【連載】妖世刃弔華
妖世刃弔華【第51回 会談】
妖夢たちがカール自走臼砲を制圧した頃に話は戻る。
幻想郷を外界と切り離すための結界に生じた異変を察知した博麗霊夢は、萃香を妖夢の下に残し、押っ取り刀で幻想郷の端へと飛んで来ていた。
先ほどから鳴り響いている雷のような、それでいてもっと禍々しい空気を震わせる音が気になるが、今は結界の様子を見るのが先決だ。
「ちょっとちょっと……。なんなのよ、これ……!」
到着した霊夢は、目の前に広がる光景に思わず呆然と言葉を漏らす。
彼女が目撃したのは、博麗大結界に生じた物理的な歪み――いや、現在進行形で遠方より飛来する“巨大な鉄の塊”が、結界を突き破らんと荒々しいまでの力を叩きつけている瞬間だった。
空気を切り裂いて凄まじいエネルギーが結界に衝突。それと同時に、硬質の物体同士が衝突するような甲高い悲鳴にも似た音が上がった。
それだけに留まらない。猛烈な威力を秘めた爆炎が一拍遅れて生じ、広範囲で気流が荒れ狂う。
「うっ……!」
思わず霊夢は呻く。
外へ行こうとする妖怪がちょっかいをかけるような次元ではない。一個人が持ちうる奇跡をあっさり超えた、純然たる破壊の力だった。ここが結界しかない場所だから良かったものの、人や妖怪がいる場所であればどうなっていたか。
脳裏に生まれた愉快とは程遠い想像に、霊夢の背中に大量の汗が浮び上がる。
(すぐに壊れたりはしないだろうけど、放置していいようなものじゃないわ!)
これまでに幻想郷を襲った異変は数あれども、直接結界を狙ってくるようなことだけはなかった。
もちろん、異変の原因の多くが外から来た新参者などによって起こされていたのも大きいのだろう。今回はどういうわけか、幻想郷から出ようとしているように感じられる。
かつてないほどの危機的状況を目の当たりにして、霊夢の形の良い眉が次第に怒りの形へと変わっていく。
「どこのどいつの仕業かわからないけど、こんな馬鹿な真似をされると甚だ迷惑なのよ!」
原因だとか何が起きているとか、細かいことは一切わからないし考えるつもりもないが、博麗の巫女として事態を座視するわけにもいかない。
とはいえ、次々に飛来する“鉄塊”は動体視力でどうにかなる次元ではなかった。天性の勘を以って音速を超えて飛んでくるものの弾道を先読みし、ここだと判断した霊夢は射線上へと迷わず躍り出る。
そう、この幻想郷において、博麗の巫女に敵う者などいない――はずだった。
「くぅっ……! 一発一発が重いし数が多い! 防ぎきれないじゃないの!」
瞠目する霊夢の口から次いで苦鳴が漏れ出た。
虚空へ展開した護符で受け止めようとするが、まさか威力を相殺するのが精いっぱいだとは思わなかった。そればかりか複数が同時に発射されているため、撒いた護符の隙間を抜けて撃ち漏らしが結界に着弾する。
いかに結界のスペシャリストとして強力な力を誇る霊夢であっても、圧倒的な物量で押し切られると生身の人間として限界がやってくる。
「ミスったら木っ端微塵だわ……!」
地面に落下させた砲弾が立てる鈍い音を聞いて、追加の汗が霊夢の顔にまで吹きでてくる。
謎の飛来物は重量と速度によって凄まじい殺傷力を発生させ、しかも爆発する二段構えとなっていて余計にタチが悪い。
この攻撃を護符で受け止め、あるいは結界が破壊されなくとも、自分自身を守れるだけの余裕――個人用の結界がなければ次に襲い来る二次災害たる爆風で身体がバラバラにされてしまう。
「だぁー! ふざけんな! どんだけ無茶苦茶な威力なのよぉっ!」
幻想郷の端という辺境で誰もいないため、霊夢は遠慮なく弱音というか愚痴を吐き出して防戦にあたる。結界さえどうにか維持できれば大丈夫だろうと思って来たらこのザマだ。
いや、普通に考えれば――生身の人間が異能を駆使するとはいえ、戦艦から撃ち出す30.5cm砲弾を止められる時点で驚嘆に値する。
実際、遠くにいるため霊夢は知らないが、妖怪最強の一角たる萃香の能力を以って砲弾の直接的な防御に成功しているのだから。
もっとも、自分自身と結界を守るのに必死な霊夢がそこに思い至ることはない。
「見た感じ霧の湖の方から飛んで来てるのね。よし、こうなったら……」
こうも手加減なしにやってくれるなら、こちらも物理的手段で解決するしかないだろう。
幸いにしてもうしばらくなら結界も耐えてくれそうだ。
久しぶりにやる気全開となった霊夢が、上等しでかしてくれたヤツをとっちめに行こうとしたところで――
「お待ちなさいな」
「あぁん!?」
彼女の身体は不意に開いた“スキマ”によってその場から強制的に転移させられた。
瞬きほどの間に景色が変わる。
水面に浮いた油が絶えず揺らいでいるような、奇妙な空間だった。
幻想郷の風景は見えるが薄手の幕を下ろされたかのように遠く、ひどく朧気で、自分が飛んでいる感覚も消え失せて絶えず落下するような浮遊感で酔いを覚える。直前までの騒々しさは消え、不思議な静けさはむしろ耳が痛くなるほどだ。
このような空間は以前にも見たことがある。いや、訪れたことがある、というべきか。
「……せっかく人がやる気を出していたっていうのに、どういうつもりなの?」
出鼻をくじかれ仏頂面となった霊夢が、転移した状態のまま視線を動かすことなく問いかけた。
誰かと訊ねるような真似はしない。こんなことをする相手はひとりしかいないのだから。
「もうちょっとしたらこの無粋な攻撃も止むでしょうから、無理しないでこっちにいればいいのよ」
一向に自分の姿を見つけ出そうとしない霊夢の態度に痺れを切らせたのか、彼女の目の前へ回り込むように現れたのは幻想郷の賢者のひとり、八雲紫だった。
どう見ても一大事のこの状況下で、優雅に傘を差し扇子で口元を隠している。
「ふーん、その口ぶりだと何もかもお見通しなのかしら? 賢者サマは」
「全部じゃないわ。起きている出来事から予測し導き得る未来しかわからないもの」
「迂遠なやり取りは好きじゃないから単刀直入に訊くけれど、なんでこんなところに連れてきたわけ? というか、幻想郷の外に出ちゃっていいの?」
紫から視線を背けるように動かすと、何者かの攻撃が着弾している光景が見えた。まるで部屋の中を窓の外から見ているような気分だ。
つまりここは――
「半分正解で半分間違いかしらね。ここは結界の内と外の間だから外には出ていないわ。安心してちょうだいな」
「はーはーさいですかー」
今に始まったことではないが、紫の韜晦した物言いの相手が面倒くさくなり、適当に答える。
大した違いがあるようには思えないが、ここで触れることはするまい。下手に返せば話が長くなるだけだ。
「ちょうどいいタイミングだから話をしておこうと思ったの。“あっち”は多分任せておいても大丈夫だろうから……」
少し冷静になった頭で、霊夢はようやく違和感に気づいた。
「あんたにしちゃ珍しいわね。『攻撃が止むかも』と『多分大丈夫』とかはっきりしないのは。どういうこと?」
眉根を寄せて問い返した瞬間、結界の狭間ともいうべきこの場所へ新たな気配が現れる。
さすがの霊夢も今度こそ視線を動かし――そしてしばしの間硬直した。
「どういう面子よこれは……」
驚愕のあまり、声がわずかに震える。彼女も珍しく動揺している。
「やあやあ博麗の巫女、しばらくぶりだな」
「驚かせてごめんね、霊夢」
ひとり目の仰々しい物言いをしたのは摩多羅隠岐奈。
こぼれんばかりの金色の長髪に冠を被り、その身に纏うは橙色の狩衣に緑色のスカート、ロングブーツの組み合わせ。前掛けには夜空に燦然と輝く北斗七星や星座が美しく描かれている。左側の目線近くには鼓が浮いている。
彼女は幻想郷を作った賢者のひとりである秘神にして、後戸の神であり、障碍の神であり、能楽の神であり、宿神であり、星神であり……と異様に多くの肩書きを持っているが、それらすべてを並べていてはキリがないのでここでは容赦なく割愛する。
ふたり目はヘカーティア・ラピスラズリ。
肩あたりまで伸ばしたセミロングの赤髪に肩まで出した黒のシャツ。『Welcom Hell』と思いっきりスペル間違いで描かれている。スカートは濃い色の緑・赤・青の三原色カラーの、チェックが入ったミニスカートで裾の部分にちょっとした黒いフリルと小さなレースがついている。
ともすればふざけた――もとい変な形のヘカーティアだが、地球のみならず、月、異界それぞれの地獄を司る最強格の神であり、閻魔である四季映姫・ヤマザナドゥでさえも彼女には格が及ばない。
三つの世界に身体をひとつずつ同時に持っていて、自由に行き来ができるこれまた規格外の存在だ。地獄の神と聞けば禍々しい存在と受け取られがちだが、その場所その場所で神として振る舞えるらしく、紫とは別の意味で境界のない存在なのかもしれない。
以前は月面に関する異変の片棒を担いでいたが、それが解決された後の行動がぶっ飛んでいた。幻想郷で面白いものを探してウロウロしており、部下のクラウンピースと仲良く人間の里の甘味処にいるのが目撃されているのだ。仮にも女神がそんな身軽でいいのだろうか。いや、良くない。
とまれ、このようにふたりとも過去に異変を引き起こした、あるいは関与していた者たちだが、紫も加えてこのように顔を揃えることなど考えられない。
「……わたしが言うのもなんだけれど、この面子が揃っているところを誰かに見られるのは幻想郷にとってもあまりよくないでしょう? だからこの場所にしたのよ」
訝しむ霊夢の内心を読みとったように紫が小さく微笑む。
「そりゃ当然だわ。これだけ錚々たる顔ぶれが揃っていたら、何かとんでもない悪だくみをしているんじゃないかと勘ぐられても仕方ないし。……いや、ちょっと待って。同じ神様なら八坂の連中は何やってんの?」
「あいつらかぁ……。そうさなぁ、とても頼りになるとは思えぬよ。あれらは国津神、土着の自分たちがノコノコ出て行って“退治”されるのは御免被りたいだろうしのう」
どこか苦い笑みを浮かべる隠岐奈。
「ねぇ。今の口ぶりを聞いているだけでこの異変に絡んでいるヤツがすさまじくヤバい存在だってわかっちゃうんだけど?」
「話が早くて助かるわ」
引き攣った霊夢の表情を見て紫は微笑む。
自分の心労を少しは理解したかとでも言わんばかりの表情だった。
「で? いい加減どうなっているのか教えてくれるんでしょうね。危機的状況、以外の言葉が出てくるとは思えないけれど」
すっかり気を殺がれてしまった霊夢は、しみじみと長い息を吐いて話を聞く姿勢を見せた。ここで何を言い返して仕方がないと判断したのだろう。
「それについてはわたしじゃなくて、ヘカーティアから説明してもらいましょう」
扇子を畳んで、紫が瑠璃をそろりと流し見た。
「わたしとしてはその……まさかこんなことになるなんて思っていなくてね……」
いつになく悄然とした様子を見せるヘカーティア。女神たる威厳も何もあったものではないが、彼女ほど格の高い神がこうなる理由が霊夢にはいまいちわからなかった。
「なんだかえらくしょぼくれちゃって、調子が狂うわねぇ。べつにあんたがこの事態を引き起こしたわけじゃないんでしょう? でなきゃわたしの前に顔を出さないだろうし」
「直接的な原因ではないけれどもね。今回暴れまわっている亡霊たちの首魁については心当たりがあったのよ」