【連載】妖世刃弔華
妖世刃弔華【第39回 砲陣】
「飛んで行った死神のことはさておいて……」
依然として湖から轟音が響き渡る中、パチュリーがおもむろに口を開いた。
「こんなもので狙われてしまえば、さすがの紅魔館だってひとたまりもなかったでしょうね。そうなればとても面倒なことになっていただろうから、あなたたちには感謝しているわ」
言葉を続け、カール自走臼砲に近づいたパチュリーは初めて目の当たりにする兵器をまじまじと見ながら短く息を吐き出す。
自身の専門である魔法とは異なる知識体系で作られたものにも興味を覚えるのか、動かないはずの魔女は自身の知的好奇心を満たそうとカールの周りをうろつきはじめる。
さすがは第二次月面戦争が勃発した際に、ほとんど伝聞に近い形でありながら、ロケットを作って月まで行った経験を持つだけのことはある。
(仮に興味を持ったとしても、カール自走臼砲を再現するのだけはやめた方がいいだろうけどね)
操縦席から外の様子を眺めるにとりは口には出さないながらも考えていた。
いくら他人事とは言え、内側から紅魔館が吹き飛ぶような事態はさすがに見たくない。
むしろ、そんなもったいないことをするくらいなら、自分たち河童が協力した方が幾分かマシな結果になるのではないだろうか。
とはいえ、当初の目的――――今となってはすっかりそれどころではなくなってしまった兵器の解体を思い出すと、スキマ妖怪がそんな勝手を許すとは思えなかった。
「それにしても連中、よくこんな使いづらい兵器まで使おうとしていたな……」
カール自走臼砲を見上げてつぶやくにとり。
この自走臼砲は、この自走砲は、要塞や城塞を破壊して歩兵の戦線突破を支援する目的の兵器である。破壊力に比例した巨大さ、鈍重さは、当然小回りの利きづらさに直結し、持ち出せる場面も限定的となる。
「まぁ、紅魔館を城と考えれば適任ではあるか。亡霊たちからすれば館の主は悪魔の親戚みたいなもんだろうし、本気で相手にするなら手っ取り早く館を破壊して生き埋めにでもしちまった方が……」
パチュリーの行動を観察すると同時に、にとりはにとりで自分が紅魔館を攻めるならどうするだろうかと物騒なことまで考えていた。自分の興味がどこまでも先行してしまうあたり、河童とはなんとも業が深い生き物である。
「悪魔……城……吸血鬼……。うーん?」
「何か気になることでも?」
小首を傾げてカールを眺めている妖夢に、にとりが問いかけた。
「いや、何かよくわからないですけど、ずいぶんしっくりくる言葉だなと思いまして」
(刀を振り回していないと、案外こいつもポンコツな気配があるな……)
ハッチの縁に身体を預けながら、にとりは小さく鼻を鳴らした。
「ちょっと? 人が一生懸命働いているって時に、なーにしょうもないこと言い合ってんだい、あんたらは」
ちょうど戻ってきた小町がフリッツヘルムを脱ぎながら抗議交じりの呆れ声を発した。
ほんのそこまで飛んできただけにもかかわらず、彼女の表情には疲労の色が浮かんでいるように見えた。
「なんでもないです。それより、湖にいた大物とやらの正体はどうでした?」
「にとりの言ってたとおりさ、本当にでっかい船だったよ。全身灰色のイヤな感じ」
「えぇ~……」
「戦車についてる砲なんか比べもんにならないほど馬鹿でかいヤツが火を噴いてた。もうね、笑っちまうよ」
渇いた笑いが小町から漏れた。いつになく軽口にもキレがない。それほどまでの存在だったのかと、話を聞く妖夢の背中にじんわりとイヤな汗が浮かび上がる。
「あちゃー、やっぱり予想通りだったかぁ~」
報告を受けたにとりが顔に手を持っていき、天を向いて嘆いた。
「幸いというか残念ながらというか、あのはた迷惑な舟幽霊はいなかったけどね。どうせだからあのでかい船を沈めてくれりゃいいのにさ」
「あなたの舟、沈められたことがあったりする?」
毒づく小町に横からパチュリーが問いかけた。どうやらカールの見分はひと通り済んだらしい。
「いや、ないけど?」
「それじゃあ無理でしょうね。あれは人間を彼の岸に引きずり込む怨霊、亡霊しか乗ってない船は沈められないわ」
淡々とパチュリーは事実を告げた。
そうそう物事が都合よく進んでくれないことを思い知らせてくれる言葉に、小町の眉根が不機嫌な形に歪む。
「なんだいなんだい、肝心な時に役に立たないヤツだねぇ」
「仕方ないわよ。なんにでも適材適所ってものがあるから。……というわけで、このデカ物を使って湖にいる大物を潰すって案はどうかしら?」
鎮座するカールを指し示してパチュリーが提案を口にした。彼女の性格からすれば意外なひと言だ。
「ふーん、運よくカールを手に入れられたからそのまま使っちまおうって? それを思いついたから着いてきたってわけか」
どこか揶揄するように、問いかけたにとりはパチュリーに視線を向ける。
「なんだか人聞きが悪いわね。けれど、あなたも似たようなものでしょう? 外から流れ着いた乗り物を使おうとした時点で幻想郷では異質的な考え方だわ。わたしもそれと然程変わらないと思うけれど」
「なるほど、さすがに魔女は考えることが違うね」
「渡りに船とはこのことじゃない? もっとも、死神のボロ舟だったら乗ろうとは思わないけれど……」
よせばいいのに余計なひと言を付け足しながらパチュリーは笑みを深めた。背後に控える美鈴と小悪魔は、上司の面倒な振る舞いに苦笑いを浮かべるしかない。
「ははは、違いないや。……よいしょっと!」
掛け声を上げてティーガーⅡから降りたにとりはカールへと近づいていく。
今まで操っていた戦車を遥かに凌ぐ自走臼砲の巨体は、11mを越える全長のみならず、重量までもが約126tと妖夢たちが乗ってきた戦車の倍近くに達している。下手な場所で動かそうものなら地面に沈みこんで擱座してしまうような規格外のものとなっていた。
だが、それも致し方ないことだった。
なにしろこの兵器に積まれている砲の口径は540mmにも及ぶのだから。繰り返すが超大口径の540mmだ。決して54mmの間違いではない。
これはカールが一般的な榴弾砲のように、複数で並べて発射や陣地移動を行いながら進軍する敵軍に打撃を与えるためのものではなく、強固な要塞・城塞を攻撃するための超重榴弾砲として計画されたものだからだ。
もっとも、この兵器も初期の着想では分割して輸送し、陣地に到着後組み立てるつもりであったのだが、それではあまりにも射撃準備に時間がかかりすぎるため自走化する方式に変更したほどだ。
第二次世界大戦後は、その他の砲が長射程化していったことや航空攻撃の発達によって臼砲は価値を失い、使用されることもなくなったため、これがある種の究極進化であったとも言えるだろう。
とはいえ、わずか6輛しか作られなかった時点で、相当使いにくい兵器であったことは間違いない。
「どっちみち、結界がいつまでも持つ保証だってないし、このデカ物を壊しても湖の大物が館に攻撃を仕掛けてきたら同じことでしょう? そもそも、あなたたちに対抗手段はあるの?」
「うぐ……」
痛いところを突かれたにとりは言葉に詰まる。
「でもまぁ筋は通っていますよね。実際、さっきは逃げるしかなかったわけですし」
特にこだわりのない妖夢はパチュリーの案に賛成の姿勢を示した。
「こっちにもフランが機嫌を損ねたら厄介だって事情もあるけど、亡霊まで壊しちゃって霊魂を回収するのが面倒臭くなったら、それはそれで死神の仕事だって増えるでしょう? そうなってもいいの?」
「よし、やってやろうじゃないか、にとり! 幻想郷の平和を守るんだよ!」
急に小町がやる気を見せはじめた。理由については語るまでもない。
「お前なぁ……。ブレないのはいいけど、いい加減虚しくなってこないか?」
あまりの白々しいセリフに溜め息を吐きだすにとり。聞いている方が疲れてくる。
「ところで、にとりやい」
「なんだよ?」
まだ茶番を続けるつもりかと、にとりは胡乱な視線を小町に向ける。
「見た感じ戦車と同じになっているってことは動かせるんだろう? もうちょっと見晴らしのいい場所に移動するべきじゃないのかい?」
「あー、コイツに限ってはやめといたほうがいいね。外の世界と違って、幻想郷の道がこんな重たいものの移動を想定しているわけもない。途中で沈み込んでどうにもならなくなるのがオチだよ」
小町の提案を、カールを触るのに半ば夢中になっていたにとりが却下する。
ちなみに本自走臼砲だが、名前の通り“自走”は可能であるものの、先に述べたように自重が120tを超えるせいで時速10キロ程度でしか移動ができない。
移動を初めから考えていないからこそ、亡霊兵団もこんな場所へと隠すように置くしかなかったのだろう。
「しかし、“動かない大図書館”として知られるあなたがこうして着いてくるだなんて、珍しいこともあるものですね」
手持ち無沙汰を紛らわせるように、妖夢はパチュリーに話しかけた。
にとりが兵器をいじりはじめたら、手伝いを要請されでもしない限り、周りは特にすることがなくなってしまう。いくらなんでも酔っ払いのように酒を飲む気にはなれなかった。
「新しい知識を得るにはフィールドワークも重要だって最近学んだのよ。いけないかしら?」
もっともらしくパリュチーは答えるが、実際のところは異変らしきものが起きているかもしれないと美鈴の周辺調査について来ただけだ。
厳密に言えば、門番である美鈴に詳細な報告まで可能かが甚だ怪しく、同時に異様な雰囲気を察知したことでパチュリーが名乗りを上げたのが真相である。
あえて身内の恥を晒すまでもないので口にはしないし、当の本人や小悪魔も知らぬ存ぜぬで口を噤んでいるが。
「だったら、別に敵の兵器を使わなくてもいいんじゃ。……何でしたっけ、『ロイヤルフレア』? そんな感じの魔法でまとめて吹き飛ばしてはダメなんですか?」
せっかく魔理沙とは違う意味で魔法を使える“砲台役”がやってきてくれたのだ。
これまでは他に手段がないから頼ってきた兵器のように、ああしなきゃいけないこうしなきゃいけないといった制約がなくて済むならそれが一番ではないか。
「それはちょっと浅慮かしらね、半霊さん。魔法はみだりに乱発していいものじゃないのよ、少なからず世界に影響を与えてしまうから」
「そういうものなんですか。わたしは詳しくないのでよくわかりませんが……。あ、でも弾幕ごっこでは派手に使ってるじゃないですか」
「あれはスペルカードルールに則った疑似的な魔法だもの。幻想郷の中においては自然な現象、ということ。それに――――」
「そ、それに?」
そろそろ妖夢の頭が理解の限界に近づいており、目をぐるぐる回し始めている。
「無駄な魔力や体力を温存し、敵の攻撃力を消耗させた上でまとめて撃破する。これほど効率的なことはないでしょう? 戦略遊戯と一緒よ」
「んー、言われてみればたしかに。まるで将棋みたいですね」
「ついでにあなたたちの邪魔者も始末できるんだから一石二鳥じゃなくて?」
「むむむ、たしかに」
どこか自信満々に紡がれるパチュリーの言葉に、単純な妖夢は感心したように唸りを漏らした。
「さぁ、いつまでもダベっていないで準備するわよ。いつまでも湖に我が物顔で浮かんでいる邪魔者を排除しなきゃいけないんだから。美鈴、小悪魔、あなたたちも手伝いなさい」
「「はぁーい、パチュリー様」」
上司に促され、美鈴と小悪魔が動き出す。こうして見るとなんとも統一感のない集団だが、今はひとりでも手が欲しいので誰もそれは口にしなかった。
「とりあえず、偵察は死神が済ませてくれたし、音のする方角からだいたいの距離は魔法で演算できそうだわ。……ところでこの武器、ちゃんと当たるものなの?」
「どうだろ。動かない建物を狙うためのものだから、あまりいいとは言えないだろうねぇ」
「……繰り返すけど、よくもこんなものを作ろうと思ったわね」
「遠くを観測するための技術もそれなりに発展していたからじゃないかな。これでもたしか結構改良されていて、飛距離は倍以上になっているみたいだけどね」
主流にならなかったのは、運用には多大な人員と物資を必要とする上、投入する局面も非常に限られたためだ。
その他の砲と比較しても短射程と低い発射速度、さらには迅速な移動が行えないといった問題から、不用意に戦闘に投入すれば敵方から一方的に撃ち返される危険性が高く、自軍が圧倒的な優勢を保っている状況以外では使いづらい兵器だった。
このため、前線に送られたものの戦闘に投入されぬままに撤収した例が多いとされる。
そんな悲劇の歴史を知らない妖夢たちは、巨艦を葬り去るため発射の準備を進めていく。