【連載】妖世刃弔華
妖世刃弔華【第2回 依頼】
「うーん、そろそろひと段落つけそうかなぁ」
いつものように日課の素振りを終え、広大な庭の掃除に霊を、もとい精を出していた妖夢は手を止めて大きく伸びをする。
外では刀を振り回す猟奇的な姿ばかりが目立ち、“通り魔”などと不本意な呼ばれ方をされる彼女だが、本来の職業は庭師である。
死者の国、冥界の池の畔には小さな屋敷が建っている。
ここ白玉楼はとてつもなく広い敷地を有しているが、“小さな”と言われるように屋敷が占める割合はそれほどでもなく、残る大部分は庭園といっても過言ではない。
そして、その手入れは住み込みで働く妖夢の手で行われており、午前中の時間を使った庭木の剪定が済んだ今は地面に落ちた葉を放棄で掃き集めているところであった。
「ひと休みしたらお食事の準備も手伝わないとだし、今日の献立はなんだろう……」
仕事に勤しむ彼女の後ろには、白く半透明で煙のようにも見える物体がふよふよと付き従っているが、それはこの館に住まう主人の身の回りの世話をする幽霊とは異なる存在だ。
いささか大仰な物言いに聞こえるが、魂魄妖夢は人間ではない。
かといって幽霊でも、はたまた妖怪であるわけでもなく、“半人半霊”というこれまた特殊な存在だった。
冥界に在りながらも生きた肉体を持つ彼女だが、その魂は半分だけ死んでいて、霊体となって身体から具現化しているのだ。
“半分だけ生きている”――――実にわかりにくい特性だが、これは事故に遭った後遺症というわけでもないし、あるいは特殊な病気に罹患したわけでもない。
生まれた時から、あるいは妖夢の場合は半分生まれたとでも言うべきなのだろうか。いずれにせよその時からこの身体であるし、さらには父親や祖父もまた半霊を持っていた。
大雑把に言ってしまえば、そういった体質の家系なのだ。
(たしかこの前人里で買ってきた野菜があるから煮物なんかでもいいかな。あ、ちゃんとなにがいいか幽々子様にきかないと。でもいつもみたいに「なんでもいいわよー」って言われるだけかも……)
ここのところ特にこれといった異変もなく同じ毎日が続いているが、それはそれで穏やかで得難いものだった。
でも――――
「はー、たまにはなにかいいこと起きないかなぁ」
代わり映えのない日々が続くのは平和な証拠なのだろうが、日常にささやかでいいからなにか刺激が欲しい。
人間は――――彼女の場合は半分ではあるが――――えてして願掛けのようにささやかな思いを口にすることがある。
しかし、そんな彼女の願いは脆くも崩れ去る、あるいはなにもそこまでと思うほどの強烈な刺激となって叶えられることとなる。
「妖夢~」
不意に、母屋の方から自分の名前を呼ぶ声がした。
妖夢が視線を向けた先には、どこかふんわりとした雰囲気を漂わせる女性の姿。
淡い桜色の髪が頬にかかり、柔和な顔立ちに浮かぶ優しげな微笑みは、優美な曲線を描く肢体と合わさり、無限大の包容力があるのではと錯覚させる魅力がある。
彼女が身を包む着物は空の色を思わせるこれまた淡い色合い。アクセントとして桜模様があしらわれており、彼女の優雅さと美しさを上手く引き立てている。
周囲には数体の幽霊が浮遊しており、それが幻想の美を作り出していた。
女性の姿を認めると、妖夢の表情がぱあっと華やいだ。
「幽々子様!」
妖夢は箒を掃く手を止め、縁側へと出てきた女性の元へ駆け寄っていく。
女性の名は西行寺幽々子。
この白玉楼を管理する存在であり、妖夢の仕える主人にして、“亡霊”でもある。
亡霊といっても、怨念渦巻き何かを呪わんと他に害をなす悪霊ではない。
彼女は亡霊によくある“生への執着”を持ったまま死んだ訳ではなく、特殊な事情によってその存在になっている。
先にも述べたが、白玉楼は死者の住まう冥界に建てられており、顕界での一生を終えた魂は彼岸にて閻魔の裁きを受け、それからこの場所で成仏もしくは転生を待つ。
そう考えればここに死人がいるとしてもなんら不思議はない。
もっとも、管理人という肩書を持つことからわかるように、幽々子が成仏したり転生したりといった予定はない。
亡霊はいずれ幽霊に戻り閻魔の裁判を受け、地獄なり天界なりに行くか、あるいは転生するか迫られることとなるが、幽々子の場合は特殊な事情で亡霊となっているため、それを解決しないかぎり幽霊に戻ることはない。
それ以上に、彼女が持つ能力の関係で地獄から冥界に永住する事を許されているため、次の段階へ進む事は永遠にないのだった。
「お疲れ様、妖夢。いつもありがとうね」
「いえ、これがわたしの仕事ですから」
主人からのねぎらいの言葉に謙遜しつつも、やはり褒められれば嬉しいのか笑みを深める妖夢。
それは彼女のあどけない顔立ちも相まって人好きのするもので、普段から見慣れているはずの幽々子であっても不思議な魅力を感じるほどだ。
思わず幽々子が妖夢を抱きしめてしまったのも、そんな感情からかもしれない。
「ちょっと、幽々子様!?」
主人から受けた突然の抱擁に目を白黒させる妖夢。
「あ、ごめんなさいね。あんまり妖夢が可愛かったものだからつい……」
「もう、子ども扱いしないでください。それで、お呼びになられたのは?」
「そうそう、お客があってね。あなたにも同席してほしいのよ」
思い出したように本来の用件を口にする幽々子。
大事なことだろうにと呆れそうになる妖夢だが、そこは口には出さない。
自分の主人が飄々としていて掴みどころがないことはとうの昔に理解しているからだ。
すこしだけ困ったような表情を浮かべるも、すぐに表情を引き締めた妖夢は答える。
「わかりました。支度をしてすぐに向かいます」
来客相手に武器を持ったまま会うというのはいささか礼を失する行為だ。
刀を部屋に置いた妖夢が茶と菓子を持って客間向かうと、そこには見知った顔ぶれが並んでいた。
ひとりは四季映姫・ヤマザナドゥ。
魂の輪廻を司り、地獄にて死者を裁く閻魔のひとり――――しかも幻想郷担当である。
実に長ったらしい名前であるが、後半のヤマザナドゥの部分は役職名であるため、基本的に彼女を見知った者は名前の方で呼ぶ。
もうひとり、映姫の横に座っているのは、彼女の部下として死者の魂を彼岸へと導く三途の川の渡し守にして死神の小野塚小町だった。
小町は座布団に大人しく座ってはいるものの、上司がいるにもかかわらず実に面倒臭そうな表情をありありと浮かべている。
それは、これから告げられるのが面倒事に違いないと妖夢に予感させるには十分なものだった。
珍しい客人に一瞬驚きが妖夢の表情に出かけたが、それはすんでのところで抑える。
「お久しぶりですね、妖夢。わたしの教えを守っていますか?」
にこやかに微笑みかけてくる映姫。
教えとはずいぶん大仰な物言いだが、この人物は妙に説教臭いところがあり、会えば何かにつけて口うるさく言ってくることがある。
特に妖夢の場合は剣の道を究めんとしているからか、その境涯についてあれこれ言及されることがある。
しかも、それがまた痛いところを突いてくるため、お世辞にも得意な相手とは言い難い存在であった。
「映姫様、それに小町」
閻魔と死神の組み合わせ。
よもや半分だけ死んで半分だけ生きている自分を完全な死者とすべく裁きにやって来たのだろうか。
たしかに半分とはいえ生きている人間が冥界にいるのは、彼女たちとしてもきまりが悪いのかもしれない。
また、過去には半分死んでいる存在が此岸に行くものではないと咎められたこともある。
妖夢は刀を置いてきたことを早くも後悔し始めていた。
「そう身構えないでください。なにも取って食おうというわけではないのですから」
妖夢の内心を見透かしたかのように微笑みを深める映姫。
だが、それでも妖夢の不安が晴れることはない。
「では、いったいどうして……」
茶と菓子をそれぞれの前に配しながら、妖夢は率直に問いかける。
「ちょっとしたトラブルが発生しまして」
そこで居住まいを正し、映姫は幽々子と妖夢に視線を向ける。
責任者の口からトラブルという言葉が出るのは穏やかではない。
不安が妖夢の脳裏をよぎるが、隣に腰を下ろした幽々子は穏やかな笑みを依然として浮かべたままだ。
むしろ、大量に積まれた彼女向けの茶菓子に目が行っている。
「結論から言いますが、彼岸から魂がごっそり消えました」
「っ!」
開口一番に放たれた言葉に妖夢は言葉を失う。
「彼岸というと、三途の川を渡ったにもかかわらずですか……?」
「そうです。とはいえ、しょっちゅう異変の起きる幻想郷では考えられない事態ではありません。どこかの誰かのせいで、此岸と彼岸の境界までもが以前と比べてひどく曖昧になってしまっていますからね」
映姫の表情にわずかながら不快感が滲み出たことに妖夢は気付く。
おそらく、あの“スキマを操る妖怪”に対する不満の感情なのだろう。
主人である幽々子とはなにかと深い付き合いはあるようだが、妖夢にはあの妖怪がなにを考えているのかさっぱりわからない。
「すぐにでも対策を打たねばなりませんが、さすがのわたしも、自らの前にやって来ない魂を裁いて回るわけにもいきません」
当然だ。それではあまりにも効率が悪い。
そもそも、いなくなった死者の魂を求めて裁判所そのものが出張するようでは、彼岸の司法制度は完全に崩壊している。
「そこであなたに頼みたいのです、魂魄妖夢」
(あれ? でもちょっとおかしいような?)
妖夢の脳裏を疑問がよぎった。
もしもこれが幻想郷に起ころうとしている異変だとすれば、その道のプロフェッショナルがいる。博麗神社の巫女だ。それがなぜ自分に話が回ってくるのだろうか。
「光栄なことだとは思いますが、わたしよりも博麗霊夢に頼むべきではないのですか? こういった異変の解決は彼女のほうが適任だと思いますが……」
霊夢の実力は妖夢も映姫もよく知っている。このような話を相談するなら真っ先に彼女の名前が出ることだろう。
もしそれがダメでも候補者は他にいるはずだ。
たとえば白黒の魔法使いも異変の解決役として知られてはいるが――――いや、だめだ。彼女は論外だ。事態を面白おかしく引っ掻き回すのが目に見えている。
「当然、霊夢に依頼することも考えました。ですが、すでに冥界に踏み入った霊魂である以上、可能なかぎりこちら側で処理をしたい。ただ人手も限られていますので、西行寺家にひとまず預けたいというのがわたしの判断です」
煮えきらない妖夢の逡巡を感じ取った映姫は声をひそめるようにして続ける。
「そもそも博麗の巫女はムラっ気がひどい。動き出すまでに時間もかかりますし、仮に動いても力押しが過ぎるきらいがあります。……それに今回の一件、これはわたしの単なる予想にすぎませんが、ひとりの力だけで解決できるとは考えていません。生真面目で他者との関係を地道に築くあなたこそが適任ではないかと思うのですよ」
よくもここまで個々人のあれこれを口にできるほど調べているものだと話を聞いていて妖夢は呆れそうになる。
もっともそれを態度に出そうものなら、長話の矛先が自分に向きそうなので最低限の反応しか示さないが。
「たしかに自分は半人半霊で冥界にも住んではいますが、霊の扱いに関してなにか長けているわけでは……」
「安心してください。小町を同行させます。ご存知のように怠け癖こそありますが、これでも一応は死神です。なにかの役には立つことでしょう」
横で黙って話を聞いていた小町の表情が心底イヤそうに歪む。
ここで「え~」などと不満を口に漏らさないのは、迂闊なことをすれば何倍もの小言になって自分に返ってくると理解しているからだろう。
なぜその危機管理意識をもっと仕事に活かせないのだろうか。妖夢は思う。
それに、方々で超一級サボリストとしての知名度を高めつつある小町が、こんな大がかりな事件の解決に役立ってくれるとは申し訳ないが妖夢には思えなかった。
「よろしいのですか? 死神がいなければ、その間は三途の川で渋滞が発生するのでは……」
遠回しに不要と告げる妖夢だが、映姫はそれすらも見透かしたように涼やかな表情のまま言葉を続けていく。
「良からぬことが起きれば、もっと厄介な事態になります。わたしは、それを防ぐことこそが優先事項だと判断しました」
彼岸の責任者がそう言うのであれば是非もない。
「そういうわけだから、妖夢……。わたしからも頼むわ~」
我関せずと茶菓子を高速でぱくついている主人からもそう言われては、もはや断る選択肢など存在しなかった。
「わかりました。すぐに向かいます。しばらくお待ちください」
その場で軽く一礼して妖夢は部屋を後にする。
自室へと戻り、床の間へ向かった妖夢の表情からはいつの間にかあどけなさが消えていた。
彼女の視線の先には、刀掛けに掛けられた長短二振りの刀。
一見しただけでは質素な拵えにしか感じられないが、不思議と存在するだけで場の空気に圧力を与えるような存在感が渦巻いていた。
もちろん、それは刀自体の由来によるものだろう。
長刀の名は楼観剣。妖怪が鍛えたという曰くつきの刀である。
通常の刀が二尺よりもやや長い程度であることを考えると、四尺を超える長大なそれは並みの人間が振るにはあまりに長く、小柄な妖夢の身長では抜くことさえも容易なことではない。
鞘の先端には花、柄尻にはフサフサの毛が付けられており、これが一見して威圧感を与える楼観剣に不思議なアクセントを添えている。
正直背丈に恵まれているとは言えない妖夢が、この長刀を自在に操るべく費やした時間こそ、彼女にとっての修行のすべてだと言っても過言ではない。
そして、もう片方の短刀は白楼剣。
魂魄家の家宝であり、その家系の者にしか使うことのできない特殊な刀である。
この白楼剣は迷いを断つ。幽霊を斬った日には問答無用でたちまちに魂を成仏させてしまうという、修行僧あたりが聞いたらが泣き出しそうな異能を秘めている。
しかし、魂の輪廻を司るのはより高次の存在にのみ許された行為であり、庭師ごときがおいそれと手を出して良いものではない。
ゆえに、この刀は身にを守りそして正しく用いることは魂魄家の家長の重要な務めであると、妖夢は深く肝に銘じている。
しかし、それ以上に妖夢はこの刀を見る度に先代を思い出さずにはいられない。
「お師匠様……」
彼女は実の祖父である先代を、名である魂魄妖忌ではなくこのように呼んでいる。
庭師であり剣士であり凄腕の剣鬼であった妖忌は、妖夢をとんでもなく厳しく育て上げた。
技を盗めと多くを語らず厳しく育てたのは良い。
だが、そのくせ「真実は眼では見えない、耳では聞こえない、真実は斬って知るものだ」などと中途半端で意味深な言葉を残すものだから、理解しきらない妖夢がこれまた変な解釈をして「斬ればわかる」などとのたまう辻斬りのような性格になってしまった。
しかも、当の本人はある日突然行方をくらましてしまうのだから、幼くして残された妖夢はたまったものではない。
もっとも、この時ばかりは幽々子を筆頭に白玉楼の関係者全員がたまったものではなかったろうが。
いささか話が逸れたが、妖忌が失踪した際、魂魄家の家督とともに妖夢が引き継ぐことになったものが、これらの刀であった。
「大丈夫……。斬れないものなんて、あまりないんだから……」
己に言い聞かせるようにつぶやいて二振りの刀を身に着けていく妖夢。
自身が未熟であることは重々承知している。
しかし、剣を抜いた際にそれを相手が勘案してくれることなどない。
だからこそ、妖夢は心の内に固く誓う。
――――ならば、ただ振り抜く一刀に我が身を懸けるのみ。