この国で「春の色は?」と問うたびに、あの子も「ピンク」。その子も「ピンク」。
何も不思議なことはない。酉京都の煩雑なビル街を抜け、鴨川べりや寺社の境内を歩けば、我々の視界はたちまち桜色に染まる。あるいは煩雑なビル街であっても、ひとたび喫茶店に入れば、陳列棚に並ぶ桜風味のスイーツは、桜より濃い桃色をしているし、商品案内板には、「春限定」の文字とドリンクのイラストが、妖艶な紅紫色でべっとりと塗られている。要するにこの季節になれば、どこを見てもピンクが滲み、瞳は透明でいられないのだった。
「……花見なら秋の墓場で事足りる……」
桜の花びらをすり潰しながら、蓮子が一句披露した。私も同意。激しく同意。大学二回生の春。秘封倶楽部を打ち立てて初めての春。二人きりの楽しいお花見のつもりが、待っていたのは人、人、人。そのうえ、さっきから幾人もの軽薄な男どもが、我々の「倶楽部活動」に口説き文句を差し込んでくるときた。まあ、ビールの空き缶――もちろん、一八歳から飲める、健康的な新型酒――を彼奴等に投げつければ、みんなそそくさと逃げていくけどね。態度が悪い? 何を今更。我らは誇り高き不良大学生よ。
そういえば、春という語は情欲も表すんだっけ。草木の芽吹きが生を思わせるから? 獣たちがみな浮き足立つから? 春画、春情、回春……。共感覚を持たずとも、日本人にはこれらの語がピンク色に見えるらしい。
そういう感覚を、知識としては持っていても、私にはどうにも理解できない。春が一色に定まること自体に馴染みがないのだ。おちびちゃんの頃の春は、美少年アドニスの血に濡れたアネモネの赤。がきんちょだった頃の春は、残雪から顔を出す新芽の薄緑。思春期の春は、そこかしこで咲き乱れるスイセンの黄色。そして今では、蓮子と二人で眺める桜色。それが私の春色だった。思うに、春をピンクとみなす安易な対応づけは、科学信仰に基づく妖の否定に類する信念であって、秘封倶楽部として抵抗すべきだ。魑魅魍魎の跋扈するこの国で、妖を排除する思想を持つなんてけしからん。むしろ私たちは、プリマヴェーラをじっと見つめ、そこにどんな色があるのか探すべきではないのか。
「ねえ蓮子、春って何色かしら?」
「そりゃピンクでしょ」
ああ、蓮子だ。私の望む役割など決して演じてはくれない。
「何よその顔。紫とでも言ってほしかった? さすがに無理よ。桜を愛でるのは平安時代から、梅に至っては奈良時代から続く伝統よ。否定しようがないわ」
そう言うと蓮子は、派手な装飾のビール缶を開け、淡い珊瑚色に染めた唇へ飲み口を押し当てた。本日三本目。
「……年のはに春の来たらばかくしこそ梅をかざして楽しく飲まめ」
古の和歌がつい口からこぼれる。梅でもなく、酒ですらないのに。楽しくはある……あるけれど。どうにも座りが悪くなって、私は四本目のビールを一気に飲み干した。
「……じゃあ聞くけどね、蓮子さん? 梅が伝来する前の古代人は? 桜や梅を見ることの叶わぬ寒冷地方……あるいは地底に住む人々は? 彼らの春色もピンクだというの?」
「……メリー酔ってる?」蓮子は意地悪っぽく笑った。「それでは、私が解説してあげましょう。『春=ピンク』の図式が気に入らないんでしょう? 大丈夫、そんな図式はないから。今の日本人が想起する『春色』の確率分布が、ピンクを中心に広がっている、ただそれだけよ。桜の花のピンクだけじゃないわ。葉の緑も、幹や枝のこげ茶も、澄んだ空の青も、菜の花の黄色も。それら全てを束ねて、ようやく春色になるの。ほら、これで説明つくでしょう?」
蓮子は得意げに鼻を鳴らした。秘封倶楽部に入部希望の新入生諸君は、この説明では真実を一意に定められない理由を、二千字以内のレポートで提出すること。
……まあ、蓮子ちゃんには九〇点くらいあげてもいいかな。彼女の演説で気分も良くなったし。ほら、ご褒美。私は彼女に飛びついて、その胸に顔を埋めた。
「え、ちょっとメリー!?」突然の抱擁に、蓮子が柄にもなくうろたえる。「……待って、メリーが飲んでるの、旧型酒じゃない!? ほら、ここに小さく『旧型』って。どうりで火照ってるわけだ! ねえ、ちょっと、大丈夫!?」
「I’m not really drunk.」私は小声で呟いた。「……Vernalagniaって、呼んで?」
蓮子の膝を枕に、彼女の顔を見上げる。困惑や羞恥や喜悦、さらにまだ名のつかぬ熱まで孕んだような表情を見せる彼女の顔色は、赤と呼ぶにはあまりに揺らいでいた。……という意味で、それは「春色」と名づけるに相応しく思える。