【連載】妖世刃弔華
妖世刃弔華【第55回 9時】
黄昏の静寂を吹き飛ばす暴風のような戦いが終わり、なにごともなかったかのように、あるいはなにも起こっていないかのように、山向こうから日が昇り次の朝がやってくる。
小鳥の囀りが遠くから聞こえてくる長閑さすら漂う空気の中、紅魔館の中から出てくる妖夢と小町、そして見送りに出て来た咲夜の姿があった。
「ん~」
降り注ぐ陽光を浴びた妖夢は大きく伸びをする。
気が緩んだことで表面化した極度の疲労により動けなくなってしまった妖夢だが、ひと晩休んだことで動きも精彩を取り戻していた。半分幽霊な体質のため顔色からは判断しにくいが、傍から見ていても無理を押してまで起きてきた様子もない。
「ほんとうに、昨日はお世話になりました」
ぺこりと丁寧に頭を下げる妖夢。それを受けた咲夜は相好を崩して柔らかく応じる。
「いえ、我々も敵を排除していただいて助かりました。主たちに代わって御礼申し上げますわ」
朝の澄んだ空気は心地よさを感じるが、さすがに日光が射し込む以上、吸血鬼であるレミリアは出て来ない。
というよりも、地獄の戦場から帰還した喜びから美鈴と小悪魔が酒をぐびぐびと飲み始め、それに刺激を受けた魔理沙たちも加わり、なし崩し的にちょっとした宴会になったのだった。危機感もへったくれもないが平常運転といえばそれまでである。
もちろん、疲労でそれどころではない妖夢は早々に客間で休ませてもらい、小町もにとりも自制が効いたのか早めに切り上げて夜の時間を準備や休養にあてたと聞いている。
「ところでにとりは?」
「宴は切り上げてパチュリーと深夜まで起きてたみたいだけど、大丈夫かな」
彼女に限って大丈夫だろうと思いつつ噂をしていると、眠そうなにとりが――これまた血圧の低そうなパチュリーと共に現れた。
「ふわぁ……早いよ。もうちょっと寝てたい」
よく見ればにとりの目がわずかに赤い。呼気が酒臭くはないので、睡眠時間を削ってまでなにかしていたらしい。
「もう9時を回ったところですけど。ちゃんとお食事はいただきました?」
亡霊たち撃退のお礼もかねてと昨晩の贅を尽くした夕餉のみならず、朝食までしっかりと用意してくれたのだった。
「お陰様で、普段よりすごくちゃんとしたものを食べられた。お腹が満たされたらまた眠くなってきちゃったけど」
にとりは目尻にうっすらと涙を浮かべながら盛大な欠伸をする。まだ頭がしっかり働いていないからか緊張感の欠片もない。
「たしかにちゃんとはしていましたけど、すごくって……。普段いったいどんな食生活を送ってるんですか」
「河童だもの。キュウリが主食さ。ちゃんと足りない栄養摂るために味噌だってつけてるよ?」
そういう問題ではない。
「ところで何だい? そのヘルメット」
にとりの頭には、派手な黄色のヘルメットが載っている。緑の線や十字、「安全第一」の文字が書かれており、やけに決まっていた。
「補強されてない地下に入るんだ、ヘルメットは必須だよ。あとでふたりにも配るから」
「準備のいいことで……ていうか夜遅くまで何してたのさ?」
さすがに漫才に乗っかる気はなかったのか、小町が呆れた声で問いかけた。
「ああ。こいつをいじっててね」
ポケットの中からなにやら宝珠のような物体を取り出してふたりに渡す。
「地霊殿騒ぎのときに使ったやつを、もう少し改良したんだ。地下でどんな風に戦うことになるかわからないから、長持ちするようにね」
にとりが取り出したものの正体は改造された無線機だった。前回のものは音声を周囲に撒き散らすため秘匿性もなにもあったものではなかったのだが、今回は科学技術と魔法のハイブリッドなのでヘッドセットと組み合わせることで隠密性も確保した優れものらしい。
「なるほど。パチュリーにその作業を手伝ってもらってたんですね」
「申し訳ないけど、わたしは一緒に行けないから。今度またこっちに襲いかかってきたら、あなたたちの力は借りられないもの」
「別にわたしたちがいなくても問題ないと思いますけどね。魔理沙にアリス、それとついでのブン屋もいることですし」
本人が聞いたら「わたしはついでですか!」と怒り出しそうなものだが、幸いにしてうるさい天狗はまだ眠りの中だ。
多少話は逸れかけたが、もしまた何かあってもいいように昨晩の会話で機動力のある魔理沙たちにはここを拠点としてもらうことが決まっていた。
敵の航空戦力に対して魔理沙はなかなかに相性が良いらしく、その上でアリスとのコンビネーションによって戦果が期待できそうだったからだ。実際、昨日別れた後も襲来した敵の戦闘機を何機か仕留めているらしい。
あれだけの大物を仕留め、対紅魔館に配備されたカール自走臼砲も無力化した以上、再度侵攻してくる可能性は低いように思われたが、その裏を突かれてはたまらず一応の備えとしているのだった。
「そうだよ。元々ここは幻想郷でもっとも戦力が整ってる場所だろ? 今はもっと隙がなくなっているけどね」
小町が同意の頷きを繰り返しながらニヤリと笑って言葉を続けた。「異変に乗じて何か企んだりしないよな?」と問うかのように。
「そうね、褒め言葉として受け取っておくわ。でも……あなたたちもわたしのサポートなくて大丈夫なのかしら?」
小町の皮肉へ返すように、パチュリーがどこか挑発めいた訊ね方をしてきた。
さすがにこのシーンでは発破をかけるためだと思いたいが、昨日から生来の空気の読めなさが際立っているので怪しいところだった。
「そこは大丈夫さ。妖精メイドたちが集めてきてくれた武器や兵器の中から使えそうなものを見繕ってあるからね」
「あなた、無線機の後もまだ作業を続けてたわけ? 呆れた。そりゃ寝不足にもなるわよ……」
付き合わされなくて良かったとパチュリーが呆れ果てるがにとりは意に介さず笑う。
「なぁに、エンジニアたるもの少々の徹夜くらいはつきものさ。今みたいな非常時にぐーすか寝てられないっての」
館の中には思いっきりぐーすか寝こけている連中がいるのだが。
そんなことなど知らぬとばかりに、にとりはどすんと音を立てて背負った鞄を地面に置き、中から何かを取り出そうとする。
「毎度思うんですけど、その鞄って本当に普通のヤツなんですか?」
横からちらりと覗いてみたがなぜか中身が見えなかった。空間が歪んでいる疑惑が浮上するも、そこに触れてはいけない気がした妖夢は曖昧な質問のみに留めた。
「小町。あんたの能力と相性がいい狙撃銃をいくつか見繕ってみたんだけど、どれがいい?」
妖夢の問いが聞こえなかったのか、にとりはいくつかの銃を鞄から取り出して地面に並べていく。
どれも亡霊たちが使っていた物に似ているが、上面に筒のような物体が装着されていた。
「いやいや。あたいにそんなのわかんないけど……。ついているのは遠眼鏡かい?」
「せめて望遠鏡くらいには言えないのかよ? 照準器ってんだ」
「悪かったね、古臭い喋りの死神でさ」
不貞腐れたように小町が眉根を寄せた。
「そこまで言ってはない。まぁ、構造と扱いが単純なやつにしておこうか」
言葉ではそう答えつつ、にとりは迷わずひとつの銃に手を伸ばした。小町の反応を予期して最初から選んであったのかもしれない。
「長いね……」
ライフルを受け取った小町がほぅっと溜め息を漏らした。否定的なものではなく、どこか感心しているような響きだ。
「デカい鎌を振り回しているあんたにゃぴったりだろ? モシン・ナガンM1891/30――亡霊たちが使っているKar98Kよりもずっと古いけど、大きな戦いでその名を轟かせた名銃さ」
1891年にロシア帝国の制式小銃として採用され、第2次世界大戦時にはすでに旧式の部類とされたものの、最終的に3,000万挺以上製造されたボルトアクション式小銃モシン・ナガンM1891の改良型である。第2次世界大戦のソ連で主力銃として活躍したばかりか、狙撃銃としても使用された小銃だ。
実は狙撃銃型も名称は同じM1891/30なのでわかりにくいが、元の銃に比べての改良点は大まかに言えば高精度の銃身が選別され、装弾時にスコープに当たらないようボルトハンドルの形状が変更されている。
「ほいって渡されても、あたいはこういうのに詳しくないんだけど」
「そいつを使って多くの兵士を遠くから仕留めた凄腕の異名が“白い死神”だってさ。あんたにぴったりじゃないか」
「あのねぇ……。たしかにあたいは魂を運ぶ死神だけど、直接手を下すわけじゃないんだよ?」
不機嫌そうな声で答えつつも、小町の興味は今や完全にM1891/30へ向けられていた。
「弾薬とかも多めに入れたからこれ以上は鞄にも入りきらないし。悪いけど他は預かっておいてくれるかな?」
「本当に入らないのですか? とてもそうは見えない……」
にとりの言葉に妖夢は疑惑の目を向ける。
「刀だけを背負ってりゃ済む身軽な妖夢に言われたくない。河童たる者、いろいろ持ってなきゃいけないものがあるんだよ。それに中もごちゃつくし」
「なんて?」
「いやなんでも」
妖夢の言葉を適当に受け流しながら、にとりは不要な武器類をまとめていく。本当に鞄のどこから出てきているかわからないが、もはや誰も触れようとはしなかった。
「わかった、こちらで預かっておくわ。放っておかないだけでも敵の戦力をすこしでも奪えるでしょうしね」
「戦いが終わったあと河童に渡してくれたらちゃんと処分するからさ。ほら、小町はコイツの使い方を覚えてもらうよ」
「うへぇ。勘弁しておくれよ……」
「まず照準の合わせ方だけれど、この照準器で零点規正している距離がだいたい――」
そこからしばらく、小町はにとりの指導の下でM1891/30の扱い方を教わっていく。
MG34機関銃のように、弾がある限り引き金を引いていれば扱える武器とは異なり、投げ出したくなるほどに繊細きわまりない銃であると小町は身体で思い知るのだった。
「じゃあ行ってきます。今度来るときはいい報せを持ってこられるように頑張りますので」
死神のくせに詰め込み教育で半分魂が抜けかけている小町を伴い、妖夢たちは紅魔館組に別れを告げ歩いていく。
「わかってるとは思うけど一筋縄ではいかない連中よ。くれぐれも気をつけて」
遠ざかっていく三人の後ろ姿へ声を投げかけ、しばらくの間見送っていたパチュリーはふとあることに思い至る。
「戦力が整ってる場所……まさかね」
「パチュリー様? どうかされましたか?」
突然のつぶやきを漏らしたパチュリーの顔を覗き込むように咲夜が問いかけた。
「いえなんでもないわ」
パチュリーは小さく首を振って答えた。確証がない憶測にすぎない。それでも否定するだけの材料もなく動き始めた思考は止まってくれなかった。
妖夢たちの話から、亡霊兵団の目的が博麗大結界の破壊――つまり外の世界への進出だというのは推測できる。だが、紅魔館を警戒するような動きには腑に落ちない点が残っていた。
幻想郷には異変が起こるたびに――この書き方は正確ではないが――入植した勢力がいくつか存在する。紅魔館、永遠亭、守矢神社、命蓮寺がその代表だ。
他に天界や地獄、仙界などもあるが、幻想郷に直接居を構えたわけではないので除外するとして。
もし自分たちの計画に邪魔になりそうな勢力を警戒しての行動なら、他のところにも部隊を割り振るはずだ。
(他に亡霊兵が配置されていたなんて話を、文からは聞かなかった……。見落としていた可能性も低いし、つまり紅魔館が一番厄介だとあらかじめ知っていた……?)
何故、もっとも警戒すべき守矢神社に兵を差し向けていないのか。
連中は腐っても神の一派だ。紅魔館の吸血鬼や魔女にとっても忌むべき存在である一方、妖怪からも信仰を集めているので敵視するほどではないが、いずれにせよ亡霊なら警戒しても不思議ではない強力な勢力だ。
(まさかとは思うけど、守矢神社が敵にとって取るに足らない存在であったなら……?)
幻想郷の事情がどこからか漏れていたのか、あるいは敵の諜報能力がずば抜けているのか。思い過ごしであって欲しい。
一抹の不安がパチュリーの思考の片隅にいつまでも消えず残っていた。
航空機に見つからないよう、なるべく地表スレスレを飛びながら霧の湖を越え、妖夢たちは対岸へと渡る。
森の中を歩いていくと、昨日の戦闘で作られた爪痕が目に移った。ところどころ大きな木が薙ぎ倒されていたりはするが、派遣された妖精メイドたちがひと仕事してくれたらしく、放棄された武器や兵器、あるいはその残骸などは見当たらない。
これなら妖怪や妖精が拾って問題を起こすこともないだろう。
「昨日見つけたのは、たしかこっちのほうでしたよね?」
「だったと思うよ」
方向的に間違っていないはずだが、亡霊の気配がないのでどうも実感しにくい。
あれだけの戦術的敗北を経たにもかかわらず、このあたりに兵力を配置していないのはどういうことだろう?
ライフルを担いで臨戦態勢に入ったにとりは不安に襲われる。
「ねぇ。予定通り昨日見つけた入り口から地下へ行く流れでいいんだね?」
「いやいや、それはおかしいでしょ! ……って言いたいところだけど、もうしゃなーないよね。うん、わたしも慣れてきたのかなぁ」
何気なく発せられた小町の問いかけを、にとりがぶんぶんと首を振って否定しかけたが、次いで何か納得、あるいは諦めたようにトーンダウンした。
「そんな心配しなくても。なんなら地下で仲間を増やせばいいじゃないですか」
首を傾げ真顔で答える妖夢。
(妖夢が鍵なのはわかるけど、こうもいきあたりばったりなのは大丈夫なのか……)
さすがのにとりも固まった表情が動き出すのに時間を要した。
「わかった。わたしももう「なんで敵が思いっきり警戒しているところから突っ込もうとするんだよ!? 昨日の戦いで懲りてないの!?」とか聞かないよ。だって、あんたら聞いてくれないもんね」
悪態を口にするにとりだが、内心では霊夢の言葉が引っかかっていた。
この異常事態を解決するには、妖夢の力が必要だ。だが自己完結型の霊夢や魔理沙と違って、半人半霊半人前の彼女にはあらゆるものが足りない。
彼女が目的を遂げるためには――あの核兵器を使われる前に首魁を仕留めるためには、自分の力が欠かせないというのは薄々実感している。
おそらく小町も理解しているのだろう。だからサボり魔の彼女も、中途半端なところで投げ出そうとしたりしない。
賽は、ツァーリ・ボンバが敵の手に渡った時点で投げられている。寝不足のせいだけではない頭痛に悩まされながら、にとりは大きな溜め息を吐き出した。
ふと逸らした視線の先では、燃えるような、あるいは鮮血のような色の彼岸花がひっそりと咲いていた。