」
「……」
もう突っ込まないからな。にとりを見る妖夢は無言でそう主張していた。
「マジでどんだけ入ってんだいその中」
「あ、あった……けどこれかぁ」
小町の呆れ声を無視してにとりが鞄から取り出したるは、2m近くある長尺トルクレンチだった。本当にどうやって鞄の中に入っていたのかわからない。
「もうツッコまないからな」
「そうだ黙れ黙れ」
好き勝手言ってくれる味方にうんざりしていたのか、にとりもやる気でやっていた。
「これ何するものなんですか? 鈍器じゃないですよね?」
「説明してわかるかなぁ。ボルトとナット……まぁざっくり言えばネジなんだけど、適切な力で締めないと折れたり間に挟んだものが傷んだりするんだよ。その強さになると、それ以上の力を加えないように空転して教えてくれる工具さ」
「はぁ」
案の定、妖夢には理解できなかったようだ。本当に剣が絡まないとポンコツである。
「あーなるほどそーゆーことね。完全に理解した」
「絶対理解してないぃ。あんたらみたいに大雑把なヤツにはわかんないかもしれんけど、これってれっきとした精密器具なんだよ。地面に倒したらあとで校正しないとだよ……ぶつぶつ」
「そうカッカするなよ。時には運を天に任せることも必要だろ?」
本気で拗ねそうなにとりを小町が宥める。
幻想郷の天にろくな連中がいないことは理解しているが、今回はあくまで“ものの喩え”だ。
トルクレンチを地面に突き立てたにとりが、ひと息置いて口を開く。
「じゃあ、敵将といきなり当たるのは怖いから、亡霊兵がいっぱいいるところで」
「なんだいビビってるのかい?」
「ばか正直に真正面から戦うばかりが戦いじゃないんだよ。すこしは学習してくれないかなぁ?」
ボヤきながらトルクレンチから手を放す。
――ゴトッ。
銀の杖、もとい工具が重力に従い、人の意思とバランスを失って倒れた。
微妙な筋肉の緊張などが影響していなければ、ちゃんと運任せにいってくれたはずだ。
「あっち?」
「人類の叡智はそう言ってるね」
「じゃあ素直に従っておくかね。神頼みよりもちっとはアテになりそうだ」
この先に何が待ち受けているのか。今はトルクレンチの導きに従い、妖夢たちは先へと進んで行くのだった。