東方我楽多叢誌(とうほうがらくたそうし)は、世界有数の「同人」たちがあふれる東方Projectについて発信するメディアです。原作者であるZUNさんをはじめとした、作家たち、作品たち、そしてそれらをとりまく文化の姿そのものを取り上げ、世界に向けて誇らしく発信することで、東方Projectのみならず「同人文化」そのものをさらに刺激する媒体を目指し、創刊いたします。

     東方我楽多叢誌(とうほうがらくたそうし)は、世界有数の「同人」たちがあふれる東方Projectについて発信するメディアです。原作者であるZUNさんをはじめとした、作家たち、作品たち、そしてそれらをとりまく文化の姿そのものを取り上げ、世界に向けて誇らしく発信することで、東方Projectのみならず「同人文化」そのものをさらに刺激する媒体を目指し、創刊いたします。

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「ニコ動でも例大祭みたいなことをやれたらいいなと」―東方ニコ童祭代表・luno.氏インタビュー(前編)

東方ニコ童祭代表・luno.氏インタビュー

 2009年から始まった東方ニコ童祭は、毎回数百本の東方Projectに関する動画が投稿される、ニコニコ動画を代表する東方のイベントです。

 今回は、ニコ童祭第1回からの中心人物であり、ニコニコ動画の初期から東方動画を見続けてきたluno.さんをお迎えして、東方ニコ童祭が始まった経緯、ニコニコ動画と東方Projectの関係、東方動画の広がりの歴史などについてお話しいただきました。

聞き手/斉藤大地・西河紅葉・myrmecoleon
文/myrmecoleon

luno.ルノドット @lunopunzer

東方ニコ童祭主催。東方二次創作に関しては雑食で動画も漫画もアレンジも幅広く楽しむ。
ニコニコ動画黎明期に、東方二次創作動画を紹介する「文々。動画」を投稿した。

 

東方Project・ニコニコ動画との出会い「『東方文花帖』はわたし的にはバイブル」

――luno.さんが東方Projectを知ったきっかけはなんでしたか?

luno.:
 2003年のパソコン雑誌「TECH WIN」でした。特集記事で東方Projectが特集されてまして、ゲームの体験版も付属していました。(※1)

 当時は家庭にインターネット環境が無かったので、その都度パソコン雑誌を買って遊んでいたんです。そのうち一つに東方Projectの体験版があった、ということです。

 そのときはそこまでハマるということは無かったんですが、そのあと大学でコンピュータサークルに入ったんです。そしたら、そこの人たちがみんな東方Project大好きで。

「お前もやってみろ」ということで、そこで東方の製品版をようやくやりました。2004年で、「東方永夜抄」でしたね。そこから少しずつハマっていった、という感じです。

(※1)2000年代前半にはフリーゲームやゲームソフトの体験版がパソコン雑誌の付録CDに掲載されていることがよくあった。「TECH WIN」2003年7月号(エンターブレイン刊)には「東方妖々夢」の体験版が収録されている。

――その頃に博麗神社例大祭(以下、例大祭)などの同人誌即売会には参加されていましたか?

luno.:
 九州に住んでいたので全然行けなかったです。当時は東方Projectといっても原作ゲームだけ遊ぶっていう感じで、二次創作の文化に触れる機会はありませんでした。東方Projectがゲーム以外にもいろんなものが出てるのを知ったのは、ニコニコ動画で東方の二次創作動画を見てからです。

 東方の「ゲーム以外のいろんなもの」のひとつに『東方文花帖』という書籍(※1)があるんですけど、わたし的にはバイブルみたいな存在です。

 ゲームを遊んだときはただのシューティングゲームとしか見てなかったんですけど、『東方文花帖』を読んでから、東方Projectってたくさんのキャラクターたちがいて、こんな風な会話をしてるんだな、って。

 一気に東方Projectの世界が広がって、ハマっていきました。

(※1)『東方文花帖 ~ Bohemian Archive in Japanese Red.』(一迅社, 2005年8月)。商業出版物の東方Projectのファンブックとしては最初期のもの。前半は架空の新聞記事と東方キャラクターの会話、後半は同人作家によるアンソロジーコミック、原作者ZUN氏のインタビューが掲載されている。本書のゲームパートとして同名のゲームも頒布されており、そちらでは射命丸文が主人公を務める。

――ニコニコ動画を知ったきっかけはなんでしたか?

luno.:
 ニコニコ動画はサービスが始まった当時から2ちゃんねるで話題になっていて、スレッドにURLが貼られた動画などを見ていました。(※1)

 ニコニコ動画(γ)は、始まったら我先に見てやろうと、すぐ登録しましたね。(※2)

 当時は東方動画を中心に「魔理沙は大変なものを盗んでいきました。」などIOSYSのFlashやはんどぅさんの東方動画を一日中張りついて見ていました。(※3)

 東方以外だと、ドラゴンクエストやマリオの実況プレイ動画を見ていた記憶があります。ニコニコ動画の東方動画は、(春)から(夏)(※当時のニコニコ動画のバージョン名)くらいまで、全体的には過去にほかの方が作成した動画の転載が多かった印象です。「Coolier」(※4)の「謎の人」と当時呼ばれていた作者さんの転載動画などがランキングをにぎわせていました。

 そのほかに、個人サイトで公開されていた動画・Flash作品、同人イベントなどで頒布されていた作品の転載などもありましたね。有名なものでは同人ゲームの「東方サッカー」(はちみつくまさん制作の東方Projectの二次創作ゲーム)のゲームムービーがよく転載されていました。

 東方以外ですとランキング動画(※5)を参考に「レッツゴー!陰陽師」や「ニコニコRPG」、「組曲『ニコニコ動画』」などを見ていました。

(※1)2ちゃんねるは現在の5ちゃんねるの旧称。ニコニコ動画の企画にはかつて2ちゃんねる管理人だったひろゆき氏も参加しており、2006年12月の公開直後にひろゆき氏が2ちゃんねるでスレッドを立てたことでニコニコ動画の知名度が上がった。

 

(※2)ニコニコ動画はYouTube等の動画にコメントを重ねるサービスとしてニコニコ動画(仮)が2006年12月リリース、翌2007年1月にニコニコ動画(β)としてアップデートされ、この頃に非常に注目された。2月にYouTubeからアクセスを禁止されたことで一旦終了し、動画投稿サービスの「ニコニコ動画(γ)」として改めてスタート。会員登録制となり、当初は会員番号によって見られる時間帯が制限されていた。

 

(※3)はんどぅさんはニコニコ動画最初期の東方手書き動画作者。アニメ「らき☆すた」放送直後に投稿された東方キャラによる手書きMAD「ばか☆すた」、既存の楽曲に合わせて手書きイラストでストーリーを展開する「東方発情祭」(現在は削除されている)などが有名。

 

(※4)Coolierは当時からある東方ファンのコミュニティサイト。東方の二次創作を投稿できる掲示板やアップローダなどがある。

 

(※5)ニコニコ動画のランキング動画では「週刊ニコニコランキング」が有名。2007年5月から継続してニコニコ動画上でその週によく見られた動画をランキング形式で紹介している。「レッツゴー!陰陽師」はβ時代から人気があり、γスタート時最初に公式に投稿されている。「ニコニコRPG」は2007年9月頃からRPGツクール2000で当時ニコニコ動画で流行していたキャラクターをモチーフにSDさんが作った自作ゲームのプレイ動画で人気(現在は削除)。「組曲『ニコニコ動画』」は当時ニコニコ動画で人気のあった楽曲のメロディをつなげた打ち込みメドレー。いずれもニコニコ動画の初期を代表する人気動画。

――luno.さんは「文々。動画」(ぶんぶんまるどうが)を2007年12月から投稿しています。これをはじめたきっかけなどあれば教えてください。

「文々。動画」は2007年12月から2009年にかけて最初のシーズン、2009年末から2012年にかけて「文々。動画 ~Bohemian Archive in niconico. 」が投稿されている。

luno.:
 (夏)以降、はんどぅさん以外の東方の手書き動画や二次創作動画をちらほら見かけるようになって。でも、まだ当時、東方のジャンルでランキング動画や紹介動画がなく「もったいない」と感じていました。

 誰もやらないなら自分で作ってやろうと無謀にも挑戦したのが「文々。動画」です。

――「文々。動画」という発想は、どこから来たんでしょうか?

luno.:
 ただ紹介してもつまらない、というのと、東方のキャラクター同士が掛け合いをする、原作の戦闘前の会話のようなものを再現したら面白いかな、と思って作りました。『東方文花帖』がすごい好きだったので、動画でキャラクター同士が掛け合いをするようなところは『東方文花帖』を参照しながら作ってたというのがあります。

 動画制作についてはまったく未経験で、どうやって作ったらいいのかわからなかったので、ニコニコ動画に投稿されていた動画制作をレクチャーするような動画などを参考にしながら試行錯誤して、がんばって作りました。

 

ニコニコミュニティから生まれた東方ニコ童祭 「ニコニコ動画でも例大祭みたいなことをやれたらいいなと」

――2008年7月にluno.さんは「『東方Project』動画制作者コミュニティ」を開始されています。(※1)

luno.:
 その当時の東方動画界隈って、作品がいっぱい投稿されているのに、あまりユーザー同士が交流する場がないなと以前から思っていて。「ニコニコミュニティ」のサービスが始まったから、それなら作ってしまおうかと挑戦したのが「『東方Project』動画制作者コミュニティ」です。コミュニティにはいろんな動画制作者さんが集まって、本当に嬉しかったですね。

 また「東方手書き作品 作者コミュニティ」(※1)が同時期にできて、東方手書き劇場の作者さんは東方手書きコミュニティに、それ以外の、MADや音楽アレンジなどを作る方などは「『東方Project』動画制作者コミュニティ」に集まって棲み分けた印象です。のちほどアレンジをメインとするコミュニティなどもできました。

(※1)「ニコニコミュニティ」は2008年7月にニコニコ動画の新バージョン「ニコニコ動画(夏)」の開始とともに追加された新サービス。ニコニコ動画の会員が参加できるコミュニティサービスで、掲示板などの機能がある。また、ユーザーによるニコニコ生放送はこのニコニコミュニティを通して行う仕組みになっている。「『東方Project』 動画制作者コミュニティ」

 

(※2)「東方手書き作品 作者コミュニティ」は東方Projectを題材とした手書き作品を中心とした動画制作者のためのコミュニティ。「『東方Project』 動画制作者コミュニティ」と同じくニコニコミュニティのサービス開始時に作られたが現在は閉鎖されている。立ち上げのオーナーはなるがみさん(東方我楽多叢誌インタビュー)。

――投稿数でみると東方手書き劇場タグの動画は2007年12月頃から増えていきます。当時の印象や、東方の同人即売会とコミュニティとの関わりはありましたか。

参考グラフ。myrmecoleon作成。
データは2021年3月に収集。ニコニコ動画で「東方」タグのついた動画のうち、「東方手書き劇場」「東方自作アレンジ」「実況プレイ動画」「東方MMD」のタグのついた動画の投稿数の月別推移。データ収集時点で「東方」タグのない動画、削除された動画は含まれていない。以下同じ。
「東方手書き劇場」タグの動画は2007年後半に入って継続的に投稿されるようになり、2008年中を通して大きく増加する。
ニコニコミュニティの登場はこの間の出来事である。同時期に並走して投稿が増加してるタグとしては「東方自作アレンジ」(東方関連楽曲のオリジナルのアレンジの動画)・実況プレイ動画(プレイヤーの音声つきのゲームプレイ動画)がある。後述のMMD動画は2009年に入って現れはじめている。

luno.:
 東方手書き劇場は2007年の冬頃から少しずつ増加していき、2008~09年辺りでピークを迎えていたんじゃないかと思います。その盛り上がるきっかけとなったのが、「東方手書きコミュニティ」や動画制作者コミュニティでした。

 作者同士の交流が生まれたことで、コミュニティが徐々に形成されていったんです。

 私自身、当時は同人誌即売会には参加していませんでした。けれど、ニコニコ動画の外の東方コミュニティの声は聞こえていて、当時の東方界隈はニコニコ動画に対してあまり良いイメージを持っていなかったと思います。

 同人誌即売会で頒布している作品が無断で公開されていたり、二次創作のネタとしてキャラクターを貶すものや、すでに使い古されているネタで盛り上がっている……と見られていたのかなと。いま、YouTubeの動画でニコニコのネタを使っていることに対して思うような違和感が、当時ニコ動の外の東方界隈の人たちにはあったんじゃないかなと思ってます。

 ニコ動で東方動画を作っていた人たちも、これが最初の創作の第一歩だった、ニコ動から二次創作を始めたという人が多かった印象です。わたしもそういう人の一人で、ニコニコ動画で東方を知り、のちに同人誌即売会に参加しました。そんなケースの人が当時は多かったですね。

――ニコニコ動画出身の東方作家さんが、リアルのイベント、例大祭などにも出るようになり「ニコニコ動画はものを生み出すコミュニティなんだ」というのを認めはじめたのが、2008~09年の時期でしょうか。

luno.:
 まさにそんな感じですね。「ニコニコ動画の東方界隈」というものが形作られていて、それが外に持ち出されるようになり、お互い行き来するようになりましたね。

 「ニコニコ動画は無断転載が多い」といったイメージから、ちゃんとした二次創作者もいるんだよ、ということが知られ始めたんじゃないかなと思っています。

――東方ニコ童祭の第1回が2009年9月26日に開催されます。東方ニコ童祭の企画はどのように決まっていきましたか?

東方ニコ童祭の告知動画。動画中では参加する作者が提出した「サークルカット」とともに参加者が紹介されている。

luno.:
 動画制作者のコミュニティの掲示板で、ニコニコ動画でも例大祭みたいなことをやれたらいいなと盛り上がったのが、東方ニコ童祭のきっかけです。最初の運営4人は動画制作者コミュニティのメンバーで、4人で具体的な運営について話し合いました。

 わたし自身、東方動画の企画の運営をどのようにやったらいいかまったくわからなくて、ほかのジャンルの企画などを参考にしましたね。アイドルマスター(※1)の動画投稿の企画などが当時いっぱいあって。それらを参考にしながら進めていきました。タグロックはこうするのがいいのか、とか。

 その一方で、東方Projectの動画投稿イベントらしさを出したくて、参考にしたのが例大祭などの同人誌即売会です。同人誌即売会ではカタログで事前に参加するサークルを公開していますよね。それをニコ童祭でもやりたくて、参加宣言というシステムを作りました。参加者みんなが「サークルカット」を投稿して、動画にまとめて公開して、「こんな作者が参加するんだよ」というのをみんなに伝えてからイベント当日を迎える方法をやってみたかったんですね。

(※1)「アイドルマスター」はニコニコ動画初期から現在に至るまで非常に勢いのある動画投稿のコミュニティとなり、「ニコマス」と通称されている。
初期の動画投稿イベントでは、2007年11月以降何度か開催されている「iM@S KAKU-tail Party」(テーマに合わせた短い動画を募集し、メドレー形式で公開するイベント)などが有名。大規模な例では、2008年6月に開催された「24時間アイマスTV!~みんなまとめてアイドルマスター~」で数十名の作者が動画投稿をつないで24時間のテレビ番組風に演出する企画が実施されている。

――第1回の東方ニコ童祭を開催した感想などはいかがだったでしょうか。

luno.:
 第1回は400本近くの動画が投稿されていたと思います。こんなに投稿されるとは本当に思っていませんでした。第1回が一番、ニコ動のランキングをジャックしていた印象ですね。

 当時は動画投稿企画を東方でやること自体、いい印象を持っていない方もちらほらいました。開催告知動画は荒れてたりもしたんですよね。ちゃんとやれるか不安だったんですが、結果はたくさんの人が参加してくれることとなって、良かったなと。

ニコニコ動画公式のランキングアーカイブスより引用。
当時のデフォルトだったデイリー・マイリスト登録数のランキングを再現している。トップ10のうち5本は東方ニコ童祭で投稿された動画。以下にも東方ニコ童祭関連の動画が多数含まれる。

――荒れた、という話だと、当時「幻想入りシリーズ」(※1)で「東方」タグを外す動きもありました。そうした議論のあるところも、東方ニコ童祭は当初から受け入れていた印象があります。

luno.:
 懐かしいですね。私としては、東方の二次創作には変わりないので、のけものにする必要は無いかなと思ってた感じですね。なんで外すかっていうのもあまりイメージできなかった。誰でも参加できる、というところは例大祭と同じようなスタンスだと思ってるので、みんな参加できるようにしたかった。

(※1)幻想入りシリーズは他作品のキャラクターやオリジナルキャラが東方Projectの世界に入ったら、という設定の作品群の通称。2007年10月投稿の「東方俺が幻想入り」が草分け。東方手書き劇場等と同様に、イラストと会話でストーリーを進めるのが一般的。この形式が流行したため以降多数の投稿があったが、議論があり、当時に東方タグをつけるべきでないとする動きがあった。詳しくはニコニコ大百科の当該項目を参照。

――思い出深いエピソードや動画などは?

luno.:
 「いろんな人が投稿してくれた」に尽きますね。企画を立てるときはあまり興味を示さなかった人も、こっそり作っていて投稿してくれたり。

 みんな、なんだかんだ言って企画を望んでくれていたのかなと感じたのが嬉しかったです。

 動画だと「東方丸変化!」の合作でしょうか。ああいった企画をニコ童祭のために用意してくれたっていうのがすごい嬉しかったです。コメントアートの「ハイコートポロロッカ」もそうですね。翌年に文ちゃんの動画なども投稿してくれました。

東方の短いアニメーション映像をつないでメドレー的にした合作。BGM担当を含む17名の作者が参加している。

同人誌即売会のような、参加者みんながこのイベントに合わせて何かを作ろうという気持ちでニコ童祭にも参加してくれて、一緒に盛り上がってくれた。そうやってイベントが成功したということが嬉しかったですね。ニコニコ動画に例大祭を再現できたんじゃないかって。

――当時の動画制作者の中に例大祭への憧れがあったように思います。同人誌即売会の合同誌みたいな。

luno.:
 そうですね。わたし自身も憧れがあって企画したって感じですね。

――そこから毎年ニコ童祭が開催されることになりますが、翌年以降も続けようというのはいつ頃から考えてました?

luno.:
 第1回を終えたときには、毎年開催しようと考えてましたね。1回目が無事開催できたこともあって、例大祭のように、ニコ童祭も毎年開催できる手応えを感じました。

――第1回から現在まで、運営体制の変化などはありましたか?

luno.:
 ニコ童祭の運営は、3・4回ぐらいまでは第1回と同じようなメンバーでやっています。

 第5回の際にそれまでのメンバーだけでは回らなくなってきたと感じ、新しく「ニコ童祭の運営をやりませんか」という募集を本格的にはじめました。5回、6回、7回と経て、人数は着実に増えていきましたね。現在では20人くらいの運営体制です。運営の方針については、最終的な判断はみんなで話し合って決めています。

 第5回の頃までは私が主導でなんでもやっていましたが、それだと回らなくなってしまいました。その頃にスケジュールを管理してくれるNokiさんが新しく入って、みんながやりやすいように、いまの体制作りをサポートしてくれました。

 わたし自身がやりたいことをやっても、わたし以外の運営の人たちがやりたいことをやれないんじゃないかという気持ちもあったので、ほかの人の意見もガンガン参考にしてみんなで決めていくスタンスに変えていきました。これってけっこう大変で、議論が長引いちゃってなかなか決まらないこともあるんですけど、いまはその方法をずっと続けています。

――そういったところも同人誌即売会のようですね。東方ニコ童祭は東方のネットイベントの中でも企画が多い。例大祭でもスタッフがやりたいことを出し合って縁日などをしていて、みんなで作ってるお祭りっぽいところが似通っていますね。

 

前編はここまでとなります。中編では、週刊東方ランキングや例大祭、MikuMikuDanceといった話題についても掘り下げいきます。

「ニコ動でも例大祭みたいなことをやれたらいいなと」―東方ニコ童祭代表・luno.氏インタビュー(前編) おわり