東方我楽多叢誌(とうほうがらくたそうし)は、世界有数の「同人」たちがあふれる東方Projectについて発信するメディアです。原作者であるZUNさんをはじめとした、作家たち、作品たち、そしてそれらをとりまく文化の姿そのものを取り上げ、世界に向けて誇らしく発信することで、東方Projectのみならず「同人文化」そのものをさらに刺激する媒体を目指し、創刊いたします。

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ゲーム評
2021/11/04

同人ゲームレビュー:Do It Yourselfの極致『東方風魔録/Helios Create』

ゲームレビュー『東方風魔録』

 

『東方封魔録』というゲームがある。

 

 いきなり汚いモニターを見せて恐縮だが、ご存じ東方ProjectのSTG第一作目(シリーズとしては二作品目)である。どこから画面資料を拝借したらよいものか困ったため、自前の環境で何とかすることにしたのが上記の画像だ。なので、モニターが汚いことに関しては勘弁していただきたい。そのうち掃除します。

 『東方封魔録』は「東方」の名を冠しながらも、シューティングとしての東方Project黎明期の作品ということもあり、いわゆる「東方らしい」弾幕は鳴りを潜め、シンプルで直線的、かつ純粋な殺意のやり取りを求める弾幕がほとんどだ。東方Projectの原典でありつつも、ゲームの性質は全く異なる、非常に明解かつわかりやすい(そして恐ろしい)作品となっている。

 

「転売」という言葉がある。

 需給の釣り合っていない商品、抽選で貰える物品、とにかく何らかの理由で現時点では手に入らなくなった商品を、定価、頒価より高額で売りさばく行為のことだ。

 同人という世界において、転売屋との戦いは避けられないものとなっている。同人活動は生産活動でもありながら、同時に趣味の消費活動でもあるからだ。作った作品の生産数、頒布数、タイミング、その他もろもろの事情により、容易に入手不可能となってしまう。廃版となってしまった作品の再販売を「転売」と呼ぶか、「プレミア価格」と呼称するかは、人によるかもしれない。

 

 ついでなので余談をひとつ。今のユーザーには信じられない話かもしれないが、昔は東方Projectのシリーズ作品そのものが、転売の対象となっていた。

 PC98版の5作や旧作の体験版、リリース直後の新作が高額で取引される(されている)事は有名だが、かつてはいわゆるWin三部作もその対象となっている時節もあった。紅魔郷や妖々夢は長らく再販が行われず、オークションサイトを通じて頒布価格の3~4倍ほどで取引されていた時代があったのだ。

 さて、転売やプレミア価格の多くは、お金や時間のコストに積み上げることで打破することが可能だ。とはいえ、過去に遡行でもしなければ、もはや常識的なコストでは手に入らないであろう作品も少なからず存在している。『東方封魔録』も、その一つに数えられる。

 欲しい物が手に入らない時に、「自分で作ってしまう」という手法を取る人たちがいる。Do It Yourself、 DIYの精神だ。読みたい本は自分で書き、遊びたいゲームを自分で作る。そんな彼らは同人作家と呼ばれることもある。

 

 『東方風魔録』は、そういった背景を持つゲームの一つに数えられる。サークルとしては前作『東方求宝譚』に続く二作目だが、本作は「東方封魔録が遊びたいが、手に入らないので、 作った」とマニュアルにも書かれているぐらい、“目コピー”の封魔録であることを主張して譲らない。

 「今」封魔録が出たとしたら(今、といっても、この作品自体が2008年の作品なのだ が)こういう感じになるのではないかという、東方へのリスペクト、熱意、愛情にあふれた作品ともなっている。

 「東方封魔録のクローンゲーム」として見ると、細部の挙動が異なるため(たとえば、封魔録における加速弾のショットは手連で火力が増す仕様があるのだが、本作ではその機能は搭載されていない――など)、本作を『東方封魔録』と同じものと見ることは難しいだろう。その欲求を本作で満たすことはできない。

 しかし、「東方封魔録が遊びたいが遊べない人の欲求を満たす」作品と見た場合はどうだろうか。その「遊びたいが遊べない人」の第一人者が作者自身であることは、言うまでもない。

 

 前述の通り、『東方封魔録』は現行の東方とは全く異質の、剥き出しの殺意のようなものをギラギラと光らせている。東方Projectが今の形態に近くなるのは『東方幻想郷』以後であり、東方ProjectのSTGシリーズいずれもに属さない、『封魔録』独特のプレイフィールは、一部のファンを惹きつけてやまないのも事実である。

 そんな剥き出しの殺意を、時にはチューンアップ、時にはデチューンすることで、 現代に蘇らせることに成功している本作は、東方Projectの二次創作STGの特異点にあると言っても過言ではない。

 つまり「東方Projectっぽくない東方封魔録」を「東方Projectっぽい東方封魔録」に遊べるようにしているクローン、それが『東方風魔録』だと言える。

 その「っぽさ」はマニュアルやコンフィグを見ても徹底している。封魔録を遊びたい、だが手に入らない、環境を用意することも難しい。ならば自分たちが遊びたい東方封魔録風のSTGを自分たちで作ろうじゃないか、という気概が作品からほとばしっている。

 

 『封魔録』の主人公は霊夢のみであり、武器種を選択する形態を取っていた。本作『東方風魔録』では、キャラ選択する形で代案を示している。そのチョイスも霊夢、萃香、早苗と(2008年代において)今風だ。

 難易度はNORMAL/HARDの2つのみと思いきった調整だが、EXTRAステージに相当するクリア後のおまけステージが2つ用意されている。1つは本家『封魔録』のEXTRAをアレンジした「ゆっくり」ステージ、もう1つは本作のオリジナルEXTRAステージとなっており、スペルカードルールも当該ステージに限って存在する。「封魔録のキャラ・システムを模したルール」で現代の東方Projectっぽいステージを遊ぶことができるというわけだ。

 『封魔録』に登場していた敵キャラクターは、本作ではあえて差し替えられている。その理由も「いつか封魔録を遊び、本家で出会うことを夢見て」といった、いじらしさすら感じられるもので、思わず胸が熱くなる。

 代替として設置されたキャラクターも、剣を使うキャラクターであった「明羅」を、「犬走椛」に置き換えているなど、ひとひねりが加えられていて面白い。

 

 「ゆっくりステージ」は、封魔録のEXTRAのコピーでこそあるが、登場する敵キャラ、ボス共にすべて「ゆっくり」で統一されている。正直に言って、封魔録を遊んだことがある、あるいはSTGの心得がある人間から見た場合、本作は「よく目コピーで似せようと思ったな」とか「このキャラのチョイス面白いな」とか「だいぶ違うな」とか、そのくらいの感想しか出てこない。

 だが本作は、本作のために作られたステージにこそあると言える。

 

 本作独自のEXTRAのボスは「覚醒したチルノ」なる、一風変わったチョイスがなされている。クリエイターの妄想を一身に引き受け、名実ともに「最強」となったチルノは、多彩な攻撃を繰り出しつつも、東方Projectへの畏敬とも言える愛情に満ちており、本作の真骨頂とも言える存在となっている。

 演出も、驚きに満ちた内容で丁寧に練られており、「封魔録コピーの部分よりもこっちを見て欲しい」と言われるくらい(開発Webサイトより)丹精込めて作られているのも納得だろう。

 上記のように、本作は『封魔録』のクローンでありつつも、独自の物語を持つ「東方Projectの二次創作ゲーム」として成立している。そのため、本作だけの持つ面白さもあれば、封魔録に似せてしまったために起こった悲劇も同居している。

 皮肉なことに、本作の入手方法が一回きりのイベント頒布のみと限定されており、結果的に「プレ値」がつくタイトルとなってしまったことなどが、その一例として挙げられるだろう。

 Windowsで動く東方封魔録のクローンゲームを遊びたい、というものすごくニッチな需要を満たしてくれる同人作品は、無二である。しかしこれは万人に支持される需要ではないし、封魔録のクローンとして見た時、そのクオリティも素人目のコピーに留まっている。STGとしての出来もそれほど良いとは言えず、結果的に意図せず羊頭狗肉となっていると言えるだろう。

 

 向かい風はこれに留まらない。ちょうどこの頃、東方Projectのゲーム部分は極端な神聖視を受けている時代だった。今でこそ東方Projectライク/クローンは存在を広く認知されるところとなったが、この当時は東方Projectのゲーム部分を脅かす存在たちは、禁忌だったのだ。

 たとえばゲーム作品であれば「東方+〇〇〇(任意の漢字三文字)」のタイトルは、本編シリーズとの関連性や誤解を招くので避けて欲しい、といった言及が神の御言葉のように機能したり、といった具合である。

 

 かように本作は、ある瞬間の東方Projectを切り取った時間の鏡のようになっており、その内容も決して、東方Projectへの目くばせを忘れていない。だが、パトスだけで作られた『封魔録』の部分が偏った評価を受け、本作の価値を不当に高価たらしめていると言ってもよい。評価して欲しいのがおまけの部分であるなら、なおさらだ。

 だが、「自分たちで遊びたくて」作ったゲームに、外野が何を言えるだろうか。

 彼らが作った『東方封魔録』を、その先に紡がれる「最強のチルノ」という空想、それに同調し、遊びたい人だけが東方風魔録を手にすればよいのだ。東方Projectの同人は拓かれており、私たちはそこに自由な自分だけの世界を乗せていく事で、思い思いの東方Projectを描き、紡いできた。であれば、本作もまた、誰かのために存在して、誰かのために遊ばれることは、作品として生まれてきた宿命だろう。しかし同時に、いくつかの禁忌に(あるいは禁忌視されている事柄に)おのずから触れている危険性は看過できない。

 

 同人ゴロ、という言葉がある。

 定義は一意ではないことを一意に定義されているが(単なるトートロジーのようだが、この場では厳然たる事実にして欲しい)、この言葉を生み出した同人世界は、自分の聖域が拝金主義者によって荒らされることを、何より嫌っている。同好の士で細々と、そして羽を伸ばし楽しみたい「だけ」なのだ。だからこそ、様々な隠語で外敵からの侵入を防ぎ、考察や解釈の違いがあれば「地雷」や「ゴロ」と認定して、避けて行くのである。それが彼らなりのコミュニティの生存戦略であり、また同時に先細りし、いつか失われる代謝が停滞するというアンビバレンツを抱えている。

 本作のような「自身の生息環境を脅かす作品」は、ゴロとまでは言わずとも、東方Projectの本編の価値を棄損したらしめる外敵として認知されるケースも、少なくない。「東方の価値」が今ほど定着していなかったころ、東方Projectに対する外敵は徹底して排除し、クリーンで無害な環境を作らなければ納得できない、潔癖家たちが多く存在していたのだ。

 しつこい繰り返しになるが、だからこそ本作は「EXTRAありきである」と主張し、封魔録のクローン部分はあくまで副次的なものである、という予防線を張るに至ったのではないかと勘ぐってしまうところもある。クローニングはリスペクトの結果であり、オリジナリティを抱えて我々は存在している、という自己暗示に近いものを感じるのだ。

 

 現在の東方Projectは、結果的にコミュニティの代謝が成功した。また同時に、よりカジュアルでフランクな時流が来たことに、個人的には非常に好ましく思っている。原理主義的に生きる人たちにはいささか居辛くなったかもしれないが、さて、私たちが普段二次創作にてキャラクターや世界設定を弄り倒し、喜び、世界を、その視野を広げているように、ゲーム部分を弄り倒して喜ぶことに何の過誤があろうか。

 創作は、その時代の情勢を色濃く反映している。そうである以上、東方Projectの二次創作を語る時、誰の頭にも残るような名作よりも、こういった「多くの人に知られず埋もれた作品」こそが、その場その場の大衆風俗を如実に反映しているように感じる。

 そう思うことが少なくないのは、その当時の「当たり前」だったものは、歴史から消えていくからこそではないだろうか、と考えるのである。

 

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