音楽評
2019/11/13
unofficial

「その美しさに、僕は、人間は、死んでしまう」東方思い出の一枚 石鹸屋『TOHOHUM』

東方思い出の一枚

 東方ステーションの初代ディレクター・Jさんの思い出の一枚を語ってもらいました!

 

人であるものと人ではないもの

(CAUTION!)このレビューは個人的見解で構成されています。

 石鹸屋の代表的な東方アレンジと言えば?

 神々が別れた幻想の外、東方妖々夢 ~the maximum moving about~、さっきゅんライト、そして忘れてはいけない、ってゐ!・・・これほど代表曲があるサークルも珍しいだろう。

 

 そんな石鹸屋のアルバムを1つ選べと言われたら、僕は迷わず「TOHOHUM」と答える。

 確かに本作には上記のような名刺代わりの曲は入っていないかもしれない。一曲を挙げるなら本作から選ばないかもしれない。

 しかし”アルバム”として見たとき全く違った見方となる。本作はアルバムを貫くコンセプトによって単なる楽曲の集合を超え、一つの有機的な作品に仕上がっている。これこそが本作の魅力なのだ。

 そしてそのコンセプトこそが「人であるものと人ではないもの」なのである。

 楽曲の紹介をする前に東方風神録について簡単におさらいしたい。

 人々の信仰を得られなくなってしまった守谷神社は危機を打開するため、湖と神社ごと幻想郷にやってきた。八坂神奈子と洩矢諏訪子の二柱と、守矢神社の風祝である東風谷早苗は博麗神社の譲渡を迫る。

 というのが東方風神録の始まりである。サブタイトル「Mountain of Faith」からもわかる通り「信仰」がテーマになっている。

 信仰するものと信仰されるもの。霊夢や魔理沙や早苗を始めとした「人」と、神奈子や諏訪子といった神々や妖怪といった「人でないもの」作中で強く語られはしないが当然この対比を意識させられる。人間の厄を集める厄神・鍵山雛や人間に友好的な妖怪・河城にとりといった登場キャラクターたちも、どこか人間との関係を強調しているように見える。

 人であるものと人でないもの。人は人を信仰しない。人が信仰するのは人を超えた力である。

 そして、このテーマを石鹸屋が再構築したものが「TOHOHUM」である。


 前置きが長くなったが3つだけ楽曲を紹介させてほしい。本当は全部書きたいけど。
 

 そして最初に、秀三&hellnianによるオタクすぎる歌詞こそ石鹸屋楽曲の魅力であることをここに宣言したい。あと、この所感はあくまで個人的なものなので、解釈違いとかは許してほしい。

1曲目
「lose one’s faith」
原曲:信仰は儚き人間の為に

 原曲は風神録5面ボス、東風谷早苗の曲である。アルバムジャケットが早苗なので期待が込められる。しかしジャケットに描かれる早苗は俯いておりどこか暗さを抱えている。

 また曲全体を通してソリッドな短く刻むようなギターサウンドと、一音の長いボーカルやコーラス。対照的で、どこか閉塞感がある。

 キラーチューンを期待していると肩透かしというか、今ひとつ突き抜けない印象だ。ってゐ!、妖々夢、萃夢想、D-89に比べると何か足りない。

 何も考えずに曲を聴いたときに抱く感想はこんなものだろう。しかし歌詞までちゃんと聴き込んでみるとわかる。ボーカルアレンジとはこういうことなのだ、と。

 

 歌詞は早苗視点で描かれる。曲名通り信仰の失われた世界でのお話。

 

人は皆 不安を抱いて

信じられる 何かをを探してる

人は皆 何かを信じて

自分の事 正そうとしている

 

人の心は

不確かな世界の中で

確かな言葉だけ

追い求めた

 このあたりの歌詞などは唯物的になっていく世間を嘆くようにも受け取れる。

 書いたり聞いたりできる言葉、目に映る物質的な世界。僕たちにとってはこれほど確かなものはない。現代ならば当たり前の感性だろう。神だの奇跡だのといったものは「迷信」の烙印を押され、それまで人々の心のなかに占めていた地位を追い出される。それは明示的にではなく、すり替わる形で行われるのだ。

 

 そして残ったのは不安から逃れるための、あるいは自分を正当化するための信仰。現代は信仰の地位のみでなく、信仰の形や意味すらも変えてしまったとも読める。守矢神社の信仰不足は数の減少のみならず、質の低下もあったのだろうかと想像が膨らんでしまう。

 

 歌詞に描かれる情景、そしてどこか閉塞感のあるサウンドはまさにこの描写ではないか。

 人々と心が離れ、信仰が失われていく様子を嘆く早苗の心情を考えるだけで心が苦しくなる。

 サビなどはこの苦しさを痛烈に描いている。

 

この世界でかけ離れた 

互いを繋ぎ止めても 

誰の言葉ももう届かない 

この風さえ互いの間をただ流れて

 

 エモすぎて…

 

 かつて人々と神々をつなげていた奇跡。

 そんな、かつて人々をつないでいた神の風さえも、信仰から離れていってしまった人々の心には届かず、ただ流れるだけなのだ。

  思わず風景が浮かんでしまう「ただ流れて」の5文字。こんなオタクすぎる歌詞はそうそう書けない。

 しかし最も美しいのはこの後、間奏に入ってからだ。

 間奏になるとサイレンのようにギターがうなる。まるでそれは神風を喚ぶ儀式のようであり、奇跡の前触れのようであり…。

 

 そして、奇跡は起きた。

 

 うねるように音を奏でるギター、躍動感のあるベース、乱舞するかのようなドラム。それはまさに乱れ舞い、吹き抜ける神の風。

 しかし、それもたった13秒。たった13秒の儚い奇跡。サウンドは何事もなかったかのように戻る。

 神の風はただ流れただけだったのか。あるいはどこか別の場所へ、風に身体を委ね旅立ったのか。想像がどんどん膨らんでしまう。

 

2曲目
「バトルフィールド・アシンメトリック」
原曲:神さびた古戦場 ~ Suwa Foughten Field

 原曲は6面ボス、八坂神奈子の曲である。

 蛇のようにうねるギターやAメロのベースが印象的である。不穏な静けさから弾けるように盛り上がるサビは、まるで自然の静かさと荒々しさの二面性をも感じさせる。

 そしてそれは神奈子の神としての優しさと神の怒りの激しさなのかもしれない…。

 何も考えずに聴いても満足できる一曲である。前奏のドラムの重たい響きだけですら興奮する。しかしやはりこの曲も秀三&hellnianのオタクすぎる歌詞が輝きすぎている。

 

 先に僕なりの解釈を書こう。この曲は「lose one’s faith」とつながっているのだ。

 幻想郷への移転を決めた守矢神社。神奈子や諏訪子はそれでいいかもしれない。

 しかし早苗は?風祝とはいえ、本質的には人間である彼女は?

 

君よ 君が君である為に 

留まるなら 私は振り向かない 

もしも 君が意味を失くすのが 理なら 

今はそれだけが怖い

 

 「君」、それは早苗のことだろう。その意味で改めて読んでみる。

 

君が君である為に 留まるなら 私は振り向かない

 

 唐突な神奈子×早苗!エモすぎる!この美しさは余計な言葉で飾って汚すべきではない。「人の友情」やら「何かを超えた愛情」やら、そんなぬるいものではない。「存在と存在の哲学的な関係」へ昇華しているのだ!

 「君が君である」というのは明らかだろう。信仰がなくても生きていける人間と、信仰がなくてはいけない神々の別れなのだ。「振り向かない」のフレーズが描く覚悟は重い。

 何より素晴らしいのはサビの最後。「今はそれだけが怖い」この一節。考えてみてほしい。あれだけ神々しくて威厳のある神奈子が言うのだ。「今はそれだけが怖い」。

 あまりに美しすぎて文字だけで恍惚に浸れてしまう。

 

 人々の心が離れていくことはどうしようもない。幻想郷への移転も致し方ない。幻想郷とは「非常識の内側」。外の世界で「幻想」として存在を否定されたものがたどり着く場所。

 そういった意味で信仰を失った神々は確かに幻想と呼べるだろう。人々の幻想となった今、結界を超えて幻想郷に移転するのも頷ける。しかし早苗は?「幻想として存在を否定されたものがたどり着く場所」に外の人間がたどり着くとはどういうことなのか?たどり着いたとき「東風谷早苗の存在の意味」はどうなるのか?

 この一言に神奈子の愛と優しさと、そして弱さが存分ににじみ出ており、極めてオタク深い歌詞である。

 そして曲の最後も美しすぎるのだが、あまりにも美しいので僕程度が安易に引用してよいものではない。ぜひ直接聴いて美しさを体験してほしい。

 

3曲目
「after」
原曲:亡き王女の為のセプテット

 みんな大好きセプテットアレンジである。風神録楽曲でないのだが、だからこそ取り上げたい。

 亡き王女の為のセプテットは東方紅魔郷6面ボス、レミリアの曲である。紅魔館の主である彼女らしく高貴で心を惹くこの曲は最も多くのアレンジされている曲の一つだろう。

数多のサークルのアンセムとなったセプテットが石鹸屋サウンドでどうアレンジされるのか。わくわく感が抑えられない。

 しかし曲が始まると拍子抜けしてしまう。あまりにものんびりした曲が始まるのだ。

 メロディは確かにあのセプテットである。しかし、これは…

 

おとぼけな晴れを日傘で歩こう 

日向も日陰もただの通り道 

気まぐれな雲の形を変えよう 

誰かによく似た顔でも浮かべて

 

 昼の散歩に出かけるレミリア。吸血鬼の彼女は日傘がなければ日光の下にいられないのだ。多分日傘を持つのは従者の咲夜だろう。もしかしたら紅美鈴もフランもいるかもしれない。パチュリーはきっと外には出ないだろうが…そんなありふれた紅魔館の一日。そんな光景が目に浮かぶ。

 

歩いてゆこう どんな場所でも 

歩いてゆこう どこまででも 

歩いてゆこう どんな景色も 

歩いてゆこう ただそれだけ

 

 あの高貴なセプテットがこんなのんびり歌われるのは逆に新鮮ではあるが…。しかし今はそうじゃない。「風祝の儚い13秒の奇跡」とか「強い決意と別れへの弱さの間で揺れ動く神」とか、そういう壮大で美しいエモがほしいのだ。

 上の口はにっこりしながら心は焦燥感に掻き立てられる頃、Cメロでサウンドが少し変わる。

 

明日はまた晴れるかな あんまり変わらないかな 

明日でも明後日でも いつでもどこまでも 

今日という日は続くのだろう

 

 「明日はまた晴れるかな あんまり変わらないかな」なんて、他愛ないことを咲夜に尋ねるレミリア。きっとこんな日々が、こんなのんびりした紅魔館の日常が、いつまでも続くのだろう。なるほど、これは耳で読むレミ咲同人誌なのだ…

 そして曲はクライマックスへ

 

歩いてゆくの? いつまで続くの? 

歩いてゆくの? この景色を? 

歩いてゆくの? どこへ向かうの? 

 ここで違和感を覚える。異質な問いかけが始まる。いや…待て…思い返してみれば…「日傘で歩こう」と言い出したこの歌詞は…。Cメロがあまりにも上手に「明日はまた晴れるかな」なんて言い始めるから気づかなかったが………だんだん心細くなっているのではないか…?。

 そして運命の一節がやってくる。

 

歩いてゆくの? 一人きりで

 

 !??!!?!?!?!?!!??!!??!?!??!!!!!!!!!!!!!!!!

 もう一度歌詞カードを読み返す。

 

 誰かによく似た顔でも浮かべてあっ…

 変わり映えしない毎日を横目にあああっ…

 いつでもどこまでも今日という日は続くのだろうもしかして僕は…何という間違いを…

 500年以上生きてなお幼い吸血鬼レミリアと、人間でありの従者の咲夜。吸血鬼と人間では時間の感覚や重みは異なるだろう。主観的な長さ、客観的な変化、そして最期の時が訪れる速度も…。

 「今日という日」は24時までではない。まるでいつまでも続くように感じるほど止まってしまった日々。時間を操る程度の能力を持った人間が、最期に…

 歌詞カードを辿る視線は最後のピースにたどり着く。

曲名「after

 全てがつながった。その美しさに、僕は、人間は、死んでしまう。

 

【作品情報】

アルバム名:TOHOHUM
http://sekken.sakura.ne.jp/08tohohum/tohohum.html

サークル名:石鹸屋
http://sekken.sakura.ne.jp/

 

委託、配信先情報
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【メロンブックスDL】
【DLSite】

配信:
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