東方我楽多叢誌(とうほうがらくたそうし)は、世界有数の「同人」たちがあふれる東方Projectについて発信するメディアです。原作者であるZUNさんをはじめとした、作家たち、作品たち、そしてそれらをとりまく文化の姿そのものを取り上げ、世界に向けて誇らしく発信することで、東方Projectのみならず「同人文化」そのものをさらに刺激する媒体を目指し、創刊いたします。

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【連載】妖世刃弔華

著者

草薙刃

挿絵

こぞう

妖世刃弔華【第61回 屋根】

「よっこいしょと……」

 掛け声を上げて貨車の屋根の上によじ登ると、冷たい風が正面から妖夢の身体に打ち付けてきた。

「うわぁ……こんなところを進ませようって言うんですか……」

 テンションの下がった妖夢が小さく呻いた。目標の先頭車両まで続く道は、地下世界で暗いこともあってよく見通せない。

 通路――というよりもトンネルと呼ぶべきこの空間の壁際には、多分に漏れず地獄の火が灯されているが、流れていく景色の中ではおよそ視界を確保する役には立ってくれなかった。

 この足場の悪い薄闇の中を、ただただ人目を忍んで進んで行かねばならないのだ。気持ちが高揚するはずもない。

「妖夢、間違っても飛んで行こうだなんて考えるなよ? 半分だけの生身でもこの速度で地面に落っこちたらただじゃ済まないからね」

 にとりの声に冗談の気配は微塵も存在しなかった。

 妖夢も薄々感じてはいたが、思ったよりも天井までの距離がない。

 こんな場所では戦いにくい。特に妖夢のように近接戦闘が得意なタイプは、苦戦するのは間違いない。つまるところ、見つからないようおっかなびっくり進んで行くしか選択肢はなさそうだった。

「こんな足場が悪いところで無茶を言いますね……」

 無理に飛んで行って風に煽られ、列車か天井のどちらかに接触しては一巻の終わりだ。ここまで命を張ってきての死因が“轢死れきし”というのは勘弁してもらいたいところだ。

「無茶を通して道理を引っ込ませるくらいじゃないと、亡霊どもを止められそうにないってわかってきたからね。湖の戦艦もそうだけど、こんな地下に鉄道通すとかまともじゃないのはわかるだろ?」

 げにおそろしきは執念のなせる業だ。根性論のようだが実際にことを成し遂げるにはそれほどの原動力が必要なのだろう。

「うぅ、本当にやらなきゃいけないんですよね?」

 なんとか翻意ほんいを促そうと妖夢は問いかけた。やっぱり彼女的には下から正面突破したいようだ。

「あのねぇ、やるしかないんだよ。こいつが動き出してからそこそこ時間も経ってるからね。下で陽動してもらっている間に先頭で引っ張ってるやつを乗っ取らなきゃならない。速度を計算したら目的地に到着するまで時間がないんだ」

 答えるにとりの頭の中では先ほどから計算が行われていた。

 兵の輸送のために列車を利用するということは、それだけの距離があるはずだ。

 幻想郷の広さを考慮して、搭乗した場所から敵拠点までの距離を約10km、平均速度を40km/hと仮定した場合、到着まで精々15分しかないのだ。加えて貨車に乗っている亡霊の数はざっと400。

 いかに強力無比な鬼が味方になってくれたとはいえ、狭い車内を馬鹿正直に正面突破しようと試みては数の優位性を覆せない恐れがあった。

「それはわかりましたけど――ごほごほ! 煙くて息がしづらいし、前も見えないんですけど!」

 刀を抜いてしまえば辻斬りモードに入れる。我ながらちょっとどうかと思う方法ながらも、妖夢が自身を鼓舞するにはこれしかない。

 もっとも、そうしようとする意志すら、流れてくる煤によってくじかれかけていた。

「仕方ないねぇ。たしかにこのすすは厄介だ。どれどれ……」

 涙目で訴える妖夢を見て、にとりは溜め息を吐き出した。毎度お馴染みとなりつつある不思議鞄の中から、板状の材木をいくつか取り出していく。

「土蜘蛛~、格子状に編んだ糸でこの板を覆ってもらえるかな? あと妖夢の靴の裏に粘着系の糸を貼り付けてあげて」

「ちゃんとヤマメって呼んでほしいな。で、何で?」

 ちょっとだけ不機嫌そうに注文を付けてから、ヤマメは小首を傾げて理由を問う。

 どうやらあまり根に持たないタイプらしい。それを見ただけでも妖夢は好感しか抱かないのだが、にとりはやはり胡乱な表情を向けていた。この非常時にもう少し仲良くしようとか思わないのだろうか。

 思わず言いかけたところで、これまでに出会って様々な者たちのことを思い出した。――うん、むしろそういう考えの方が少数派なのかもしれない。妖夢は仲裁を諦めた。

「見ての通り屋根は煤で滑りやすいから。せっかく仲良くなった妖夢を地面に落としたくはないだろ? あ、わたしは必要ないよ、自前の吸着ブーツ使う」

 そう答えながら、にとりはいつの間にか普段の靴を底が無数の吸盤で覆われた編み上げブーツへと履き替えていた。相変わらず妙に用意周到である。

 口も聞かないとか、暴言を吐くとかそういうのでないだけマシなのかもしれない。

「自己完結してるって会話する気もないみたいで面白くないな。じゃあ、始めていくよ」

「いやいや、さっきの板はスルーしましたけど、どこからそんなもの出したんですか」

 ヤマメに作業をしてもらいながら、妖夢は呆れたように問いかけた。

「知らないのか? “汝平和を欲さばSi vis pacem戦への備えをせよpara bellum”ってどっかの格言を」

「答えになってないし、どこの言葉かもわかってないじゃないですか。いえ、もう色々諦めてますけど」

 マイペース過ぎてついていけないと、妖夢は深々と溜め息を吐き出した。

 ここまで彼女とは死線を潜り抜けてきた間柄だが、やはり根本的な思考が違うのか河童とはまともに付き合おうとしてもダメなようだ。

 そんなところで足元から何やら騒がしい気配が伝わってくる。

「下がおっぱじめたようだね。いやぁ、こういう時は本当に頼りになるよ」

 にとりは嬉しそうに声を上げた。

 もっともそれは陽動の役目を果たしてくれている云々に対してではなく苦手な勇儀と離れられたことが大きいのだろう。

「よくもまぁ白々しく言いますよね。あれだけ苦手そうに震えていたくせに」

「ふふっ。聞こえないようにしておいたほうがいいよ、面倒になるから。……さてと、準備できたよ」

 ぼそりとつぶやいた妖夢に、ヤマメが人差し指を口元で立てながら語りかけた。

 ここ二日ほど戦ってきた中で、初めてまともな情に触れたような気がする。思わず瞳が潤みかけたが、妖夢は必死でそれを堪えた。一度決壊するとこの場で動けなくなりそうだったからだ。

「いやもう本当にありがとうございました」

「お役に立てそうなら何よりだよー」

 相好を崩してヤマメは笑った。

 ダメだ、癒される。妖夢はもうすっかり彼女のファンになってしまいそうだった。

「おお、たしかにこれなら煤も避けてくれる感じで進みやすいですね」

 地面を踏みしめてみると適度にくっつくので、これなら足場が悪くても戦えそうだ。

 問題はこの両手で展開する妙な板だが――。

「足元はこの通りわかりますけど、なんで板の表面にもヤマメさんの糸を? 煤除けにしては大袈裟な気が……」

 安心して進めるとわかった途端、妖夢の足取りはずいぶんと軽くなっていた。元々剣術で鍛えた体幹があるので滑る心配がなくなればスイスイと歩いて行けるのだ。

「ああそれか。そりゃあ蜘蛛の糸を張り巡らせた板が必要になる場面なんて――」

 背後を歩いていたにとりの言葉が途中で止まった。

 その時には妖夢もすでに気付いていた。いつの間にか何者かから見られていると。

「いやはや何事にも備えといてみるもんだ。やっぱり勘の鋭い連中が乗っていたようだね」

 にとりが苦い笑みを浮かべた。当たってほしくない予感が的中したようだ。

 薄闇の向こう――先頭車両の方から音もなく近づいてくる“影”。ひとつやふたつではない。

「うわぁ、なんか変なお面つけた連中が……」

 目を凝らしてようやく新手の全容が掴めてきた。薄闇に溶け込むような漆黒の衣服に身を包み、顔には全体を覆う無機質な面をつけていた。

 これまでに戦ってきた亡霊兵と比べて動きがいいこともそうだが、どことなく放たれる雰囲気から不気味さを感じずにはいられない。

「ありゃガスマスクか。ふぅん、連中も考えたね」

 にとりがそう漏らしたところで、彼らが肩から吊るしていた武器が一斉にこちらを向いた。

「変なところで感心してる場合じゃないと思うんですが!」

「妖夢、防御!」

 咄嗟に対応できたのは戦闘に関する天賦の才か。にとりの声を受け、思わず妖夢は両腕に装着している“盾”を掲げた。

 伸びてくる銃火に次いで衝撃が複数回、掲げた板の表面を叩く。前方から銃弾が直撃したのだ。思わず妖夢は一瞬目を閉じてしまいそうになるが間一髪のところで耐えた。

(あれ……?)

 しかし妙だった。幾度となく亡霊たちと戦っているため、彼女たちが操る銃火器の威力について妖夢はある程度理解はしている。にもかかわらず驚くほど衝撃を感じなかった。

「ふふふ、解せないって様子だねぇ、妖夢くん」

 押し寄せる弾丸を受け止め続ける妖夢の背中へにとりの声が投げかけられた。

「……勿体ぶってないで説明してください」

 ちょっとだけイラッとしたが妖夢は我慢した。状況が状況である。

「土蜘蛛の糸は罪人を地獄から引っ張り上げられるくらい強力なんだよ」

「極楽浄土に土蜘蛛の一族がいるなんて聞いたことないですけど」

 幽界の住人である妖夢を騙すには、少しばかり無理があった。

「ちっ、知ってたか。そもそも蜘蛛の糸には粘着力がある糸とそうでない糸がある。そうでないと巣を張った本人が動けなくなっちまうからね」

「それで!?」

 こっちは必死に踏み止まって盾役をやっているのだ。早く続きを言えと声が大きくなる。

「だから弾力に優れた糸を網目状に貼ってやれば、銃弾が持つ力を吸収しちまえるのさ。完全に殺しきれないけど耐えられなくはないだろ?」

 たしかにと妖夢は思った。相手との距離があるからかもしれないが、稽古で木剣の打撃を受けた時よりもずっと余裕がある。

「理屈はわかりましたけど、このままじゃ攻撃できないんですが!」

「そうだろうね。さてどうしたものか……」

 本気で次の策がないようだった。もうすこし後先考えて動いてほしい。

「あーもう! 日も差さないこんな場所で、全身真っ黒の装束なんて着られてると見分けが付きづらいんですけど!」

 発砲炎が見えるから良いようなものだったが、そうでなければ暗闇の中で視認性が悪い服を着ている敵の攻撃など、とてもではないが見切れない。

「煤で汚れてもいいように黒いんじゃないの」

「絶対違うと思うよ」

 掃除夫じゃないんだからとヤマメからジト目が向けられた。汚れを惜しむくらいで黒い格好をするなら、地下の妖怪たちがあんな個性的になるはずもない。

「土蜘蛛にツッコまれた……」

「ヤマメって呼んでって言ってるじゃない」

 一向に歩み寄りの姿勢を見せないにとりにヤマメが小さく頬を膨らませた。

「ちょっと!? どうでもいいからちょっとは援護してください!?」

 無言で弾丸を送り込んでくる特殊部隊だったが、これだけ離れているにもかかわらず明らかに呆れの気配が空気を通して伝わってきた。

 言葉にされずともなぜか妖夢にはわかった。「なんでこんなやつらに戦艦マラートを壊されたんだ?」と。

「仕方ないなぁ。ちょっとは妨害でもしてやろうか。……どっこいしょ!」

 にとりが前傾姿勢を作って紐を引っ張ると、例の不思議鞄の留め金が外れ――中から何かが射出された。

「えっ!?」

 近くにいたヤマメは目を見開いて驚いていたが、敵からの攻撃を受け止め続けている妖夢はその瞬間を目撃していなかった。いや、むしろしなくてよかったかもしれない。

 果たして“それ”はどれほど強い力で射出されたのか。走行中の向かい風を受けながらも放物線を描くようにして亡霊たちの近くまで飛んでいく。

 彼女たちは妖夢が突っ込んでくるための陽動と判断したのか、おおよそ軍事的に無意味と判断したそれを意図的に無視しようとした。

 それこそがにとりの狙いとも知らず。

「今だ!」

 短く叫んだにとりは肩から吊り下げていたライフル、スプリングフィールド造兵廠ぞうへいしょう製M1ガーランド半自動小銃セミ・オートマチックライフルを流れるような動きで構え、引き金を連続して絞った。

 .30-06スプリングフィールド弾の重く鋭い銃声が立て続けに響き、亡霊の頭上を飛び越しかけていた“それ”――巨大な風船が小さな破裂音と共に割れる。

「命中!」

 にとりが拳を突き上げた。中に入っていたのは大量の水だった。

「ここにきて河童性を押し出して来たんですか!?」

「さーて? 地下空間の狭い場所、しかも邪魔になるほどの煤が撒き散らされている空間で水を被ればどうなるでしょうか?」

 妖夢の心の叫びをすっぱり無視し、にとりが鼻を鳴らす。

 亡霊たちの動きが目に見えて鈍化した。

 煤交じりの水を被ったことで、本来視界や呼吸を確保するためのガスマスクがまったくの逆効果となってしまったのだ。

 ではマスクを外せばどうか。いや、それはできなかった。

 ひとたびマスクを外せば煤煙ばいえんを吸い込んでしまい目や呼吸器がやられてしまう。疑似的でありながら生きていた時の習慣に縛られているだけに、迷いが生じる。

 人間に詳しくなければできない、どこまでも悪辣極まる河童らしい策だった。

「よし妖夢! 盾を一枚こっちに寄越して! もう突っ込んでいい!」

 にとりの指示を受けた妖夢は即座に右手の盾を後方へ放り投げた。

「ほいっと!」

 糸を伸ばしたヤマメが飛んできた盾を受け取った。

「なかなかやるみたいですが……。わたしだって斬った張ったなら負けませんからね!」

 今度はこちらが仕掛ける番だと妖夢は楼観剣を抜き払った。

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