東方我楽多叢誌(とうほうがらくたそうし)は、世界有数の「同人」たちがあふれる東方Projectについて発信するメディアです。原作者であるZUNさんをはじめとした、作家たち、作品たち、そしてそれらをとりまく文化の姿そのものを取り上げ、世界に向けて誇らしく発信することで、東方Projectのみならず「同人文化」そのものをさらに刺激する媒体を目指し、創刊いたします。

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音楽評
2023/12/21

「U.N.オーエンで、トべ」東方アレンジ楽曲レビュー『紅獄のカンタレラ』/Myui Playing

東方アレンジ楽曲レビュー『紅獄のカンタレラ』

来てしまったな、ひさびさに「トべるやつ」が。

真面目な言い方をしよう。東方アレンジの”先”を見たいなら一度は聴いておくべきだ。

僕も比較的”ハードコア”という音楽ジャンルが苦手な人間だ。それでもこの曲には何度も聴き込んでしまう天才性が宿っている。

頼むから一度最後まで聴いてほしいし、MVを観てほしい。

 

東方アレンジを聴く精神状態

 安心と高揚。相反する心の状態。僕たちは「東方アレンジ」を聴くとき、どちらかを、あるいは両方を求めている。

 ハルトマン、偶像、セプテット――何でも良いのだが「あのメロディ」を待っている。

 そしてそれは、イントロかサビでやってくる。そこにあるのは、安心と高揚である。

 僕たちはそこに「知ってるメロディ」を発見し安心する。そして音楽の「アンセム性」に打たれ高揚する。

 

 相反する心の状態を得られるから東方アレンジを聴くことをやめられない。僕はこの現象を「原曲カタルシス」と名付けたい。

 原曲カタルシスに至るまでの心の動きが存在する。それが東方アレンジの「創作性」だ。

 いや、今日の今日までそう思っていた。しかし、ひとりの天才がそれをぶっ壊した。

 

Tatsunoshinとかいう天才

 イントロで一瞬だけチラ見せされるオーエンメロディ。焦らされるのだ。

 そして原曲を再解釈したかのようなハードコアサウンドが続く。この心地よさは、ハードコアが本業ではない僕ですらわかる。「東方アレンジに舞い降りた天才」、その一言に尽きる。

 彼がいかに天才かは曲を聴き、各自調べてほしい。なぜ彼が天才なのか、それは若干22歳にしてこの曲構成、そしてこの音楽性、この質感を作り出すということに詰まっている。

 

原曲カタルシスの”先”

 焦らしに焦らすイントロ。そして流れるオーエンアレンジ。サビ。しかし何故だろうか? 不思議なことなのだが、「原曲カタルシス」が訪れない。何が足りないのか?

 

 アガりきらない、トビきれない。鼓膜は、脳は、明らかにU.N.オーエンを観測している。なのに「来ない」。来るはずだった「原曲カタルシス」が来ない。

 

 この曲はオーエンメロディを使いながら、これだけの名曲を使いながら大胆にも主張する。「まだここじゃない」

 

 聴けばわかるはずだ。「この曲はここでは終わらない」

 

 1分50秒。長い、長い焦らしが終わる。ハードコアサウンドが響かせるオーエンメロディ。

 

 そこで僕たちは驚愕の事実に気付く。「まだ、ここじゃない、だと……?」

 

やっと……トベる

 東方アレンジというのは東方二次創作であると以前に、少なく見積もっても同時に、音楽だ。音楽は自由でなければならない。東方アレンジは「縛りプレイ」であってはならない。

「オーエンメロディが最高潮であるべき。いや、最高潮にならないパターンなんて考えられない」そんな常識は22歳の天才が破壊してしまった。

 2分54秒の焦らし。そして僕たちは許される。アガることを、トブことを。「Let’s Go」の一言で、サウンドで、許され解放されるのだ。

そこにあるのは「やっとトベる安心感」だ。ここには脅威の発想が存在する。

 

原曲を踏み台にして作られる爆発力

 Tatsunoshinという天才は東方アレンジの常識を破壊した。「U.N.オーエンは彼女なのか?」という名曲を「脚を溜めるための装置」として利用した。

 高まるが高まりきらない。オーエンメロディを用意しておいてまだ爆発させない。高揚感を臨界状態まで溜めさせる。東方オタクとしてはもう暴発寸前だ。「オーエンメロディより”上”があるの???」

 

 2分54秒の焦らしは無限の時間にも感じられる。なぜならオーエンが流れてるのに、この曲にはまだ”先”があることを感じ取るからだ。そんな東方アレンジ視聴経験はここまでなかった。恐ろしいことである。

 これも東方アレンジの一種の形だ――というより、新しい形なのかもしれない。原曲に飲まれない、でも原曲の良さをリスナーの心の動きへ利用する。原曲と共存したハードコアと言えるだろう。

 

”音楽”としての東方アレンジ

 もう20年も続くのだろうか。東方アレンジは「原曲カタルシス」を作るものだった。リスナーは原曲メロディに安心し、高揚した。

 しかしそれは10年以上も続けば陳腐な装置となる。再生してみて20秒で「聴いたことあるような気がする」。そんな経験はないだろうか? もうありきたりな手法は使い古されてしまった。

 確かに原曲のメロディがあれば、僕たちは脊髄で興奮する。しかしそれは”音楽”としてはいかがなものだろうか?

 

 Tatsunoshin。彼は東方アレンジの世界に”違う音楽”を持ち込んだのである。

 天才の襲来による東方アレンジの音楽性の拡張。音楽はアンセム性による繰り返しも大切だが、メジャーシーンに対するアンチテーゼを持って発展してきた。まさに弁証論的と言えるだろう。

 

 いつまでも同じことを繰り返せば、澱む。

 でも同じメロディが求められる。

 その二律背反を乗り越えるような楽曲が今後は求められるのではないだろうか。

 

 その片鱗を見せるのが「紅獄のカンタレラ」である。

 

作品情報

『紅獄のカンタレラ』

https://myui0001.tumblr.com/

収録アルバム:不夜城レジスタンス

委託・配信サイト:
https://myuiplaying.booth.pm/items/4700314

https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=1907445

https://www.tanocstore.net/shopdetail/000000003298/

 

サークル:Myui Playing
https://twitter.com/mayuminomoto

Youtubeチャンネル:
https://www.youtube.com/@MyuiPlaying