【連載】妖世刃弔華
妖世刃弔華【第49回 撃沈】
「音が、消えた……? いや、それだけじゃ……」
何が起きたかわからず、きょとんとしている妖夢たちだったが、周囲では間近にまで迫っていたはずの亡霊兵たちが地面にひっくり返って藻掻き苦しんでいた。表情がほとんど変わらないせいで、苦しんでいるのかは微妙なところだが。
辺りを見回している妖夢のすぐ真横に、それまで姿を消していたパチュリーがふわりと舞い降りた。
「いかがかしら? これもちょっとした次元連結……じゃなかった、魔法の応用よ」
身体ごと妖夢を向いて、満足げな表情を浮かべるパチュリー。
しかし、一向に周りの音が聞こえてこない妖夢が大声で問いかける。
「え!? パチュリー!? 今なんか言いました!?」
「……ああ、聞こえてないんだったわね。こほんっ」
渾身の決めゼリフが完全な空振りに終わったせいで、羞恥心に襲われたパチュリーは頬を赤く染めた。
それから小さく咳払いをして、自身が張り巡らせた“魔法”を解除していく。
「これで聞こえるかしら?」
「あー、はい。元に戻りました。何をしたんです?」
妖夢の視線がパチュリーを捉え、次いで言葉が返ってくる。
「砲の音を正反対に跳ね返したのよ。結局のところ音も衝撃波も空気を伝わる震動だから、その波を届けないことで無効化できると思ってね。ギリギリだったけど間に合ってよかったわ」
「それも“魔法”ですか。さらりとすごいことやってのけたんですね……」
「さすが都合よく音をシャットアウトしていただけある……」
小悪魔が小さく皮肉を漏らすが、当たり前のように無視された。
(肉体を蹂躙する音を反射することで無効化できるのなら、音を収束して対象の耳に届けたらどうなるんだろう?)
一瞬、物騒なことを考える妖夢。
彼女の疑問は新たな声に遮られ、ついぞ口から出ることはなかった。
「なんだよぉ! そんなことができるなら最初からやってくれよなぁ!」
手すりに身体を預けたにとりがやや脱力して苦言を呈したが、言われたパチュリーはやや不機嫌そうに眉を顰める。
「無茶言わないで。砲撃の音を解析して、この場にいる味方だけに適応させるのにどれだけ演算が必要だったかわかる? もっと感謝されてもいいくらいだわ」
「ああ……まぁそうか。そうだな、悪かったよ。とにかく助かった」
毎秒針の穴に糸を通し続けるような作業だからこそ、ここまでの効果が得られたのだ。
付近に潜んで必死に魔法を展開させて成功したから良いものの、もし間に合わなければ今頃どうなっていたかわからない。
「んっ――」
相当な集中力と魔力を消費したらしく、ふらついたパチュリーはその場に倒れ込みそうになる。
妖夢が手を差し伸べようとしたところ、素早く駆け寄ってきた美鈴がそれを抱き留めて支えた。
どうやら長い付き合いからこうなることを予期していたらしい。
「ふぅ……。ごめんなさいね、ちょっと疲れたみたい……」
「いえ、それだけの魔法を発動すれば無理もないことかと」
妖夢もパチュリーの顔を不安げに覗き込む。
「大丈夫なんですか?」
なんだかんだとトラブルもあったが、ここまでしてくれた彼女の献身に応えないのは妖夢の矜持が許さなかった。
「お気遣いありがとう。ひとまずわたしが出るべき山場は抜けたと思っているから、悪いけどこのまま休ませてもらうわ。妖夢、にとり、あとは頼んだわよ」
あまり顔色が良くない中、美鈴の腕に身体を預けながらもパチュリーは不敵に笑い、できる限り気丈に振る舞おうとする。
「わかった。任せておいて」
にとりは力強く頷き、そのまま萃香の方を向いた。
「……萃香さん。最後に念押しで訊くけど、本当にさっきの“策”でいいんだよね?」
依然として周囲に30.5㎝砲弾が降り注ぎ大地が震撼する中、神妙な顔を浮かべたにとりから問いかけが発せられた。
どこか躊躇するような響きがあるようにも感じられたが、それは萃香の笑みによって上書きされていく。
「だーいじょーぶ、だーいじょーぶ! 見事枯れ木に花を……じゃなかった、湖に花火を打ち上げてやるよ! 夜になってないからあんまし映えないかもしれないけどな!」
ケタケタと笑う萃香の背後では、操作の大半を押し付けられた小悪魔が必死で架台のハンドルを回しながら最後の砲弾を砲身内部へ押し込んでいるところだった。続いてせっせと照準のために仰角をつけていく中、萃香はカール自走臼砲の砲口近くで盛大に酒を呷りながら笑う。
相変わらず飄々としているように見えたが、その一方でどこか獲物を睨みつけんとする不敵な表情が浮かんでいた。
見据える先にあるのは、王者の如く傲然と火を噴き続ける戦艦マラートの姿。さしもの鬼も強敵の姿に緊張を覚えているのかもしれない。
「文字通りの花火をやるってわけじゃないんだからさぁ。行き当たりばったりで決めるのはどうかと思うんだけれど……」
相変わらず萃香には危機感が見られず、にとりは不安を抱かずにはいられなかった。泰然とした態度から勝算があるとも受け取れるのだが、どうにも落ち着かない。
「おうおうおう、行き当たりばったりなんかじゃないよ! こんなこともあろうかとあらかじめ策を練って隙を窺ってたのさ! おあつらえ向きのドデカ大砲もあることだしね!」
さらに酒を追加しながら胸を張って答える萃香。絶対に嘘である。
そんな智謀が働くのなら、もっとスマートに勝てている気がする。
いや、なんだかんだといって彼女は幻想郷最強の一角として知られる鬼である。とぼけた顔をしてすべて計算尽くしの可能性もなくはないが……。
「まぁ、見てなって。あとはばっちりキメてやるから!」
論より証拠と、進み出た萃香が自身の縮尺をさらに小さくしていき、「よいしょ」と声を上げて装填を終えたカールの砲口へと入り込んだ。
白楼剣で亡霊を始末して回っていた妖夢が盛大に顔を引き攣らせる。
「ちょっとちょっと! 本気ですか、それ!?」
「あたぼーよー!」
これまでも大概だったが、それを凌駕する事態に「マジかよこいつ……」と言わんばかりの視線が集中する。萃香は気にした様子もなく、今度は反対に身体を膨らませて砲口を塞ぐように身体を器用に調整して見せた。
まるでキャラクターをモチーフにしたゴムボールのようだったが、見た目幼女の姿でやられると実にシュールである。
「どうよ!? これでいつでもいけるよ!」
準備万端と萃香は叫ぶが周りは呆気にとられていた。
「こ、これを策って呼んでいいんですか……?」
にとりは小さく首を横に振った。
「よせ、深く考えるな妖夢。相手は幻想郷最強の鬼だぞ? わたしたちの常識なんて通用するわけないだろ。妖怪びっくりショーだと思え」
「そりゃあ理屈ではわかっているんですが……。捨て身の攻撃みたいで見た目的にもちょっと」
「死なない自信があるからやってるんだよ。どっちにしたって、あいつを沈めるにはカールの砲弾じゃあ、あと何発当てなきゃいけないかわからない。萃香さんの策に賭けたほうがなんぼか勝率は上だ」
「無念です。わたしに鋼鉄を斬れるだけの力があれば……」
忸怩たる思いがあったのか、妖夢の声が小さく震える。
自分が必死で剣を振るっていたのはなんだったんだろうか。妖夢はそう思わずにはいられない。
本日何回目の言葉かわからなくなっていたが、それでも不条理を見せつけられたせいで口にせずにはいられなかった。
しかし、にとりは騙されない。
「ねぇ妖夢、違うからね? 気にするべきはそこじゃないよ? 非常識側に仲間入りしないで?」
「これで砲弾は最後です! 発射準備できました!」
声を張り上げた小悪魔からの報告で“その時”がやってきた。
「よっしゃぁ! いくぞっ!! こいつで決める!!」
拉縄を両手でしっかりと握ったにとり。
すっかり水分がなくなり乾いた空気の中、ひと筋の汗が頬を伝っていく。
周りが固唾を飲んで見守る中、にとりは意を決し全力で拉縄を引っ張った。
「いっけぇっ!!」
叫び声の直後、周囲に広がった今までと同じはずの砲声は、なぜか腹の底――心まで揺さぶる何かがあった。
死に物狂いで導き出した、“必殺の一撃”が放たれたからかもしれない。
ここからの位置と肉眼ではほとんどわからないが、初速378m/秒で飛翔する540mm砲弾の表面には砲弾に乗った――いや、おそらく不定形となった萃香がへばりついているのだろう。
時間の経過が実に長く――数秒のことに過ぎないはずが分単位にも感じられた。
それでも、最後の切り札はそうなると定められていたかのような弧を描き、沖合で砲撃を続けている戦艦マラートの砲塔の根本へと吸い込まれていった。
遅くなった世界の流れが元に戻ったのは、遠くから鳴り響いた、何かと何かがぶつかり合う鈍い音によってだった。
「「「不発!?」」」
「いや――ここからだ!」
妖夢たちの叫びを受けて、双眼鏡を覗き込んでいたにとりが吼える。
望遠レンズ越しに彼女が見据える先では着弾と同時に密度を極限まで上げて装甲を熱で溶かし、砲弾ごとマラートの内部へと沈み込んでいく萃香の姿がはっきりと映っていた。
(勝った!)
にとりがそう認識した刹那、突如として眩い光が生み出され戦艦マラートの巨体を一瞬にして飲み込ん――――いや、違う。閃光の中から次いで噴き上がった暴風。まるでキノコのような形状の巨大な雲が、暗くなり始めた空へ向かってエネルギーを放出していた。
「ひ、非常識……!」
轟沈としか表現できない戦艦マラートの最期を目の当たりにして、妖夢は呻き声を漏らしながら顔を引きつらせていた。
「す、すいかさぁぁぁぁぁんッ!!」
一方、にとりは日没が近付きつつある空を見上げ、張り裂けんばかりの声で叫んでいた。拉縄を引いたのが自分であることすら忘れてしまったかのように。
「そんなに叫ばなくても心配いらないわよ。あの鬼は月まで吹き飛ばされたって死にはしないもの」
「ええ? そうは言ってもあの爆発だよ?」
「どこにでもいるし、どこにもいない。“シュレディンガーの猫”みたいな性質の鬼なんだから。もっとも、場合によっては大気が薄すぎて地上に帰ってくるまでに時間がかかるかもしれないけれど」
どこまでが本当なのかわからない言葉でパチュリーが小さく鼻を鳴らした。
「だからってあんな無茶しやがって……。いや、湖のデカブツを倒せて本当に良かったんだけどさ。そうか……わたしたちであいつを倒したんだ……」
そこまで口にしたにとりは大きく息を吐き出すと、不意に力が抜けたのかその場へ崩れ落ちるように膝をついた。
「ははは……。勝ったと思ったら安心したのかな、腰が抜けちゃった……」
ばつが悪そうに笑うにとり。
しかし、誰もが認める功労者である彼女を笑う者など、この場には存在しなかった。