「“FloweringNight”って、基本的には”遊び”なんです」大きくなる会場も、若さゆえの揉め事も、全ては「東方の楽しい宴」のために
「FloweringNight」座談会【第3回】
そして、FloweringNight2007へ
――初回の「FloweringNight2006」があって、みんなが想定してないくらいぎっちり人が入って、東方のなかでバンド文化が根付くきっかけになったのでしょうか。
hellnian:
俺の正直な感想としては2006はまだなんですよ。2007ですね。
どぶウサギ:
2007ですね。
――翌年の「2007」をやることになったのは、どのようなきっかけで?
どぶウサギ:
龍道さんが2006の司会だったんです。「来年もやるぞ!」みたいなことを言おうって、舞台の裏で自分に言ってきて。自分は慎重派なので、ちゃんと反省会が終わってからだな、と思っていたのに、なんかステージの上で龍道さんが言っちゃって(笑)。言ってしまったので、じゃあ来年もやろうか、と。
――龍道さんに言わされつつも、まぁやるかと。反省会はどのような感じでしたか?
どぶウサギ:
いやあ、大変でしたね。やっぱり初めてこういうことをやると、粗が出るというか。反省点、むちゃくちゃ多かったんですよ。
でもやっぱり、楽しかったんです。やるって言ってしまったなら、じゃあその反省を生かそうと。次はどこでやろうかっていうので、2007につながっていくんですね。
コラム「幽雅に咲かせ、フラワリングナイト!」
「チッタって言った」論争勃発
――第二回、2007年の川崎CLUB CITTA’はなんとキャパが倍以上の1300人(オールスタンディング)ですね。
hellnian:
これこそ俺はちゃんと文句言った覚えがあるよ。「チッタ取った」って言ったときに、「チッタ!?」ってなったもん。
どぶウサギ:
チッタって言ったのhellnianだよ?
hellnian:
違う! 絶対そっちだよ!
どぶウサギ:
絶対hellnianだから!
hellnian:
絶対そっち!記憶の改竄があるよ! 俺、「何で1000キャパにしたの!?」って言ったもん!
どぶウサギ:
hellnianだから!
――また押し付け合いが(笑)。おそらく新宿ロフトと同じ流れですよね。主なライブハウスのリストがバーッて出てきて……。
hellnian:
いや、そんな殊勝なことじゃないですよ。会場を急に決めたっていう話だったもん。
――え、決めちゃった、だったんですか?
どぶウサギ:
違う違う違う。取りあえず自分は、ハコの事を全然知らないから「もうちょっとキャパが大きい所を取ろうよ」っていう話はしたじゃん?
hellnian:
それは言ったと思う。キャパが大きい所で。
どぶウサギ:
それでリストアップしてくれたんだよ。リストアップというか、ポロッと言ったの。
hellnian:
いろいろ言ったよ。その中でチッタを選んだのは知らなかった。
どぶウサギ:
やりたいオーラが出てたもん。
hellnian:
まぁやりたい……。そりゃやりたいさ! 俺だって!
どぶウサギ:
そのオーラを見たら、やりたいんだろ、ここで? って。
hellnian:
やってみたいはあったけど、だからめちゃくちゃ緊張して、結局全部の打ち合わせに顔出したんだから(笑)。
どぶウサギ:
真面目だな~。
――「いつかやってみたいよね」くらいのテンションで話をしたら、「よし、じゃあチッタでやるか」ってどぶウサギさんがアクセルを踏み込んじゃったと。
hellnian:
まさか取ってくるとは思わないじゃないですか。
どぶウサギ:
電話1本でした。最初はすごい怪しがられたんですよ。本当にやるの? みたいな。2回目に電話したぐらいで、じゃあ、話を聞きましょうかみたいな感じで、打ち合わせに行って。「2006年にロフトでこれだけ人が入りました」っていう実績があったので、じゃあ、これでやってみましょうって。場所が取れて、時期も決まりました。もちろん、最初は結構渋られましたけどね。
hellnian:
後々で聞いた話では、一応確認が入ったらしい。ロフトとチッタのスタッフさんでつながりがあるんですよ。ライブハウス同士情報を交換していて「どうだった?」「内容はよくわからなかったけど、集客はこんなだった。イベント的にはすごい盛り上がってた」みたいなことを話していたらしい。それならいけるんじゃない?ってゴーサインが出たんでしょうね。
2007から増えた、新メンバーたち
――2007のサブタイトルは『月まで届け、最強のあたい』ですね。
hellnian:
言ってたな。
どぶウサギ:
懐かしいね。サブタイトルも決めとこうかって、みんなで会議したりね。
hellnian:
毎回毎回決めてたね。
どぶウサギ:
2007以後ね。
――2007から雰囲気が変わって、出演者が、音楽サークルだけになりましたね。新しく増えたUSOL&C.H.Sと岸田教団&THE明星ロケッツは、どういう経緯で参加したのでしょうか?
※USOL:Mass Kaneko氏による音楽サークル。別名義に“Shaman Cure-All”。2006年に東方アレンジCD「Bullets Master」を頒布。
※C.H.S:t+pazolite氏による音楽サークル。氏は「HARDCORE TANO*C」のメンバーとしても活動、多くの音楽ゲームに楽曲提供している。
※岸田教団&THE明星ロケッツ:岸田氏による音楽サークル、ロックバンド。2010年にメジャーデビューし、2020年にはTVアニメ『とある科学の超電磁砲T』のエンディングテーマを手掛けた。
どぶウサギ:
USOL&C.H.Sは、自分が別の音楽サークルで誘われて、オリジナル曲を作ってたりしてて。渋谷とかの小っちゃいハコ、あとは早稲田のハコとか、そういう所でDJイベントをやってたんです。そのときに仲良くなったメンツかな。t+pazoliteさんとかは、今、すごい有名ですけど。
――この前、インタビューに応えられてましたね。
音楽業界を征服? 知ってるようで知らない、同人音楽の世界にダイブする vol.1「t+pazolite 独占インタビュー」(オリコンミュージックストア)
https://music.oricon.co.jp/php/special/Special.php?pcd=ivtpazolite_divehigh
どぶウサギ:
当時t+pazoliteさんは関西に住んでて、毎週のように東京に来て、音楽イベントに顔を出していたっていう。ものすごい面白い曲作るし、「DJとして出てみない?」っつって、出てもらったんだね。
――岸田さんは、(サークル「CROW’SCLAW」の)鷹さん経由でのお誘いですか?
どぶウサギ:
いや、自分が直。鷹さんとか鯛の小骨さんとか、(サークル「さかばと」の)通天さんとか、その辺りの人たちが、岸田さんと仲良くて。
岸田さんに、「岸田教団でバンドを組みなよ」って言ったのは自分ですね。
――それが岸田教団&THE明星ロケッツのきっかけなんですか!
どぶウサギ:
当時、岸田さんは打ち込みでCD1枚出してて、それを出したイベントの打ち上げに岸田さんを呼んだはず。それで一緒に、鷹さんもいたかな。あにーさんもいたかもしれないな。だいぶ昔だから記憶がうろ覚えなんですけど……。
hellnian:
岸田の曲だけで言うんだったら、2006の時やってるしね。闇鍋で1曲やってるのが岸田教団の曲なんですよ。それを聞いていたので、岸田教団っていうサークルと、どんな曲を作るかはしってました。それで次の何かのイベントのときに顔を合わせて、初めて岸田さんってこんな(背が)でけぇ人なんだなって。
どぶウサギ:
最初は岸田さん、人見知りだったね。
それで無茶振りしたんです。「バンド組めばいいじゃん」って。そこもまりおさんに「(『Help me,ERINNNNNN!!』に)歌詞つけて歌いなよ」って言ったのと同様ですね。
どぶウサギ:
そうしたら岸田さんが「ドラムがすごい上手い人がいる」と言ってて、多分(「岸田教団&THE明星ロケッツ」現ドラマーの)みっちゃんさんのことで。「OKが出たら、組んで出るよ」ということで2007に出てくれました。岸田さんがベース弾いて、はやぴ~さんはリードギター、T-tsuさんがサイドギター。
hellnian:
岸田教団&THE明星ロケッツ、最初からメンバー変わらないよね。
どぶウサギ:
全然変わってないね、メンバー。
――そんな流れがあって、岸田教団もバンドを組むきっかけになったんですね。確か、元々はFloweringNightのための企画バンドだったんですよね?
hellnian:
だって、はやぴ~さんは、そもそも絵描きの印象が強かったもん。いまだにうちにイラストのデータディスクがありますよ。画集で最初に出したCDは、本当にコピー用紙畳んだやつに、CD–Rが入ってるだけのやつで。確か第1回紅楼夢で出したやつ。
“ライブに映像を流す”という、FloweringNightのエポックメイキング
――当時の人達、本当にいろいろな活躍をされていますね。プレニコニコと言いましたけど、ニコニコ動画が来る前に全てがあったのが東方なんだなと改めて思います。
どぶウサギ:
最初はバンドのライブで映像を流す文化はなかったんですよ。でも、2006をやる前に、「東方カーニバル」っていうDJのイベントがあって、DJのイベントにはVJがいて、映像に合わせて音が鳴るという文化があったんですよ。どんなものか見てみようってみんなで行って、「映像流すのいいね!」となって、フラワリでは積極的に映像を流してくことになりました。
hellnian:
東方にはバンドの文化よりも、クラブ文化のほうが根付いてたもんね。
どぶウサギ:
そうそう。バンドとクラブの文化が完全に融合してます。当時、そういうのは他になかったんじゃないかな。
――1つのエポックメイキングですね。チッタを会場に選んだというのは、映像を流すのに適した場所だったということもあるのでしょうか。
どぶウサギ:
チッタには、たまたまあったんですよね。新宿ロフトのときはなかったから、自分たちでスクリーンを持ち込んで、そこにプロジェクターを持ってきて映していたんですよ。
hellnian:
チッタぐらい広いと、何でもできますよね。持ち込みだってできますし。2008のときは二酸化炭素を使った。
どぶウサギ:
(二酸化炭素の)スモークガンね。冷たいやつ。
――2007はいろんな試みもやり、新しいサークルも増えて、熱気がすごくあった。チケットは完売だったんですか?
hellnian:
このときも完売ではなく9割でしたね。マックスで入ってしまうと身動きが取れないレベルなので。
どぶウサギ:
でも、ほぼ満席と言っても過言ではないんじゃないかな。冷静に考えたら、満席近くお客さんが入るだけでもおかしいぐらい。
hellnianさん、またもや大車輪の活躍~揉め事を添えて~
――今、みんなで当時のセットリストを見ていますが、2007で演奏したのは、石鹸屋の曲が一番多いんじゃないですか?
hellnian:
やりすぎましたね(笑)。多分あれですね。俺のいやらしい話術で、「COOL&CREATEと石鹸屋はくっついてニコイチだから、ちょっと時間配分を多く…」みたいなことを言った記憶がなきにしもあらず。「そういうのはやめよう。次以後はやめてね」って、どぶさんに怒られたんです。
――怒られたんですね(笑)。
どぶウサギ:
そうだっけ? 覚えてない。
hellnian:
他のサークルと釣り合いが取れなくなるし、周りから不満が出るからやめてくださいっていう話を。
どぶウサギ:
そうだっけ?
hellnian:
よく覚えてます。その分、当時の俺は(DVD収録用の)レコーディングの手配とかで働いたから許して!
――とにかくやってみた1回目。その後、反省を踏まえた2回目を開催してみて。hellnianさん、このときの感想はいかがでしたか?
hellnian:
レコーディングの業者の手配を俺がやってて、それで頭がいっぱいでした。ずっと頭の中で、この時間これやって……って。
チッタでライブRECしたいって言うと、会場の袖から搬入口に太い線を引き込んで、そこに“基地”を作らないといけなくて。そのためにめちゃくちゃケーブルが必要になってくるんですけど、そういう必要なものをを揃えたりするのを、全部俺がやっていたんです。
だから当日は…まず会場に着いて、うちのメンツ、石鹸屋のメンバーが積み下ろしをして、終わったらケーブル業者から「そろそろ持ち込みますけど」って連絡が来てそれを受け取り、そんなことをしてる最中に、なぜか石鹸屋の当時のベースのイノさんが岸田さんから、喧嘩を売られて……。
――何で!?(笑)
hellnian:
いきなり、うちのイノさんの持ち込んだベースアンプに、岸田さんがケチをつけたらしくて。後で誰かに聞いた話では当時はそれがコミュニケーションの切っ掛けの話題振ったつもりだったらしくて。本当どんだけおまえコミュ障なんだ!と。
どぶウサギ:
(笑)。
hellnian:
そんなんで、うちのイノさんとかは岸田教団にギスギスしちゃってて。でも、「俺は機材の準備してんだよ!」みたいな心境で。
楽屋に戻ればギスギスしてる話出てくるし、ケーブルを引き込み、機材設置も手伝ったりして、(ライブレコーディング用の)マイク立てたりの手伝いもしつつ……自分の出演が終わったら、借りた機材を返さなきゃいけないから、全部ライブが終わった後はレコーディング部隊と一緒にずっとケーブル巻いてましたからね。
――この現場で初めて会う人たちが結構いたのでしょうか?
hellnian:
結構いたと思います。でも、俺は岸田さん以外は。その当時、とぱ(t+pazolite)ちゃんとか(Mass)kanekoさんとかは会ってたもんね。
――それでも舞台は進んでいくわけで、結構夢中だった?
hellnian:
めちゃくちゃ大変でしたね、その辺は。
「『FloweringNight』って、基本的には”遊び”なんです」
――2007について、どぶさんは、主宰としての感想はいかがでしたか?
どぶウサギ:
反省点ばかりでしたね、やっぱり(笑)。怒ったりもしたし、怒られたりもしたしっていう。
hellnian:
毎年、山積みの反省点だよね。それに、あれやってこれやって、いつの間にかライブが終わって、お疲れさま~、次決まった~みたいな感じ。
どぶウサギ:
言うて自分も出演してるからね、このときはね。
――とはいえ、チッタをほぼ満席に近い数字まで埋めたわけですよね。そのことについてはお二人はどう思いますか?
hellnian:
2007も含めて、埋まるべっていう気持ちはなかったよね。いつもね。
どぶウサギ:
チケット自体もすぐ完売じゃなくてじわじわ売れていった感じだったしね。
hellnian:
やっぱり、当日にならないと分からないですね。俺らは楽屋から外にあんまり出ないから、並んでる列も知らなかったので。ステージに出たときとか、楽屋で客席が映るモニターを見て、「めっちゃ入ってる!!」って実感した。
どぶウサギ:
そこで初めて実感が湧くよね。楽屋からこっそり覗いて、「すげぇ来てる……!! 俺、1番で出るの!?」っていう。
hellnian:
みんな緊張して、何度も何度もトイレに駆け込む、岸田とビートまりおとか(笑)。
どぶウサギ:
そうそう(笑)。
hellnian:
岸田もビートまりおも何度も何度もトイレを往復してるから、「大丈夫か?」って。あの2人は緊張しいで、胃をやってた人間なので。 その後で岸田さんと話をしてたら「まりおさんと俺はトイレ仲間だから」みたいなことを言っていて、「2人で緊張で吐いてた」と(笑)。
――岸田さん、数年前のライブMCで「ようやくライブ前に吐かなくなった」って仰ってましたね。
hellnian:
すげぇ!
――みんな緊張はしてたし、驚きはしていたと。この打ち上げのときはどうだったんですか?
どぶウサギ:
やっぱり楽しかった。来てくれた参加者さんとか、呼んだゲストの方とかは、すごく楽しかったって言ってくれたし。場所が広かったから、知り合い呼び放題だったんですね。だから、リアルな知り合いとかも呼んで、社交場みたいになったんですよ。
このイベント自体が、漫画を描く人や絵を描く人も全部ひっくるめて、東方で何かを作っている人がいっぱい集まる社交場みたいになってました。それは、やる意義があったなと感じたイベント、そして打ち上げでしたね。
――すごく大きなオフ会みたいですね。
どぶウサギ:
こういうライブイベントってお酒と相性が良くて。東方といえばお酒なので、ほんとに面白い宴ですね。お祭りというか。だから、ライブやりました!というより、音楽を全く知らないし、興味もない人が来ても楽しめるようなイベントにすることを意識し始めた頃ですね。
――龍道さんが、以前のインタビューで、急速に大きくなるイベントを眺めながら「マジ大丈夫かな? まぁいいや、倍プッシュ」みたいな感じで仰ってました。このとき、どぶさんとしてはどのような気持ちだったんでしょうか。どんどん大きくなっていく中で、続けていくのか、立ち止まるのか。
どぶウサギ:
出演していたメンバーが「また次もやりたい」と言ってくれて。やりたいんだったらやろうかっていう感じですかね。特に深く考えてないと思います。
それに2007で完全には埋まらなかったから、サイズ感的にもちょうどいいし、1回チッタでやったから勝手も分かってるし、もう一回チッタでやるかと。そうやって2008につながっていきました。
――同じ場所でやるということもあり、2007に比べて2008のほうが余裕があって、いろいろと遊びが出来たのでしょうか?
どぶウサギ:
はい。イベントも2年続けばそれなりに勝手がわかって気分的にも余裕が出来ていました。
――2008の出演者リストですが、肩書もみなさんあそんでいますよね。
どぶウサギ:
「FloweringNight」って、基本的には”遊び”なんです。
一言で言うのは難しいんですけども、主宰から言わせてもらえば、無事に怪我なく事故なくやれれば、それでいいので。
「“FloweringNight”って、基本的には”遊び”なんです」大きくなる会場も、若さゆえの揉め事も、全ては「東方の楽しい宴」のために おわり