東方我楽多叢誌(とうほうがらくたそうし)は、世界有数の「同人」たちがあふれる東方Projectについて発信するメディアです。原作者であるZUNさんをはじめとした、作家たち、作品たち、そしてそれらをとりまく文化の姿そのものを取り上げ、世界に向けて誇らしく発信することで、東方Projectのみならず「同人文化」そのものをさらに刺激する媒体を目指し、創刊いたします。

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音楽評
2022/03/09

「都市の風景に、幻想郷を想う」東方アレンジ楽曲レビュー『In Decline』/Panic Bomb

東方アレンジ楽曲レビュー『In Decline』

異なるコミュニティと文化的背景

 皆さんはガレージロックというジャンルを耳にしたことがあるだろうか。

 シンプルなコード進行、乾いたギターリフの音、そして気高いアマチュアイズムなどが特徴の、1960年代から現代まで形を変えながら脈々と続くロックの一ジャンルだ。

 ロックというと皆さんはどういうイメージを抱いているだろう。熱い、あるいは激しい? もちろんそういうものも多い。東方ロックアレンジでは、ロキノン系とヘヴィ・メタルが二大勢力という印象だが、ガレージロックはそのどちらとも全然違う。

 そんなジャンルのDNAを継ぐ東方アレンジが、去る2021年7月、米国ニューヨークから突然届いた。

 Panic Bombのアルバム『In Decline』だ。

 ご存じの通り、いまや東方Projectの人気は海外にも広く浸透している。日本だけでなく、海の向こうでも大勢の東方を愛するコンポーザーが音楽アレンジを制作している。異なるコミュニティと文化的背景、流行の中で育まれた音には、国境を越えて我々日本の東方ファンの耳と心に訴えかけるものが多くある。

 そうしたもののひとつである『In Decline』は、ちょっとほかにない作品で、ぜひ、皆さんにご紹介したい。Bandcampで無料ダウンロードできるので、聴きながら読んでいただけると幸いだ。

In Decline

 さて、海外東方アレンジが日本のファンにまだそれほど根付いていないことを差し引いても、Panic Bombというサークル名に心当たりがある方はほとんどいないだろう。それもそのはず。この『In Decline』が初作品のようなのだ。

 22年1月時点では、ほかにもう一枚、大きく作風の異なる『Bullet Patterns』というアルバムが出ているのみ。SNSアカウントなども見当たらず、Bandcamp以外に情報源は皆無だ。しかし、それでもとにかく皆さんに聴いてみてほしいと言いたくなるほど、この作品には溢れる魅力がある。曲目を追いながらその源泉を探ってみたい。

 

Panic Bombは本当に必要なものが何なのかを知っている

 イントロの1曲目を経て、機械的なドラムビートから始まる2曲目「196970」をまず聴いてみてほしい。

 丸みを帯びた音色でつま弾かれるギターが、つんのめった「永夜抄 ~ Eastern Night」のアルペジオを執拗に反復する。ちょっとマイクの側に立ち寄ったから、とでもいうように裏拍で入ってくるボーカルの歌声はひどく気だるくくぐもっていて、メガホンやラジオ越しのようにも聞こえる。気取りがないように思える一方、すべての楽器は抑制がきいていて、音数は最小限に絞り込まれている。洗練されていて、とてもお洒落だ。その上、激しい部分はまったくないのにもかかわらず、秘められた熱が音の隙間から確かに伝わってくる。そう、一番かっこいいやつだ。

 3曲目「Gardens」はさらに同じ路線を突き詰めたもので、伸びやかなリズムギターと、簡にして要を得た最後のギターソロが小気味よい一曲。ギターや歌が特別上手いわけではない。正直なところ、どちらかと言えばその逆かもしれない。しかし、だからこそ、必要充分な音がそこにあるという快感があり、そこから微かに外れるときにグルーヴ感が生まれるのだと思う。

「おてんば恋娘」をアレンジした5曲目「Cheer」などはもはや、たどたどしくも情感溢れるリードギターのフレージング一本のみで聴かせる曲なのだが、その素朴な味わいゆえに、何度聴いても飽きない。NYスタイルと日本のファスト風土が共振して子供心の郷愁を描いている。

 夕焼け小焼けで日が暮れて。明日天気になあれ。

 Panic Bombは本当に必要なものが何なのかを知っているのだと思う。

 アルバム終盤では、テンポをぐっと落として、さらに切なさに焦点を当てていく。8曲目「Voyages」は瞑想的なシンセサイザーのアルペジオと、深いリバーブがかけられたトレモロギターの組み合わせがシンプルながら美しい一曲だ。身体から毒が抜け、透き通っていくような感覚がある。

 胸をかきむしるようなカッティングが遠くで響く終曲「Tower in Reverse」。最後のギターソロはとろけるように甘く、鋭いがやさしい。まどろみから深い眠りに落ちるようにアルバムは終わる。

 

Panic Bombの音楽からは情景が浮かんでくる

『In Decline』が東方以外のどういった音楽の影響下に作られたのかは、当人が特に記述していないため、正確なところは知るよしもない(顔が描かれていない霊夢のジャケットは、日本のロックバンド、NUMBER GIRLを著しく彷彿とさせるが、音についてはまったくその限りではない)。

 しかし、かなり近いところに位置するのは同郷ニューヨークのガレージロックリバイバルの雄、The Strokesだと思う。機械的に正確なビート、シンプルで的確なギターとその情緒溢れるフレージング、シンセサイザーの入れ方などには強く通ずるものがある。このアルバムが気に入ったら、試してみてはいかがだろうか。

 Panic Bombの音楽からは情景が浮かんでくる。

 それは東方Projectそのものと同じく、美しく淡い郷愁を描いているように見える。ただし、東方が向けるものとは違った対象に向けて。そう、広がる野山や寺社――幻想郷の風景よりは、このアルバムにはやはり高層ビルと路地、そしてネオンがよく似合う。

 それはひょっとすると、Panic Bombが暮らすニューヨークの、氏の目に映る愛しい風景なのではないだろうか。東方Projectにおいて描かれる風景に対して、(あるいは里山や田園で暮らしたことがなくても)我々が何とも言えず抱いてしまう懐かしさというものを、Panic Bombは氏にとって馴染み深い別の形で提出してくれた。そう思えてならない。

 こうして立場や環境の違う他者の手による「別の形で」を見ること。それが二次創作を見る醍醐味ではないだろうか。ニューヨークと東方Projectが、こうした実り多い作品によって結ばれたことはとても感慨深い。

 そして何しろ、この音楽を聴きながら見る、私たちが暮らすいつもの都市の風景は、そのあいだだけは確かに幻想郷に見える。それがこの音楽によって我々にもたらされたもう一つの果実だろう。

 

作品情報

『In Decline』
https://panicbombing.bandcamp.com/album/in-decline

Production:Panic Bomb

Panic Bomb
bandcamp:https://panicbombing.bandcamp.com