「フランス発!90年代を再解釈したゲーム的サウンド」東方アレンジ楽曲レビュー『Gensokyo 199X: a 90‘s Touhou album』/Nocti
東方アレンジ楽曲レビュー『Gensokyo 199X: a 90's Touhou album』
今回ご紹介するのは、フランスの東方アレンジャーNocti氏の『Gensokyo 199X: a 90’s Touhou album』だ。ちょっとレトロな、ゲームBGM的な雰囲気のあるアルバムである。
タイトルの通り、特に90年代のR&Bやヒップホップ、クラブミュージックをリスペクトした作品で、当時の曲や声ネタのサンプリングが多用されている。ゆるやかなテンポに、ちょっとふざけたような、呆けたような音で東方原曲のメロディーが奏でられていて、すごく良い雰囲気になっている。とにかく聴いてみてほしい。
『Gensokyo 199X: a 90’s Touhou album』
https://nocti.bandcamp.com/album/gensokyo-199x-a-90s-touhou-album
アルバムは全曲無料で聴ける。YouTubeでもBandcampでもBOOTHでも公開されている。好きなところで聴こう。また、作者のNocti氏によれば「このアルバムへのリンクを適切に明示していれば、みなさんの動画やコンテンツなどで曲を自由に使ってくれて構わない」とのことだ。もしあなたがクリエイターなら動画や配信、DJなんかでドシドシ使っていくといいだろう。
フランスの東方アレンジャー
氏のウェブサイトによれば、Nocti氏は1997年生まれ、25歳のフランス人女性だ。作曲の他にDJをしたり絵も描いたりするようで、アルバムのジャケットイラストもNocti氏本人によるものである。好きなものは東方、FFXIV、魔法少女系のアニメ、怪獣映画とのこと。VTuber活動も行っており、ドラゴン獣人的なアバターを使用している。なかなか多才な人物である。
東方Projectのキャラでは特に幻月が好きらしい(幻月は1998年頒布の『東方幻想郷 ~ Lotus Land Story.』のEXボスである。忘れていた人のために、念のため)。
東方アレンジのアルバムは『Gensokyo 199X: a 90’s Touhou album』と、その次回作である『Gensokyo 199X 2: Another Touhou 90’s Album』の2枚で、オリジナルアルバムも1枚出している。全体の傾向としてゲームBGM的な曲作りを得意としているようである。
『Gensokyo 199X: a 90’s Touhou album』の痛快さ
『Gensokyo 199X: a 90’s Touhou album』は2021年に発表されたものだ。前述したようにアルバムジャケットは氏本人によるもので、ラジカセを担いでオーバーオールを着たフランとキャップを後ろ向きに被りサングラスを掛けてギラついた感じの、オタクっぽい服装(?)のレミリアという、ちょっと変わった趣きのあるイラストだ。画風も面白い。タイトルのロゴもなかなか独特な感じだ。タイトルロゴはおそらく2000年にセガが出したゲーム『JET SET RADIO』が元ネタだろう。
私が特に好きな曲は5曲目「Busy line shuffle」と7曲目「Saturday Morning Villains」だ。
5曲目「Busy line shuffle」は翻訳すれば「通信混線中」とでもいう感じだろうか。「ラストリモート」「ハルトマンの妖怪少女」のアレンジである。古明地こいしで通信がモチーフなのは東方深秘録のアレだろうか。ピポパピポ、ピーヒョロロロ~というダイヤルアップ接続音と共にホワ~ンとした優しげな雰囲気で始まり、緩やかなズッチャ、ズッチャというヒップホップのリズムに乗せて、これまたちょっと呆けたようなポワ~みたいな音でラストリモートのメロディーが流れる。このループだけでめちゃくちゃ気持ち良い。30分でも1時間でも聴いていられる。
後半で「ハルトマンの妖怪少女」のメロディーが流れるくだりはトボけ具合に拍車がかかっていて、ちょっと笑ってしまう。ところどころでピロロロという鋭いコール音が入ったりするのも、アクセントになっていて良い。意外にも氏はこの曲について「他の曲はすでに出来上がっていたのに、この地獄から来た獣はなかなか上手くいかなかった」とコメントしているが、曲自体の印象は洗練された伸びやかなものである。
7曲目「Saturday Morning Villains」は鬼人正邪こと、「リバースイデオロギー」のアレンジだ。
ワルそうな男の声ネタと共に「リバースイデオロギー」のメロディーがちょっとバカっぽい音でブーブー鳴り、それがヒップホップなリズムに乗っかっていく。すごく楽しい。「Saturday Morning Villains」は翻訳すると「土曜の朝の悪党」になる。
「土曜の朝」というのはおそらく、Nocti氏が自身のウェブサイトで好きだと公言している土曜朝アニメのことだと思われる(日本におけるニチアサ的な概念と同じと捉えていいのか、あるいはフランスでは土曜朝アニメという概念が存在するのか等、不明な部分はあるものの、Nocti氏が「おジャ魔女どれみ」等の魔法少女系アニメが好きなことも考慮すれば、時間帯から考えてもキッズアニメ的な意味合いだろうと思う)。
「土曜の朝の悪党」がキッズアニメに出てくるような悪党を指しているなら、まさにそれはこの曲のイメージにぴったりだろう。悪党というのはもちろん、鬼人正邪のことである。この曲を聴いていると、海外のキッズアニメ調な正邪がふんぞり返って闊歩する様が見えてこないだろうか?
この曲の元ネタは映画「マトリックス」のサントラに収録されているRob Douganの「Clubbed to Death」という曲のようだ。たしかに聞き較べてみるとリズムパターン等は同じなのだが、曲の印象はかなり異なる。「Clubbed to Death」は陰鬱でシリアスな雰囲気だが、こちらはコミカルでヤンチャな感じのするカラッとした曲である。
また、Nocti氏はこの曲についてThe ProdigyやMassive Attackの要素が入っているとコメントしている(The Prodigyはイギリスのテクノ・エレクトロロックバンド。代表作は1997年に出たアルバム「The Fat of the Land」で、ハサミを振り上げた蟹のジャケットは有名。Massive Attackも同じくイギリスの音楽ユニット。代表作は1998年に出たアルバム「Mezzanine」で、クワガタムシのジャケットは有名である)。たしかに、Nocti氏が作る曲のダウンテンポで気怠いところはMassive Attackと共通する部分があるかもしれない。
ただし、Massive Attackの曲はもっと暗くて内省的である。The Prodigyにしても軽快でワルい感じの音を使うところはNocti氏の曲に通ずる部分があるが、The Prodigyはもっとワルい感じを出すというか、インダストリアルで強烈で粗野な、いわば少々治安が悪そうな音作りをするイメージが強い。
一方、Nocti氏の曲はワルい空気は残しつつも、素朴で少々バカっぽいシンセ音でメロディーを鳴らすことで、お子様でも安心して楽しめるような気の抜けた雰囲気に仕上げてくる。曲全体がキッズアニメ的・ゲーム的な文脈に変換されるわけだ。彼女の曲には美少女キャラがオラついているような、分かりやすい愛嬌がある。これは本当に愉快だ。
こうした味わいはNocti氏のアルバムに一貫して存在しており、Nocti節とでも言えるものになっている。可愛い少女たちがカラッとした雰囲気で意外とドギツい言葉をぶつけ合う。それはまさに東方Projectの痛快さそのものだろう。『Gensokyo 199X: a 90’s Touhou album』とは、まさにそうしたNocti氏なりの東方の語り直しなのである。
再解釈された90年代
記事の冒頭で述べたように、このアルバムは90年代や00年代初頭くらいの音楽をかなり参照している。例えば一曲目「Teachin’ my Sister to Dance!」は90年代R&B の一ジャンルであるNew Jack Styleを取り入れている(より直接的にはマイケル・ジャクソンの「Jam」を参照したと氏本人はコメントしている)。
他の曲も当時のクラブミュージックやヒップホップのスタイルを取り入れたり、そのままサンプリングで使用したりしている。前述したThe ProdigyやMassive Attack、それにDaft PunkやFatboy Slim等はまさにそうだ(Fatboy SlimはイギリスのクラブDJ・ミュージシャン。90年代終盤から00年代前半にかけて精力的に活動。日本でいえばM-1グランプリの出囃子などに曲が使用されており、聞いたことがある人も多いだろう。4曲目「Tanuki Clubbin’」ではFatboy Slimの楽曲がサンプリングされている。Daft Punkの説明については後述する)。
当然のことながら、Nocti氏の曲はゲーム音楽そのものからも影響も大きい。2曲目「Pocket Dimension」では不気味な雰囲気を出すためにホラーゲーム『サイレントヒル』のサントラを参考にしたとあるし、6曲目「Lunarian Speedway」は長沼英樹のスタイルだとコメントしている。長沼英樹は前述したタイトルロゴの元ネタであるゲーム『JET SET RADIO』で作曲を担当した人物で、当時の長沼氏の音楽的な背景には90年代以前のテクノ、ファンク、ソウル、ヒップホップがあったと思われる。つまりNocti氏の曲には90年代のR&Bやクラブミュージックを直接参照した要素と、そうしたジャンルが一旦ゲーム音楽として取り入れられ再編されたものを参照した要素があることになる。
また、レトロな音楽の再評価といえば10年代を席捲したVaporwaveの潮流があるが、このアルバムにはそうした流れに対する目配せもある。3曲目「Protag’s Day Off」はWindows95にデフォルトで入っているmidi曲風に作られているようだし、クリックやエラー時の効果音も使用されている。また、Diana Rossの「it’s your move」も背後で薄っすら流れているらしい(「it’s your move」はVaporwaveで最も有名な曲の一つである「リサフランク420 / 現代のコンピュー」のサンプリング元である)。このように、Nocti氏の音楽には複層的な要素が絡んでいる。
実はこのアルバムは東方ステーションの「この東方アレンジがすごい!2020-2021」の回でも紹介されている。
出演者の方々の感想は「あの頃のゲームミュージック感」「その辺りの音(昔のゲームミュージックの音)を拾いながら今っぽくした感じ」「最近のインディーゲームにありそう」「おしゃれ」等々。また、推薦者のコメントでは「レトロすぎないレトロ感」「スーファミとか初期プレステっぽい感じ」と評されている。まさにその通りだ。私が長文で解説するよりスパッとこのアルバムの本質を言い当てているように思える。昔のゲームっぽさを出しながらも、今の音楽として非常に洗練されたアルバム、それが『Gensokyo 199X: a 90’s Touhou album』だ。
アルバムからもう1曲紹介しておこう。8曲目「Anemoia」だ。
原曲は「かわいい悪魔 ~ Innocence」、つまり幻月のテーマ曲だ。この曲は00年代のハウス、より直接的にはDaft Punkをサンプリングしている。Daft Punkといえばフランスの世界的なアーティストで、90年代~00年代のFrench house(French touch)ムーブメントを担った代表的なグループである。日本でもその楽曲のカッコよさやロボットのような奇抜な見た目で知っている人も多いだろう。
これは私の勝手な解釈ではあるが、フランス人であるNocti氏がDaft Punkを引用しながら、自身が最も好きな東方キャラ・幻月のアレンジをアルバム終盤でぶち込んでくるのは、かなりアンセム的な精神を感じて、グッとくるものがある。ここからは直接、YouTube動画からNocti氏のコメントを引用した方がいいだろう。
“曲名の「Anemoia」とは、「生まれてもいない時代を懐かしむこと」を意味する言葉です。私たちのほとんどがPC-98に感じる気持ちと同じじゃないでしょうか? 違う? まあ、今はそういうことにしておいてください。私は幻月が大好きなんですが、彼女のことが特別に好きな理由は幻月が明らかにその時代の産物だということなんです。この子を見てみてください! そうです、これはまさしく二千年紀の終わりの女の子です! 彼女のおでこの前髪を見てみて! これが1998年です!“
注:これは筆者の感覚の話ではあるが、たしかに幻月のようにセンター分けで前髪が盛り上がって丸っこくなっているのは、キャラデザとして古い印象を受ける。昔の漫画・アニメのキャラクターは髪が顔の輪郭以上に盛り上がっているものが多くあったように思う。対してゼロ年代以降くらいからは髪の毛が頭の輪郭に沿って流れる感じが主流になっているように感じる。Nocti氏の好きな魔法少女系アニメに引き寄せて考えるなら、90年代に流行ったセーラームーンのキャラクター等は割とこういう前髪に近いスタイルを感じる。
そして次の作品へ
実はこのアルバムはシリーズとなっており、2作目である『Gensokyo 199X 2: Another Touhou 90’s Album』がすでにリリースされている。こちらも素晴らしいアルバムだ
Gensokyo 199X 2: Another Touhou 90’s Album
https://nocti.bandcamp.com/album/gensokyo-199x-2-another-touhou-90s-album
特に4曲目「Food Court Menace」は最高である。一度聴いてみてほしい。
原曲は「ほおずきみたいに紅い魂」「妖魔夜行」で、要するにルーミアのアレンジだ。アレンジのスタイルはNew Jack Swingで、特徴的なデェン!という大げさなシンセの音が合いの手みたいに入ってくるのは笑ってしまう。馬鹿っぽくて、メチャクチャ楽しい。
筆者の個人的な経験をいえば、こういう音を聴くと90年代~00年代のゲームセンターを思い出す。あの頃の薄暗いゲーセンの中の格闘ゲームやアクションゲームの筐体からはこういう大げさなシンセの音が鳴りまくっていたように思う。ちょっとコワい雰囲気と人の声が聞こえないほどに喚きたつ筐体たち。私は当時ゲーセン通いをしていたわけではないが、それでもとても懐かしい音に感じる。
Nocti氏のコメントによればこの曲のシチュエーションは「ルーミアがショッピングモールのフードコートでハンバーガーを片っ端から注文していて、断ったら店員を食べると脅している」とのこと。氏のユーモアが伝わってくる。難しいことは言わず、ヤンチャでバカで可愛くて、そしてちょっぴり哀愁を感じる音を楽しもう。
作品情報
『Gensokyo 199X: a 90’s Touhou album』
https://nocti.bandcamp.com/album/gensokyo-199x-a-90s-touhou-albumNocti
Twitter:https://twitter.com/noctiilio
bandcamp:https://nocti.bandcamp.com/
YouTube:https://www.youtube.com/@Noctilio