【連載】妖世刃弔華
妖世刃弔華【第54回 錯誤】
「……オウスティナ様、今一度ご再考いただくことはできませんでしょうか?」
空の言葉を聞いて確信を得たかのようにフェルが口を開いた。身内からの思わぬ発言に、その場にいた全員の視線が彼女へと向けられる。
しばし流れる沈黙の中、オウスティナが亡霊兵を見て小さく顎を動かす。意を汲んだように彼女は頷き、空を引っ張って奥へと消えていく。
「ちょっと! まだわたしの話は終わってな――」
「いいわよフェル、続けて」
叫ぶ空を誰も気には留めなかった。
あまり頭の良くなさそうな地獄鴉に聞かれたところで何ができるとも思えないが、すでに計画は万難を排すべき段階に移行している。ここにきて不確定要素を抱えるわけにはいかなかった。
「正直に申し上げますが、もうこのようなことはおやめになられた方が……」
「フェルさん、いくら軍事総括のあなたといえど僭越ではないでしょうか」
ナナリーの口調はいつもと同じ穏やかなものだ。しかし、目は一切笑っていなかった。
武に関してはからっきしな彼女だが、オウスティナ最大の理解者でありこの期に及んで一歩も引くつもりはなかった。
「そんなことは百も承知ですよナナリー。しかし、この爆弾を使うのは、わたしにはどうしても――」
普段は口数の少ないフェルがめずらしく食い下がろうとしている。フェルの危惧は別の場所にあった。
亡霊によってもたらされた核兵器の知識を信用するなら、爆発によって発生する火球はファットマン型18キロトンで直径約0.1キロメートル、被害範囲も直径約3キロメートルとなる。
結界に直撃させれば理屈上は半径分だけで済むので、被害範囲も約1.5キロメートルに納められる計算だ。
この通りに進んだなら、およそ30キロ四方の広さを持つ幻想郷の1/300ほどを焼き払うことになる。
加えて、これは地上で炸裂させた場合の想定だった。
実際には亡霊兵団兵器管理部が全力を挙げて“準備している投射手段”により、空中で炸裂させ結界への被害を最大限まで高めることで、相対的に幻想郷内部への被害は抑えられる計画だ。
「ネヴァの試算では、被害も最低限の範囲に収まるのでしょう? 幻想郷から出られないと言うなら無理に出るまでだけど、ちゃんと考えているわ。それでも不安なの?」
オウスティナが問い返した。
「ええ。ですが、あくまでもネヴァが知り得る兵器であることを前提とした机上論に過ぎません。もしも亡霊たちが知らない、たとえば十年二十年の間により進歩していたとしたら? そこを見誤っていたらどうなることか……」
実のところ、フェルが懸念するように、亡霊兵団の切り札であるこの兵器には予想しきれていない点が存在していた。
半径30キロ程度の広さしかない幻想郷は、博麗大結界によって密封された器と同じであり、言ってしまえば鉄を溶かす反射炉の中と同じ効果をもたらす可能性がある。
強力な結界であるがゆえに、核融合によって発生した熱を無駄なく反射し内部を超高熱の地獄へ変える危険性があるのだ。
『計算に間違いはないはずですよー』
「そうね。でも、計算の前提そのものが間違っていた場合は? あなたが知っているものより、これはだいぶ大きいのでしょう?」
間髪容れぬフェルの指摘にネヴァが押し黙る。
そう、この時点では推測に過ぎないもののフェルの懸念は当たっていた。
げに恐ろしきは誰も知らないことだろう。
人類史上最大の威力を持つ核兵器であるAN602ツァーリ・ボンバは、“道具の名前と用途が判る程度の能力”を持つ森近霖之助ですら限定的にしか理解していなかったが、本来の100メガトンから威力を半分にした状態ですら半径6.6キロメートル以内では一次放射線に曝され致死に至り、爆風による人員殺傷範囲は23キロメートル、致命的な火傷を負う熱線の効果範囲は58キロメートルにも及んだとされている。これは長崎で使用されたファットマン型の1,500倍にも及ぶ。
つまり、たとえ博麗大結界の表面に突き刺さるように起爆したとしても、致命的な火傷を負う熱線を幻想郷は受け止めきれず、結界が破壊されるまでは熱線を反射し続けて比喩表現抜きに幻想郷のほぼすべてが焼き払われるのだ。
なにも故郷に帰ろうとすること自体を止めようとは思わない。フェルとて今一度自分が生まれ育った場所を見てみたい。
そのために、人の身に余る力を使ってしまえば、太陽に近付きすぎてその身を焼かれたイカロスのようになってしまうのではないか――。
計り知れない強大な力を前に、フェルは不安を感じずにはいられない。
しかし、同時に強く出られない理由もあった。
ここで無理に計画の変更を主張すると、また黄泉の底で無気力に揺蕩っていたオウスティナに戻ってしまう可能性がある。
仲間と共に黄泉の底でいつとも知れぬ目覚めを願った身としては、主のそんな姿だけはもう二度と見たくなかった。
「たしかに、フェルの言う通りかもしれないわね。わたしだって何の罪もない民人を太陽の力で焼き払いたいだなんて思わない。屍山血河を生み出してでも方法で故郷に帰ろうなどと考えること自体が外道の行為――」
わずかに残った口の端を歪めながらオウスティナは言葉を止める。
「でも、止められない。今一度手が届くかもしれないと知ってしまったからには……! だからなにがあろうと、この戦いの結果はわたしがすべての責を負う。フェル、あなたの罪悪感もすべてわたしに預けなさい」
心の底から湧き上がる、焦がれるような感情の塊を紡がれては、もはやフェルとナナリーでは言葉をかけることができなかった。
「さぁ報告を続けて。その他の状況はどうなっているの? 目的を遂げるのは大事だけど、足元が疎かになって攻め入られる隙なんて与える間抜けにはなりたくないわ」
この話はここまでと言わんばかりに話題が切り替えられた。
「……航空戦力から報告いたします。昨日の迎撃戦闘でP-36Cを計7機喪失しております」
「ちょっと待って。半霊たちと戦った時より増えているじゃない」
さすがのオウスティナもこの報告に眉を顰めずにはいられなかった。
「半霊たちとは別行動していた魔法使いふたり組が、奪取したFlaKを使いながら前進を続けながら撃ち落としたようです。結果的に戦力の逐次投入となってしまい損害が増え……」
報告を上げるフェルの表情は平静さを取り戻していたが、どこか苦々しげにも見えた。
「残機はどれくらい? 今は飛ばしていないでしょう?」
残念ながら夜間戦闘の可能な機体は今回流れ着いておらず、亡霊たちの世界であるはずの夜に攻勢へ出ることができないでいた。
「戦闘機は地表近くに作った地下掩体壕で整備中です。機種は混在ですが、戦力に数えられるレベルのもので合計10機ほど残っています。これは使いどころを悩むところです」
今から戦闘機を飛ばして得られるであろう戦果はあまりに微妙だ。
侵攻してきている敵勢力は限られており、それらを狩り出すために投入するメリットはないように思える。どちらかといえば迎撃に使うべきだろう。
「そうね、わたしたちが有する中でも特に貴重な兵器よ。然るべき時まで温存しておきたいわね。別で動いている魔法使いたちは、地下まで攻めてくるかしら?」
「どうでしょうか。対空能力の優位性が失われると分かっていて来るとは思いにくいですが」
「甘いわね。あれは地上目標にも使えるでしょう?」
どうして歴史に名を残すくらいの人間になると、大砲を水平射撃するようなぶっ飛んだ思考に行き着くのだろうか。
会話を聞きながらそう思わすにはいられなかったネヴァだが、さすがに空気を読んで口には出さなかった。
「地下空間で使うにしてもリスクが高すぎるのではありませんか? あれをぶっ放せる場所まで来られるかになります」
「兵を率いる身ならば、たとえ考えにくくても万が一を想定しておくべきよ。少なくともあの剣士たちは間違いなく追いかけてくる」
「もう一歩で殺されそうになったというのにですか? あれでも心が折れていないとは考えられませんが……」
ナナリーが問いかけた。
「恐怖は刻み付けた。でも、我が身に刃が届こうという時ですら、目だけは諦めていなかった。傷をつけたわけじゃないけど、あれは手負いの獣も同然よ。生ある者の執念を侮ってはいけない」
唸るようにオウスティナは断言した。その声は、どこか嬉しそうにも聞こえた。
厳密に言えば妖夢は半分死んでおり、生への執着も半分程度になっているはずなのだが、完全な死人からすれば同じように感じるらしい。あるいは平生の感覚のままではなく、戦いを通して妖夢の中で何かが変わっていっているかだ。
「いずれやって来るなら、その時にでも斬ればいいわ。それよりも、注意すべきはそ周りにいる仲間かしらね。刀を振り回すだけが能ならここまで手を焼くことはないでしょう」
「そうですね。兵器運用能力、情報収集能力ともに、目を見張るものがあります。かなりの能力を持つ者が支えているのは間違いないでしょう」
「どんな能力なのかわかれば警戒のしようもあるのだけど……剣士はともかく、周囲に気をつけさせなさい。すぐ近くの様子はどう?」
「地下街の周辺は制圧してから特に変わりありません。中の妖怪たちはこちらの様子を窺っているようですが、打って出て来る気配はありません。“アレ”の威圧感は相当ですから」
正体もわからない連中に関わりたくないだけかもしれない。
もっとも相手は雰囲気で生きているような妖怪たちだ。いつ気が変わって動くかもわからない以上、油断すべきではないだろう。
「掘削部隊が無事なら結構。作業の進捗はどうなの?」
結界への艦砲射撃、核攻撃以外にも、亡霊兵団は幻想郷から抜け出るための努力を続けていた。それが地下から掘り進んで結界という壁を潜り抜けてしまおうというプランだ。
あまりにもシンプルすぎる。もはや収容所からの大脱走かと思うが、案外こういった地道な作業を続ける連中がいないだけに裏道的に成功するのかもしれない。
「もうじき結界へ到達するとの報告が上がってきています。なにぶんあそこは人力頼みなので……」
「そこは仕方ないわ。でも、土砂の搬出にあれが役に立つとは思わなかった。あれでかなり効率化したみたいだし。もっと早くに気付くべきだったわね」
余人には笑われそうだが、目的を達成するためオウスティナたちはありとあらゆる可能性を追求している。目立たずに外の世界へ戻れるというならそれに越したことはないのだ。
「ガタガタとうるさいですが、慣れてみると便利なものです。当初の用途とは大きく異なる副産物ですが我々にとっては幸いでした」
「油断したらダメよ? これ以上邪魔をしてくる連中が増えないとも限らないからね。邪魔と言えば……制圧した地霊殿の様子は? 地獄鴉を奪還しようとする動きはないのかしら」
空を確保して間を置かず、亡霊兵団は地霊殿に少なくない兵たちを送り込んでいた。
「降伏して以来、だんまりを続けています。我々との相性は最悪ですから。おそらく、主が配下のものどもを押さえ込んでいるのでしょう」
「そう。こちらも旧都から離れた場所に指揮所を設けているし、手を出されないかぎり放っておきなさい。地上が焼かれようと彼らに害はないはずだわ。それがわかっているのでしょう」
さとりとて万能の存在ではなく、一度見落としてしまったものにはなかなか気付けない。
さとりやこいし、飼い猫の火焔猫燐が動かず地上と連絡さえ取ろうともしないのは、そもそもオウスティナたちの誰もが思い違いをしていたからだ。
たしかに地上への積極的な害意はない。彼女らの目的はただひとつ、博麗大結界に穴を開けて外の世界――故郷に帰ることだけ。
しかもそのための武器は、使い方さえ間違えなければ人や妖怪に大きな被害が及ぶものではない。
だが、間違っている。思い違いをしている。
本当の威力を誰も知らないからだ。
さとりは末端の亡霊兵から、概ねの情報を得ていた。仮にオウスティナたちの心を読んで完全な計画の内容を知り得ていたところで、地霊殿の主は積極的に動く理由がない。
そう、さとりであるがゆえの落とし穴が存在していた。