東方我楽多叢誌(とうほうがらくたそうし)は、世界有数の「同人」たちがあふれる東方Projectについて発信するメディアです。原作者であるZUNさんをはじめとした、作家たち、作品たち、そしてそれらをとりまく文化の姿そのものを取り上げ、世界に向けて誇らしく発信することで、東方Projectのみならず「同人文化」そのものをさらに刺激する媒体を目指し、創刊いたします。

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【連載】妖世刃弔華

著者

草薙刃

挿絵

こぞう

妖世刃弔華【第52回 因果】

 すでに括っていた腹から長い溜め息を吐き出し、それからゆっくりとヘカーティアは語り出す。

 以前起きた間欠泉騒動こと地霊殿異変の際、とうの昔に忘れ去られたと思っていた旧地獄が舞台となった時が契機となったことを。

「旧地獄なんて、あくまで表層に過ぎないのよ。それよりもずっと深い場所――かつて黄泉よみと呼ばれていた領域を基準にすればね。そんな地獄の奥深く、誰からも忘れ去られた奈落の底で眠っていた存在がいたの」

「ずっと深い場所って、間欠泉地下センターが最深部じゃないの? そこから下なんて、溶岩で満たされてそうだけど」

「地上と地下で便宜的に上下の概念が発生したのだけど、実際は常世とこよと呼ばれる死後の世界、つまり別世界よ。あなた神社の巫女なんだから、それぐらいは覚えておきなさいね」

「う……はい」

 紫にたしなめられ、霊夢が黙る。

 幾星霜いくせいそうを経たことで、ヘカーティア自身もいつしか忘れ去っていたのかもしれない。封じられていた存在が消えたことに気付かなかったなどというのは彼女らしくない。

「それで“消えた”っていうのは?」

「そう、供を連れていなくなっていた。それが純狐と一緒に月へ行く前」

「すぐ探そうとは思わなかったわけ?」

「四季映姫の伝手から調べてもらっていたんだけど、地獄も黄泉も広いから……。正直ね、外の世界で仏教の概念が広まってから秩序も纏まっていたし、深い……常人には想像もできないほど深い眠りに就いた“あの子”が目覚める日がくるなんて思ってなかったの」

 言い終えてから「油断していたのかもしれないけどね」と自嘲し、ヘカーティアは視線を伏せる。

 おそらく自身の友人である純狐じゅんこ――自らが何者であったかすら消失するほど“恨み”だけに純化した霊――が引き起こした月面へのカチ込み騒動のこともあり、共感シンパシーではないができることならどうにかしてやりたいと思っていたのだろう。

「黄泉に下りて間もない頃のあの子は、故郷から見捨てられたこともあって、長く荒れていた。静かになるまで、それはもう長い時間がかかったのよ」

 ただ、その存在は心から信頼できる一部の者たちを傍に置く以外、ヘカーティアどころか誰から差し伸べられる手をも掴もうとしなかった――。

「わずかな光さえ射し込まない寂しい場所で眠っていると知ってから、いつかどうにかしてあげたいと思っていたわ。でもね……普段は神だなんだと言われていても、肝心な時にはいい手段が思いつかないのよね……」

 ふと自嘲するように、ヘカーティアは儚げに笑ってみせた。

 自身が持つ反則的なまでの力でも、本当にどうにかしたい時に何の力も生み出してくれないのだと。

「同情を誘うような言い方してるけど、じゃあどうすんのって話になったらねじ伏せるしかないわけでしょ。結局のところは爆弾処理じゃない。どうしようもないヤツが地の底から出て来たというなら、博麗の巫女として退治するまでよ」

 放たれた霊夢の声は冷たい。ひどく酷薄と言っていいものだった。

「退治するって――」

「そこまで肩を持とうとするあんたの気持ちもなるべく尊重したいわよ。でもね、どうにかしなきゃ幻想郷ごと綺麗さっぱり吹っ飛んでしまうのよ。わたしはそれを座視しない」

「幻想郷に恨みがあるとかそんなのじゃないの。ただ偶然がいくつも重り合ってしまっただけで――」

 慌てたようにヘカーティアが両手を振って弁明するが、対する霊夢は不機嫌そうな表情を浮かべたままだ。

「そんなことくらいわかってるわ。でも、結局はどうなるか――結果がすべてよ。幻想郷に害を及ぼすっていうなら容赦するわけにはいかない」

 ヘカーティアを掣肘せいちゅうするように霊夢の瞳がすっと細まった。なんとなればこの場で一戦交えることも辞さない気迫を放ち始めている。

「ちょっと待ってよ!? すぐに行き先を調べたかったのよ? でも、純狐を手伝い月に行っていたから……」

 しどろもどろになりながらもヘカーティアは弁解を続ける。

「あの亡霊ひとりだけならまだわかる。けれど、彼岸に渡ったはずの亡霊までごっそり消えているのよ。もう幻想郷だけの問題じゃなくなってる」

 霊夢の言葉はどこまで正論で、しものヘカーティアも言い返すことができなかった。異変なんか起こしているからだと嫌味を言うまでもないほどだ。

 ヘカーティアは弁明を諦めた。

 月の都を巻き込んで起きた大規模異変の後、彼女はあらためて亡霊たちの首魁となったオウスティナの行方を四季映姫に依頼して秘密裏に調べさせていた。

 その結果、事態はもっとひどい――本来地獄へ渡さねばならないはずの霊魂が渡っていない――ことまで発覚したのだ。偶然にしてはあまりにもタイミングが良すぎた。

「ちょっとの対応でどうにかなる領域じゃないのはわかってるでしょ。実際問題、わたしを行かせないなら、神であるあんたがどうにかするべきじゃないの?」

 トドメを刺されたヘカーティアの顔が苦悶に歪む。正直彼女が介入するタイミングはとうの昔に過ぎていた。

 亡霊消失騒動に姿を消したオウスティナが関与していると思い至ったヘカーティアは、自分よりも情報を把握していそうな紫に相談したのだが、その時にはすべてが遅すぎた。

 ほぼ同時期に外から流れ着いた兵器が亡霊たちの手に落ちていたのだ。それもひと際危険なものと一緒に。

「ちょっとは落ち着きなさい、霊夢。あなたには出張らないでほしいと先に言っておいたでしょう?」

 ふたたび広げた扇子を小さく揺らしながら、見かねた紫が横合いからやんわりと言葉を差し挟んだ。

「この期に及んでまだわたしに出張るなっていうわけ!?」

 悠長なことを口にしている紫を額に青筋を浮かべかねない勢いで霊夢が睨む。

「始末屋のあなたが向かうのはむしろ逆効果よ。あれは1,900年前に黄泉へと渡った、半人半神の血筋の者だから」

「1,900年前……わしは直接うたことはないが、聞いたことはあるの。なんじゃ、あの小娘がそうだと?」

「ええ。なかなか解決策を選びそうな相手でしょう?」

 紫が応じると隠岐奈が「面倒ではあるな」と小さく肩を竦めた。

「……そういうことなのね、紫」

 賢者たちの会話を聞いていた霊夢が、そこで思い至ったように紫に視線を向けた。

「方々から手を回して、“切り札”たる白楼剣を受け継ぐ妖夢に、四季映姫から異変の解決を依頼させようとしたんでしょう?」

「ふふふ、どうかしらね」

「相も変わらず性格が悪い。半人半霊のヒヨッコに任せるのは荷が重いんじゃないかのぉ」

「最大の問題は実力行使するにしても殺し合いにしかならなさそうなことよね。あいつには幻想郷のルールに従う義理なんてないもの」

「外からの移住者であれば、居付きたい手前、こちらの言うことも少しくらいは聞いてくれるんでしょうけど、無理矢理出て行きたい団体からしたら“立つ鳥跡を濁さず”なんて思ってもくれないでしょうね」

「さてさて、わたしたちはどうしましょうか。普段であれば霊夢に解決にいかせるのだけど、非常事態となればそうも言ってられないかもしれないわね。なんなら、この三人で片づけてしまおうかしら?」

 頃合いを見計らったように紫が提案を口にした。

 かつてないほど緊迫した状況にもかかわらず、浮かべる表情にはどこか事態を面白がるような気配があった。

 「ふん」と小さく鼻を鳴らして隠岐奈はその“策”に乗った。

「心にもないことをよく言うたものじゃ。もっとも、我々のような立場の者が直接手を下すのには賛成しかねるがの。相手も半人半神程度であれば、そこに生きる者たちでどうにかすべき問題だ」

 呼応するように小さく眉をひそめた隠岐奈がひらひらと手を振った。

「あらあら。まるで自分の意見が幻想郷の総意であるかのように言わないでほしいものね」

「知れたこと。わしはおまえと違って幻想郷が多少危機に陥ることをいといはしない」

「あら、意外。単にあなたが亡霊たちと相性が悪いからではなくて?」

 敵勢力が死の軍勢ということもあって、彼女の能力である相手の力を使うのが活かせないのが無関係とも思えなかった。

「ははは、これは面白いことを言いおる。ふたたび四季異変を起こして妖精たちをぶつければ良いと申すか?」

 紫の物言いが癇に障ったのか、隠岐奈の目がわずかに据わる。

 たしかに生の塊である妖精をぶつければ相反する者同士で拮抗するかもしれない。

 だが、それでは幻想郷のありとあらゆる場所を巻き込んだ阿鼻叫喚にする文字通りの大戦争に発展するだけだ。

「凄惨な歴史の一頁を刻みたいのであれば、わたしが今ここで貴女を血祭りに上げるまでですよ。守るべき里の人間が息絶え、人の信仰や恐怖を失った妖精や妖怪が絶える――そんな結末をお望みでしたらね」

 普段は温厚な態度を見せる紫もこの時ばかりは目が笑っていなかった。

「ふん、誰も幸せにならんな」

 隠岐奈が小さく首を振り、次いで圧力が和らいだ。

 意見が対立する紫の手前口にはしないが、いかに放任主義の気がある隠岐奈でもそこまでの焦土戦の引き金を引く気にはなれなかった。

 そこまでしていったい何が保てるというのか。ただただ神の面子だけだ。

「そもそもの話じゃが、あの連中だけでも結界の外に出してやればよいのではないか? 厄介な兵器も一緒に出してしまえば、おぬしの利害とも一致すると思うがの」

「わたしはそんなえげつないことなんて考えませんわ。外の世界はすでに高度かつ独自に発展し、彼女らのような幻想に肩まで浸かった者たちの居場所はありません。それに一度は黄泉に渡ったのですから、真の現世うつしよたる外の世界に出すことはヘカーティア様がお許しになられないでしょう」

「そうね。いくら時代の被害者とはいえ、例外を認めるわけにはいかないかしら。それが神としての公平な判断でなければならないわ」

「神が下す審判ってやつ?」

「おあいにく様。わたしはどこぞの神と違って預言者にあれこれ知恵を授けるのは趣味じゃないのよん」

「賢明な判断じゃな。それで収集つかなくなっていたりするのだから、余計なことはしない方がいいものよの」

「本当にあんたらが揃うとタチの悪い話しか出て来ないわ。……それにしても意外と騒ぎになっていないものね。これだけ広範な異変になったら、小賢しいブン屋が嗅ぎつけてないのはおかしくない?」

 賢者たちの大仰なやり取りのせいですっかり毒気を抜かれてしまった霊夢が話を変えた。

「大方、八坂神社から天狗勢力に、連中には手出ししないように言ってあるのでしょうね。藪をつついて蛇を出さないように」

「忙しないブン屋がその程度で止まるものかしら。あれは変な情熱だけはあり余っているでしょ」

「ふふふ、今頃それどころじゃなくなっているかもしれないわねぇ」

 まるでその件は手を打ってあると言わんばかりに、紫は掲げた扇子の下で口元の笑みを深める。

「何を仕込んでいるか知らないけど、騒ぎにならないならわたしから言うことはないわ」

「余計な噂をバラ撒いて幻想郷が大パニックに陥ったら元も子もないし、余計なことをしそうになったら実力行使するまでよ」

 最悪の場合は、事態が解決するまでスキマにでも軟禁してしまえばいい。

 いかに紫といえど過剰な介入は好みではないのだが、それ以上に騒ぎになることを避けたかった。こんな“悪夢”は多くの者が知らぬ間に解決されているべきなのだ。

「いずれにしても、妖夢たちが地下に向かおうとしてるわ。後のことは彼女たちに任せましょ」

「妖夢たちが? それまずくない? 地下の妖怪たちとの協定はどうしたのよ」

 以前の地霊殿異変で、地下の妖怪たちから歓迎を受けたことを思い出した霊夢が問いかけた。

「幸いなことにあの3人……妖夢、小町、にとりなら問題ないでしょう。妖夢は妖怪ではなく半人半霊、小町は死神だし」

詭弁きべんもいいところね。だけど、にとりは正真正銘河童じゃない」

「あの子は間欠泉地下センターにも出入りしてるから、通行許可があるのよ」

「まさかあんた……。知ってて仕向けたわね」

 最初から落としどころを用意していたな。この場に拘束されていることといい、霊夢はどこまでも紫の掌で踊らされているような気分になった。

「いやはや、すごい偶然もあったものだわー」

 疑念を向けられた紫は棒読みを隠そうともしなかった。彼女は彼女で現時点での目的を達成しているのだろう。

「いくらなんでも白々しいわよ!」

「まぁ、そんなわけだからもうちょっと待っていなさいな。危なそうな時にはちょっとくらい助けてあげるつもりだし」

 そう言って紫は扇子を畳んだ。いつの間にか結界を狙った攻撃はぴたりと止んでいた。

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