【連載】妖世刃弔華
妖世刃弔華【第44回 間隙】
敵の第一波を蹴散らした妖夢は、血払いをした楼観剣をゆっくりと水平方向に旋回させ、ふたたび大地を踏みしめるように進み出ていく。
亡霊たちはざわめきを漏らさない。
しかし、彼らの間に生じた動揺が、大気を通して妖夢の肌へと伝わってくるようだった。
「怯みましたね」
妖夢の双眸が鋭さを増した。虚空に向けて放たれた言葉を皮切りに、展開していた気配の群れが一斉に動き出す。敵の迫る前ではなく後ろへと。
剣士と魔女の見せた鮮やかな連携に、亡霊たちはこのまま続けても消耗するだけと判断したのだろう。まるで波が引いていくように後退を始めた。
当然ながら、それを見逃す妖夢ではない。
「こうなれば突き崩すだけです」
妖夢は躊躇なく追撃を選択した。押し返した今が好機であると本能的に理解しているのだ。
彼女の攻め方は、真正面から奇襲をかけるとも言うべき強引極まりないものだが、パチュリーの援護と組み合わさることで亡霊の集団でさえ崩してのける力を持っていた。
ならばやることはひとつ。流れがこちらに傾いているうちに、一気呵成に叩き潰すだけだ。
足を一歩踏み出した瞬間、遠くから砲声が鳴り響く。
「今のは……たぶんにとりたちが撃った音ですよね……」
『妖夢、聞こえる?』
耳にパチュリーの声が飛び込んできた。すぐ傍で囁かれたように感じ、思わず肩をびくりと跳ねさせる。
「え? なんです、これ? ていうかパチュリー、あなたどこに?」
木々の間を縫うように進む足を止めず、目だけを器用に動かして周囲を見回す。しかしパチュリーの姿はない。
『言い忘れていたけれど、あなたに“アンテナ”をつけておいたから』
「“アンテナ”? なんですか、なにをつけたんですか?」
妖夢の眉根が寄った。
なにやらあやしげなものの実験台に自分を使ったんじゃないだろうかと訝しむ。
『前に霊夢と魔理沙が地底に潜ったとき、紫が用意した陰陽玉の機能を再現したの』
「あぁ、たしか間欠泉騒動の時の……」
思い当たった妖夢が声を上げた。
自分自身は関与していなかったが、ちょっと前に幻想郷の地下から温泉が湧いたと思ったら、それ以外に面倒なもの――亡霊やら地底に住まう者まで一緒に噴き出てきて巫女や魔法使いを巻き込んだ異変があったらしい。
(自分に任せてくれたら、なんであろうと片っ端から叩き斬ったのに……)
参加できなかったことへの悔しさが今更ながらに湧き上がり、今回の異変で性格がやや攻撃的になっている妖夢は物騒なことを考える。
とはいえ、もしそうなっていたらさすがの幽々子も助走をつけてぶん殴ってでも止めたことだろう。妖夢の仕事は庭師であって殺し屋ではないのだから。
『そう、あの時に使ったものよ。今回は地下に潜る必要がないから簡易的なものだけれどね。これがあれば多少離れていても会話ができるわ』
「へぇ、便利な魔法があったものですねぇ」
『だから遠慮なく戦ってちょうだい。さっきの砲声もにとりたちのもので間違いないから』
「ええ、おかげさまで――また存分に戦えます!」
言葉と共に口唇を小さく歪め、妖夢は加速を開始。
いつまでも好きにさせてたまるかと、反転した亡霊たちが左右、そして前方から妖夢目がけて押し寄せてくる。
敵の攻勢を一時的に押し返した――包囲網の中へと斬り込んだがゆえに、左右からの挟撃を受ける羽目になったのだ。
しかし、ここが正念場だ。突き抜けてしまえば敵の背後に回り込むことができる。そうなれば守勢に回っていたこちらが、パチュリーの支援を最大限に利用した逆襲を仕掛ける側となる。
進み出てきた相手が放つ軍刀の振り降ろしを掲げた刀身でいなし、反転させた楼観剣を一気に突き出す。先に仕掛けたことでガラ空きとなった首筋へ白刃が吸い込まれ、延髄を貫かれた亡霊は身体を制御できなくなり地面へ沈んでいく。
藻掻く亡霊の首目がけ振り降ろした踵で頸骨を粉砕。肉体の自由を完全に奪う。
本能的に危機を感じ取った妖夢は跳躍し、木々の間を縫って空中へと逃れる。
次の瞬間、連続して響き渡る銃声が、直前まで妖夢がいた場所を薙ぎ払っていた。
「すっかり失念していました。迎撃側ならそりゃ遠慮なく使いますよねぇ……」
さすがに今のは肝が冷えた。
迸った銃火の元を探すと、森の奥で三脚に据え付けられたMG34機関銃の銃口がこちらを睨みつけているのが見えた。
やはりとんでもない戦場だ。一瞬の油断が命取りとなる。
死を意識すればするほどに背中から頭部にかけてヒリつくような感覚が駆け上がってくる。
それでも、妖夢は前進を止めない。
身体を前に傾けるようにして銃火の間を突き進んでいた妖夢が跳躍。木の幹を足場として蹴り、そこから次の敵を斬り伏せるべくまた別の木へと飛び移るように進んでいく。
『にとりとは違った意味で器用なものね』
「ちょっと! 今は話しかけないでください!」
パチュリーの通信を一喝で黙らせ、妖夢は突き進む。
飛行能力を駆使し続けるのでは、どうしても直線的な動きになりがちだ。ならば最低限の補助にして障害物を足場として活用した方が確実だった。研ぎ澄まされた戦いの感覚が妖夢を導いてくれる。
(そろそろ来る……!)
当然、敵もこちらの動きに追従してくる。
急制動をかけつつ、妖夢は木々の間の移動を止めて方向転換。飛び込むように地面へ着地する。
次の瞬間、同じ動きのままであれば飛び移っていたであろう木の幹が機関銃の掃射で蜂の巣にされた。
(やっぱり! なら次は――)
身体を起こしつつ、急旋回で叩きこまれる銃剣の一撃を、予期していた妖夢は楼観剣で弾く。これは誘いだった。
間合いを詰めた妖夢の足が鋭い突きとなって亡霊の腹部を直撃。衝撃で亡霊が身体を折ると同時に足が引き戻され、その場で回転。叩きこまれた白楼剣が無防備な敵を仕留める。
不意に妖夢の聴覚が、展開する亡霊たち中で上がる済んだ金属の音――手榴弾のピンが引き抜かれた音を捉えた。
これまでの戦闘経験でそれが何を意味するか熟知している妖夢は、視線を動かして音の発生源を探す。
(――見つけた)
機関銃が鎮座する亡霊たちの壁の向こう側で一体が他と異なる動きを見せていた。手に握られているものは――F1手榴弾だった。
まだ周囲には白兵戦のため前進してきた仲間がいる。それでも、味方を巻き込もうと妖夢を仕留めると決断したのだろう。たしかに有効な手段であった。
妖夢の剣の冴えが増し続け、さらに戦闘の経験も蓄積していなければ最高の奇襲として成功していたかもしれない。
しかし――
「遅い!」
短く叫んだ妖夢は躊躇なく標的を目がけて白楼剣を投擲した。
空気を裂く音を立てて飛翔した刃は人型の壁の間をすり抜けるように直進。手榴弾を虚空へ放とうと振りかぶった亡霊の右腕を切り落とし、そのまま後方にあった木の幹へと突き刺さる。
『あら、すごい曲芸』
「勝ちをもぎ取る技ですよ。芸じゃない」
敵を見据えたまま妖夢はパチュリーの軽口に素っ気なく返す。
当然、白楼剣で斬られた亡霊は肉体を魂に戻され、ピンの抜かれた手榴弾を保持してはいられなくなる。ゴトリと音を立てて金属塊が地面に落ちる。
想定外の事態に亡霊たちが逃げようと動くも間に合わない。生じた爆発が彼らを容赦なく飲み込んだ。それも防御の切り札であった機関銃ごと。
小さな勝利の余韻に浸る暇はない。
格好の隙を見せた妖夢へと左右から挟み込むようにして銃剣の突きが繰り出される。間合いから何からすべてが整った必殺の布陣だった。
「勝った、つもりかっ!」
片方を間合いの長い楼観剣で背中側へと弾き、もう片方は極限の見切りで身体を強引に捻って自身へと誘い込むようにして銃身を右手で掴み取る。視線の先で亡霊が息を呑んだように見えた。
予想外の力で引き込まれた亡霊が体勢を崩したところを狙い、鼻面を妖夢の肘が急襲。骨の砕ける鈍い音を立てて亡霊がのけ反り、平衡感覚を喪失して地面に沈んでいく。
その時にはすでに妖夢はそちらを見てはいなかった。反転すると同時に跳ね上がった右足が残る亡霊の頸を直撃。無防備な骨がへし折れ身体ごと吹き飛ぶ。
「次っ!」
残る亡霊たちを見据えたところで、妖夢の背後から一斉に放たれた木の葉の群れが残る亡霊たちを飲み込むように次々と襲いかかっていく。
「これはパチュリーの魔法……?」
『援護が遅れてごめんなさいね、妖夢。敵の武器を真似できないか試していたの』
妖夢がつぶやいたと同時にパチュリーから通信が入る。見たところ敵の機関銃を真似したのだろう。
「魔法で再現したんですか?」
『メカニズムとしてはそう難しいものではないわ。これは――』
そこからパチュリーは丁寧に解説してくれたが、鉛の弾丸ほどの硬さがなくても人体(に近いもの)を破壊するには十分な威力があるらしい。風の妖精の力で“刃”となっただけでもすさまじい威力を発揮したものが指向性を持たされ、弾丸への凶悪な進化を遂げて敵へ襲い掛かったのだ。
「それはともかく、よく敵の位置がわかりましたね」
蘊蓄を聞いていても疲れるだけなので、白楼剣を回収しながら聞いていた妖夢は話を強引に切り替えた。
『森の音を聞いているだけよ。これも魔法の応用ね』
顔は見えないのにパチュリーのドヤ顔が脳裏に浮かび上がった妖夢はげんなりとした表情になる。
とはいえ援護によって周囲の敵があらかた片付いた。そう思ったところで空気を震わせる振動が遠くから伝わってきた。幾度目かの砲声だった。
「今のはどっちのですか!?」
妖夢はパチュリーに訊ねた。
『こちらが撃った方ね』
「ずいぶん遅くないですか? ていうか、まだ沈められていないんですか!?」
『いや……いくらなんでもそれは無茶な要求じゃない? あれはそんなに連発できるものじゃないんだから……』
妖夢が上げた声への返答とばかりにふたたび砲声が響き渡り、ややあって地面が大きく揺れるほどの爆発が上がった。気のせいでなければ以前よりもずっと近くに感じられる。
「今度は!?」
『向こうが撃ったものでしょうね、地面が小刻みに揺れてる。徐々に近付いてきているわ』
「ああもうキリがない!」
次から次に起こる出来事に追われ気味の妖夢は小さく髪を掻き乱す。
『……あ』
「次は何ですか! すごくイヤな感じだったんですけど!?」
『悪い報せよ。撃ち漏らした――というよりも、今倒した亡霊たちを陽動に、迂回した連中がにとりたちの方へ向かったみたいだわ』
「ちょっと!? 援護に来てもらったのはありがたいんですが、わたしだけを支援してればいいわけじゃないんですけど!?」
『簡単に言ってくれるけどね、こんな広範囲に散らばったのを漏らさず感知しろなんてさすがに無茶よ』
半分くらい開き直った調子でパチュリーが不満の声を漏らした。
「あーもう! 急いで戻らないと!」
『心配なのはわかるけど、ここは食い止めなくていいの?』
「攻撃の要であるにとりたちを失うわけにはいきません。みんな幻想郷を守るために協力してくれているんですから!」
妖夢は即答した。妙に熱いところがあるものだ、と達観したパチュリーも感心せざるを得ないほどだった。
『そうね、冷静に状況判断できるのはいいことだと思うわ』
「それに、どうせあとで全部斬るんだから一緒です!」
『あぁ、そっちが本音なのね……』
前言撤回せねばならない。熱いとかそういう次元ではなく、どうも変な方向に目盛りが振り切れているようだ。
『じゃあ、殿ってわけじゃないけど、せめて攪乱役くらいは引き受けましょうか』
ふたたび木の葉でできた弾丸が四方から森の奥へと射出され、それによって応戦する亡霊たちもどこに倒すべき敵がいるかわからなくなり弾丸の狙いがブレていく。
反転した妖夢は全力で来た道を戻る。流れ弾の心配もあるため油断はできないが、すくなくとも弾丸の雨の中を潜らずともにとりたちのもとへ戻ることができる。
「あれだ!」
森の切れ間にカール自走臼砲のある場所が見えた。積極的な攻勢に出る役割の者がいないせいか、かなり押し込まれている。
美鈴は白兵戦を展開し、ティーガーⅡの機銃座についたにとりもMG34で弾幕を張っているが敵の勢いに対応が追いついていなかった。
対戦車兵器を喰らったのか、一部の装甲が損傷しているようだ。
「まずい、チルノ!」
妖夢は叫ぶ。守りをすり抜けた亡霊兵の銃口が砲身を冷却するチルノの姿を捉えていた。