東方我楽多叢誌(とうほうがらくたそうし)は、世界有数の「同人」たちがあふれる東方Projectについて発信するメディアです。原作者であるZUNさんをはじめとした、作家たち、作品たち、そしてそれらをとりまく文化の姿そのものを取り上げ、世界に向けて誇らしく発信することで、東方Projectのみならず「同人文化」そのものをさらに刺激する媒体を目指し、創刊いたします。

     東方我楽多叢誌(とうほうがらくたそうし)は、世界有数の「同人」たちがあふれる東方Projectについて発信するメディアです。原作者であるZUNさんをはじめとした、作家たち、作品たち、そしてそれらをとりまく文化の姿そのものを取り上げ、世界に向けて誇らしく発信することで、東方Projectのみならず「同人文化」そのものをさらに刺激する媒体を目指し、創刊いたします。

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『東方文花帖』と『東方求聞史紀』こそが、最初の東方情報・評論本なのではないか?という仮説――「幻想郷フォーラム」関係者座談会(後編)

「幻想郷フォーラム」関係者座談会(後編)

 6月25日、ポートメッセなごやにて「幻想郷フォーラム(正式には『Re:幻想郷フォーラム2023』)」が4年ぶりに開催される。その復活開催を記念して行った「幻想郷フォーラム」関係者座談会、前編では幻想郷フォーラムの成り立ちから、このイベントが与えた影響についてを中心について取り上げた。

 後編では、最初に提起した「なぜ、東方では考察が流行るのだろうか」という疑問を中心に話題を展開している。東方考察に起きたとされる「リセット」についての仮説、そこから導かれた「東方最初の考察本とは何なのか」――そして、東方について「考えることを楽しむ」という、幻想郷フォーラム、ひいては東方考察の根幹をなす概念についても語っている。

 関係者それぞれが抱く、新生した「Re:幻想郷フォーラム2023」に対する思いについても、最後に伺っている。

文・聞き手/西河紅葉

 

なぜ、東方ではこんなに考察が流行るのか?――ひとつの答えがあることを理想とした時代

――前半では幻想郷フォーラムが東方考察・発表会文化に与えた影響についてお聞きしました。後半は、東方の情報評論そのものについてお伺いします。
 この場に集ったみなさんに「何故、東方ではこんなに考察が流行るのか?」という理由について、きいてみたいです。みなさんは何故だと思いますか?

あおこめ:
 実は、第一回東方発表会の一番最初にやった、私の発表がこの内容でした。そこで話した話をしますね。

第0回合宿(前編参照)」のころ、考察する人って東方では本当に肩身が狭かったんですよ。少数派だし、「考察をしている」と言うと、ほかの人から「勝手に私の思う東方にイチャモンをつけてくる人たちなんじゃないか」と身構えられたりするような感じさえありました。

 と同時に、東方の情報・評論ジャンルで本を出されている方は、2010年あたりにデビューされている方が多いんです。Dieさんも、久樹さんもですよね。それにはなにか理由があると思っていて、原因として「リセット」があったんじゃないかと。

――リセット?

あおこめ:
 私は2007年ごろ、ニコニコ動画バブルと呼ばれるときに東方に入ったんですけど、そのころから「ちょっと前の東方はこんなんじゃなかったんだ」という昔話をする人が、結構多くて。そこでよく出ていた話題として「昔のほうが設定の食い違いに厳しかった」というのがありました。たとえば、紫・藍・橙を「八雲一家」として三人でくくると怒る人がいた、みたいな話です。

Die:
 自分の肌感覚になってしまいますが、たしかにありましたね。私もだいたい2007年位からサークル活動を始めたんですが、もともとは考察をまったくやってない、普通の二次創作漫画描きでした。漫画を描く上で設定は見ておこうという意識はありましたが、考察というほどではなかったです。

 そういうころに見に行った、東方のしたらば掲示板とか、ゲームサロン板の東方本スレだったかな? あの辺はものすごい……。

あおこめ:
 ああ、懐かしい響き。

Die:
 あの辺りにいた方々は、言ってしまうと正解を求めるタイプの人が多かったですね。私はそこに入り浸っているわけではなかったんですけど、そういう人たちがいわゆる「共通設定」を決めようとしてる時期があったのは覚えています。たしか、2006~7年ぐらいか……。

――ZUNさんが原作で出してくる設定やセリフ回し、考え方にできるだけ沿っているものにしたい、という意味合いでの「共通設定」ですね。

Die:
 あの時代に考察があったとすれば「ZUNさんが何を考えているかを解釈しよう、考えよう、突き詰めよう」とか、そういうものでしたね。

――今でいう「ZUNクラスタ」ですね。当時は、東方の設定からとにかく外れないようにするために生まれた、ZUNさんの在り方や考え方について議論することが、東方考察であったと。

久樹:
 元ネタ考察とかに近いですね。

――確かに元ネタ考察ですね。ZUNさんは何の本を読んでこの話をしているのか、とか。紅魔郷~永夜抄のころの東方はパロディーも多かったですからね、有名なところで言えば「人間は十進法を採用しました【※】」とか。
 あくまで主観的だと前置きますが、そういったことを突き詰めていく人たちに一定の発言権があるように感じられたと。ZUNさんの生み出した設定に、できるだけ忠実であることが特に好まれていた時代があったわけですよね。それ自体は面白いことですが、逆を言えばそれ以外のものが認められない時代だったと。

【※】「人間は十進法を採用しました」:『東方紅魔郷』における、ルーミアと相対した時の霧雨魔理沙のセリフ。元ネタは、ミステリー作家・森博嗣の短編『まどろみ消去』に収録された一遍「誰もいなくなった Thirty Little Indians」の一節。『東方紅魔郷』には、森博嗣氏の著作からインスパイアされた表現が多数登場している。

久樹:
 良くも悪くも、したらば掲示板や本スレの影響力が強かった時代でした。もちろん、その当時からサークルやってる人たちで「別にそんなこと全然なかったよ」って感じている方も多くいます。一方で、2007年の爆発的に東方ユーザーが増えたタイミングで入ってきた人が最初に東方コミュニティとして触れる場所が、したらば掲示板だったりとかゲサロ板の本スレだったりしていたので……。

あおこめ:
 私もそうでした。

久樹:
 やっぱりそういった「東方の設定の解釈を突き詰めて何かひとつの答えを見つけよう、その真理に至ろう」というようなイメージを持ってる方は、一部いましたね。

Die:
 あと、あの当時は今と比べて、ZUNさんの外部への露出がほとんどなかったんですよ。

久樹:
 神主の露出が減った時代ですね。今のようにYouTubeに現れるわけでもなく、二軒目ラジオをやってるわけでもない、一番神秘のヴェールに包まれていた時代だったので。

Die:
 そういった意味では、わりと神秘性が高まっていた時代だったので。ある種の神格化っていうのが強かったのが、2006年前後ぐらいまでのイメージですかね……。

――紅魔郷~永夜抄リリース当時を生きていた方の話を伺ったことがありますが、ZUNさんがmixiを始めたあたりで神秘性が生まれだしたんじゃないか、という仮説を立てられていましたね。
 2006年に新作ゲームを出さない時期があり、幻想掲示板(上海アリス幻樂団の公式ホームページにあった掲示板)が休止して、招待制でしか参加できないmixi内に「上海アリス幻樂団 幻想瓦版」ができて……露出が減ってある種の神秘性が強まりだしたタイミングに、ニコニコバブルで大量のユーザーがやってきた。
 その時期のZUNさんが一番、ファンとの距離感を測りかねていたという気もしています。

あおこめ:
 あと、そのころは原作の設定がそんなに多くなかったんで。みんなかき集めれば、一個の答えがあると思ってた時代なんですよね。2023年の今だと、原作だけに絞って集めても「これ片っ端から集めたらどんだけあるの? 絶版本だってあるよ?」となるジャンルになっちゃったので。でも、2007年当時は旧作を除けば5,6作しかないころでしたから、すべてを総合すれば「これは正解、これは間違い」って、ある程度は測ることができたんだと思います。
 あのころ自分はなかなかに治安の悪い掲示板にいたので、結構喰らいましたね……。でもそれが、ある時からピタッと止むんですよね。

――その原因は、ニコニコバブルによる大量流入?

あおこめ:
 それもあると思いますが、もうひとつがやっぱり『東方儚月抄』があったんじゃないかな……っていうのが正直な所で。

――あ~、なるほど。

『東方儚月抄』。2007年ごろより一迅社の3雑誌でそれぞれ連載された、『東方永夜抄 ~ Imperishable Night.』のその後を描いた東方Project公式のメディアミックス作品。

メインストーリーは漫画『東方儚月抄 ~ Silent Sinner in Blue.』で展開され、同じ物語の別の視点やキャラそれぞれのサイドストーリーが小説『東方儚月抄 ~ Silent Sinner in Blue.』で描かれた。4コマ漫画『東方儚月抄 ~ 月のイナバと地上の因幡』には同じ人物が登場するものの、お話はあくまで4コマギャグのテイストとなっており、ストーリーへの関わりも少ない。ZUN氏も原作ではなく「原案」という関わりになっている。画像はAmazonより引用

あおこめ:
 私は儚月抄はかなり好きな方なんですけど、当時は指をさして「はいアウト」って言う人たちがいたくらい、気に入らない人は気に入らないだろうなという作中の描写【※】が、何個もあったので……。

【※】当時のユーザーが「受け入れがたい」としていた描写の有名な例を挙げると、当時ユーザー間では最強の妖怪として認識されていた八雲紫が、新キャラである綿月姉妹と戦わずに土下座をするシーンなどがあげられた。
 このような読者と作品との乖離が発生したのは、当時東方儚月抄自体が「東方Project初の本格派ストーリー漫画」という謳い文句で売り出されていたこともあり、原作ゲームでは描かれないようないわゆる“硬派”な内容展開を一部のユーザーが期待してしまったからではないか、と筆者は推察している。

Die:
 俗に言う“ボウゲッシャー【※】”ですね。

【※】東方儚月抄を熱狂的に愛する人たちのこと。

あおこめ:
 あの儚月抄ショックが起きて、そこから「原作に忠実に」という思想に対して「でも儚月抄はこうだったよね(笑)」と水を差す流れができてしまって、そこからピタッとストップしましたね。自分の肌感覚としては、流れが一回止まって、その層全体がピタッと止まりました。
 でもあの時東方自体は、指数関数的に伸び続けていた時代じゃないですか。

――2006年にニコニコバブルが起きて、2007年に一年越しの新作『東方風神録』、2008年には例大祭の会場が池袋サンシャインシティから東京ビッグサイト西3・4ホールへと拡大します。オンリージャンルで1000スペースを越えるのは、当時としても相当な数字でした。

初回の3倍以上の出展、増え続ける参加者、大きくなり続ける会場ーー初めからずっと東方は「バブル」だった。

鈴木龍道氏、JYUNYA氏、ビートまりお氏による「博麗神社例大祭」初期、東方コミュニティ黎明期鼎談「第3回」

あおこめ:
 漫画は伸び、小説は伸び、音楽は伸び、ゲームは伸び、グッズは伸び……すべてが拡大していた時に、考察だけがピタッと止まって、空白の数年が存在してしまった。そこで「誰もやってないぞ」と気づいたみなさんが2010年ごろに動き出した、というのが真相じゃないかなと思っています。

――とても興味深い予測ですね。

 

「リセット」のその後――東方で評論って、やれるんじゃないか?

久樹:
「東方で評論ってやれるんじゃないか。」そう思うきっかけになった作品があって、それが2009年にオタクブックスさんが出された『評論東方』と、2010年に星空亭の紡さんが出された『東方幻想言論』ですね。

 これが非常にクオリティの高い評論本で、なんというか「こういう切り口の評論も、東方創作のひとつとして成り立つんだな」と、気付かされました。あの本が、そのあたりから評論ジャンルで活躍する人たちにとってひとつのきっかけになったんじゃないかなと、私は思っています。

▲『評論東方』サークル「オタクブックス」著。2009年8月16日、 コミックマーケット76にて頒布。画像は駿河屋サイトより引用
▲『東方幻想言論』サークル「星空亭」著。2010年3月14日開催、博麗神社例大祭(第7回)にて頒布。画像はまんだらけ通販より引用。 現在、星空亭のBOOTHにて続編となる「幻想言論2」が入手可能。

――同人ソムリエ、やっぱりすごい人なんですよね。私もその本、当時買ってました。

久樹:
 最近はやれていないんですが、私は昔、博麗神社例大祭のサークル名入り配置図に、そのサークルがどのジャンルでどんなキャラの作品を出しているかを明記した“色付配置図”【※】を作っていました。そこに「情報・評論」の文字が書かれたのは、2011年の第8回からなんですよね。

【※】博麗神社例大祭のサークル名入り配置図:「まいさん」という有志のユーザーが例大祭のカタログ情報をもとに制作している、各サークル名が書かれた配置図。現在でも配置図作成は行われている。

まいさんのホームページ http://www.green.dti.ne.jp/maisan/

久樹さんはかつて、サークル名入り配置図にジャンルごとの色分けマッピングを行った、通称:色付配置図を制作していた時期があった

▲画像は第13回博麗神社例大祭(2016年)のもの。この時の情報・評論サークルの数は49。

久樹:
 2009年に『評論東方』が出て、2010年に私やさまざまな方が情報評論本を出して。ちょうど2011年ぐらいには、ひとつのブロックができるくらいには東方の情報評論サークルが増えていた――という流れではあったんでしょうね。

 ただ、その時はまだ「情報・評論」と呼ばれる人たちがいるなぁぐらいの話で、横のつながりとかも全然なかったです。ここから、冒頭の合宿の話につながっていくわけですね。

――ひと回りしましたね。本当に興味深いです。あおこめさんの仮説としては、訳あって生まれたジャンル空白の期間「リセット」が起きたタイミングで、2007年ごろに新しく入ってきたファンたちがその空白に気づいて、新しい「東方考察」が始まったと。

あおこめ:
 私の仮説としてはそうなんです。

Die:
 私が考察を始めたのは、そことはまったく関係ない、本当に私的な理由ですね。

――それは何だったんですか?

Die:
 当時私は大学3年生で、研究室配属になりました。いわゆる卒論に向けて、そういう文章のトレーニングをしたいなと思っていた時期です。その当時、航空宇宙オンリーイベントの「東京とびもの学会」というものがありまして。そこである本を出して手ごたえが良かったので、これを東方でもやってみたら面白いなって思ったんです。

 私も儚月抄がそこそこ好きだったのと、(儚月抄の作中に出てくる)フェムトファイバーについて、自分の中で引っ掛かっていたところがありました。気がつくと永夜抄オンリー「月の宴」の開催が近かったので、それならここで出そうと。何気なく出したコピー誌が、かなりの反響になって……。それがわたしの考察の始まりです。

▲『繊維学で見るフェムトファイバー』:サークル「東方科学協会」著。2010年07月19日開催、月の宴3にて頒布。画像は駿河屋サイトより引用

――儚月抄は少し絡んでいますが、あおこめさんの仮説の流れとは確かに違いますね。

Die:
『繊維学で見るフェムトファイバー』の初版は、たしか2010年ですね。最初は本当に、過去の考察勢や云々とはまったく関係なく、たまたまそこでフェムトファイバーを題材として選んだだけなんです。それがきっかけで儚月抄好きボウゲッシャーたちと多少つながりができたっていう。その伝手で、その界隈の方たちに考察合同へ寄稿していただいたこともありましたよ。

久樹:
 原作の攻略情報を出している方はいましたが、それ以前に情報・評論サークルがあったかというと、多分それほどなかったと思います。作品の考察を語り合う場所のメインは、ウェブ掲示板でしたね。

 あと、昔気質のサークルの方って「考察したことは作品で語れ」っていう風潮を持っているじゃないですか。

――わかります。正直、私も昔はそのタイプでした。「そこまで考えたのなら、何故作品にしないのか?」と思っていたので。

あおこめ:
 リセットによっておなじみの場も消失し、「考察はネットでするもの」から「考察を本として出しても良い」に変わっていくわけですよね。それが実際、サークルジャンルとしては存在していなかったものが2010年ごろになって急にニョキニョキと生えてきたようにも見えて、注目を浴びたんじゃないかと思っています。

――作品に対して感じたこと、考えていることを述べるのは、あくまでコミュニケーションでしかなかったわけですよね。それがリセットされて、考察も作品のひとつだと言い切ることができるようになった。恐竜が隕石で滅んで、哺乳類が誕生したみたいな話ですね。

久樹:
 東方評論って、今までと違う切り口で作品を考察する、東方というそのものを考えようというジャンルなんですよね。だから、キャラクターや設定、シーンを深掘りするだけではなく、「その東方って何?」「あなたの考える東方とは何なの?」みたいな視野が、この時代に導入されたような感じがします。

 

答えはひとつではない――東方の最初の考察本は『東方文花帖』と『東方求聞史紀』である、という仮説

Die:
 私、多分これがなかったら考察そこまでやってなかっただろうなっていうのは、書籍版『東方文花帖』『東方求聞史紀』なんですよね。

『東方文花帖 ~ Bohemian Archive in Japanese Red.』。2005年8月11日刊行の、東方Project公式による商業ファンブック。幻想郷のブン屋(新聞記者)射命丸文の手帳「文花帖」を題材にしている。

 前半は射命丸文の発行した新聞「文々。新聞」のページと、その新聞の内容について文と記事対象が会話する、という構成。後半はアンソロジーコミックと、ZUN氏へのインタビューが載せられている。原作における射命丸文の初登場はこの書籍であり、その一年後にゲーム『東方文花帖 ~ Shoot the Bullet.』が作られた。画像はAmazonより引用

『東方求聞史紀 ~ Perfect Memento in Strict Sense.』。2006年12月27日に刊行された、東方Project公式による設定資料集。

 幻想郷の歴史について纏めている、人間の里の名家「稗田家」の当主・稗田阿求が書き記した歴史書「幻想郷縁起」が全文掲載されている、という設定で書かれている。6年後に続編として『東方求聞口授 ~ Symposium of Post-mysticism.』が刊行された。画像はAmazonより引用

――東方の初めての公式書籍『東方文花帖 ~ Bohemian Archive in Japanese Red.』と、初めての公式設定資料集『東方求聞史紀 ~ Perfect Memento in Strict Sense.』ですね。あの2冊の存在は、その前から追いかけていた人たちにとって本当に大きかったと聞きます。

Die:
 あの2冊が、いわゆるわかりやすいムック本のような、普通の単なる設定資料集だったのなら、私はここまで考察をやっていなかったと思います。

 東方求聞史紀――「幻想郷縁起』は稗田阿求によって書かれた本なので、絶対的な東方の設定資料とは言えないわけです。あの本自体を疑える構図だったんですよね。【※】

 あの2冊はあくまでも「射命丸文と稗田阿求というキャラクターの手によって書かれたものである」という前提を用意しているので、それがあるからこそ、創作者はそこにとらわれずにいろいろと解釈が広げられる……その入り口となるものが、既に書籍としてあったっていうのが、私にとって結構大きかったですね。

【※】『東方求聞史紀』は「公式設定資料集」と謳っているものの、あくまで人間である稗田阿求の目線から描かれた描写であるため、キャラクターの細かな設定、幻想郷で起きた異変の詳細や結末については情報が足りていなかったりする。例えば藤原妹紅について、不老不死であることは語られているが、その理由については「謎」と記述されている。当時の阿求は、その内容を妹紅から訊き出すことができなかった、ということが推察できる。

――あれがもし、ZUNさんの作った設定をわーっと書き起こしただけの本だったとしたら、それこそ「唯一の正解」が出てしまって、その先は生まれなかったわけですよね。
 もしかしたら、東方の最初の情報・評論本は「文花帖」と「求聞史紀」なのかもしれない。

Die:
 かもしれないですね(笑)

久樹:
 それはとても重要です。

――書籍版文花帖は、当時はまだ原作ゲームに登場していないキャラ(射命丸文)による新聞記事の羅列という、かなり特殊な形態の本当に読み方の難しい本です。コミケで人気の同人ゲームが最初に出す商業書籍なのに、メインに据えられているのは主人公の霊夢じゃないわけですから。
 そのあとに出た設定資料集を謳った本が、信用できない語り手(稗田阿求)によって書かれていると。記述によっては阿求よりも原作ゲームを遊んだ我々のほうが真実を知っていたりとか……もうほんと、普通じゃ考えられないです。当時のZUNさんの斬れ味を推して知るべしというか。
 商業的な観点から見ても、文花帖にはついていたアンソロジー漫画が求聞史紀にはつかなくなります。同人ジャンルから出された商業ムック本の形態から大きく逸脱していて、本当に挑戦的だと思います。冷静に考えて、よくあの本が世に出たなと。

久樹:
 みんな求聞史紀、求聞史紀って呼んでますけど、『東方求聞史紀』って書いてある表紙をめくったらいきなり「幻想郷縁起」と書かれた表紙が出てきますからね。

あおこめ:
 あれはすごい構成だなと思います。

▲『東方求聞史紀 ~ Perfect Memento in Strict Sense.』の表紙をめくって出てくる3ページ目は「幻想郷縁起」の表紙になっている。

久樹:
『東方求聞史紀』として書かれてる箇所って、一番最後にある神主のあとがきだけですからね。それ以外はすべて幻想郷縁起であって、すべて阿求が書いてるわけなんですよ。私の大好きな。

一同:
(笑)

久樹:
 あれって要は「東方にはさまざまな人の視点があるんだ」という提示ですよね。こういう視点で見るなら、こういう切り込み方ができるんだ、という。確かにそういう意味では(東方考察・評論の)模範回答というか。ひとつの眺め方を提供していると思いますね。

Die:
 そういった意味では、以前の隔絶したものと、今ある東方考察との大きな違いは「ZUN氏を疑っていい」になりますね。

あおこめ:
 儚月抄が出たあとを振り返ると、その時に絶対的な公式と言えるものが何ひとつないということに、みんなが気づいてしまったんですよね。それで自己矛盾を起こしてしまった方々は消えてしまったんですけども。逆に、神主があらかじめこうなる下地を最初からすべて蒔いていたからこそ、今の考察界隈……というか「人の数だけ幻想郷」という現在の東方像ができているのは間違いないと思います。

久樹:
『東方茨歌仙』と『東方鈴奈庵』で、霊夢の雰囲気が全然違うというのがよくネタに上がりますよね。よく言われる仮説として、妖怪(茨木華扇)側から見た博麗霊夢と、人間(本居小鈴)側から見た博麗霊夢は違うということが表れているから、というのがあります。同じ東方でも、作品ごとにそれぞれ切り込み方を変えていると、神主が昔インタビューでも言われてましたね。

――最近の発言でも「考察は正しいとか正しくないじゃない、考察すること自体が楽しい」と仰ってますね。

久樹:
 突き詰めると何をもって情報・評論とするかという定義論に入ってしまうので、ひとつの模範回答として出てきたのが文花帖・求聞史紀だった、ということですよね。

――『東方儚月抄』で「理想は答えではない」ことが明示されて、『東方文花帖』と『東方求聞史紀』で「答えはひとつではない」ことが広く伝えられた。今、東方考察がこの形になっているのも、ZUNさんがそうなるように種を蒔いていたからかもしれません。
 はや天さんは「なぜ東方で考察をみんな楽しんでいて、それが流行っているのか」考えたことはありますか? 一番若い視点をお伺いしたいです。

はや天:
 僕の視点からだと、既にみんなが東方の考察をしていたから、そういう世界が最初からあったから、面白そうなので入ってみようって形になりますね。

――最初からそうだったから、と。先人たちの歩みですね。

はや天:
 僕が一番最初に即売会へ行った時、当時高校生だったと思うんですけど、それこそ久樹さんの『東方コミュニティ白書』を見て、東方を評論する本っていうのがあるんだと思った記憶があります。東方を知り始めたときから考察があったので、最初からそういうことはできるものだと思っていましたね。

 当たり前のようにあるものだから、それに乗っかっていいんだと。面白そうだな、何かできることはないかなと探して、僕は大学東方サークルについての評論をするようになりました。

――文花帖と求聞史紀に感化された世代にDieさんと久樹さんがいて、東方に情報評論ジャンルが生まれて、ふたりが幻想郷フォーラムを興して、それを見て辻堂さんがプレゼン企画を作り、あおこめさんも発表会を立て、情報・評論や発表会が当たり前になった世界で、はや天さんが普通にあるものとして東方の考察と発表会を始める……大変美しい、美しすぎる流れだなと思っています。
「なぜ東方考察が流行ったのか」。この答えを簡潔に述べるなら「ZUNさんが東方考察を定義する情報・評論本を出したから」になるのではないでしょうか。さらにその先に「その定義をみんなが面白いと思ったので、今でもそれが続いている」
 これが今の東方考察・情報評論の在り方なのかもしれません。もちろんこれも、ひとつの解釈ということで。

コラム:2007年ごろに入った東方オタク、最初に買った東方原作は「求聞史紀」説

作るんじゃなく、考えること自体を楽しむ――これなら、自分にもできそうだから

Die:
 実際、私がサークル参加していた時も「こういう合同誌があるんですね、自分も参加してみたいです」っていう方は複数いました。東方考察合同誌が一定の受け皿になってた部分はあった、と自分でも感じています。

あおこめ:
 東方だからできていることだなと思います。コミケにも昔から情報・評論ジャンルはあるわけですけど、単一のジャンル内に「考察」がひとつの地位を築けるほどに支持されることは、ほとんどないと思います。

 別のジャンルで、わたしの開いているような考察発表会をやりたいという話が出たこともありますが、あまり受け入れてもらえる雰囲気にならないですね。

――「作品にして出して」という声のほうが、一般的ですからね。キャラクターのカップリングについて考察したとして、それを作品にせずに考えだけを述べると言う状態は、ほかのジャンルなら「料理する前の材料がそのまま出てきている」くらいに扱われても文句は言えないところです。

Die:
 あともうひとつは「これなら自分にもできる」っていうケースですよね。

あおこめ:
 私もで~す(笑)

Die:
 だからわりと、考察合同が初めての同人活動という人がちょいちょいいました。

久樹:
 絵も小説も、音楽もグッズも作れないけど、でも自分の好きな想いを考えて伝えることができる。

Die:
 作るんじゃなく、考えること自体を楽しむっていう人たちにとって、考察は一番向いているんですよね。

あおこめ:
 まさに8年前にフォーラムに初参加した時の私じゃないですか。

Die:
 もっと言ってしまえば、「これは作品にして発表すべき」とか、そういう意識自体が最初から根付いてなかった人たちです。そういう空気や概念を、サークル側に行こうとしたことがないのであんまり知らなかった人たちがいて、その人たちが「これなら自分でもできるんじゃないか」って思って、考察合同に参加してくれたわけですよね。それはかなりうれしかったことでしたね、当時。

久樹:
 そこはね、常識に囚われてはいけないジャンルですので。

――その通り! 大変きれいなまとめ、ありがとうございます。

一同:
(笑)

 

4年ごしの復活――Re:幻想郷フォーラム2023

――また戻ってきまして、幻想郷フォーラムの話をさせてください。幻想郷フォーラムは2020年に一度開催を休止しますが、これにはどんな理由があったんでしょうか。

久樹:
 コロナも大きな影響だったんですけども、休止しようって話自体は実はコロナの前からしてたんですよね。

あおこめ:
 2019年3月の時に、一度止めようという話が出ていました。

久樹:
 幻想郷フォーラム自体を続けたい気持ちはもちろんあったんですけれども、2015年に私が東方名華祭の共同代表という形になりまして、イベント代表をふたつ兼任している状態になったんです。名華祭としての代表業務がかなり忙しくなって、フォーラムの方にあまり注力できない状態になりつつあったんです。フォーラムはあまりにもイベント形態が特殊すぎて……。

 普通の同人誌即売会なら、代表があれこれ言わなくても「同人誌即売会やります、この日に会場を取りました」って決めると、慣れたスタッフなら当日の業務内容の8割くらいは理解できるんです。同人誌即売会という形態がパッケージングされていて、やるべきこと、流れ、スケジュール、レイアウト……そういったことが大体固まっているので、ある意味では楽なんです。

 幻想郷フォーラムはそういうわけにはいきません。まずポスターセッションのためのパネル立てがあり、オーラルセッションはプレゼンができる空間を作らないといけなくて……これらはたいていの即売会スタッフにとって、未知の世界なわけです。それをフォローできる余裕がないのでどうなるかというと、私が前日の深夜に細々と椅子を並べたり、パネルを立てたり、要旨集を製本したりとかして、間に合わせていたわけですね。

――完全なワンオペのイベント準備が発生するわけですね……。

久樹:
 これを東方名華祭の代表と並走するのが非常に厳しくなり、そこであおこめさんや別の方にご協力いただいてたんですけども、それでもどうにも上手くいかなくなってきたんです。

 さらにいうと、参加のハードルがだんだん上がったように感じる人も増えていて。オーラルセッションの参加が埋まらない年が、2年ほど続いていました。最初は手前味噌だったイベントも、回を重ねれば「幻想郷フォーラムっていうのが面白いらしいぜ」と、ぞろぞろ人が集まってきてくれる。参加者は大勢の前でプレゼンし続けたりするわけで、プレッシャーも出てくるんですかね。だんだんハードルが高いイベントと見られるようになってしまい、そこに対してテコ入れをしたい思いがあったんですが……どうにも私が動けないと。

 そういうこともあり、2020年はいったん止めて、体制を立て直して2021年にまたやりたいなあと。そういう気持ちでDieさんに相談し、そして2019年の開催終了後に2020年の休止を発表しました。そのあとに、ご存知の通り新型コロナウイルスが大流行しまして……。

――オーラルセッションの開催は、当時では難しかったでしょうね。

久樹:
 眼の前にいる人と侃々諤々かんかんがくがくやるわけですもんね。フォーラムらしいイベント、オーラルセッションやポスターセッションができないとなったら、これはお休みしましょうと決まり、そのまま長期休止に入ってしまったのが去年までの背景になります。

 ただ、やりたいという気持ち自体はずっとあって、そこであおこめさんにご相談しました。のちに東方人気投票の関連で、はや天さんともお知り合いになりまして、コロナ禍でオフライン開催が中止となってしまった東方カンファレンスを名華祭でやってみませんかと……。

はや天:
 僕が直談判した感じです。

久樹:
 ちょうどカンファレンスの開催日程で困ってるという話からご相談をいただいて……いいですね! とふたつ返事でした。ちょうどそのころぐらいから、オーラル発表ならいけるだろう、というくらいの感染対策ガイドラインになってきていた時期だったので。 

 2022年の名華祭で東方カンファレンスを開催していただき、その後の開催について議論した時に「『東方カンファレンス』でいくか、『幻想郷フォーラム』の名前を使うか」という話が出ました。

 意見交換のなかで、あおこめさんから「幻想郷フォーラムには『大きなイベントの中でやっている発表会』という唯一無二の価値があるから、イベントのブランドとして大事にした方がいいんじゃないか」という意見をいただき、今回幻想郷フォーラムを復活した、という形かと思ってます。……あおこめさん、はや天さん、合ってますか?

あおこめ:
 はい大丈夫です。何回も話が出ていましたが、幻想郷フォーラムは以前からかなりパンクしてるイベントでした。2019年に一回区切りがつくと決まった時、実はその夏前ぐらいに「引き継ぎませんか」という打診を私のところにいただいていました。

 ただ、自分は同人誌即売会の主催経験がゼロなんです。スタッフを置いて動かす経験がゼロだったので、一年かけて勉強させてください、となったあとに……この事態になってしまって。完全に棚上げになりました。

 その間も、2020~21年は東方発表会を動かすだけでとても大変だったので、完全に自分のこと以外は何もできていない状態でした。そんな中で、はや天さんが名華祭で東方カンファレンスをやりたいと直談判したと聞きまして。

――それぞれに、幻想郷フォーラムをどうにかしたいと思ってたってことですよね。

はや天:
 当時、東方カンファレンスを一回休止して再始動しようとした時に、せっかくだったらそのイベントを評論オンリーみたいにしようと考えていました。当時はあんまり内部事情を知らなかったんで、幻想郷フォーラムも音沙汰ないし、じゃあちょっと即売会やってみようかと、何人かスタッフを募ったりしていました。

 新たに再スタートしてオンラインイベントをやろうとした時、知見ある久樹さんにご相談をして、「名華祭でパブリックビューイングみたいな感じで、カンファレンスができませんか?」って尋ねたのが最初ですね。

――はや天さん自身、評論オンリーイベントをやりたい気持ちがあったんですね。

はや天:
 実際にきいてみたら、実はもっと前にあおこめさんに打診していたことをあとから知りまして。「えっ、そうなんですか?」っていう状態で。

あおこめ:
 だから、はや天さんが悪いんじゃなくて自分が悪いんです。コロナがあったとはいえ、内々で回っていた話を3年間寝かせちゃったので。

はや天:
 あおこめさんとは、僕がカンファレンスを始めたすぐぐらいからずっと連絡を取り合ってはいたんですが、ほんとにそこだけは知らなかったんです。改めてお話して、最終的に「じゃあフォーラムをやりましょう」と。

あおこめ:
 そこからまた話が動き出しまして、はや天さんと話し合った結果、ふたりでやるなら何とか主催としてできるんじゃないかと。はや天さんも自分も、即売会運営の経験はないので……。

はや天:
 ほぼないですね。

あおこめ:
 読書会ならひとりで回せますけど、即売会はふたりじゃないと回せない、と思ってまず2022年の東方カンファレンスにご協力させていただきました。実際にイベントを動かしてみて手ごたえを感じたので、改めて幻想郷フォーラムの再開催に動いた形になります。

――2019年の話からようやく、ですね。

あおこめ:
 引き継いだ理由としては、先ほど久樹さんがお話した通り、幻想郷フォーラムは名華祭とともに開催しているので、評論・情報やプレゼン発表に最初から興味のあるわけじゃない東方好きの方が来てくれるんですね。

 そういう人たちがふらっと来て、こんな表現の仕方もあるんだと興味を持って新規参入してくれないと、どんどん東方の評論・情報ジャンルがしぼんでいってしまうと思いました。もともとメジャーじゃないジャンルですし、何より自分で東方発表会をコロナ禍でも途切れさせずに3年間やってきた結果、縮小をなによりも感じていました。このまんまだと尻つぼみしてくばっかりだぞ、まずいぞ、と思いながら続けるのは、正直ウイルスより怖い3年間でした。

 なので、引継ぎのお話を受けた時は、というか今でも正直まだ自信はないんですけど、やっていかないといけないと覚悟を決めました。がんばっていきたいなという想いで、はや天さんと一緒に受けた形になりますね。

――開催発表が出た時、やっぱり幻想郷フォーラムの開催を待ち望んでた人がすごく多かったんだな、というのをTwitterの反応を見て感じました。

久樹:
 今回の再開にあたって、ちょっと一点変わった所がございます。先ほども言った通り、幻想郷フォーラムは非常に特殊なイベントで、且つはや天さんとあおこめさんが同人誌即売会の代表経験がないこともあり、今回の幻想郷フォーラムはいわゆる「同人誌即売会」という形ではやらないことにしております。

 そのためサークル(デスク)参加はなく、ポスターセッションとオーラルセッションによる、いわゆる発表会という形にさせていただいております。この点が今回の復活にあたって変わったことなので、ご承知いただきたいなと思っております。

――あくまで同人誌即売会の横でやっている発表会のイベントですよ、ということですね。
 改めまして、あおこめさんとはや天さんに「Re:幻想郷フォーラム2023」開催に際して、意気込みを伺えたらと思います。

あおこめ:
 4年ぶりの開催、待ちに待った方もいるかも知れません。デスクは東方名華祭さんにお譲りして、より幻想郷フォーラムだからこそできることをやっていきたいと思います。ぜひともよろしくお願いいたします。

 もちろん初めての方にも来ていただきたいと思いますけども、これまで幻想郷フォーラムをわくわくして待ち望んでいた方々に、ぜひともご協力をお願いしたいなと思っています。ポスター発表形式のイベントは本当に久しぶりになりますので、みなさんで復活させていきたいなと思ってます。

はや天 :
 僕自身が開催を待ち望んでいたイベントなので、そのイベントをこうして復活させることができ、本当にうれしく思ってます。

 良くも悪くも、今までのフォーラムを知らない人間なので、新たに風を吹かせるというか、新しいことを今後もやっていけたらいいなと思っています。先人の方々から学びながら、より良いイベントにしていきたいです。

 ぜひぜひ、新しい人から今まで参加した人まで、さまざまな方が参加できるようなイベントにしたいと思ってますので、ご参加よろしくお願いいたします。

――ありがとうございます。辻堂さん、久樹さん、Dieさんからも最後に一言、新しい幻想郷フォーラムについて期待することなど、伺ってもいいでしょうか。

辻堂:
 私自身は東方からかなり距離を置いてしまっていますが、幻想郷フォーラムは名華祭と並んで、参加するのが非常に楽しいイベントだった記憶があります。「船で乗り付けられるイベントはかなり貴重だね」なんて、色んな楽しみ方をしてた記憶がありますね。ぜひとも、成功を祈っております。

久樹:
 私の力不足もあって、幻想郷フォーラムをお休みする形になってしまい、申し訳ないと思っていました。この度、あおこめさんと朱澄はや天さんのおかげで、こうやって復活できることになり、私自身も非常にうれしく思っております。

 はや天さんには別の案件でも既に引き継ぎをお願いしたことがありまして、その際に非常に新しい視点・新しい風を吹き込んで下さる方だと、すごく感動しました。まさに、幻想郷フォーラムにもこれから新しい風が吹き込まれると思っております。

 あおこめさんのデータ固めと、朱澄はや天さんの新しい風が加われば、幻想郷フォーラムも情報評論もますます盛り上がっていくと思いますので、ぜひぜひご期待いただければと思います。

Die:
 ここにおられる私以外のみなさんは、イベントをずっと作って盛り上げて、尽力している方々です。そんな中、私はただひたすら「考える事を楽しむ」のをずーっとずーっと、あくまでもいち参加者として、発表者としてやってきました。今は別のジャンルにいますが、そこでもずっと同じことをやっています。

 この精神は、ずっと幻想郷フォーラムの時代から変わっていません。その精神を育んだ場が、やっぱり今でもずっと続いていて、しかもまたこうして新しい所へ行こうとしてるのは、本当にうれしいことだと思います。Re:幻想郷フォーラムの成功、お祈りしております。

――東方評論の萌芽がいつ芽生えたのか。そして脈々と続いているこの考察の土壌のひとつに幻想郷フォーラムがあったということを、改めて知ることができました。本日はお集まりいただきありがとうございました。

 

「幻想郷フォーラム」というイベントを通して、東方情報・評論ジャンルが辿ってきた歩みについて、改めて振り返ることができた。東方の最初の書籍『東方文花帖 ~ Bohemian Archive in Japanese Red.』と、最初の設定資料集『東方求聞史紀 ~ Perfect Memento in Strict Sense.』の二冊こそが、その後の東方情報・評論の在り方を定義づけたとする仮説は、とても興味深い内容だったのではないだろうか。

 東方について「考えること」。ZUN氏の言葉を借りるなら、東方について考察することは、なにか正しい答えを求めるために行っているのではない。考察することそのものに、よろこびとおかしみを感じるのだ。「作品だけが二次創作の在り方ではない」、そう定義して同意が得られるIPは、東方Project以外にほとんど存在しないだろう。

「東方情報・評論系オンリー」と名乗ることで、広大な東方二次創作の世界にひとつの旗を立てたイベント――「Re:幻想郷フォーラム2023」は6月25日(日)にポートメッセなごやで開催予定だ。東方で考えることに慣れ親しんだ人も、この記事を通してその存在を知ったという人も、東方情報・評論ジャンルの広く深い樹海の一端に、ぜひ現地で触れてみて欲しい。

 

「Re:幻想郷フォーラム2023」6月25日(日)に、ポートメッセなごやで開催!

「Re:幻想郷フォーラム2023」

ジャンル:東方Project情報・評論系オンリー同人イベント
日時:2023年6月25日(日) 12:00~16:00
会場:名古屋市国際展示場(ポートメッセなごや)

 

同時開催の東方イベント「東方名華祭」

公式サイト:https://meikasai.com/

東方名華祭17

概要:東方Projectオンリー同人誌即売会
開催日時:2023年6月25日(日) (12:00~16:00)

『東方文花帖』と『東方求聞史紀』こそが、最初の東方情報・評論本なのではないか?という仮説――「幻想郷フォーラム」関係者座談会(後編) おわり

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