「魔界と火星とに意外な共通点!?東方Project×SF小説『火星の人』クロスオーバー」同人誌レビュー『魔界の人』/折葉坂三番地
同人誌レビュー『魔界の人』
0.「はじめに」の前に
はじめまして。今回サークル「折葉坂三番地」さんの作品『魔界の人』のレビューを執筆させていただきました人形使いです。
私はもとからシューティングゲームが好きで、その流れで東方Projectを知りました。二次創作については読む側としてだけでなく作る側としても活動しており、関西の東方イベント「東方紅楼夢」に、個人サークル「人形の城」として年に1回サークル参加もしています。
折葉坂三番地さんの作品も、紅楼夢で手に取ったのがきっかけで知りました。
そして、各種イベントや通販で手に入れた作品すべての感想を、ブログ「A Day in The Life」にて投稿しています。
今回は、今まで読んできた作品の中から『魔界の人』を選び、改めてその魅力についてレビューを書かせていただきました。
作る側・読む側両方の視点で書いてみましたので、楽しんでいただければ幸いです。
『魔界の人』本文ダウンロード | 折葉坂三番地情報Blog
※『魔界の人』は上記URLより本編を全文ダウンロードできます
1.はじめに
本作はいわゆるクロスオーバーものであり、東方Project×SF小説『火星の人』という異色の組み合わせに興味を持って手に取った作品です。詳しくは後述します。
『火星の人【※1】』は、ハヤカワSF文庫から出版されているアンディ・ウィアー著のSF小説です。2015年には『オデッセイ【※2】』のタイトルで映画化もされています。
私はもともとSF作品が好きで、『オデッセイ』『火星の人』ともに視聴していました。ですので「これらの作品と東方がどんなふうにクロスオーバーするんだろう?」ということで読んでみました。
このレビューでは、本作の魅力にさまざまな角度から焦点を当てたいと思います。
2.「クロスオーバー」というギミックの意外な側面
「クロスオーバー」というと、多くの方は「異なるふたつの作品のキャラクターが一同に会する」「一方の作品のキャラクターが他方の作品世界に召喚される」といった形式を思い浮かべるのではないでしょうか。
しかし、本作『魔界の人』に直接的に登場するのは東方Projectのキャラクターである霧雨魔理沙のみ、舞台は幻想郷から遠く離れた魔界です。主人公マーク・ワトニーをはじめとした『火星の人』の登場キャラはいっさい登場しませんし【※3】、魔理沙が火星に行くわけでもありません。
では『火星の人』の要素はどこにあるのか?
それは舞台設定とストーリーにあります。
『火星の人』は、不慮の事故で火星に置き去りになってしまった主人公であるマーク・ワトニーが、限られた資材と食料、そして知恵とユーモアでサバイバル生活を行いつつ地球への帰還を目指すというあらすじです。
そして本作『魔界の人』は、主人公をワトニーから魔理沙に、舞台を火星から魔界に置き換えて、魔理沙が幻想郷から遠く離れた異界の地にてサバイバル生活をしながら幻想郷への帰還を目指す、という筋書きになっています。
つまり本作は、東方Projectのキャラクターと『火星の人』のシチュエーションをクロスオーバーさせた作品なのです。
冒頭で述べた通り「クロスオーバー」というとキャラ×キャラというのが一般的です。しかし本作におけるクロスオーバーはキャラ×シチュエーションという意外なギミックが仕掛けられています。
折葉坂三番地さんの作品には、本作以外にもさまざまな作品や歴史上の人物・出来事とのクロスオーバー作品があるので、一風変わったクロスオーバー作品を楽しみたいに人には強くおすすめしたいです。
3.クロスオーバーは装丁から始まっている
前段で紹介した通り、本作『魔界の人』はハヤカワSF文庫『火星の人』と東方Projectのクロスオーバー小説となっています。しかし、クロスオーバーしているのはその内容だけではありません。
ハヤカワSF文庫は通称”青背“と呼ばれる青い背表紙が特徴。本作はそのハヤカワSF文庫の外見をそのまま真似ている装丁になっているのです。
小説同人誌はマンガ、イラスト同人誌に比べて「ぱっと見で内容を把握しにくい」という弱点があります。
では、その弱点をどうやって克服するのか?
そんな課題に対するひとつの答えが「表紙や装丁を特徴的なものにすること」だと言えるでしょう。
しかも本作は「火星の人」をクロスオーバー元にしているので、ハヤカワSF文庫の装丁にすることにも必然性があるのです。ハヤカワSF文庫を愛読している人なら間違いなく手に取ってしまうでしょう。
小説同人誌においては表紙の訴求力は非常に重要であることも合わせて、本作の「クロスオーバーは装丁から始まっている」というのは優れた点だと言えます。
4.火星と魔界、過酷なるサバイバル生活
内容の解説に移りましょう。
『魔界の人』では、クロスオーバー元である「火星の人」と同じく、魔理沙のサバイバルを描いています。
『火星の人』では、主人公マーク・ワトニーの書き残したログという体裁で物語が進んでいきますが、『魔界の人』でも同じように魔理沙の手記という形で彼女のサバイバルが描かれます。
かたや『火星の人』ではワトニーは突風で吹き飛んできたアンテナに宇宙服と腹部を貫かれるという重傷を負った状態で火星に置き去りに。
かたや魔理沙はもっとも近い文化圏まで690万キロ、1日に1000キロ飛んだとしても約6800日=17年半という魔界の片隅に放り出されてしまいます。
ともに絶望的な状況からのスタートですが、両者はそこからどのようにして生き残るかにチャレンジしていきます。
生存のための具体的目標が段階的に提示されるので、読者はそれらの目標をどのように達成していくのか、あるいは達成できるのか否かというハラハラドキドキを楽しめるというわけです。
『魔界の人』では、『火星の人』での文字通りの「一難去ってまた一難」の展開の楽しみを再現しています。ただ単に原作の展開をなぞるだけでなく、まったく違う舞台とキャラクターでもって原作と同じ興奮を再現しているというのは言葉で言うほど簡単ではないでしょう。
しかし本作ではいわば、「方向性は同じでも内容は違う」というかたちで新鮮なハラハラドキドキを楽しめます。
クロスオーバー作品というものはただ単にふたつの異なる作品をかけ合わせれば作品として成立するとは限りません。作品の組み合わせには、ある種の必然性が要求されると言えます。
では、本作における『火星の人』と東方Projectを組み合わせた必然性とはなにかというと、それはそれぞれ作品の主人公であるワトニーと魔理沙に共通するメンタリティだと言えるでしょう。
ワトニーは絶体絶命の状況下でありながらも、限られた資材と植物学の知識、そして持ち前のユーモア精神でその状況を乗り越えようと何度も困難に立ち向かいます。
対して神や妖怪が当たり前に存在する幻想郷の中にあってただの人間にすぎない魔理沙もまた、手記の内容からは最初こそ困惑と悲嘆が見られるものの、限られた道具や材料と知識、そして悪態をつきながらも己を鼓舞するたくましい精神性で事態を打開しようとします。
この両者に共通する”不屈のメンタリティ“が『火星の人』と東方Projectを、そしてワトニーと魔理沙を結びつけ、『火星の人』で何度困難が襲いかかっても不屈のユーモアで事態を乗り越えていくワトニーの姿と魔理沙の姿を重ね合わせるのです。
『魔界の人』を制作した折葉坂三番地さんの作品にはほかにも魔理沙を主人公格に据えた作品がたくさんあり、妖怪や神がひしめく幻想郷の中にあって魔理沙は知恵や工夫で数々の怪異や困難と渡り合っています。そうした精神性がワトニーと魔理沙の共通点なのです。『火星の人』『魔界の人』この両方を読めば、ワトニーと折葉坂三番地作品における魔理沙のメンタリティはごく近いことに気づけるでしょう。
二次創作においては、キャラクターの性格やメンタリティがある一方向にデフォルメされ、それが二次創作上におけるキャラ像として定着してしまうことがあります。一次創作においてもキャラクターの性格やメンタリティがストーリーの都合や作者の趣味などに引っ張られてしまうことがあるものです。
しかし本作における魔理沙のワトニーと共通したメンタリティは決して『火星の人』と東方Projectとのクロスオーバーというシチュエーションに引っ張られてできた急拵えのものものではなく、これまでの折葉坂三番地作品の中で、ひいては作者である銅折葉氏の中で時間をかけて醸造された”霧雨魔理沙像”であることは強調しておきたい、そう思います。
5.ふたつの「換骨奪胎」
創作技法の中には、「換骨奪胎」というものがあります。辞書を引くと換骨奪胎には
「古人の詩文の主意をとって組み立てや外形を変えること」(引用:東京法令出版・現代人の国語辞典)
とあります。
クロスオーバー元の『火星の人』は上下巻合わせて640ページという大きなボリュームのある作品ですが、『魔界の人』では要所要所の盛り上がりをうまく抜粋して「この流れで舞台が魔界、キャラが魔理沙ならどうするか?」という換骨奪胎を行いつつ、約130ページのコンパクトな物語にまとめています。
『火星の人』にはいくつかの見せ場があります。その中でも『魔界の人』で大きなイベントとして取り上げられているのが「外部への通信に成功する」というシーンです。
『火星の人』ではかつて火星に送り込まれていた無人探査機「マーズ・パスファインダー」を回収・修復することで地球との通信に成功します。いっぽう『魔界の人』では、かつて魔界にいた白蓮が残していた星蓮船の破片、つまり「飛倉のかけら」を幻想郷側との通信手段として配置しているのです。
本作を読んでいて個人的にいちばん大興奮したのがここでした。いやー、「ここでこの要素をこう使ってくるか!」ともう最高にテンション上がりました。
そして、これに重ねて巧いと思ったのが、この「幻想郷側との通信手段を見つけなくてはいけない」という状況を切迫した問題として成立させている点です。
現実世界が舞台である『火星の人』に対し、東方Projectの世界は神や妖怪が当たり前にいる世界です。そのため、『火星の人』における「地球との通信ができない」という問題も東方Projectの世界観では魔法や紫のスキマといった方法であっさり解決できてしまい、物語構造における解決すべき問題として機能しなくなってしまいます。
『魔界の人』ではこの点も、「魔理沙が魔界に飛ばされたことはわかっていても、あまりにも広大な魔界の中で正確な位置が特定できないから下手に動けない」「スキマで助けに行けるなら魔理沙が魔界へ転送されたことが発覚した時点でそうしている」といった理由付けを行っています。
さらに、二次創作設定・解釈的な魅力を伴う理由付けとして「魔理沙の現在地は魔力の源となる魔素が極めて薄い場所なので強大な魔力を必要とする大魔法は使えない」「強大な魔力を帯びた存在であるアリスやパチュリーといった『種族魔法使い』が魔素がゼロに等しいこの場所に来たら一瞬で干からびてしまう」という理由付けも行っています。
私は、創作では一次・二次関係なく「すべての物事に納得行く理由付けをしようとすると作品は確実に作れなくなるので、納得行く理由付けを行う部分は厳選する必要がある」と思っているのですが、『魔界の人』においてはまさにこの「魔界に飛ばされた魔理沙をあっさり助けられない理由」がそれに当たります。物語構造の最小単位のひとつが「問題の発生とその解決」なので、この形が崩れればそもそも作品自体が成立しなくなってしまいます。作者である折葉氏もこの点にもっとも苦心したそうです。
もうひとつ、本作には物語構造とはまた別の「換骨奪胎」があると感じています。それは、魔理沙が限られた方法で可能な限り生命を維持するための方法として実行した寄生植物”ナラクカケラ”を自身の肉体に寄生させる場面。ナラクカケラ寄生後の魔理沙の様子は手記の形で語られるのですが、そこには神の視点による明確な描写のない「手記」という形だからこそ恐ろしい、自我が不安定になっていく様子が読み取れる、かなりホラーなシーンでした。この「自身がだんだん別のものに成り代わっていく」というのがまさに文字通りの「換骨奪胎」で、個人的にかなり怖かったです。
この試みによって魔理沙は生命を維持できる期間を無理やり延長することに成功しますが、今度は時間経過に従ってナラクカケラの寄生が進行していくというリスクを抱え込むことになります。結論から先に言うと魔理沙はナラクカケラに肉体を侵されつつもなんとか幻想郷への帰還に成功し、寄生させていたナラクカケラも取り除かれます。しかし、最後の方で魔理沙の肉体が一から再構成されたかのような匂わせもあり、読んでいてぞっとしました。
6.終わりに
本作の面白さは、まずなんといっても”キャラ×キャラに限らないクロスオーバー”だと言えます。
これは一見変化球のように思えますが、そもそも二次創作の面白さのひとつが「原作のこのキャラがこういうシチュエーションに放り込まれたらどうするんだろう?」なので、本作はストレートに二次創作の魅力を追求した作品だと言えるでしょう。
折葉坂三番地さんは本作以外にも東方×ガサラキの『餓沙羅幻想』、東方×刃牙の『海の皇』、東方×るろうに剣心の『維新悪路怪奇譚 無頼刃』など、一見意外な、しかし読んでみると十分に納得できる組み合わせのクロスオーバー作品を多数執筆されていますので、「クロスオーバー作品の面白さを知りたい!」という方はぜひ手にとってみてはいかがでしょうか。
作品情報
作品名:
魔界の人サークル名:
折葉坂三番地作家名:
銅折葉Twitter:
https://twitter.com/domioriha公開先URL:
https://oruhazaka.dojin.com/infoblog/%e6%96%b0%e5%88%8a%e8%a9%b3%e7%b4%b0-13銅折葉さんより、ひとことコメント:
このたびは素晴しい書評をいただき、まことにありがとうございます。もし広大な魔界に1人取り残された魔理沙の奮闘にご興味をもっていただけたなら、お手にとって頂ければ幸いです。
『魔界の人』は公開先URLよりPDF形式で無料配布しております。