【連載】妖世刃弔華
妖世刃弔華【第53回 危惧】
かくして、演者の手札はあらかた出揃い、事態は風雲急を告げるかのように目まぐるしく動き始めていた。
そして、変わりし場面は妖怪の山のはるか地下深く。
忘れ得ぬ故郷に戻ろうとする亡霊たちの指揮を執るオウスティナの作戦は、今や最終段階に移ろうとしていた。
「ネヴァ。爆弾の起動処理はうまくいきそうなの?」
霊魂が放つ鬼火と松明の弱々しい火が照らす薄闇の中、鈍色に輝く紡錘形に近い巨大な鉄塊の前で作業するひとりの亡霊に声を掛けた。
ネヴァと呼ばれた亡霊は、振り返りながらのんびりとした口調で答える。
『……ああ大佐殿ですかぁ。順調に解析を進めていますよー』
少女のようでいて同時にしわがれた老婆のような聞き取りにくい声だった。
彼女は亡霊兵団兵器管理部トップのネヴァ・シューティー――戦車などの整備用工具セットを依り代に受肉した亡霊だ。
いつもどこかぼーっとした表情を浮かべている風貌と相まって、死者の放つ不気味さと言うよりはむしろ愛嬌の類に感じられるから不思議である。
「そう。順調ならまこと重畳だわ」
『うーん、ただですね?』
「ただ?」
普段は間延びしたネヴァの声がめずらしく硬さを帯び、鸚鵡返しに問うたオウスティナの下へのそのそと歩み寄って来る。
「何と言いますか、爆発へ達するまでにひと手間多いんですよ。そこを地獄鴉の力でクリアできれば、結界への到達時間と計算してタイミングを合わせることはワケないと思うんですがぁ……』
思わぬ問題に遭遇したらしく、眉根を寄せて首が取れてしまいそうなほど傾けている。
「課題をそのままにしておくと経験上ろくなことがないわ。上の様子が慌ただしくなってきたみたいだから、悪いけど急いでちょうだい。邪魔にならないよう離れているから」
『はいはいー、お任せをー』
短く答え、自身を誇示するようにスパナを掲げたネヴァは再びのんびりとした足取りでツァーリ・ボンバの解析作業へ戻っていく。
亡霊兵たちと同じヘルメットを被り、左右に頭を揺らしながら歩く仲間の姿。
それを見届けたオウスティナは、エンジニアの邪魔にならぬよう踵を返して自身の定位置へと戻っていく。
とはいえ、指揮所というほど格好がついたものではなく、なにもない地下空間の一画だ。すべてを失い、喪った自分には似合いの場所だと思う。
もの寂しくもあり、妙な落ち着きを覚える場所で、オウスティナは地面に立てた軍刀の柄に両手を置き、考えを巡らせるように静かに目を閉じた。
「オウスティナ様、よろしいでしょうか?」
ネヴァと離れてからさほど間を置かず、新たな声が投げかけられた。
すこしくらいはひとりにしてほしいものだと思うも、まさか応えぬわけにはいかない。早々に思考の海から引き揚げられたオウスティナは観念したように目を開く。
割けた口唇からやれやれと言わんばかりに漏れ出た溜め息に同期して、左眼窩に封じられていた紅の鬼火も居場所を求めて外へと漏れ出る。
「なにかしら、ふたりそろって」
問いかけと共に向けられた視線の先には、ふたりの亡霊が静かに佇む姿があった。
どちらも軍帽以外はオウスティナと同じ軍服――士官風に酷似した恰好をしており、凡百の亡霊兵とは異なる雰囲気を醸し出している。
ひとりは首筋手前で綺麗に整えられた黒髪に、やや切れ長の黒檀の瞳にかけられた眼鏡が特徴的なまさしく副官然とした姿。もうひとりは青い髪を片側でまとめ、冴え冴えと世界を見据える瑠璃の瞳が、鋭利さを湛えた表情を仕上げている。
ナナリー・プリトル・イースター、フェルナンダ・ブラッケン。どちらもオウスティナ腹心の部下である。
秘書官を務めるナナリーは武器の類を持ってはいないが、フェルナンダ――フェルはオウスティナに代わり長大な鉾を背負っていた。
「やっぱりその鉾はあなたに馴染んでいるわね、フェル」
全長3メートル近くにもおよぶそれは、薄闇の中でも埋没しない存在感を放っていた。長大な柄に使われる蔓が巻き付いた自然木がひときわ異彩を放ち、鉄で作られた鉾身は中央に鎬を造り、区元の一部を除いて肉をそぎ落とした形状となっている。穂の左右には荒々しいまでの逆刺がつき、上下の大刺、中央の4つの小刺がそれぞれ装飾性を高めており、どう見ても武器として用いるようには思えない。
そうした印象と反するように、鉾から漏れ出る濃密な鬼気は圧迫感となって大気中に放射されているが、鉾を担うフェルの表情は長く慣れ親しんだものであるかのようにどこまでも涼しげだった。
「滅相もない。元はといえばこれは大佐のもの、わたしはただお預かりしているだけです。――まぁすっかり手に馴染んではいますが。大佐はもうよろしいので?」
必要とあればフェル自身がこの鉾を武器とするつもりなのだろう。彼女の外套の右側は腕にかからないよう留める位置が調整されていた。
「平気よ。わたしにはこれがあるから」
そう答えてオウスティナは軍刀を腰へと佩き直した。
まったくの偶然ではあるが、然るべきものを手に入れた今のオウスティナは鉾を手元に置く必要がなくなっていた。
「ああごめんなさいね、話の腰を折って。それでなんだったかしら」
「ええ、いくつか報告したきことが」
よく見れば彼女たちふたりは、なにか技術的な事案もあるのか先ほど作業に戻っていったばかりのネヴァを連れていた。本人は早く作業に戻りたいのかどこか落ち着かない様子だ。
「聞かせてちょうだい」
「まず喫緊のものですが、湖で結界破壊の任に就いていた戦艦マラートが沈められたようです。主砲による直接射撃も結界には傷ひとつつけられなかったことも確認されました」
ナナリーからの報告を受けたオウスティナは、ぴくりと肩を動かした。
「マラートが? あれだけ巨大なフネでもダメだったのね……」
小さく首を振ってオウスティナは嘆息。後ろで縛った髪が動作に合わせて揺れる。
残念がっているようにも見え、あるいは予想通りであるかのようにも見えたが、彼女の真意は口唇を失くした表情から窺い知ることはできなかった。
『生前の身からすると、あれが沈められたってのはなんというか複雑な心境だなぁ……』
「どうも吸血鬼たちへの牽制に張り付けていたカール自走臼砲を奪取されてしまったようで、対艦攻撃にまんまと利用された形です」
しみじみとつぶやいたネヴァの微妙な発言を、ナナリーは意図的に無視して説明を続けていく。
厳密に言えば戦艦マラートが沈んだのはカール自走臼砲の攻撃だけが原因ではない。カールから射出された鬼が生身の砲弾となって突っ込み、 装甲を“侵徹”して弾薬庫と一緒に船体を跡形もなく吹き飛ばしたのだ。
尚、「生身の砲弾」という矛盾の塊のような単語については気にしてはいけない。おそらく誰にも説明がつかないのだから。
「……本当に驚かされてばかりね。奪取されたFlaKの件といい、連中、わたしたちよりもずっと兵器を有効活用しているじゃない。とんだ知恵者がいたものね」
オウスティナの右目に残る紫水晶の瞳がどこか事態を楽しむように小さく輝いた。
「やはり性急に動きすぎたのでしょうか? こうも敵にいいように翻弄されるとは……」
感情を窺わせない声色でフェルが口にした。
「いえ、結界を破壊し得る兵器が手に入ったこのタイミングしかなかった。その判断は間違っていないと思っているわ」
確信をもってオウスティナは断言した。
外の世界で最後に行われた大きな戦いのせいで彼岸がパンクしかけていて、その上で忘れ去られた近代兵器まで流れ着く事態など、普通に考えて二度目があるとは思えない。
「何もかも揃えようとモタモタしていて、地獄の女神に見つかって連れ戻されでもしたら元も子もないからね。それで敵はどんな連中? まさか吸血鬼たちが打って出てきたとでもいうの?」
どこまでも想定の範囲内で推移しているような口調でオウスティナは副官たちに問う。なんとなれば自分が軍刀を携えて出張ると言わんばかりに。
「いえ、吸血鬼たちは動きませんでした。代わりに情報にあった魔法使い他2名が出てきて、例の半霊剣士の一派と合流したようです。戦闘で確認された人数は計8名だと」
各所から上がってきた報告書に目を通しながらナナリーは答えた。
「館付近を戦場にしたくなかったってことかしら。その辺りは情報通りね、やはり一番統率が取れて危険なのは吸血鬼の勢力で間違いなさそう。……半霊の仲間たちが全部で8人? 計算が合わなくない?」
オウスティナの発言は亡霊兵団によって独自に仕入れたものだった。そのため成り行きで仲間に加わったような存在が員数に入っていなかったのだ。
「動機は定かではありませんが、鬼と妖精が各1体ずつ協力していたようです。もっとも、鬼はマラートの轟沈の際、爆風によって遥か彼方へ吹き飛ばされて――もとい、排除できたようですが」
「鬼……。地上の鬼といえば、もっとも危惧していたあの厄介なやつかしら」
鬼という単語に興味を覚えたオウスティナが反応した。
「星熊勇儀が地上に出たという話は聞いていません。と考えれば、噂に聞いた山霊の子孫に間違いないかと」」
神と呼ばれるような存在ではなかったものの、恐ろしきものの代名詞として鬼は歴史に名を残している。亡霊兵士たちが昔話として聞いていたものがいくつかあった。
「偶然の戦果なのが情けないけれど、それほどまでに強力な敵が排除できたのは大きいわ」
予期せぬタイミングで殴りつけられてはたまらなかった。
オウスティナとて負けるつもりはないが、自分の身体はひとつしかない。死角から奇襲をかけられては対処できない可能性があった。
「それにしても、ややこしいわね。要注意なのは博麗の巫女と魔法使いだけじゃなかったの? 幽香の助言も存外アテにならないわ。もっとも、しっかり訊いていなかったこちらにも落ち度はあるか……」
つぶやきながらオウスティナは思考を整理すべく歩き始める。
「彼女もぺらぺらと親切丁寧に教えてくれる義理はないでしょうから……」
ナナリーも主の癖を理解しているため後に続きながら言葉を返す。
「ふふ、もっともだわ」
何回か拳と言葉を交わしたものの、あの妖怪は自身を“ひどく楽しませないかぎり”は有益な情報を教えてはくれないのだった。それも本人の主観が入り過ぎているというオマケ付きだ。まるで割に合わない。自分たちで能動的に情報収集したほうがいくらか効率的だった。
そんなことを考えているうちに目の前にふたたびツァーリ・ボンバが姿を現した。
気配を感じて視線を向けると、ネヴァと共にツァーリを調べていた兵器管理部の亡霊がやって来るところだった。他の亡霊と同じく無機質な表情を浮かべたまま、無理矢理引っ張って来たらしい霊烏路空を連れている。
特殊な糸で上半身をぐるぐる巻きにされているせいでろくに身動きがとれず、ほとんど呪いのような異能で人間とほとんどかわらぬ膂力にまで落とされ抵抗らしき抵抗もできないでいた。
「解析の状況に進捗でもあったのかしら」
オウスティナの問いに亡霊はネヴァへ向かって口をぱくぱくと動かした。彼女の霊格では生前のように発声することができないらしい。
『まだもうちょっとかかるみたいですねぇ。どうもわたしが知ってるやつとはちょっと原理が違うような?』
ネヴァの曖昧な答えに、そこだけはちゃんと断定してほしいものだと誰もが思った。
「地獄鴉はどう見ている? たしかあなたはこの力を制御できるんでしょ?」
視点を変えてみようとオウスティナは視線を空へ向ける。水を向けられた空は視線を逸らそうとして動きが固まった。
『ええ、安全装置があるはずなのでー、この者には固定位置を変えてもらおうと思ったんですがぁ……』
「間違いない……。これ……わたしと同じだ……」
硬直したままツァーリ・ボンバを見上げていた空がつぶやくように言葉を漏らした。
「うん?」
「大地の力も使ってるけど、太陽の力だ。わたしと同じ力を秘めてる」
『肝心なところが知りたいのに、こんな話ばかりでまるで要領を得ないのですー』
困ったように漏らすネヴァ。
実際、横で聞いていたオウスティナ、ナナリーは何を言っているのかほとんど理解できなかった。
そんな中、唯一フェルの表情だけがかすかに強張った。あまりの小さな変化に誰もそれには気付かない。
「そいつはいいわね。太陽の力は大地や人に恵みをもたらすもの。地から上がった太陽が私たちを導いてくれる。そう、八咫烏をその身に宿す貴女も」
「でもこれは……そんな生やさしいものじゃないよ……。地下の暗闇にいるから地上に憧れる、地上にいるから陽の温かさを感じられる。でもそれ以上近付こうとすると……。あまりにも危険すぎる。あんたたちが持っていいようなものじゃない」
空の瞳は恐怖と不安に小さく揺れていた。その身に強大な力を宿すがゆえに彼女にはわかってしまうのだ。
「分厚い結界を破ろうって話だもの、それなりの威力が必要でしょう」
「だめだよ。たしかにすごい力だから結界は壊せるかもしれない。だけどこれじゃあ幻想郷が、すべてが焼け落ちてしまうよ」
亡霊たちへの恐怖を抑え、なおも空は食い下がろうとする。
「よもやそんな戯言を並べて怖気づかせるつもり? 計画を中止させようったってそうはいかないわ」
左目の鬼火をひときわ強く揺らめかせたオウスティナは空の言葉を一蹴した。
すべては故郷へ帰るため。身体の奥底に宿す狂おしいまでの劫火を顕現させるために。