東方我楽多叢誌(とうほうがらくたそうし)は、世界有数の「同人」たちがあふれる東方Projectについて発信するメディアです。原作者であるZUNさんをはじめとした、作家たち、作品たち、そしてそれらをとりまく文化の姿そのものを取り上げ、世界に向けて誇らしく発信することで、東方Projectのみならず「同人文化」そのものをさらに刺激する媒体を目指し、創刊いたします。

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高村蓮生の「幻視探求帳 ~ Visionary eyes.」第八回:さかさまの幻想郷 #鬼人正邪

幻想考察コラム:取り扱う内容は筆者の個人的な妄想を含む東方二次創作であり、公式の見解とは無関係です。

 初めましての方は初めまして。そうでない方はお久しぶりです。高村蓮生たかむられんじょうと申します。このコラムで取り扱う内容は個人的な妄想を含む二次創作であり、公式の見解とは無関係です。数ある解釈のひとつとしてお楽しみいただければ幸いです。

 

さかさまの幻想郷

 鬼人正邪は天邪鬼です。天邪鬼は鬼ではないらしいですが、当然人でもないわけです。じゃあ一体なんなのかといえば、「あまのじゃく」なんでしょう。二つ名が「逆襲のあまのじゃく」で、ひらがなになっているのもきっとわざとでしょうね。

 能力は「なんでもひっくり返す程度の能力」です。星一徹並に危なくて、近くにちゃぶ台とか置けませんね。

 格好はといえば、足元はサンダルで、服はごてごてと矢印にまみれており、頭は黒髪に赤と白のメッシュという、夜中にコンビニに行くバンギャの子みたいな見た目ですね。見た目からもう怪しさ満点です。この上何を付け加えても大差ないので、安心して怪しい話ができるというものです。

 というわけで、今回もお付き合いいただけると幸いです。

 

海幸彦と山幸彦

 とりあえず日本神話から始めましょう。海幸彦と山幸彦の話は割と有名かと思いますが、ざっくりおさらいします。

 昔々、山で狩りをして暮らしていた山幸彦と、海で釣りをして暮らしていた海幸彦がいました。ある日弟の山幸彦が兄の海幸彦に「お互いの道具を取り替えてみよう」と言います。大事な仕事道具を貸すのを嫌がる海幸彦でしたが、結局お互い道具を交換して山幸彦は海で釣りを、海幸彦は山で狩りをすることになりました。

 慣れない場所と道具のせいか、結局お互い何の成果も得られなかったわけですが、釣りをしていた山幸彦は兄から借りた釣り針を無くしてしまいます。別の釣り針を返した山幸彦ですが、海幸彦は許さず、元の針を返すように言います。

 困った山幸彦が海辺にいると、通りがかった老人が綿津見神のところに連れて行ってくれました。そこで出会った豊玉姫に相談してみると、タイの口に引っかかっていた釣り針が見つかります。潮の満干を操る不思議な玉と兄に対する対策までもらって帰ってきた山幸彦は、兄に釣り針を返しました。その後計略を用いて海幸彦を罠にはめ、襲いかかってきたところを不思議な力を持つ玉で溺れさせて懲らしめます。兄、悪くなくない?

 とにかく、なんやかんやあって海幸彦は山幸彦に服従することになりました。弟が兄を従える。日本で初めて下克上が起こったわけです。猫は駆除しません。

 海幸彦は服従した証として、褌姿になり、顔に赤土をベッタリと塗り、溺れる真似をしたそうです。俳優わざおぎの民となる、つまり側に仕えてご機嫌を取るので殺さないでほしいと命乞いをしたわけですね。

 ところで、海幸彦は隼人の祖先だと言われています。隼人とは、今でいう九州南部に住んでいた部族で、勇猛なことで名を馳せていたそうです。山幸彦は神武天皇の祖父に当たりますので、全体としては隼人が天皇家に仕えている理由が書かれている、と読めるわけですね。上下関係は厳しいです。余談ですが、天武天皇は天智天皇の弟なのに、年齢は天武天皇のほうが上だったと言いますね。この場合どっちがどっちなのか。

 

赤・白・黒

 突然ですが、赤・白・黒の並びをみてなにを思い浮かべるでしょうか。帝政ドイツの国旗? 正邪の髪の色もそうですし、輝針城三面ボスの今泉影狼さんも全体的にそんな配色ですね。赤蛮奇も、白は無いですが全体的に赤と黒です。民俗学的に言えば、不浄の色ということになるのでしょうか。

 月経・出産・死は、それぞれ赤不浄・白不浄・黒不浄と呼ばれています。確かに血は赤く、産着は白く、喪服は黒いものです。とはいえ白い神といえば白山妙理権現菊理姫ですが、出産というより葬儀に縁がある神でしょうし、黒い神といえば住吉大神でしょうけれど、死に近い神のようなそうでもないような。なぜこの三色なのでしょう。

 視点を変えてみましょう。不浄の色としてではなく、この三色でなにか別の括りがあるのかもしれません。ということで、先程出てきた隼人です。日本では防具としての楯が発達しなかったと言われることがあります。とはいえ歴史上で一切楯が存在しなかったということではありません。隼人は宮中の警護に当たっていたわけですが、平城宮跡から隼人の楯と呼ばれるものが見つかっているそうです。赤・白・黒の三色を用いて模様が描かれており、おそらく辟邪の効果を狙って施された装飾だろうと言われています。

 邪悪なものから守るためにわざと嫌な名前をつけるという風習があります。戦国時代の武将の幼名にxx丸が多い、とか。貴人の身辺警護は汚れ仕事も多かったでしょうから、自然と隼人自身も穢れたものと扱われたのかもしれません。また、隼人は貴人たちの露払いとして先導するときに犬の吠える真似をして障害を取り除いたと言います。畜生霊のロアリングですね。もしくは影狼さんがスペカのたびに聞かせてくれる肉声です。アオーン。

 犬のマネをさせるって、結構な侮辱ですよね。三遍回ってワン。隼人は権力の犬だったわけですが。

 

若さってなんだ

 若さってなんだと聞かれたら、振り向かないことだと答えるのが礼儀らしいです。しらんけど。さておき「若」という漢字について考えてみましょう。これは巫女がトランスして神の声を聞いている様子だそうです。見えますか? とにかく「若」には元々年齢に関する意味は無かったようです。中国語では若者のことを青年とか年軽人というらしいですね。

 天邪鬼の元ネタのひとつとされているのが、アメノワカヒコです。天稚彦、もしくは天若日子と書きます。天孫であり、瓊瓊杵命ににぎのみことに先立って遣わされましたが、行った先が気に入ってしまって結局高天原に背いてしまいました。餓鬼の使いですね。天邪鬼ですが。

 意外なところでは「若宮」という言葉に怨霊関連のものがありました。すべての若宮がそうではありませんが、大きな神格の力を用いて怨霊を押さえつけるという構図です。地主神と鎮守みたいな関係でしょうか。

 全体的な「若」のイメージとしては、何者かの管理下にある、保護されているという感じでしょうか。漢文で「若」が出てきたら、だいたい「ごとし」って読みますしね。オリジナルがあって、それに似ている、みたいな。

 天邪鬼を天若あまのじゃくと書いたら、天に従っている、もしくは従わされていると読めるような気がします。天とは土地ではなく、権力を持つ集団としての高天原になるわけです。つまり天若は権力に組み込まれている存在となりますし、天邪鬼と書けば天に属する人に対してそこから外れた鬼というレジスタンスな風味が感じられる。そんな気がします。

 

稲田姫様に叱られるから

気霽風梳新柳髪 気れては風新柳の髪を梳る

氷消波洗旧苔鬚 氷消えては波旧苔の鬚を洗ふ

ーー都良香

 突然の漢詩で、しかも突然の都良香ですが、ここではあまり深入りしません。華仙ちゃんも出てきません。さっくり意味だけ触っていきます。髪をとかし顔を洗い身だしなみを整える。人間のそんな営みを自然の風景と重ね合わせることで、爽やかさを感じさせる詩です。髪とか髭とかほっとくとボサボサになるので、身だしなみを整える、つまり梳かしたり洗ったり切ったり結ったりするわけです。

 櫛といえば、須佐之男の妻である稲田姫も櫛に変わっていたりしますね。イナダヒメとクシナダヒメという呼び方が併存していることから「クシ」というのが何らかの識別詞であると予想できます。いや、どうでしょう。ここから先は本当に怪しい話なのですが。

 天櫛玉命という神様がいます。ちゃんと言うと天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみことという名前で、天孫だったりそうじゃなかったりする神様です。長いのでニギハヤヒと呼びますね。天照大御神あまてらすおおみかみから瓊瓊杵尊につながる天孫降臨に由来する皇統の物語とは別に、高天原から十種神宝を携えて天下った物語の主人公です。瓊瓊杵尊も天饒石国饒石天津彦火瓊瓊杵尊あめにぎしくににぎしあまつひこほのににぎのみことと呼ばれたりするので、ニギハヤヒとニニギってなんだか似ているような気がしてきませんか。

 天孫って何人かいるんですけど、ニギハヤヒには天照という文字が使われているところに特別なものを感じます。さらにクシタマ、クシミタマであり、血筋を整えられた(正統から外された)神なのではないか、なんちて。妄想が膨らんで妄言が捗りますね。

 

泥中の蓮

 博麗霊夢は陰陽玉の正統な後継者です。鬼人正邪は血に飢えた陰陽玉を使うことができます。人と鬼という観点から考えると、霊夢の使う陰陽玉は天照大神に連なるの神々の下で暮らす人間たちを統べる力と言えます。正邪も陰陽玉が使えますが、血に飢えた陰陽玉とはどんな力の象徴なのでしょう。

 東方輝針城を貫くテーマの一つに「二項対立」「表裏一体」があると思います。ダブルディーラーといえばヒラメとカレイですね。直毘と禍津日もそのような概念です。禍津日は不幸や穢れのもとと考えられ、直毘はそれを祓うものとされています。

 忘れてはいけないのですが、穢れとは絶対悪ではありません。人が生きていくことと穢れることは基本的に同義なのです。世界は顕事(理性的な力、人の領分)だけで出来ている訳ではありません。幽冥事(不思議な力、鬼の領分)も含んだ形での幻想郷です。散らかったら片付ければよいのです。

 つまり正邪はジャギ様だったということですね。人と鬼の2つの力を使うところは北斗と南斗の2つの流派を使う器用さと解釈できます。小物で主人公のアンチ的な存在であり、シン(針妙丸)を唆し主人公にけしかけるあたりも、そっくりだと思います。そうなると、正邪が霊夢の姉的存在になってしまいますね。姉より優れた妹。幻想郷にもそこそこいる気がします。そもそもどっちが姉なのか。

 冗談はさておき。正統とされるものはもちろんありますが、そればかりでは世の中動いていきません。異変のない幻想郷は存続が難しいように、体制が完成に向かうことは喜ばしいことばかりではありません。永遠は転がり続けなければ永遠ではいられないのです。

 世の中、口を出さずにずっと見ている「観客」ばかりではありません。何かしら口をはさみたくなるものです。同人誌即売会においては全員が参加者であるように、世界にもまた単なる観客はいません。人生は続いていくのライフ・ゴーズ・オンですし、参加の方法もまた人それぞれです。誰かの作り上げた世界を引っ繰り返すこともまた、一つの参加形態と言えるのかもしれません。

 完成した秩序は崩壊に向かいます。どこかに逆柱を立てておくことで常に未完成でいられるわけです。人里が妖怪を、幻想郷が外の世界を必要とするように、博麗霊夢の正統な物語も、異端としての鬼人正邪の反逆を必要としているのかもしれません。

 

5月3日「第二十一回博麗神社例大祭」参加のお知らせ

5月3日、東京ビッグサイトで開催の「第二十一回博麗神社例大祭」に参加します。

スペースは【さ52b】、サークル名は「はちすば」です。

頒布物はコラムと同じ形式のコピー本で、東方発表会で発表したスライドに文章を付けたものになります。第十三回『相対性精神学をつくろう』と、第十四回『芸能は何故幻想郷の問題になるのか』の二冊を出せれば良いなぁ……と思っています。値段は一冊300円、二冊セットで500円で頒布予定です。

ご興味のある方はぜひスペースまでお越しください。よろしくお願いいたします。

 

高村蓮生の「幻視探求帳 ~ Visionary eyes.」第八回:さかさまの幻想郷 #鬼人正邪 おわり

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