東方我楽多叢誌(とうほうがらくたそうし)は、世界有数の「同人」たちがあふれる東方Projectについて発信するメディアです。原作者であるZUNさんをはじめとした、作家たち、作品たち、そしてそれらをとりまく文化の姿そのものを取り上げ、世界に向けて誇らしく発信することで、東方Projectのみならず「同人文化」そのものをさらに刺激する媒体を目指し、創刊いたします。

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インタビュー
2020/10/08

「ゆっくり」が生まれた時のことを、アスキーアート製作者のDプ竹崎さんに聞いてみたよ

Dプ竹崎さんに「ゆっくり」のことについてきいてみた

 つい先程、正体不明のスポンサーXによって公開された『#ゆっくり解説 真相解明!ゆっくりの歴史と著作権の真実』というゆっくり解説動画。

 ゆっくりというキャラクターが現在もジャンルを越えてたくさんの人に愛されていること、元々「東方Project」の二次創作から生まれたという基本中の基本から、そもそもどのような経緯で生まれたのか、実はとても複雑な権利関係になっている存在であること、そして……

 

 実はそんなに複雑じゃなかった(!?)ことなどが判明して、「東方Project」の二次創作ガイドラインに沿った上であれば、ゆっくりを使った創作活動を自由に行えることが明らかになりました!

東方Projectの二次創作ガイドライン ― 東方よもやまニュース

https://touhou-project.news/guideline/

 

 そんな、ゆっくりが生まれるまでに関わる重要人物の1人、アスキーアート製作者のDプ竹崎さんに「ゆっくり」が「ゆっくり」の形になっていくまでについて詳しくインタビューしました。「ゆっくり」が今、沢山の三次・四次創作として愛され続けているその“根っこ”の理由が、そこにはありました。

 

Dプ竹崎さんに、「ゆっくり」のことをきいてみた

Dプ竹崎別名義に「深い」「深い㌧」。
好きなことは絵を描くこと、アスキーアートを作ること、ゲームやったり、料理のようなことをしたり。最近はアクアリウムなんかもやってます。

本職はゲーム会社のグラフィッカー。 
https://www.pixiv.net/users/7335954
https://twitter.com/fukaiton

――今回、東方キャラクターを原型とした通称「ゆっくり」と呼ばれるAA(アスキーアート)、そしてそれを元にした作品を、自由に使用・創作して良いという許可を出す経緯を教えて下さい。

Dプ竹崎:
 魔理沙としてのAA、霊夢としてのAAはたしかに私が作成したものですが、
別々のAAをひとつに組み合わせ、あの「ゆっくりしていってね」という名台詞を生み出したのは私ではありません。

 ゆっくりはそれぞれの要素が複雑に組み合わさってひとつの新しいキャラクターに生まれ変わったので、もはや私個人の作品とは呼べないと考えています。

 もともと、掲示板でのAAはコピー&ペーストで色々な場所に貼られて広まるものだと思います。そのAA文化を制限することは、少なくとも私にはできませんし考えてもいません。

 

――あのアスキーアートが生まれたきっかけをお聞きしたいのですが、その前にまず「当時の2ch」文化について改めて聞きたいです。Dプ竹崎さんがアスキーアートを作り始めた最初のときのことを覚えていますか?

Dプ竹崎:
 実は最初は2ちゃんねるではなく、ふたば☆ちゃんねる【※】での活動でした。

※ふたば☆ちゃんねる:2001年から存在する画像掲示板。特に有名なのが「二次裏(二次元裏@ふたば)」で、ここから様々なミームやコラージュ画像がインターネットに広まりつづけている。

 当時は紅魔郷が出たころで、ふたば☆ちゃんねるのお絵かき板で霊夢から順に紅魔郷キャラの絵を描いていました。

霊夢絵.PNG 2003/6/16

 それを見た2ちゃんねるの東方スレの人が私の絵を紹介してくれるようになって、そこから私も2ちゃんねるを覗くようになりました。

 ただ、2ちゃんねるは画像掲示板ではないので、絵を描いて投稿するというのが難しかったので、アスキーアートとして絵を描いたら良いのではないか、という発想に至りました。

 

「改造して別の表現をする」――ゆっくりが“ゆっくり”の形になるまで

――最初に書いたAAを覚えていますか?

Dプ竹崎:
 厳密にどれが最初だったか、というのは曖昧な部分がありますが、
記憶している限りの最初期は霊夢だったと思います。

――また、当時の2ch、AA文化について今どう思っていますか。

Dプ竹崎:
 当時からネット上では2ちゃんねるは無法地帯のような噂も流れていたので、
正直初めて書き込みをするときは投稿ボタンを押すのが怖かった覚えがあります(笑)。ただ、実際には住人同士で自動的に形成されたある種の秩序があって、噂ほどの無法感はなかったです。

 良くも悪くも「自由」だったなと思います。

 AAは文字なので、原型を投稿すると、特殊なツールや技術がなくてもある程度改造することができます。そこで、セリフだけを変えた物、パーツを別のAAに入れ替えた物、複数のAAで起承転結を表現した物など、単に投稿された作品だけでない広がりを見せるのが楽しかったです。

 この改造して別の表現をする、という部分がゆっくり誕生の根源的な部分だと思います。

――「ゆっくり」AAの誕生のきっかけを教えてください。

Dプ竹崎:
 最初の質問でお答えした通り、元は別に作成した物でした。

 1.最初は霊夢の立ち姿AAでした。

 2.そのうち、東方スレの住人がAAを改造して包丁を持たせた「ケヒヒ霊夢」が生まれます。

 3.さらにケヒヒ霊夢から頭だけを取った改造AAが出現します。

 4.頭だけの霊夢がおもしろかったので、いっそもっと丸くしてやろうと思い、いわゆる「まんじゅう霊夢」を作成しました。台詞の「いっしょにお菓子を食べませんか」はほかのAAが喋ってるのを見て、なんとなく響きが良かったので拝借しました。

制作時期不明 2005年ごろ?

 5.そこからおよそ2年後ぐらいでしょうか、全編AAの漫画同人誌を作りました。残念ながら、当時の原稿は残っていないのですが、そのときの一コマに作ったのがゆっくり魔理沙の元になったAAです。このAAは後に2ちゃんねるの東方スレにも投稿しました。

2007年夏ごろ

 そこからあとは、どのような経緯でこのふたつが組み合わさったのかは私にも分かりません。

 なので、私自身は元の素材を別々に投稿しただけで、実際ゆっくりそのものの誕生にはほとんど関係していないのです。

 

――ゆっくりが広く愛されている現状(いま小中学生女子に「ゆっくり実況」がすごく見られているとよく聞きます)について、どう思いますか?

Dプ竹崎:
 もはや元のAAを離れて独自のキャラクターとして活躍しているのは楽しいです。
もしかすると若い子たちは元がAAだったこと、ひいては「AAって何?」みたいな世代もいるかも知れません。

 私自身も、完全に”見る側”として楽しんでいます。

 なんとなく嫌味のような憎めないような微妙な表情、棒読みの喋り口調等々……可愛いですよね。

 ただ、おこがましいですがほんの少しだけ「親心」みたいな気持ちはあります。「この子も大きくなったなぁ……」みたいな。

 そういえばゆっくりAAも10年以上経っているわけですから、実際に当時の世代の子供が小中学生になるころかも知れませんね。

――最後に「ゆっくり」が好きなユーザーに一言お願いします。

Dプ竹崎:
 今となっては私もゆっくりのただの一ファンに過ぎないので、多くは語りません。

 「これからもゆっくりしていってね!!!」

 

祝・東方project25年「東方ダンマク祭」

2020年10月10日(土) 19:00より生放送】

東方Projectの25年を記念した『東方』に親しんだすべての人へ贈る特別番組、 「東方ダンマク祭」を配信いたします。音楽ライブに、”東方Project”関連の新情報などなど、 盛りだくさんでお届けします。

○出演者

ZUN
粗品(霜降り明星)
ビートまりお(COOL&CREATE)
上坂すみれ

○音楽ライブ

COOL&CREATE
岸田教団&THE明星ロケッツ
石鹸屋
まらしぃ

○Twitter:

正体不明のスポンサーX
https://twitter.com/danmakuJP

○公式サイト

https://danmaku.jp/

 

「ゆっくり」が生まれた時のことを、アスキーアート製作者のDプ竹崎さんに聞いてみたよ おわり