東方我楽多叢誌(とうほうがらくたそうし)は、世界有数の「同人」たちがあふれる東方Projectについて発信するメディアです。原作者であるZUNさんをはじめとした、作家たち、作品たち、そしてそれらをとりまく文化の姿そのものを取り上げ、世界に向けて誇らしく発信することで、東方Projectのみならず「同人文化」そのものをさらに刺激する媒体を目指し、創刊いたします。

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【連載】妖世刃弔華

著者

草薙刃

挿絵

こぞう

妖世刃弔華【第28回 修羅】

「ぐぅ……!」

 完全に押し切られた妖夢は墜落同然に地上へと弾き飛ばされる。

 飛行能力を全力で発揮すれば踏み止まることも可能だったが、力で押し負けた相手を前にそれは悪手でしかないと無意識に判断した。逆に相手の力を利用して間合いを稼ぐ。

(なんて、力だ……!)

 驚愕に思考が支配されかけるが、このままでは地面にぶつかり背骨がやられてしまう。即座に半霊を背中側に回して実体化させ、妖夢は着地の衝撃を“半身”で強引に受け止めた。

 殺しきれなかった勢いに身を任せ後方へと垂直に回転。地面を踏みしめると同時に追撃に備えて体勢を立て直す。

「妖夢!」

 押し返された妖夢を見て、にとりと小町が咄嗟に駆け寄ろうとした。

「ダメです、来ては!」

 視線を敵に定めたまま妖夢は手を掲げて叫び、ふたりを制止する。

 三人の中でもっとも近接戦闘を得意とする妖夢が押し負けたのだ。ここまで戦い抜いてこられたのはそれぞれの連携によるものだが今回ばかりは束になっても敵いそうにない。あの得体の知れない亡霊との戦いにふたりが割り込むなど自殺行為だ。妖夢の本能がそう告げていた。

「あれは危険にすぎる……!」

 ふたりに向けてというよりも自分自身に言い聞かせるための言葉となって口を衝く。

 ほんの数合すうごう剣を交えただけでも理解できる。刹那せつなの気の迷いすら許す相手ではないと。

「時々実体化するそれは、霊魂れいこんの一部かしら?」

 背筋を震わせるほどに冷ややかな声が、妖夢の鼓膜を撫でる。

 誤認が視線を注ぐ中、“大佐”と名乗った亡霊は音もなく地面に降り立ち、右のまなこから放つ紫水晶の視線を正面に立つ妖夢の青緑の視線に重ねる。

 亡霊は何のてらいもなくただ悠然と佇む。自身を阻むものはないと主張するかのように上半身を包む漆黒の外套が吹く風に小さく揺らめいた。

「なるほど、半分生きていて半分死んでいるのね。面白い体質だわ」

 彼我の間合いはほんの数歩もあれば詰められるほど近いというのに、亡霊の刀は左腰にいた鞘へと収められていた。

 彼女はあくまでも悠然と立つだけで攻撃に移る気配は見受けられない。

(何が目的で敵の首魁がここに……? いや、そもそも次の動きがまるで読めない……)

 対する妖夢は楼観剣ろうかんけんを構えながら強い困惑に包まれていた。

 先ほどの苛烈な攻めから即座に追撃を仕掛けてくるかと警戒を続けていたが、予想に反して敵は動かない。繰り出された斬撃は強大な妖獣を思わせる鬼気ききを秘めており、間違いなくこちらを殺す気だった。だというのに、ここに至ってその殺意が感じられないのだ。

「あの地獄鴉じごくがらすといい、幻想郷ここの住人は誰も彼もそんな特異体質ばかりなのかしら?」

 口ではそう言いつつも、亡霊のかおに表情は浮かんではいない。とても本心からこちらへ興味を抱いているようには見えなかった。

「妖夢、こいつだよ! 亡霊の親玉は!」

 横合いから投げかけられる声。いつの間に回収していたのかにとりがPPSh-41ペーペーシャ・ソーラクアジーンを亡霊へと向けていた。

「ということは、うつほを攫ったのも?」

 妖夢の疑問に頷くにとり。今までの亡霊とは一線を画す実力から大方の予想はついていたが、正解してもまるで嬉しくない。

「ああ、そうさ! あんた! うつほを返せよ! あいつをどうするつもりだ!」

「わたしに銃口を向ける度胸は褒めてあげるけれど、死にたくないならやめておくことね」

 短機関銃サブマシンガンを向けられても、“大佐”は残る右の瞳をわずかに向けて微動だにしない。にとりを脅威と認識していないようだった。

「こっちの質問に答えろ!」

 バカにされていると思ったのか、PPSh-41を誇示するように揺らして叫ぶにとり。その頬を汗が伝っていた。得体の知れないこの怪物を前に彼女もまた勇気を総動員しているのだ。

「あの妖怪なら無事よ、傷ひとつないわ。……これで満足かしら?」

「て、敵の言うことなんか信じられるかよ!」

 素直に答えたのが予想外だったらしく、にとりは納得できないとばかりに怒鳴る。

「答えてあげたのに勝手な反応ね。――――でも、

 短く告げた“大佐”の右手が動いたと思った瞬間、妖夢は弾かれたように地面を蹴って疾駆しっくを開始。

 にとりがまったく事態を理解できない中、高速でひるがえった楼観剣は亡霊の右手の動きを追従していた。

「あなたの相手はわたしです!」

 裂帛れっぱくの気合と共に右手に握られた黒光りする物体、右腰のホルスターから引き抜かれた南部十四年式拳銃を狙って放たれる白刃。次いで金属同士の激突する甲高い音が鳴り響く。

 同時に銃声。次の瞬間には放たれた弾丸がにとりの頬をわずかに掠め、汗とは異なる血の筋を新たに作り出していた。

「えっ」

 自身が撃たれたことに気付いたにとりは頬に手を当て、痛みを理解すると共にその場にへたり込む。

「……“親玉”だなんて無粋な言い方ね。名前くらい覚えておいてもらいたかったわ」

 左腕を伸ばし逆手に引き抜かれた“大佐”の刀が、下段から繰り出された妖夢の一撃を受け止めていた。この衝撃が銃口の向きをわずかに逸らしていたのだ。妖夢の動きが少しでも遅ければ今頃にとりの顔の中央には新たな穴が増えていたに違いない。

(今の一撃を軽く受け止めるなんてどんな化物ですか!?)

 驚愕のあまり妖夢の背中に膨大な量の汗が浮かび上がる。

 目の前の亡霊は、一部の妖怪が持つ巨躯きょくや筋肉を有しているわけではない。外套を纏っているせいで身体の線まではっきりとはわからないが、見た目からはとてもそんな力があるようには見えなかった。同時に、その外見に惑わされることが危険だとは妖夢もよく理解している。

 幻想郷でも実力者とされる存在のいくつかは可憐な少女の姿を持つ。惑わされて舐めてかかった愚か者は例外なくこの世から彼岸へ旅立っている。いや、“弾幕ごっこ”が流行ってからは地を這わされているというべきだろうか。

「せっかくだしもう一度名乗りましょうか」

 刃の向こうでオウスディナの瞳が戦慄わななく妖夢を射抜く。

 加速からの勢いは十分に乗っていたはずだ。それを悠然と立ったまま片手で受け止めるのはいくらなんでも異常に過ぎる。両腕を使って放たれた妖夢の斬撃が、掲げられた腕に握られる刃を押し切ることができないでいるのだ。

「わたしはジェーン。ジェーン・カーネル・オウスティナ。あなたたちが邪魔をしてくれている亡霊兵団ファントムレギオンの首領よ。呼び方は任せるわ」

 間近で刃を交えている状況下にもかかわらず淡々と放たれる亡霊――――オウスティナの言葉が妖夢の神経を逆撫でする。

「その態度、油断ですか? 誘われているみたいで気に障りますね……!」

「油断? 純然たる力量差の前では余裕と呼ぶのよ」

「なにを……!」

 オウスティナの言葉を受け、妖夢は奥歯を噛みしめる。思い当たる節があったからだ。

 もちろん妖夢とて巷に噂される“辻斬り”――――単なる剣術馬鹿ではない。長い刀身の楼観剣ではどうしても補えない超近接戦闘用に体術とて会得しており、亡霊兵たちとも渡り合い、そして生き残ってきた。

 だが、この亡霊かいぶつの前ではそれが通じない。

 オウスティナはどの間合いでも実力を発揮できるだけの技と、それを確固たるものにする膂力りょりょくを持ち合わせていた。

(だからといって退くわけには――――!)

 押し切ろうと全力で大地を強く踏みしめる妖夢。

「わたしに力負けしても尚挑もうとするなら、ギリギリ及第点きゅうだいてんといったところかしらね。この手で殺すのは惜しい。このままお仲間と退いてくれないかしら?」

「幻想郷が跡形もなく吹き飛ぶっていうのにですか? バカにしないでほしいですね!」

「……そう。なら、あなたを斬って高射砲も潰させてもらう」

 一切退かない妖夢に対し、ついにオウスティナの身体から静かな鬼気が発せられる。

 殺気とひと言で片づけてしまうには、あまりにも研ぎ澄まされた感覚。まるで刀のきっさきを間近に突きつけられているようだった。遠巻きにしているにとりや小町、それにアリスの肌までもがにわかに粟立ってくるほどに。

 しかし、妖夢は逃げない。いや、剣士である以上、絶対に逃げられなかった。

 幾度目かの鍔迫り合いを演じることとなった妖夢は、手首を叩きつけるようにして弾きながら楼観剣を旋回。即座に追撃の姿勢を見せる。

 重心を後方へと倒す。先ほど相手から受けた“膝抜き”を自分でも驚くほど自然な動きで繰り出すことができた。

 これと同時に、かかとで地面を蹴り後方へと跳躍。動きを見せた妖夢を仕留めるべくオウスティナが放った鋭い横薙ぎを回避していく。

 直後、追撃のために進んでいれば今まさに妖夢の身体が存在していたであろう空間。そこをオウスティナの刃が鋭い弧を描いて通過していた。

「並の使い手であったら今ので首が飛んでいるのだけれど」

「いいえ、斬るのはわたしですっ!」

 短く叫びながら再度地を蹴り、矢のような突進を見せた妖夢。

 その手に握られた楼観剣の刃が、いかずちのように落下。

 ――――激突音。

 虚空に舞う火花。妖夢の刃は空中で止められていた。

「そうやって蛮勇と勇気を勘違いした敵を、わたしは何人も斬り伏せてきた」

 つまらなさそうに答えたオウスティナの身体がわずかに傾くと同時に右足が跳ね上がり、無防備になった妖夢の脇腹へと急襲。

 ほとんど予備動作がなかったにもかかわらず、一瞬で加速した鋭い蹴りは相手に回避を許さない。

「なら、わたしが初めての相手ですね!」

 短く叫んでしのぎの上で刃を滑らせ、耳障りな金属音を響かせながら妖夢は身体を引いてギリギリのところで蹴りを躱す。

 そのまま踏み込んできたオウスティナの動きに合わせるように、半回転した楼観剣が首を狙う。

 しかし、亡霊は急制動をかけつつ、体勢を崩さぬように首を振って死の一撃を回避。遅れて尾を引く金髪の一部が至近を通過した刃によって切断されていく。

 ここに至って両者は間合いを空けようとしなかった。

 ともすれば退く瞬間を狙われる愚を避け、示し合わせたかのように前へ進み出ていく。

「威勢はいい。でも、覚悟なき者にわたしは止められない」

 虚無の深淵で紅の炎が妖しく揺らめく。

 両者がすれ違う瞬間、繰り出した刃が激突。

 そして、刀のきっさきが妖夢の目の前に突きつけられていた。

「健闘はした方ね。でも、多少剣が使える程度ではここまでよ」

 凍てつくような言葉が亡霊の口から放たれた。

 実力の差を突きつけたそれは不可視の刃となり今までひたすら剣に生きてきた妖夢の心に突き刺さる。好き放題に言われるほど重ねてきた努力は浅くない。

「死線を超えるたびに強くなれるいい目をしているわね。時間があれば、強くなるのを待ってあげても良かったけれど――――」

 相手の本気を引き出すどころか、憐れみを向けられた。剣士としては屈辱でしかない。

 湧き上がる怒りと悔しさ。それらに反してここから状況を覆せる手段は何も思いつかない。起死回生の白楼剣は抜く暇すら与えられなかったのだ。この期に及んで小手先の技が届くとは思えなかった。

 生きていたいとか死にたくないとかそんな感覚を持たないままに妖夢は今まで時を過ごしてきた。

 だが、この時だけはそれらの感情は消え去り、剣だけが目から離れない。

 未熟なまま終わりたくはない。生か剣か、何に対する執着かは自分でもわからなかった。

 オウスティナの刀が振り上げられる――――が、刀身が天頂を向くかというところで唐突にその動きが止まる。

「ここで邪魔が入るとは。運がいいのかしらね……」

 刀を下ろしたオウスティナは小さく笑うとそのまま大地を蹴って後退していった。

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