【連載】妖世刃弔華
妖世刃弔華【第32回 渡世】
森の中へと獣の唸り声にように響き渡る内燃機関の駆動音。
4ストロークV型12気筒水冷ガソリンエンジン700馬力によって生み出されたエネルギーが転輪を回し、それと連動した履帯が金属の擦れ合う音を立てて、全長10メートルを超す鋼鉄の巨体が70トンにも達する超重量を動かしていく。
半人半霊、死神、妖精に妖怪と闇鍋のような組み合わせの一行を乗せつつも、威風堂々と進軍するティーガーⅡの姿がそこにはあった。
「うるさいのさえ除けば、味方にするとなんとも頼もしいものですね」
車長席のハッチを開け、上半身を出して吹き付ける風を感じながら妖夢はつぶやく。
空を飛んでいくよりは遅いが、それでも徒歩で進むことに比べればずっと速い。なにより、勝手に進んでくれるので疲れないのが最高だ。これならにとりの弱音に付き合わなくて済む。
「妖夢はそっちにいるから気楽でいいよね。こっちはうるさくてもう大変だよ」
エンジンルームの真上に立って冷気を放射しているチルノが不満を口にする。
すくなくとも今のところは小町に頼みこまれて了承した手前頑張っているらしく、ほのかな冷気が妖夢のところまで漂ってくる気がした。
「能力を世のため人のため遺憾なく発揮できているんだからいいじゃないですか」
目下出番のない妖夢の口調はどこまでも他人事風だった。ここのところずっと斬った張ったのドタバタ劇を演じてきたのだ。多少は休んでいたってバチは当たるまい。
真面目な性格の妖夢も立て続けの修羅場にすこしばかり理性のタガが緩んできているのかもしれない。
「ちぇ~。こんなのあたいのキャラじゃないってのに……」
「普段はいたずらくらいにしか使っていないからちょうどいいんですよ。頑張ってくださいね」
「やなかんじ~!」
気を緩めているとはいえ、それでも妖夢は「買収されたんだから文句を言うな」などとは口にしない。
ただでさえ気まぐれな性格の妖精の中でも、ひと際癖の強いチルノが割と自分から協力してくれているがゆえにこうして楽ができている以上、下手に機嫌を損ねるような真似をしては台無しだからだ。
(そういえば、外の世界ではこういった機械が当たり前に使われているのだろうか?)
戦車に揺られる中、ふと妖夢は小さな疑問を覚える。
兵器――――戦いに使うための武器がより発展したものだとにとりは語っていたが、たとえば幻想郷でも刃物は妖夢の振るう刀だけでなく、枝を切断するための鉈や料理のための包丁として存在している。それを考えれば、こうした兵器の技術にしても、その一部を他の分野に利用していると考えるのが自然だろう。
ぱっと思いつくだけでも、戦車の全身を覆う硬い鎧のような部分を外せば、人の手だけではままならない重い荷物を運ぶのだって可能なはずだ。
ところが、そうした便利なものが幻想郷には存在していない。まるでその存在を恐れるかのように。
(意図的に遠ざけられている……? でも山の産業革命とかは特段止められてもいないし……)
「お~? なんだか難しい顔してるじゃんか〜、半霊。ガラにもない~」
投げかけられた声に妖夢の思考は中断される。別のハッチを軽々と開けて幼女もとい伊吹萃香が顔を出していた。
どこかからかうような表情を浮かべているようにも見えるが、単純に酔って表情が弛緩しているだけかもしれない。妖夢としてはバカにされている気がして少しだけむっとしてしまう。
「そりゃあ当然でしょう? これから敵の真っ只中に突っ込むんですから。あなたこそ、そんな調子で大丈夫なんですか?」
「ん~? わたしの出番はまだ先みたいだからな〜。ええと砲弾だっけ? やることも覚えたし、あとは飲んで待つだけさ~」
緊張感の欠片もない声で答えた萃香はハッチから出て砲塔の上に腰を下ろし、取り出した瓢箪を呷って無尽蔵に湧き出る酒をがばがばと飲みはじめる。
こんなので本当に大丈夫なのだろうか? と妖夢の内心にそこはかとない不安が宿る。
いや、それよりもこのひどい振動の中で酒を飲んでよく気持ち悪くならないなと感心したくなる。
「はは、心配するなって。誇りある鬼の名にかけて、任された仕事はきちんとこなすからさ〜。たまには腕っぷしのひとつも見せないとな~」
種族の名前こそ出すものの、どこまで本気かもわからない口ぶりだった。
萃香もまた八雲紫のような古参の妖怪などに見られる傍観者的な気質を持っているのだろう。実力があるゆえの余裕とでもいうべきか。
とはいえ、彼女がそういう性質の妖怪だと知っていても、やはり空気を読んでいないとしか思えない酔っ払い具合を見ていると懸念は拭いきれない。
「本当にわかってるんですかねぇ……。くどいようですが幻想郷の危機なんですよ?」
眉を顰めて問いかける妖夢。どこかの魔法使いみたいに厄介事が起こればいいと願う性格とは正反対の生真面目な物言いだった。
「かぁ~、真面目だねぇ。宴の時のあんたに見せてやりたい姿だよ」
「? どういう意味です?」
「なんでないって~。ただ、そんなガミガミ説教しなくたってちゃんとわかってるよ〜。ヤバい武器が使われようとしてるんだろ〜?」
心当たりがないため首をかしげる妖夢に対し、萃香はひらひらと手を振りながら、それでも酒を飲む手を止めようとはしない。
「ま、安心しな。霊夢にも頼まれたし全力で当たるさ。この世界にこんな大仰な武器は過ぎたるもんだよ。こんなのやらが出てきちまったから、外の世界じゃ妖怪どころか神と呼ばれる連中まで居場所をなくしてしまったんだろうしね」
酒精でほのかに頬を桜色に染めながらも、外の景色に視線を向ける萃香の瞳には遠い昔を思い出しているような気配があった。
妖夢はまだ若い。短命な人間と比べたらそうでもないかもしれないが、妖怪などが住まう幻想郷では間違いなく年少者に分類されるはずだ。
だから、幻想郷の成り立ちなどは言葉伝いに知っていても、実際にその時代を生き抜いてきた者の持つ想いや経験まではわからない。すくなくとも今萃香が向けている何かへと無遠慮に触れることは憚られた。
「なんだいなんだい、まるで見てきたように話すじゃないかよ」
どう言葉を口にしていいかわからない妖夢と代わるように、小町がひょっこりと顔を出した。出番がなくて狭い車内にいるのも退屈になったのだろう。
「それにしても大江山の酒呑童子が言うとやっぱり説得力があるねぇ……」
にやりと笑う小町の言葉を受けて、萃香の飲む手が一瞬止まる。
「……あんたなら絶対に首を突っ込んでくると思ったよ、死神。と言っても酒呑童子なんてヤツのことは知らないけどな」
瓢箪を口から離した萃香の目が小町へと向けられる。そこには常時酔っ払っている童女の目はなく、御伽噺になるほどの星霜を経た超常の存在――――鬼の瞳が存在していた。
「よく言うね。源頼光たちに討ち取られたあんたが地獄に渡って来たとき、そりゃもう大騒ぎだった話は地獄じゃ誰もが知ってることだよ」
あくまですっとぼける萃香の態度に小町は小さく鼻を鳴らす。
「えっ、討ち取られた? というか地獄に渡ったって、それすでに1度死んでるってことですか?」
「そうさ。あんた、白玉楼に住んでるわりには何も知らないんだねぇ……」
「うっ……ただの庭師なものでして……」
小町に呆れられた妖夢は小さく呻きを漏らすが、さすがに言い訳としては苦しいものだった。
「しかたないねぇ。あんたは「斬ればわかる」の単細胞だから、あたいたちがわかりやすく教えてあげようじゃないか……」
「なんだかバカにしたような言い方が気になりますが、とりあえずお願いします」
ここぞとばかりに言いたい放題の憂き目に遭った妖夢は、小さく眉をヒクつかせながらも不承不承といった様子で続きを促す。
「考えてもみなよ。弱かったり運がなけりゃ滅びちまうのが生あるものの定めってもんさ。外の世界じゃ生けるものたちはそうやって世代交代をしてきた歴史がある。たとえば、人間と鬼は古くから勝負を繰り返してきた間柄だったりするしね」
小町がさらに探りを入れるように視線を向けるが、当の萃香は意に介さず小さく笑っただけだった。
「そうだね、わたしもまつろわぬ民として退治された身さ。勝負勝負と挑んでいたのが人間を本気にさせちまって、ついには横道だろうが手段を選ばない連中にやられちゃってね。でも、そんなやつらがいつの間にか月にまで手を伸ばしたってんだから大したもんだよ」
「すくなくとも妖怪にはできなかった進化だろうね」
しみじみと語る萃香の言葉に小町が頷く。
「ああ、人間の進化した力の一端が今回の異変で暴れ回っている兵器ってやつさ。それが今幻想郷を滅びの瀬戸際まで追い詰めている。もしかしたら妖怪も潔く滅び去るべき存在なのかもしれない。こうして隔離された世界に閉じこもって生き永らえているよりはね」
幻想郷そのものに疑問を投げかけるような萃香の言葉だった。かなりの昔からこの地に存在しているがゆえに多くの物を見てきての言葉なのかもしれない。
「まるで人間の死生観だねぇ。あんた、どこでそんなものを学んできたんだい?」
「退治された後、ちょっとの間地獄で雇われていたりしたのさ」
萃香の能力を考えれば本気で拘束するのは不可能なので、しばらく大人しくしていることで反省としたのかもしれない。
実際、幻想郷に来てから彼女が人を襲ったという話は聞いたことがなく、対等に勝負できるような相手を選んで付き合っている節がある。霊夢などはその最たる例だろう。
「それで半霊、あんたは生きていたいと願うかい?」
「それは――――」
萃香の抽象的な物言いにどういうことかと妖夢は返す。
「敵は「生きていたかった、死にたくなかった」って感情が凝縮された上、“大物”の魂の影響を受けてあの世から零れ落ちてきたような連中だ。並の覚悟でどうにかなる相手じゃないよ。あれこそが人間の恐ろしさと強さが具現化したものでもある。その意思を上回らなければあんたは勝てない」
萃香は妖夢に覚悟を問う。本当にこの異変の解決を委ねても良いか己の目と耳で確かめようとするかのように。
「死んでしまったのにあのような形で尚戦いを求めるなんて、わたしにはまるで理解できません。それと、生きていたかったという思いが怨念となって暴走してしまうのも……」
かろうじてそう返すのが妖夢には精いっぱいだった。
今までのように剣を振るうだけでは相手にすらならことは先の戦いで痛感させられており、再び剣を交えたとしても勝てる光景は未だ浮かばずにいる。
そんな中、無意識に妖夢は白楼剣の柄に触れていた。まだ答えは得られていないが、それでも自分自身の迷いを断ち切ろうとするように。
「まぁ、そう妖夢をいじめるもんじゃないよ。誰しも自分の物差しでしかなにかを語ることはできないもんさ」
答えに窮する妖夢を見かねたように小町が助け舟を出す。ある意味怠惰な死神らしいやり方だった。
「それは死神の死生観かな?」
今度は萃香が表情を緩めて小町に訊ねる。
「……かもしれないね。でも、妖夢。あんたが向こうを理解できないように、向こうだってあんたを理解することはできない。結局、勝った方が意思を通すのさ」
「そう……かもしれないですね、わたしにはよくわからないですけれど。今考えられるのは、あの亡霊の首魁に勝ちたいってことだけです」
「剣への執念で生への執着を補ってる感じがするよ、あんたは。でもそんだけわかってりゃ、勝ち目も見えてくるかもしれないね。……ま、こんなイヤな仕事はさっさと片付けちまおう」
小さく微笑む萃香。見定めようとする鬼の視線はすでになくなっていた。
「まぁ、あんま気にすんなって。しょせんは酔っ払いの戯言さ~。わたしだってこんな居心地のいい場所を吹っ飛ばされるのはゴメンだからな〜。勝てば楽しい宴会だって待ってるし、ちゃんと働くから心配すんなよ〜!」
再び元の酔っ払いへと戻った萃香は、にへらと表情を緩めて酒を飲み始める。
どうやらこれ以上語るつもりはないらしい。これもちょっとした鬼の気まぐれだったのだろう。
「さてさて、こうして悩める半霊のお喋りに付き合ってやるのもいいけど、ちゃんと見張り役もこなしてくれよな~? ……そら、敵さんのお出ましだぞ~」
瓢箪を傾けながら萃香が前方を視線で指し示す。
目を凝らすと森の終わりが見え、その先には霧の湖。そして、進行方向を横切るように歩く亡霊たちの姿があった。時折響く謎の轟音のせいか、こちらに気付いている様子はない。
「にとり、敵です! 徒歩の亡霊が十体ほど! どうします!?」
戦車内部へと身体をわずかに沈めて臨戦態勢に入った妖夢は問いかける。
「見えた。どうやらまだこっちに気付いていないみたいだね。だったら――――踏み潰すっ!」
砲弾が勿体ないとばかりに全力でアクセルを踏み抜くにとり。
「うわっと」
エンジンの大きな唸りを上げて急加速する車体に驚いた妖夢は一度内部へと引っ込む。
ちなみに、小町と萃香はそれよりも先に中に入っており、今しがたの会話の残滓のように酒の匂いを内部に漂わせていた。