東方我楽多叢誌(とうほうがらくたそうし)は、世界有数の「同人」たちがあふれる東方Projectについて発信するメディアです。原作者であるZUNさんをはじめとした、作家たち、作品たち、そしてそれらをとりまく文化の姿そのものを取り上げ、世界に向けて誇らしく発信することで、東方Projectのみならず「同人文化」そのものをさらに刺激する媒体を目指し、創刊いたします。

     東方我楽多叢誌(とうほうがらくたそうし)は、世界有数の「同人」たちがあふれる東方Projectについて発信するメディアです。原作者であるZUNさんをはじめとした、作家たち、作品たち、そしてそれらをとりまく文化の姿そのものを取り上げ、世界に向けて誇らしく発信することで、東方Projectのみならず「同人文化」そのものをさらに刺激する媒体を目指し、創刊いたします。

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我楽多バックナンバー!「ZUN氏5万字ロングインタビュー!聞き手・ひろゆき」

これまでの東方我楽多叢誌の記事をふりかえります

 2019年10月に創刊し、今年で4年目を迎える東方二次創作メディア「東方我楽多叢誌 ~ strange article of the outer world」。数年にわたり、東方のありとあらゆる動きを追ってきました。

 そんな東方我楽多叢誌が過去に掲載した記事を振り返るコーナー、それが「我楽多バックナンバー」です。

 初回は、本メディア創刊時の記事を取り上げます!

ZUN氏5万字ロングインタビュー!聞き手・ひろゆき

【連載】ZUN氏5万字ロングインタビュー!聞き手・ひろゆき

 日本初の同人誌『我楽多文庫』に掲載された一文「一切無差別。かきあつめ。我楽多文庫の名にし負ふ。」を掲げ、2019年10月4日に産声をあげたメディア「東方我楽多叢誌」。原作公式二次創作公認・非公式に関わらず、東方Projectに関するさまざまな話題・作品・文化を取り上げることで「同人文化」そのものをさらに刺激する媒体を目指し創刊されました。

 創刊日から連続で10日間連載されたのが、東方Project原作者・ZUN氏と、2ちゃんねる創設者で今やネットを越えた人気者となってしまったひろゆき氏とのインタビュー。このあと小学生に大人気となり、地上波テレビのバラエティ番組で全力疾走するひろゆきさんが見られる世界が来るとは、2019年当時は誰も思っていなかったことでしょう。

▲なお、インタビューの現場にはだいぶ遅れてやってきます。

 インタビューの冒頭では、ZUNさんが少年時代に遊んでいたゲームの原風景から始まり、大学に入ってからゲームをたったひとりで独学(!)で制作し、謎解きゲームのような感覚で楽しんでいた話倍率2000倍の狭き門を通ってタイトーに就職した話など、なかなか聞くことができないZUNさんの学生時代について伺っています。

 Win版第一作となる『東方紅魔郷 ~ the Embodiment of Scarlet Devil.』の誕生は2002年。もともと「上海アリス幻樂団」は2001年の冬コミに「音楽サークル」として申し込んでいましたが、落選。それを受け、当時の同人ゲームジャンルの盛況ぶりを見ながら、次は「ゲームサークル」で申し込んだところ、当選! 2002年8月のコミックマーケットにて『紅魔郷』がリリース……と、昨年で20周年を迎えた『紅魔郷』が生まれることになったきっかけについても語られています。

▲「スペルカード」システムがなぜ生まれることになったのか、『紅魔郷』から「東方」のストーリーや世界観をより強くしようと考えた理由についても、このインタビューに掲載されています。

 

“野に放たれた”「東方」は、今のZUN氏にどのようにつながっているのか

 Win三部作(紅魔郷・妖々夢・永夜抄)のころに東方を遊んでいて、しばらくして今のZUNさんの活動を見た人は「こんなにメディア露出を頻繁にする人だっけ?」と思っているかもしれません。

「二軒目ラジオ」を始めたのは「“『東方』を作っているZUN”から、“ZUNが作っているゲーム”に変えていこうとした」という理由からだとこのインタビューで語られています。「もし自分が『東方』以外のことをやった時でも、それもひとつのまとまりとしておもしろくなるだろうと思って」というセリフは、近年「ゲーム制作」外のことも行っているZUNさんの、その考えの根幹にあるものかもしれません。

▲「校歌を書いたら?」とすすめるひろゆきさん。この流れが、山梨県丹波山村の観光推進として執筆された「七ツ石の狼、雲を取りに駆ける」の話につながったのかも……?(わかりません)

 このインタビューで特に話題になったのは、東方の商業展開に関して「勝手に『東方』が有名になっていってほしいです。だから『スマブラ』に出たい(笑)」とZUNさんが語ったところ。

▲この記事だけ飛び抜けたアクセス数を呼び込むこととなった、例の一文。

 当時『スマブラSP』のDLCファイターが順々に発表されていた時期だったのもあり、この部分が独り歩きして「東方がスマブラに参戦!?」「DLCファイターは霊夢?」といったワードがSNSや、Googleの検索サジェストに踊ったりもしました。

 なお、本文では「でもそれは、僕が思っていても実現するものではないので」と続いています。

▲「ゆっくり」が生まれたのは2chのAA(アスキーアート)。東方の原作者が、当時の2ch管理人に「ゆっくり」の話をしているという貴重なシーンもありました。

 本インタビュー記事は、東方だけを取り上げるメディアを立ち上げるにあたってまず「『東方』がどのように生まれたのか」を知ってもらいたい、という目的で行われました。最近「東方」を知って、原作がゲームで、そのゲームが一人のクリエイターによって作られていることを知った、という人にぜひ読んで欲しいインタビューです。

 インタビューから3年近くがたち、このときにZUNさんが語っていた内容がどのように「その後の作品」につながっていたのか、照らし合わせてみるのも面白いかもしれません。今のZUNさんはどんなことを考えているのか? また機会があれば今の東方に関する心境をお伺いしたいなと思っています。

 

「我楽多バックナンバー」では今後も、過去の東方我楽多叢誌の記事を取り上げていきます! 次回の更新をお楽しみに。

我楽多バックナンバー!「ZUN氏5万字ロングインタビュー!聞き手・ひろゆき」 おわり