東方音楽の青春期が詰まったイベント、「FloweringNight」創生前夜。始まりは、車にぎっしり詰まって裸の付き合いから……
「FloweringNight」座談会【第1回】
昨年掲載した「鈴木龍道氏、JYUNYA氏、ビートまりお氏による「博麗神社例大祭」初期、東方コミュニティ黎明期鼎談」。そこで話題に上がった、東方ライブイベント「FloweringNight」。2006年に始まり、2013年に幕を閉じたイベントが、今年7年ぶりに復活します。
【重要なお知らせ】
7月4日開催予定だったFloweringNight2020ですがコロナウイルスの状況を鑑みて無観客生放送ライブ(閲覧無料)へ変更する事に決まりました。
無観客ライブですがグッズの通販は行いますので当日持参で放送を楽しんで頂けたら嬉しいです。https://t.co/yPRGelBNOi#フラワリ2020 pic.twitter.com/0OGlR96ODx— FloweringNight2020 (@floweringnigh20) June 5, 2020
今回は、2006から2012までを主催していた、サークル「dBu music」のどぶウサギさんと、FloweringNightに過去6回出演し、今年の2020にも出演が決まっているサークル「石鹸屋」のhellnianさんに、東方アレンジ黎明期から「FloweringNight」が立ち上がるまでの話、各年に起きた事件や印象深い出来事、そして今年行われるFloweringNight2020についてなど、沢山のことをお聞きしました。
”妖々夢新参”と”萃夢想新参”のふたり
――例大祭黎明期のインタビューをしましたら、同時期に立ち上がった「FloweringNight」について、面白そうな話が沢山出てきました。これは、FloweringNightの始まりについても記事にしなければならないと思いまして、今回どぶウサギさんにお声掛けをさせて頂いて。更に、出演者側にお話をお聞きしたいと検討しまして、石鹸屋のhellnianさんがいいなと。そういうところで、お二人にお声掛けさせていただきました。
お二人とも、改めまして自己紹介をお願いいたします。
どぶウサギ:
”妖々夢新参”って言えばいいんですかね?
――急に強いワードが(笑)。
どぶウサギ:
音楽サークル「dBu music」(ドブミュージック)のどぶウサギと申します。「FloweringNight」では、2006年から2012年までプロデューサーというか、主宰という立場でやらせてただきました。今日はよろしくお願いします。
hellnian:
俺は”何新参”って言えばいいですか?(笑)俺の場合は、『萃夢想』からWindows版にさかのぼって、そこから半年ぐらい、ひたすら東方をやり続けて廃人化しました。人ともろくに会わずに。
……自己紹介ですね、すみません(笑)。サークル「石鹸屋」でドラムをたたいてます、hellnianと言います。あと一応、サークルの運営などもしています、よろしくお願いします。
「FloweringNight」の出演は、2011年が最後です。当時は雑務なんかもやってました。そもそも、雑務って何だろう(笑)。
どぶウサギ:
ドラム演奏のことを雑務って言うの?(笑)
hellnian:
いや、ドラム以外のことも割とやってた記憶があるんだけど(笑)。そのへんも追々話していきたいと思います。
FloweringNight創生前夜ー東方音楽アレンジ、黎明期
――まずFloweringNightが始まる直前、当時の東方アレンジ音楽は、どのような状況でしたか?
hellnian:
そういう話題はどぶさんが詳しいんじゃないかな?
俺は最初期の少し後から入ってきたんですけど、当時はMIDIの耳コピがまだ多かった、打ち込みが全盛の時代で。東方アレンジっていうのは基本打ち込みで、打ち込んだMIDIに、原曲とは違う音源を当てて、別のアレンジにしてみました、っていう形式が多かった気がします。
どぶウサギ:
バンド形式でやってる人は、まだ全然いなかったね。
hellnian:
自分たち石鹸屋は、元々バンドを組んでたから生音で……という感じじゃなくて、単純に打ち込みができなかった。「やべぇ、MIDIってどうやっていじるんだろう?」みたいな感じだったので(苦笑)。当時は、みんな打ち込みで音源を使って鳴らしてて、歌ものもほとんどなかった。たまに女性ボーカルの曲があったくらいですよね。
どぶウサギ:
今に比べて、少なかったね。ほとんどボーカルなしで、インストゥルメンタルばかりだった。
――そもそもですが、石鹸屋はいつ頃結成されたんですか?
hellnian:
サークル活動として結成したのは、2005年の春ですね。サークルとして最初にうちが出させていただいたのが、第2回例大祭。そのときは手焼きのCDで、バンドで録った音をインストとして出しました。それからを曲数を増やしてアルバムとして出したのが、その次の年の夏コミです。
でも、その手前で、もう俺はどぶさんと接点があったんですよ。したらば【※】の名無し合同というのがあって。
※したらば掲示板:巨大掲示板「2ちゃんねる」と同形式のスレッドフロート型掲示板。東方Projectにおいては、かつてJBBS@したらば内に存在した、東方Project専用の掲示板「東方幻想板」のことを指す。2015年2月28日に凍結。
どぶウサギ:
今日、持ってくれば良かった!
――「ななし合同【※】」をちょっと説明していただいてもいいですか。
どぶウサギ:
当時、したらば掲示板に「東方アレンジ耳コピスレッド」っていうのがあったんです。そこでみんな好き勝手に「こういうアレンジを作ったよ」っていって、音源を貼っていたんですね。結構人がいっぱいいて、賑わってたんですよ。
そのなかで、誰か1人が「CD作りませんか」みたいなことを、2004年の年末だか2005年の新年だか、それぐらいのときに言ったんですね。それで2回目の例大祭に合わせて作ろうってなって。スレッドは別の内容を話しているから、CDを作る話は裏のIRCチャット【※】とかでやろうって。
※ななし合同:東方アレンジ・耳コピスレッドCD企画「幻想音楽祭~Phantom Concert」。http://tsubu.s104.xrea.com/thcd/
※IRCチャット:1988年に作られた、インターネット用のチャット方式。Internet Relay Chatの頭文字をとってIRC。建てられた特定のサーバーに接続し、その中で「チャンネル」と呼ばれるチャットルームを自由に作って、チャンネル内の参加者にしか見えない形で会話することが可能。現在のDiscordが、IRCと非常に近い設計思想で作られている。
hellnian:
IRCだ。そう、思い出した。自分たちは途中参加みたいな感じで、そのときに石鹸屋も……まぁその時は俺だけだったんですけど、チャットに入って「自分も参加します!」って首突っ込んだ所が、どぶさんや名無し合同だった。
どぶウサギ:
1人1曲ずつ出し合って、結果的に、CD3枚組で500円っていう、またちょっとおかしなものを作ったね(笑)。
hellnian:
当時、価格設定めちゃくちゃだったよね。そういうのはね(笑)。
どぶウサギ:
とりあえず作って出せればいいみたいな感じでやってた。その当時に居た色んな人、(サークル「うにぼく」「黄昏フロンティア」の)あきやまうにさんとか、今でも東方界隈で活動してらっしゃる音楽の人たちとかが集まって、例大祭でCDを出したんですね。
それが結構、面白かったんです。だからまた次も出そうよみたいな感じで、二回目は魔理沙のアレンジだけでCD作ってみようかって。ジャケットは、(サークル「az+play」の)赤りんごさんが描いていて。あの魔理沙合同【※】は、自分が中心で取りまとめて作ったから、全部在庫もうちにある。
※魔理沙合同:東方アレンジ・耳コピスレッドCD企画「恋色音楽祭~Magical Concert」。http://marisa.kicks-ass.net/
コラム「2ちゃんねるとしたらばの流速の違い」
FloweringNight創生前夜ーインターネットから即売会へ
――どぶウサギさんの、東方アレンジをやるようになったきっかけは?
どぶウサギ:
もともと趣味で音楽はやっていて、オリジナル曲を作っていたんです。ちょうど大学4年で暇になった頃に、シューティングゲームが好きだったので、面白いのないかなって探してて。そのとき『永夜抄』の体験版を見つけて。やってみたら、やたらクオリティーが高くて。大学の講義に出てても、ZUNさんの曲が頭から離れない。『永夜抄』の曲が、ずっと頭の中で流れてるんですよ。「これはあかん、全然勉強に身が入らない、頭の中からこの曲を引っ張りださなきゃいけない」と思って。それで始めたのが、東方曲の耳コピ【※】ですね。
※耳コピ:曲を聞きながら、実際に演奏されている音階、音色を聞き取って、DTM(デスクトップミュージック)上で再現する技術のこと。耳コピを元に譜面にする技術は「採譜」と呼ぶ。
何でこんなに惹かれる曲なんだろうっていうのが分からなくて、分析したくて耳コピをはじめたんですよ。耳コピアレンジができてからは、遊びみたいな感じで、自分のホームページにちょくちょく上げてました。1週間に2、3曲上げるぐらいのスピードで耳コピしていたら、いつの間にか聴いてくれる方が定着したんです。そういうことを始めたのが、たしか、1回目の例大祭(2004年)が終わったぐらいのときでしたね。その時点ですぐに『妖々夢』まで買って、その後すぐに『永夜抄』が出たんですけど、夏コミで買えなかったんですよね。秋まで待ってようやく買って。それもプレイして、同じく耳コピアレンジもずっと続けてました。次の例大祭の1カ月前には、CD4枚分出せるぐらいまで曲がたまっていて。なので「一気に、アルバム4枚出そう!【※】」って出したんです。その時の例大祭で、ビートまりおさんとかに会いましたね。合う前からお互いに存在は知っていたんですけど。
※:どぶウサギさんが最初に出した4枚の東方アレンジCDシリーズ「弾奏結界」。http://www.dobuusagi.com/cd_info/
――今、おふたりはおいくつですか?
どぶウサギ:
38です。
hellnian:
37です。
――そうすると、2005年当時、おふたりは20代前半だったわけですね。
hellnian:
それでも、当時では年上組だったもんね、俺らは。どぶさんは言わずもがなだけど。
どぶウサギ:
普通に10代が多かったからね。
――当時多かったのは大学生や高校生?
hellnian:
高校生だよね。当時、もしかしてササラさん(サークル「ササラヤ」の篠螺悠那。ボカロ名義では、ゆうゆP)も高校生?
どぶウサギ:
そう。ササラさんも、ziki_7さん(サークル「Dust_box_7」)もその時期、高校生だよ。
hellnian:
オエーッ!
一同:
(笑)
hellnian:
そうだよね。酒飲めねぇって子が多くて、飲みに行かなかったもんね、当時は。
どぶウサギ:
未成年は飲んでないけどオフでは割と集まってはいたかな。東方といえば”酒”みたいな部分があるから、飲める人は何かしら集まって飲んでいたイメージがある。
――まさにそのような感じでインターネットで交流して、コミケや例大祭、いわゆるオフラインの即売会に出ていくみたいなことを、みんな繰り返していた時期ですよね。
どぶウサギ:
そうですね。
hellnian:
俺が一番最初に東方ジャンルを見たのは、2004年の冬コミで。当時の知り合いから誘われて、スペースに委託で出させてもらった時に、そのまま一緒に当日も出ようよって呼んでもらって。そのときのサークル主が、東方ジャンルだったんですよ。その時はまだ、東方は島が二つとかじゃなかったですかね。
―― 本当に黎明期ですね。
hellnian:
まだZUNさんが、一人一人東方のサークルさんを回っていた時代ですね【※】。あのときは全くZUNさんのことを知らなくて。ちょうどサークル主が不在だったので俺が対応して、ZUNさんにご挨拶したんです。サークル主が戻ってきたときに「(ZUNさんから)作品をいただいたよ」っていう話をしてたっていう。
※ZUNさんはある時期まで、自分が参加したイベントに同席している、東方二次創作サークルほぼ全てに、その時に出した東方新作を配っていた事があった。
――当時の例大祭などイベントの様子はいかがでしたか?
hellnian:
イベントの混み具合の表現で「身動きできないよ」とかよく言われますけど、都産貿【※】でやった第2回例大祭は、本当に身動きできなかった。
※都産貿:東京都立産業貿易センター。例大祭2が開催されたのは浜松町館。浜松町館は現在改築中で、2020年9月に完了予定。https://www.sanbo.metro.tokyo.jp/
どぶウサギ:
完全入れ替え制で入場が3回に分けられた時だよね。
―― この前の例大祭黎明期インタビューで、そのお話を伺いました。
hellnian:
即売会であんなことになるんだって思って。机の上にほぼ人が乗っかっちゃってるような状態で行き来してた。あのお目当てのサークルのものを買う、とかじゃなくて、目の前にあるものを全部取って買っていくみたいな感じだったんですよ。みんな並びながら全部取っていくので、えぇ……!?ってなりました。内容確認してないけど、大丈夫? うち1曲しか入ってない手焼きだよ? みたいな感じでしたね(笑)。
どぶウサギ:
たしか会場が2階で、うちの列が会場フロアの外の階段まで出て、8階だか9階だか伸びて、そのまま折り返してましたね。
FloweringNight創生前夜ーきっかけの飲み会・最初の決起集会
――流れ的に、そろそろFloweringNightの開催が近づいてくる頃ですね。当時の例大祭主宰の、龍道さんとは、どのようにして知り合われたんですか?
どぶウサギ:
最初はメールです。自分の所に、彼から前もってメールが来たんですよ。「例大祭、多分めちゃめちゃ混むだろうから、対応のほどご協力お願いします」というような内容で。あとは会場で一度挨拶したかな。でも、龍道さんは当日忙しくて、全然話せなかった。
例大祭の後にやった、音楽系の打ち上げに龍道さんが来たことが「FloweringNight」につながっていきましたね。
――音楽系の打ち上げに来た龍道さんと、どぶさんとはどのようなお話を?
どぶウサギ:
すごくストレートに、「東方で音楽ライブやりたいんだけど」と。実際、これぐらいしか、話していないかもしれない。
hellnian:
俺が聞いた話だと『レザマリ』【※】を生で聞きたいから、ライブをやりたいみたいな話だったって。
※:サークル「COOL&CREATE」の『レザマリでもつらくないっ!』
どぶウサギ:
そういう思いがあったんだねぇ(笑)。
hellnian:
俺は龍道から言われた記憶あるよ。「ぶっちゃけ『レザマリ』が聞きたかったんだよね、生で」って。 こいつ……! みたいな(笑)。
――きっかけはすごくシンプルな思いからだったんですね。でも、飲み会の席の話では終わらなかった。
どぶウサギ:
龍道さんに協力して、何か面白いことができればいいなという気持ちで。東方のライブというのがイメージがつかなかったんですけど、だからこそ、逆にやってみたいと思ったんです。それで取りあえずやるっていうことを決めて、声を掛けてやりたい人にやってもらおううと。それでイベントの名前を決める会合をしたんです。一人暮らしをしていた自分の家に、龍道さんとササラヤのササラさんが泊まりに来て。
ササラさんが、「FloweringNight」っていう名前の案を出したんです。
hellnian:
そうだったんだ。
どぶウサギ:
そうそう。
hellnian:
まさか自分で名前を付けたイベントで、ステージ上でパンツ一丁にさせられるとは思わなかっただろな。
どぶウサギ:
(笑)。
――ササラさんもその流れで参加されたのでしょうか?
どぶウサギ:
仲が良かったので「やる?」って聞いて、その場に呼びました。彼もBMS【※】とか、ビートマニアとかがすごい上手かったので、それやればいいんじゃん?って。
※BMS:Be-Music Scriptというフォーマット。また、PCで動作するフリーの音楽ゲームの通称。BMSフォーマットは、ソフト上で多数のwavファイルやoggファイルをスクリプトで指定された配置通りに音を鳴らしたりコマ送りの絵を表示することができ、対応ソフト内で音楽を奏でたり、自作アニメーションの再生ツールとしても使われた。2000年以前~初頭にかけてネットユーザーに大ブームを起こし、現在でもBMSを用いたインターネットイベントなどが行われている。
――BMSのプレイをライブ会場で?
どぶウサギ:
そう。演奏とは違ってゲームプレイなんだけど(笑)。でも、それがすごく上手かったら、見てて面白いし、それでやればいいんじゃないかなって。
――本当に面白かったら何でもありの精神ですね(笑)。その精神で始めていって、FloweringNightという名前が決まって、そこからみんなでいろんなことを決めていった感じなんですね。
どぶウサギ:
そうですね。その3人が始まりです。
――その日は、名前以外に決まったことはありましたか?
どぶウサギ:
(ライブに)誰を呼びたいかとかは話しましたね。石鹸屋は出ることが決まっていたに近い。
hellnian:
俺が初めて名無し合同のIRCに入ったとき、(サークル「N-tone」の)oikoさんかziki_7さんか誰かが「お、バンドが来たぞ」と。「演奏するやつ来たじゃん」みたいな反応でした。たしか、名無し合同のニ回目の、魔理沙合同のとき、俺が入った時点で、FloweringNightをやるみたいな話をしていたと思う。
どぶウサギ:
ちょうどFloweringNightやりたいねっていう話をしてましたね。
hellnian:
それで、どぶさんお得意の全員引き連れて、裸の付き合いをさせるっていう。
どぶウサギ:
当時、スーパー銭湯に行くという通例行事が合ったね。
hellnian:
どぶさんの車で、ぎゅうぎゅうになってみんなで乗っていったよね(笑)。
――この頃は、お二人は大学生ですか?
どぶウサギ:
ちょうど大学を卒業した頃ですね。
hellnian:
僕もそれくらいの年齢のときですね。
――皆さん20代、ほぼ同世代で集まってたんですね。
hellnian:
どぶさんの一人暮らしのお家にみんなで行って、そのまんまスーパー銭湯に行くぞっつって、みんなでその日のうちに裸のお付き合い。俺、何で今日知り合った人たちと銭湯に行ってるんだろう?オフ会にしても、随分ペース早ぇなって(笑)。でも、そのおかげで打ち解けるのはめちゃくちゃ早かったですね。
コラム「ビートまりおとhellnianのはじめて」
東方音楽の青春期が詰まったイベント、「FloweringNight」創生前夜。始まりは、車にぎっしり詰まって裸の付き合いから…… おわり