東方我楽多叢誌(とうほうがらくたそうし)は、世界有数の「同人」たちがあふれる東方Projectについて発信するメディアです。原作者であるZUNさんをはじめとした、作家たち、作品たち、そしてそれらをとりまく文化の姿そのものを取り上げ、世界に向けて誇らしく発信することで、東方Projectのみならず「同人文化」そのものをさらに刺激する媒体を目指し、創刊いたします。

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同人誌評
2023/03/20

「幻想郷を垣間見る、ということ」同人誌レビュー『吉辰より』/茜根屋

同人誌レビュー『吉辰より』

東方を好きになる、ということ

 東方が、好きだ。

 そう気付いた瞬間が、あなたにもあっただろうか?

 寝ても覚めても、あのキャラクターの姿が脳裏に浮かんでしまう。普段通りの生活なのに、ふとした単語から東方の設定を連想してしまう。いつまで経っても、楽曲のフレーズが頭から離れない。人それぞれに感情は違えども、焦がれる想いの熱量はそれぞれ高く。

 この溢れんばかりの熱情を、誰かと共有したい。そう願っても、言葉交わす相手も少なく、ただ憧れと乾きばかりが募っていく。

 そんな熱病に冒された人が、必ず一度は思うことがある。

「幻想郷に行ってみたい」

 けれどその直後、私たちは打ちのめされるのだ。

 私たちが暮らすのは現の世で、幻想郷はこの世界と隔てられている。幻想郷には、行けない。むしろ、行けないからこそ、そこに幻想が存在しているのだと。

 でも。だからこそ、尚更に垣間見たくなる。

 教室の窓、矩形に切り取られた青を見上げながら。通学路、彼方に横臥する山翠を眺めながら。夜の冷たいシーツの隙間や、爪先みたいな三日月の浮かぶ路地裏で。

 数え切れない世界の隙間で、私たちは幻想郷を連想しては、そこに辿り着きたいと願うようになる。

 幻想少女たちが、揺らめく景色の中、どんな表情を浮かべているのかを。そこでは何色の風が吹き、指す光の暖かさが如何ほどなのかを。そう乞うとき、切なる恋情に似た憧れが、ぽっと胸に灯るのを誰もが感じる。

 この乾いた胸の器に、もっともっと幻想の雫を注ぎたいと。そう、切に願うのだ。

 前置きが長くなった。今日は、そんなあなたの切望を少し満たしてくれるかもしれない同人誌を、ご紹介させていただきたい。

 サークル「茜根屋」(作者:kajatony氏)の『吉辰より』だ。

 

幻想郷を垣間見る、ということ

 この本は、絵巻物だ。

 基本的には、豊かな幻想郷の自然と、その中で生きる幻想少女たちのある夏の日が、ゆったりとしたリズムで描かれている。

 同人誌で一般的な縦長判型とは違い、横に広い判型を採用している。それが、読者の視界をパノラミックに拡げてくれる作りとなっているのが印象深い。

 表紙は、とても蠱惑的だ。季節は夏だろうか。眩い陽射しで照らされた山肌に、高山植物のクルマユリやイワオウギが咲き誇っているのが分かる。

 けれどもその明るさとは対称的に、画面の真ん中には昏い坑口がぽっかり口を開けている。残雪からは氷筍が垂れ、そこからは、ぽた、ぽたと雪解け水が滴っているようだ。

 そして、雫と日差しを避けるようにふわふわの日傘を差して、八雲紫が歩み出てくる。

 大胆なのは、書名の置き方である。紫の表情を覆い隠すように、「吉辰より」と、表題が縦に配置されている。それはまるで、紫が雅楽の雑面を被って舞っているかのようだ。自然の明暗が見事に織り込まれながらも、ミステリアスな雰囲気を醸し出すその表紙に、私たちは幻想郷に吸い込まれるように思わず本書を手に取ってしまうだろう。

 期待に満ちて頁をゆっくりめくると、そこには誰もいない。ただ、夜明け前の岩陰に潜むコマクサが、露に濡れそぼりながら、じっと朝を待っている。

 山影は未だ暗いが、その背後には靄が立ち上り、空は白み始めている。脇には、短く文章が添えてある。

「天駆け、寄る辺なく降りたつ雫よ」

 まるで、私たちに呼びかけるような、天の音。その声に導かれるように、頁を一枚めくる。

 今度は、山の端が見えている。同じ構図の山影が、左右の頁に並んでいるようだ。けれどもその木々の陰影や雲の色は、左右でわずかに異なっているのが分かる。時間が経ち、ゆっくりと夜の帳が上がっているのだ。

 そしてまた、朝を待つようにゆっくりと、頁をめくる。思わず、息を呑む。

 そこには、見開きのパノラマに広がる、幻想の郷。

 私たちの見知った幻想少女たちは、まだ姿さえ表していない。けれど、もう確信できている。

 ああ、今私たちは、幻想郷にいるのだ、と。

 次の頁を開くと、山麓で溶け残る雪の下、シナノキンバイが黄金色に咲き誇っている。花の高さで視線を遠くに投げると、そこには八雲紫が足取りも軽く、日傘を差して歩いている。雪解け水が、幻想郷の賢者を追い掛けるように、静かに山を下っていく。

 ここからは、あまりに活き活きと、幻想少女たちの生活が描写されている。

 芥子坊主から掻き取った乳液を味見する駒草山如、木漏れ日と共に崖から飛び立っていく庭渡久侘歌 、川底で玉石を丁寧に探すわかさぎ姫。頁を繰る度に、美麗な情景に頬がほころび、その活き活きとしたやり取りに胸が踊るだろう。

 また注目すべきは、芥子ケシ、蓮、郁子ムベなど、それぞれの季節の草木の描き方が素晴らしいことである(作者の方は、かなり植物に造詣が深いと見受けられる)。幻想郷が日本の四季に満ちていることを、私たちの遠い記憶と共に思い起こさせてくれるのだ。

 

幻想郷の一部になって

 一頁毎に、この郷での時間が過ぎていくのが分かる。

 陽は中天に昇り、柔土を温め、入道雲が見事に湧き立つ。山から下ってきた露はいつしか水蒸気となり、盛夏の青天に立ち上っていく。高く昇った雲の眼下には、山に囲まれた盆地が広がり、大きな雲影がゆっくりと動いていくのが見える。きっと、あの辺りには人間の里があるだろう。

 そうして私たちは、いつしか気付く。自分が、一粒の水滴となり、この遙かな幻想郷を旅していたことを。

 なるほど、形の無い水の身なら、何処へだって行けるのだ。そう気付いてしまえば、後は世界の息遣いに身を任せていくだけで視界は万華鏡になる。

 私たちは、気流に乗って舞い上がり、蒼圏そうけんに達しては入道の一部となり、また雨滴となって再び幻想郷の大地に落ちていく。そのとき、私たちの視界の隅で、幻想郷の少女たちが舞っているのが見える。笑い、遊び、彼女たちなりの生活を謳歌しているのがはっきり分かる。

 空には空の幻想少女がいるし、地には地の幻想少女がいる。この世界の全てに、何かが息衝き宿っていることを、あなたは知る。そしてまた、あなたもその世界の一粒に宿った、ただ一人なのだ。

 水滴たる私たちは、目まぐるしく幻想郷を旅し、いつしか地底に潜る。染み込みながら集合し、岩を溶かしながら悠久の底を流れていく。地に住む大百足おおむかでの笑みを横目に、私たちの流れは泡と共に地底に潜っていく……。この先、私たちは、どこに至るのだろう。

 ……この先の展開が本当に素晴らしいのだが、そこは是非ご自身で旅をして、確かめてみて欲しい。この現世で恋い焦がれる私たちも、きっと幻想と接続している。そう思えるような、美しい蜃気楼が見られるかもしれない。

 

東方見聞録

 幻想郷に行きたい。

 もしかすると、あなたは今もそう思っているかもしれない。

 誤解を恐れずに言うならば、幻想郷に行くには幾つかの方法がある。原作ゲームで、主人公たちの物語を追体験するというのは、その最たるものだろう。

 たとえば東方風神録の3面などは分かりやすい。鍵山雛を倒し、暗く不気味な樹海を抜けたところで流れる、「神々が恋した幻想郷」の美しいイントロ。視界が一気に明るく広がり、渓谷に紅葉が舞い踊るあの展開の印象深さ! このシーンで、幻想郷そのものに触れたと感じた人は、多いのではないだろうか。

 ただ、もし主人公以外の視点で幻想郷を観測したいなら?

 たとえ二次創作でも、それは決して容易なことではない。もし人間キャラの視点を借りれば人間の在り方に縛られるし、妖怪の姿をすれば妖怪同士のしがらみに縛られるだろう。誰の視点を借りようが、何だかそれはこの美しい世界にとっては異物のようで気恥ずかしく、おこがましいような気がしてしまうかもしれない。

 けれども、自然の一部ならどうだろう。自由闊達にこの幻想郷を旅するのに、こんなにも適した写し身があるだろうか。

 本書『吉辰より』は、そんなありそうでなかった体験を十分に味わえる、稀有な一冊である。

 なお、「吉辰きっしん」とは、一般的には「良い日」という意味である。「良辰吉日」という言葉があり、「良辰」と「吉日」が共に良い日を指す単語であるため、転じて「吉辰」が「良い日」を指す意味になったと言われているものだ。けれども、「吉辰より」とは、少し奇妙な使い方ではないか? 「吉辰にて」の方が、日を指すならば適切な気がしないでもない。

 そこで、もう少し妄想の翼を羽ばたかせて、勝手に深読みしてみよう。東方を嗜んでおられる方ならご存じの方も多いだろうが、かつて方角もまた十二支で表されていた。辰の方角は東南東、つまり「大体、東の方」である。

「吉辰より」とは、「吉なる東の方角より」とも換言できる……というのは少し穿ち過ぎだろうか。そう考えてしまいたくなる程に、この本は幻想郷の景色を鮮やかに切り取っている。まるで、多くの人々を東に駆り立てた、かのマルコ・ポーロの東方見聞録のように。

 是非あなたも幻想郷に足を運んで、そして帰ってきてみて欲しい。

 

最後に

 これは、同人誌を勧めるためのレビューです。

 けれども、書いてみたいと自ら手を挙げたのに、いざ書く段で考え込んでしまいました。

 人に何かを勧めるというのは、本当に難しいものです。なぜって、人の感動は、その人だけが持つ固有の人生に根ざした共感や、そもそもその時置かれていた環境や、個人的な状況に強く依拠していて。しかもその感動は、体験の一回性に満ちている。自分自身でさえ、その時揺れ動いた感情を再現することはできない。

 だから、一度きりの感動を、言語にして薦めた時点で、その感動の本質は抜け落ちます。言葉をいくら尽くしても、あの時震えたはずの自分の思いには満たず、むしろ言葉を尽くせば尽くすほどに、指の間からすり抜けていくように感じてしまう。

 散々言葉を並べておきながら、そういったものを全て投げ捨てて「いいからこの本を読んで下さい」と。そう言いたくなる。でも、薦めた時点で、相手にとっては「薦められた」という事実が残ってしまうわけで、既に自然な状態ではない。これはもう、詰みであり、罪です。

 そんなわけで完全に自縄自縛になりながら、気恥ずかしさを堪えつつも、感情のままに書き上げました。ここまで読んでいただいたあなたには深い感謝を。

 ……けれど何故、人は伝わらないことを前提として。気恥ずかしい思いをしてまで、こんなことを書くのでしょう。それは多分、これを読んで何かアクションを取った誰かの幻想をまた、私たちは垣間見たいからなのだと思います。欲深いですね。

 本書を読み、自分なりに幻想郷を体験して、現し世に帰ってきたあなた。

 恋焦がれていたあなた自身は、今や幻想を吸収した依代となり、新たな潤いに満ちていることだろうと思います。もしよければ、どうかその甘露の味を教えて下さい。

 それはSNSの呟き、テストの裏の落書き、もちろんちょっと背伸びして同人誌だって構わないし、ただ一人秘めたままのその瞳の輝きだっていい。あなただけが識っている、胸に大きく湛えて今にも溢れそうな、その一滴を。あなただけの幻想見聞録を。

そしていつか、それをまたレビューしたい。そう願ってやみません。

 

作品情報

作品名:
吉辰より

サークル名:
茜根屋

作家名:
kajatony

Twitter:
https://twitter.com/kajatony_tweet

委託:
https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=1671547

kajatonyさんより、ひとことコメント:
流れ下り繋がる情景を描きました。

直近の活動状況:
のんびりと動いています。新刊の構想を制作中です。