高村蓮生の「幻視探求帳 ~ Visionary eyes.」第五回:後戸のゴルディアス
幻想考察コラム:取り扱う内容は筆者の個人的な妄想を含む東方二次創作であり、公式の見解とは無関係です。
初めましての方は初めまして。そうでない方はお久しぶりです。高村蓮生と申します。このコラムで取り扱う内容は個人的な妄想を含む二次創作であり、公式の見解とは無関係です。数ある解釈のひとつとしてお楽しみいただければ幸いです。
後戸のゴルディアス
摩多羅隠岐奈は秘神です。「あらゆるものの背中に扉をつくる程度の能力」を持ちますが、自分の背中は見えないのでそんなことをされても困るだけですね。“究極の絶対秘神”と言いながら“威風堂々たる神秘”というのは、目立っているのかいないのか分かりません。目立ちたがり屋ではあるのでしょう。
BGMは、天空璋6ボスとしての『秘匿されたフォーシーズンズ』、EXボスとしての『秘神マターラ ~ Hidden Star in All Seasons.』があります。基本的には隠れた存在である点が強調されていますね。隠れられると正体がわからないので、困ります。
では、そんな摩多羅隠岐奈というキャラクターを構成する要素から解いていこうと思っても、あちらを解けばこちらが絡むといった具合で、なかなかすっきりとはいきません。さすが究極の絶対秘神。というわけで、絡まったものは絡まったまま扱ってしまいましょう。
触っていればそのうちどうにかなります、たぶん。またいつもの怪しい話です。
まちがいさがし、かくれんぼ
いきなりよくわからない図ですが、図Aと図Bが違うことはご理解頂けると思います。ですが、この図だけではどちらが間違いで、どちらが正しいかはわからないでしょう。当然です。作った本人が決めていないので。
ふたつの図のうち、青いハート以外は位置が変わっていないので、AからB、もしくはBからAと、青いハートの位置が変化した様に見える筈です。どちらの図が時間的に先かは決めていないため、どちらが先でも構いません。いずれにせよ、変化が確認できれば十分です。
私たちは世界の変化を見つけることで「いま」と「さっき」を区別します。つまり、時間が経ったことを理解するということです。分かりやすいところでは、アナログ時計の秒針を見ることで、一秒刻みに時間が経過していると思うわけですね。もうすこし気の長い話をすると、花の種を植えて、芽が出てふくらんで、花が咲いたらじゃんけんぽんをするわけですけれど。
物質にはデュナミスという状態とエネルゲイアという状態がある――と、昔のアリスっぽい名前のえらい人が言いました。デュナミスは可能態、エネルゲイアは現実態と訳されます。物事には植物の種のように目に見えない可能性が含まれており、それが実現されることで現実態となり、観測できるようになります。そして可能性が実現され尽くすとエンテレケイアという状態になるそうなのですが、まあそれはそれ。
私たちは変化する世界を見て、この世界を動かしている何らかの力の存在を確信する筈です。そしてそれらに名前をつけます。例えば時間であったり、太陽であったり、月であったり。復讐なんてのもいますね。ピュアかどうかは知りません。
単純な力は分かりやすいです。物を押せば動くので、それを触ったり実験することで科学が発展します。ピサの斜塔から玉を落としてみたり。同様に、触れることも目に見えることもできない怪しい力についても知識を求めていくわけです。一般にそのような力を魔力、そして魔力に関する知識をオカルトと呼びますね。
幽冥事と顕露事
目に見えない力については、日本神話の中でも有名な話である「国譲り」の神話にその類型を見ることが出来ます。ここでは、国を譲る側である大国主命が冥界に隠れ、国の運営を表立って行うのは天孫である瓊瓊杵尊の勢力になります。では、大国主命は完全に姿を消してしまったのかと言えば、出雲の地において目に見えない幽冥事を司る存在になったと解釈できます。
人が生まれ成長し死んでいく過程は、人の力で進めるわけではありません。鳥獣や植物の営みもまた、人の業によるものではありません。そういった自然の変化は、隠れた神が司っていると考えられていました。人が干渉できるのは、目に見えないエネルギーが目に見える部分に作用するタイミングしかありません。結果として、目に見える部分が政治や軍事といった形で現れていると解釈できるわけです。
似たような国家運営は大和朝廷以前にも見られるものであり、一例としてヒメ・ヒコ制が挙げられます。神社の祭神が〇〇ヒコ・〇〇ヒメであるような場合が分かりやすいでしょうか。相模国一之宮である寒川神社の祭神は、寒川比古命・寒川比女命です。共同体のうち霊的な部分をヒメが、軍事的な部分をヒコが担う二重統治体制となりますね。
武蔵国一之宮(または三之宮)である、大宮氷川神社の祭神は須佐之男命・稲田姫命・大巳貴命の三柱ですが、もともとは須佐之男命の氷川信仰だったらしいです。そこからさらにさかのぼれば、本来の地主神はアラハバキであり、それを抑え込むために須佐之男命を鎮守として祀ったとか。ここでも、幽顕二つの力を使って統治していると言えるでしょう。
もとから居た神、あとから来た神
西洋に目を向けると、似たような話として「ゴルディアスの結び目」の話が挙げられるかもしれません。有名な話なので、ご存知の方も多かろうと思います。
神託により貧農から王になったゴルディアスが、自分の荷車を樹に結びつけ神に捧げて「この結び目を解いたものはアジア(アジアとは言ってない)の王になるだろう」と予言した数百年後、通りかかったイスカンダルが剣で結び目を真っ二つに切って、その後アジア(アジアとはry)の王になったとかなんとか。
ここでややこしいのは、ゴルディアスも別にもともとその国にいたわけではないということですが、まあ誤差です。人間は似たような話をくっつけて一つの新しい話にしてしまうことがよくありますので。元々フリギアの王都ゴルディオンがどうやって出来たかなんて分かりませんし、アレクサンドロス三世だって結び目を切ったりせずに解いたという説もあります。それでもこういうタイプの話が伝わっているということは、この話を通じて伝えたいことがあったと考えるべきでしょう。ヘラクレスとアキレウスの二人を祖先に持つ大英雄アレクサンドロス大王はものすごい有名人なので、丁度良かったんでしょうね。
つまり、その場所に元々住んでいる人たちがいて、彼らの持つ共同体の関係性に由来する権力(幽冥事・結び目)があり、それを征服者が明快な手法(顕露事・武力)で手に入れたという構図です。いや、どうでしょう。これだと物事を簡単にしすぎている気もします。
さておき、人間の集団があれば征服したりされたりするわけです。マケドニアからインダス川西部とまでは言わずとも、日本列島の端から端まで征服した家系もまたあるわけですし。
月夜見は月にいる
月夜見、月読命といえば天照大神、須佐之男命と並んで三貴子と呼ばれたりするわけですが、びっくりするくらい情報が少ない神でもあります。そして、月読命を祭神とする神社も少ないです。天照大神も須佐之男命もたくさん祀られている神社があるんですけど……なんででしょうね。秦氏の神社である松尾大社に摂社として月読神社があることから、きっと秦氏と関係のある神様だろうという気はするのですが。わかりませんね。
秦氏の神社といえば月読命よりも、稲荷神社、宇迦御魂の方が有名です。五穀豊穣に繋がる農耕技術を持つ渡来人であり、その他にも様々な外来の知識や技能を伝えたであろうことは想像に難くありません。機織りなんかはその分かりやすい例でしょう。あとは稲荷を鋳成と読んで製鉄に結びつけてみたり。お稲荷さんの御利益が多岐に亘るのも、それだけ秦氏の影響力が大きかったという証左でしょう。
落語なんかでたまに聞く「伊勢屋、稲荷に犬の糞」という言い回しは、江戸のそこいら中にありふれたものという意味ですが、それほどまでにお稲荷さんは民衆に親しまれていました。キツネかわいいからね。コンコンきーつね。いや、稲荷と言っても荼枳尼天由来の豊川稲荷系のキツネは実はジャッカルだったりと、一筋縄ではいかないのですけど。中国にジャッカルはいませんからね。
それはさておき、三貴子にはさまざまな見立てが可能です。天照大神は言うまでもなく天皇家ですが、月読命と須佐之男命は誰でしょう。例えば、豪族が乱舞しそうな組み合わせとか。月読命が語られないのは、月”黄泉”で血脈の途絶えた天皇家だからとか。神は氏族に紐付けられて語られることが多いのですが、月読命と秦氏に関係があったとして、それならなぜ、稲荷社は広まり月読社は広まらなかったのか。
もしかしたら広めなかったのかもしれない。つまり、月読命は秦氏が日本に渡ってくるときに意図的に伝えなかったのではないか。もしくは伝えることを許されなかったか。なんて邪推してしまうわけです。つまり月夜見はまだ大陸にいる可能性が。あるかなぁ? まあ、月は中華王朝ですし。
話を戻しますと、秦氏=秦帝国の末裔説を採用するなら、『桃花源記』に出てくる所謂「桃源郷」の住人もまた、秦の時代に隠れ里に移り住んだ人たちであり、里には秦氏の神がきっと祀られていたことでしょう。多分道教的な祭祀で。いるのかなぁ、月夜見。話戻ってませんね。
幻想郷も今迷い込んだら、わりと桃源郷的な扱いをされます。幻想郷と桃源郷の区別はどうやってつけるかと言えば、二度と辿り着けないのが桃源郷で、二度と戻ってこられないのが幻想郷です。知りませんけど。
後戸は井戸にある?
ではいよいよ、摩多羅隠岐奈の正体に迫ってみましょう。と言っても、世界のどこかに隠された真実を暴くといった話ではありません。むしろ、どうやって自分の中に威風堂々たる神秘を作り出すかという話になります。真実は主観の中にあるのですし。
突然ゲームの話をしますが、真・女神転生Ⅳにおいて秘神キンマモンは、特殊合体によってのみ生み出されます。レシピは精霊シルフ+精霊サラマンダー+精霊ノーム+精霊ウンディーネの四体合体です。四大精霊を季節に当てはめると春夏秋冬が揃って、まるで秘匿されている何かのようですね。では、秘神“摩多羅隠岐奈”を作るレシピはどのようなものでしょうか。
悪魔合体の基本にのっとり、ここは素直に摩多羅神と翁の二体合体を考えてみましょう。まずは翁ですが、こちらは胞衣の神だとされています。人と一緒に生まれてくる人以外の物、有り体に言えば羊膜やらへその緒やら胎盤やらの諸々です。胎児が生まれてくるまでの間に必要不可欠な器官であり、オカルトの塊ですね。生まれてきた子供の影であると考えられることもあります。これを家の土間に埋める(家人に踏ませる)と、親の言うことを聞く子供になるとか。影踏み、呪術ですね。成長、生命力、変化といったキーワードが関わってきそうな感じです。
次に摩多羅神ですが、こちらは仏教外部の神です。仏教は仏のみで出来ているわけではありません。仏教伽藍を守ってくれる外部の存在がなければ、その形を保つことは難しいでしょう。摩多羅神とは、仏教と外部との関係を人と胞衣の神の関係に擬(えて、翁面で表現したものなのかもしれません。混沌とした変化の可能性を、翁面という器で制限したと言えるのかも。力に名前を与えると扱いやすくなります。知らんけど。
そういう点では秦河勝という人物も、摩多羅隠岐奈本人というより、可能性の塊である翁、摩多羅神を人の形に留める拘束具と言えるかもしれません。あれ、これってエヴァの話でした?
ともあれ、こうして摩多羅隠岐奈っぽいものが出来上がりました。摩多羅神周辺の複雑怪奇な関係図を解きほぐすのではなく、関係図全体を摩多羅神であると扱うことで、その機能が観察出来るはずです。機能から辿ることで、なんとなく輪郭が見えてくる気がします。
どんな器に注いでも損なわれない本質、摩多羅隠岐奈の機能とはつまり物事を変化させる力です。それは時に、妖精のような自然の変化という形を取るかもしれません。人に対して適用した場合は(『デミアン』の有名な文章ですが)常に自らの世界を破壊し新たな世界へと飛び立つ、未知を既知に変え続けるーーというムーブになるでしょう。
後戸の世界とは、未知を既知に変えようとする”人の本能”が詰まった世界と言えるでしょう。好奇心の源泉であり、人が活動する原動力となるものがまさにそこにあるはずです。
個人を越えて家という単位になった場合ですが、家の後戸にはどうやら座敷童がいるようです。家を取り回す際の原動力(座敷童などの使用人)は、後戸の世界と相性が良さそうです。さらに家を越えてクニとなると、後戸の世界には地主神がいるでしょう。王都ゴルディオンはゴルディアスの名を冠することで神と共に結実し、アレクサンドロス三世によって収穫されたわけです。そして国を越えて天下となると、そこには幽世大神がいるはずです。その神はひょっとしたら国を奪われた怨霊という荒御魂の形をとるかもしれず、常に慰霊を必要とするかもしれません。まつりごととは神の御霊を祀ることなわけですね。
生成・変化という話になると、大体はイドとスーパーエゴとエゴの形を取ります。原動力としての意志を理性によって制御し、自我として形作ることで生きていくわけですね。人は時に理性に偏重し、自らの基盤である意志を蔑ろにしがちです。角を矯めて牛を殺すという諺もあることですし。時には自らの意志を肯定し、好奇心に身を任せるのもありかもしれません。
意志とは世界を生み出す力であり、目に見える世界を広げていくことで、いずれは幻想郷を創造することだって出来るかもしれません。それがみんなの知ってる幻想郷である保証はありませんけど。
……いや、みんなの知ってる幻想郷って、なんでしょうね? たとえ世界を作ったとしても、誰に引き継ぐかで違う世界になってしまいます。ゴルディアスは上手くやりましたが、さて。
高村蓮生の「幻視探求帳 ~ Visionary eyes.」第五回:後戸のゴルディアス おわり