東方我楽多叢誌(とうほうがらくたそうし)は、世界有数の「同人」たちがあふれる東方Projectについて発信するメディアです。原作者であるZUNさんをはじめとした、作家たち、作品たち、そしてそれらをとりまく文化の姿そのものを取り上げ、世界に向けて誇らしく発信することで、東方Projectのみならず「同人文化」そのものをさらに刺激する媒体を目指し、創刊いたします。

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高村蓮生の「幻視探求帳 ~ Visionary eyes.」第二十一回:判読眼の憂鬱 #本居小鈴

幻想考察コラム:取り扱う内容は筆者の個人的な妄想を含む東方二次創作であり、公式の見解とは無関係です。

 初めましての方は初めまして。そうでない方はお久しぶりです。高村蓮生たかむられんじょうと申します。このコラムで取り扱う内容は個人的な妄想を含む二次創作であり、公式の見解とは無関係です。数ある解釈のひとつとしてお楽しみいただければ幸いです。

 

本居小鈴の基礎知識

 本居小鈴は人間です。人里で鈴奈庵という貸本屋の店番をしている可愛い女の子です。色々未熟なお嬢さんですね。

 能力は「あらゆる文字を読める程度の能力」です。多分そう。本人もわかってなさそうですけど。 

 人呼んで判読眼はんどくがんのビブロフィリアですね。BGMも『判読眼はんどくがんのビブロフィリア』です。多分。弾幕が張れなさそうなので、弾幕ごっこは出来なさそうですけれど。ビブロフィリアとは、書物一般を愛好する人のことです。本の虫とか言われる類の人たちですね。こんな可愛い虫がいてたまるか。
 
 さておき、幻想郷で読書好きといえば、パチュリーさんやさとりさんが思い浮かびます。なんかどっちも紫色ですね。でも、二人と小鈴ちゃんとの間には違いがあるように思います。妖怪と人間と言ってしまえばそれまでですが。妖怪たちは読んだり書いたりするのに、小鈴ちゃんは読んでばっかりで書きません。情報は貯まる一方です。

 小鈴ちゃんは貸本屋というだけでなく、妖魔本コレクターでもあります。そんな怪しい趣味を持つ少女について考えるので、今回もやっぱり怪しい話になりそうですね。

言葉を理解する

 本を読むためには文字を読み、意味が分からなければいけません。ですが、文字を読んだだけでは、意味がわからないことなんてザラにあります。

 例文1を見てみましょう。結局いたの?いなかったの?
……と聞きたくなる文章ですね。おかしいと思ったら人に聞く!って橙が言ってた。

 例文2は、所謂「エンジニアの夫」というジョークですね。文章の意図としては「牛乳を1本買ってきてほしい。もし卵があったら卵も6個買ってきてほしい」というものですが、聞き手は後半部分の目的語も牛乳だと思っていたというズレが笑いどころです。ディスコミュニケーションはお笑いの鉄板ですからね。「鍋好き?」「好きだよ」「丈夫な歯だね」……みたいな。 

 例文3は熊本弁です。方言女子って可愛いらしいですよ。元ネタを知らなければ、意味がわからないやつですね。

 つまり。文字は読めても、意味まで分かるわけでは無いということです。そもそも言葉を理解するってどういうことなんでしょうか。

 

言葉を習得する

 言葉を使うためには、文法と語彙を理解する必要があります。例えば「オレサマ オマエ マルカジリ」と「オマエ オレサマ マルカジリ」は異なる表現です。最初の名詞が主語、次の名詞が目的語、最後が動詞、というふうに理解できます。マルカジリが動詞ではないのはさておき。このように単語の役割を語順で示す場合もあれば「オレサマが オマエを マルカジリ」と、格助詞を伴って単語の役割を明確にする場合もあります。

 ところで、動詞を別のものに入れ替えて「オレサマ オマエ タベル」にしても意味は理解できます。入れ替える候補が載っているカタログが辞典と呼ばれます。特に入れ替えに特化しているのが類語辞典です。英語だとロジェ・シソーラス等が有名ですね。

 私たちが語彙を増やそうと思ったときに国語辞典を最初から最後まで読み通すのは、現実的ではありません。そして効果もそれほどないでしょう。語彙を増やすためには、類語辞典が役に立ちます。不慣れな言語の場合は、絵で分かるものが有効だと思います。ある程度使い慣れた言語については、アルファベット順にまとめられた辞典を読むのも役に立つでしょう。

 しかしながら、そうして全ての語彙を獲得し、完全な言語を習得しようと努力しても、言語の語彙は理論上いくらでも増やすことができます。辞典に載っていない言葉もたくさんありますし、新しい言葉を自分で作り出すことだって出来ます。眼の前の野良猫をフジウルクォイグムンズハーと呼ぶことだって出来ます。言語の語彙に上限があるという事態は起きません。世界中で時々刻々と増えていく語彙のすべてを習得しなければ、その言語を使用出来ない……なんてのは非現実的です。

 数字を例に考えましょう。全ての自然数を知っていなければ、自然数を使うことが出来ないなどということはありません。自然数を生み出す枠組みがわかっていれば十分です。+1を繰り返していけば、どんな大きな自然数でも作れますね。言葉に関しても同様で、意味を生み出す仕組みが用意できれば、後はそれの繰り返しでどうにかなったりします。ならなかったりもしますけど。

読書について

 本を読むとき、私たちは文字を手がかりに意味を手にします。文字を通して、作者が表現したいと思っているものを体験していくわけですね。心を直接読むことはできないので、一旦文字の形に整理してから、他人に理解して貰う必要があります。さとり妖怪だと、文字にしたくないものまで読まれてしまうので、そりゃ嫌われますよね。いま散らかってるから。

 さとり妖怪に読まれているものは生の思考の過程であり、読んでほしい文章は加工を終えた思考です。火を通さないとお腹を壊します。生の本音はエグいので。

 ところで、加工された思考は読者のものではありません。それはつまり、料理を食べているだけでは作れるようにはならないということです。他人から美味しい食事を与えられるだけの生活よりも、自分でそこそこの料理を作れるようになったほうが、より食事を楽しめると思います。文章についても同様です。他人の思考を後追いするだけでなく、実際に自分の思考を整理し、書き出すことで、より読書を楽しめるはずです。

 アウトプットなしにインプットを続けた場合にどうなるかというと、意味が固形化し、詰まってしまいます。自分の中ではなく、世界の側に意味が有るような気がしてくるでしょう。自分の知っている意味こそが、世界の真理のような気分になるかもしれません。でも、それは気のせいです。インプットし続けてエンドレスなエイトを過ごした挙げ句、暴走した対有機体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースとかもいましたね。エラーの蓄積は怖いものです。読書の途中でも、一旦全部リセットしてみるといいかもしれません。定期的に整理しないと、足の踏み場も無くなってしまいます。満月のたびに歴史を編纂することには理由があるんです。多分。

妖魔本って?

 人間の思考は、読んでいる本によって結構簡単に操られてしまいます。これが妖魔本ともなると、取り扱いに注意が必要なことは明らかです。読んでいなくても。

 力ある物質をfetishフェティッシュと呼んだりします。語源としては、ラテン語でfacereファケレ「置く・作る」に遡るらしいです。「人工物」とかその辺の意味を指すものらしく、ポルトガルの船員や商人が、アフリカ人の持っている「お守り」を指すのに使い始めて、その用法が欧州各国に伝播していったようです。やがて「呪物・偶像」といった意味で使われるようになり、特定の要素を愛好する性的指向の意味でも、使われるようになりました。脚フェチ、髪フェチ、眼鏡フェチなんて具合に。

 呪物という言葉は、事実はどうあれ見るだけでも呪われそうものに向けて使われることもありますね。見た目がヤバいから呪われそう、のような。偶像は信仰の対象です。呪いとは認知に対する影響であり、信仰とは、認知システムにおける仕様です。呪いとは一般に、誤った因果認識のことです。「森にハイキングに行くとマイナスイオンで健康になる」みたいなことがよく例示されますが、実際は適度な運動と休息をとれば、普通の人間は元気になります。さて、マイナスイオンとは?
 個人的にはフィトンチッドの方が好きですね。

 信仰に関しては、対象がいてもいなくても、文章として成立する場合が例になるでしょう。「あなたは奥さんを殴るのをやめましたか?」という質問には、はいと答えても、いいえと答えても「殴っていた過去」が前提になります。ちなみに私は配偶者と喧嘩をしたことがありません。……いないものとはしようがありませんから。
 偶像は、そんな認知の不具合を補完する存在とも言えます。事故に遭いそうになったが、運良く無事だった。昨日神社で手に入れたお守りのおかげに違いない、みたいな感じですね。特定の個人に結び付けられないもやもやを回収してくれる存在、とでも言いますか。実際は、交通安全お守りを買ったからいつもよりも安全に気を配っていた、みたいな理由だったりするのですが。

 とはいえ、本当に不思議パワーを持っている呪物もあります。放射性元素とか。殺生石(火山ガス)とか。人形から視線を感じる(監視カメラ)とか。これは本当に不思議かな? 
 ……さておき、人間は不思議なものが大好きです。ヴンダーカンマーなんていうびっくりどっきり部屋を作ったりしますし、見世物小屋も大好きです。スペクタクルなショーが好まれたり、絶景を模した庭園を作ったりします。弾幕なんかもそうですね。いや、小鈴ちゃんは弾幕ごっこできませんけれど。

 妖魔本は、謂わば魔法少女のステッキです。人間が持つと不思議パワーが手に入ります。制御できるとは限りません。というか、大体エラーばかりです。

世界はエラーに満ちている

 世界はエラーに満ちています。私たちは、それに気付いていないだけです。私たちが理解できている世界というのは、たまたま上手いこと問題なく進行しているだけ、だったりするのでしょう。激しい弾幕も、当たらなければどうということはありません。

 妖怪は、人間にとってのエラーです。忌避の対象であるべきものですから。
 異変は、日常にとってのエラーです。ハレとケは分けられてこそ、価値があるのですから。
 迷宮は、道路にとってのエラーです。場所と場所をつなぐ道路に対して、迷宮は遠回りの行き止まりなので。
 陰謀は、常識にとってのエラーです。世の中にそんな強大な影響力を持った組織なんてあまりいません。多分。
 装飾は、本質にとってのエラーです。フリルだけでは服にならないのですから……とかなんとか言ってみちゃったりなんかしたりして。

 エラーにばかり注目してしまうと、見えるものも見えてきません。妖怪は単独で妖怪なのではなく、人間に対してのエラーとしての存在です。エラーが定まることで、正常な状況を考えることが出来るようになるわけですね。

 文章の意味は、単語と文脈の関係性で出来ています。筆者は関係性のオタクなので、言霊と言われても、言葉自体が意味を持ってるわけじゃないから、使われる状況によって変わるでしょ、とか思ってしまうのですが。とはいえ言霊めいた現象が起こることは否定できません。言葉フェチとか文字フェチとかもありえますし、信仰の対象にもなるでしょう。そういった不思議な魅力を持ったものは、KAWAIIと評価されるように思います。可愛いとは、幼なかったり単純なものに対して使われるような気がしますが、KAWAIIだと、単純な因果関係に回収されない複雑な背景がありそうな気がしますよね。気のせいですが。

 文章の意味は文字の背後にあります。判読眼とは、その背後関係を見抜いた上で、読んでいるのかもしれません。

 ところで『東方鈴奈庵』最終話で、イニシエーションを経た小鈴ちゃんの能力は、文字だけでなく人妖にも通用するものに変化していました。文字の場合に意味が見えるなら、人妖の場合には何が見えるのか。KAWAIIが過ぎた本は妖魔本になり、可愛いが過ぎた少女は、人間と妖怪の間に生きるようになってしまった……ということなのかもしれませんね。

高村蓮生の「幻視探求帳 ~ Visionary eyes.」第二十一回:判読眼の憂鬱 #本居小鈴 おわり

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