【連載】妖世刃弔華
妖世刃弔華【第30回 氷精】
時折遠くから聞こえてくる謎の轟音が漂う清浄な空気を震わせる。鳥たちが驚き飛び去っていく空の下、山道を進む集団があった。
「はぁー、足が潰れちゃったからって歩きを選んだのは安直だったかなぁ。しんどい……。ちょっと休ませて……」
さらなる異変を感じ取り飛んで行った霊夢、魔理沙にアリスとも別れ、先へと進んでいく妖夢たち。
ところが、ほどなくして音を上げたのはにとりだった。徒歩で移動を始めてそう幾ばくも経たないうちの話である。
これにはさすがの同行者たちも眉を顰めずにはいられない。
「にとり、あんたねぇ……。そんな悠長なこと言ってるような場合じゃないだろう?」
「そうは言っても疲れちまったんだよ~」
「どうせあんたのことだ、気になったものをくすねて来たせいで背中の鞄が重くなっちまったんじゃなかろうね?」
「うっ」
呆れ交じりの小町の指摘が図星だったか、にとりの額に疲労以外の汗が滲み出る。
本人としては役に立つと思う――――ただし、いつ役立つかはわからない――――ものを適宜詰め込んだりしているのだが、文字通りの重荷になっているようでは目も当てられない。
「なんだ、エンジニアだっけ? 河童の性質で興味が先行しちまうのもわかるけど、もうちょいと状況をわきまえて欲しいもんだよ」
「ぐむぅ……」
一級サボリストのくせにどの口が偉そうに言うんだ……! と反射的に言い返したくなるも、今この時だけで見れば小町の言い分が絶対的に正しく、にとりは小さく唸るしかなかった。
「くそぅ……。装甲車さえ無事だったらこんなことには……」
結局、辛うじて出せたのは悔しそうな声だけだった。
残念ながら妖夢たちを山の途中まで運んできてくれたSd.Kfz.223は、T-34との交戦時に砲撃をモロに受けて鉄くずへと変えられてしまっている。
かといって、何も考えずに空を飛んで行こうとすれば、またあの飛行機械たちに邪魔をされるのは間違いない。そのため、不本意ではあるがこそこそと森の中を進んでいるのだった。
「無い物ねだりなんてするもんじゃないよ。戦わなきゃ、現実と」
「うるさいなぁ。言われなくてもわかってるよ、それくらい」
ぶすっとした態度でにとりは答えるが、それでも鞄の中身を捨てたりする気はないらしい。ここまでくれば逆に徹底していると感心したくなるほどだ。
「はぁ……。こんな状態で空から襲われたらたまらないだろうね」
小町は溜め息を吐き出す。
いくら亡霊たちが操る兵器群との戦いにも慣れてきたとはいえ、さすがにFlaK36の支援もなしにあのすばしこい連中とやり合いたくはない。できることなら陽動役を引き受けてくれた魔理沙とアリスに任せた方が懸命だろう。
「なんらよ、河童ぁ~。ららしらいらぁ〜。わらしみらいら酔っぱらいろりも先に息が上がるらんて〜」
瓢箪から水のように酒を飲みながらふらふらと歩く幼女──もとい萃香が呂律の回らない口調で話しかけてきた。
身体の動きは酩酊どころか泥酔レベルのひどいものなのだが、おそろしいのはこれで妙に真っ直ぐに歩けている点だろう。
いや、そもそもこの幼女はあの八雲紫すら一目置くほどの妖怪である。本当に酔っているのかすら怪しい節があったが……そこを深く考えても仕方がない。いつものごとく酔っ払っていると考えておくべきだろう。これで役に立つのかは別として。
「へんっ、あいにく鬼みたいにデタラメな身体の造りじゃないんだよ。わたしたち河童は本来、頭脳派集団なんだからな?」
常時酔っ払い相手ならまだ言い返しやすいのか、萃香に対するにとりの語気がすこしだけ強くなる。
「うーん、基本的な知性の使い方を間違えている時点で、頭脳派集団を自称するのはどうなんでしょうねぇ」
「うぐっ!」
ぼそりと放たれた妖夢の言葉を受け、反撃を開始しようとしていたにとりは出鼻をくじかれる。相変わらず妖夢はツッコミまで斬れ味が鋭かった。
「とは言っても、今回は役に立ってくれているから構わないですけどね」
どこか観念したように妖夢は小さく鼻を鳴らす。敗北から時間が経ち、ささくれ立っていた心もそれなりに落ち着いていた。
先ほどの無茶極まりない霊夢の言葉――――「細かいことはいいから何とかできるあんたが何とかしろ」という物言いが、思った以上に効いていたのだ。
生来、妖夢は真面目な性格をしているが、それでいてちょっとメンタルの弱いところがある。あのまま放っておけば、うじうじと悩んだままになっていたかもしれない。
ところが――――そこまで意図しての行動かはわからないが、霊夢に発破をかけられたことで半ば無理矢理ではあるが立て直すことができていた。いささか荒療治的ではあったが、結果的に上手くいったのであれば文句を言うことでもないだろう。
(悩むのは後だ。今はただこの剣で斬り拓くしかない。異変の解決が最優先だけど、それでもあの亡霊に負けたままなのはいやだ……!)
「おや? すこしは元気が出たみたいだねぇ、妖夢」
気を引き締める妖夢の前にひょっこりと顔を出す小町。またどこから調達してきたのか枝を咥えて顔を覗き込むようにこちらを見ていた。
「……いつまでも気にしていられませんから。わたしは小町みたいに樹液を吸ったら元気になるわけじゃないですからね。今だけでも気持ちを切り替えていきますよ」
「ちょいと!? まだそのネタ引っ張るのかい!?」
愕然とした表情を浮かべる小町。
「なにを言っているのやら。いじってほしそうにしてるからいけないんですよ」
悠長にしている場合でないとわかってはいるものの、他愛のないやり取りが妖夢の気持ちを落ち着けてくれる。こんな調子で軽口を叩き合っているが、きっと小町もわかってやっているのだろう。
「ちぇっ、心配して損したよ」
毒づく小町だが内心では安堵していた。
妖夢があの亡霊の首魁に歯が立たずに内心で悔しさを抱えていることくらい、この場の誰もが理解している。
だからといって、それを真正面から口にするのは小町の性には合わないし、何よりも無粋に感じられてしまったのだ。
普段であればとても交わりそうにないメンバーだが、なんだかんだと不揃いなようで、あるいはだからこそなのか、この状況下では上手く作用しているようだった。
「ん、なんだよ、あんたたち」
山道に響く声とほのかに漂う冷気。声の方向へと全員の視線が動く。
道の反対側から飛んできたのは氷の妖精、チルノだった。
「なんかうるさくて面倒なのが現れたな」
にとりが小声でつぶやく。
幻想郷に住んでいれば慣れるものだが、とかく妖精とは不意の遭遇が多い。
しかも、チルノは妖精の中でも格別に力が強い存在だった。
外見だけ見れば童女と見紛う背の低さだが、人間ではないのだからそんなものはアテにはならない。
薄めの水色でウェーブがかかったセミショートヘアーに緑の大きなリボンが特徴的で、背中には妖精であることを証明するが如く氷でできた三対の羽を持ち、服装は白のシャツの上から青いワンピースを着て、首元にはアクセントとして赤いリボンが巻かれている。
「こんなところまで来てどうしたっていうのよ?」
活発そうな印象を与える青い瞳でチルノは一行を捉え、問いかける。
「そういうあなたこそ住処の霧の湖から出てくるなんて。またなにかしょうもないこと企んでいるんじゃないでしょうね?」
「いきなり失礼ね。妙な連中のせいで湖が騒がしいから逃げて来たのよ。なんだかよくわからないでっかいのも浮かんでて、どかどか火を噴きまくってうるさいんだ」
「ん? 湖に浮かんで火を噴く兵器……? いや、まさかそんなものまで……?」
チルノの言葉が気になったのか、腕を組んでにとりは神妙な表情を浮かべる。
「何か思い当たることが?」
「いやぁ、それらしき兵器は何個か浮かんでくるけど……できればこの予想は当たらないでほしいなぁ」
妖夢の問いかけにやや引きつった表情で答えるにとりだが、浮かぶ感情の色はけして芳しくない。見た側もつられるように憂鬱な気分になってくるほどに。
にとりが――――いや、今まで誰かしらがこうした予感を抱いた場合、それは大概現実のものとなってきたからだ。
「なによ? もしかして厄介事でも起こってるの?」
「……ええまぁ。あなたに説明するのも厄介ですので、上手く察してください」
チルノもまた空に負けず劣らずのおバカキャラであるため、懇切丁寧に異変の説明をしたところで理解してくれるかどうかも怪しい。
むしろ妖精特有の後先を考えない悪戯心を発揮されて、戦いにでも発展する前に別れてしまうべきではなかろうか。
せっかく敵を避けてひっそりと進んでいるのに、ここで弾幕ごっこなど始めてしまえば瞬く間に亡霊どもに取り囲まれてしまいかねない。
「なんかヤダなぁ……。湖からこっちに逃げて来てもそこら中に変なヤツらがいるしさー。さっきもその先に変な箱みたいにデカい鉄の塊が置いてあったし、いったい幻想郷はどうしちゃったのよ?」
とりあえず、今のところ変な気は起こしていないようだったが、それよりもにとりが強い反応を示したのは氷の妖精が口にしたある単語だった。
「……箱みたいなデカい鉄の塊があっただって? ちょっと、チルノ! それ詳しく教えろ!」
鬼気迫る勢いでチルノの肩を掴んだにとりの目は、さすがのおばかであってもそこはかとない恐怖を覚えるものだった。