高村蓮生の「幻視探求帳 ~ Visionary eyes.」第四回:妖怪の山の隠者
幻想考察コラム:取り扱う内容は筆者の個人的な妄想を含む東方二次創作であり、公式の見解とは無関係です。
初めましての方は初めまして。そうでない方はお久しぶりです。高村蓮生と申します。このコラムで取り扱う内容は個人的な妄想を含む二次創作であり、公式の見解とは無関係です。数ある解釈のひとつとしてお楽しみいただければ幸いです。
妖怪の山の隠者
茨木華扇は仙人です。……仙人です? 正確に言うなら、茨歌仙という号の仙人という側面を持った存在です。『東方茨歌仙』のネタバレになりますが、彼女の正体は鬼です。みんな知ってるね。
能力は「動物を導く程度の能力」です。動物と意思疎通し、使役する描写がありますね。仙人なのでそれ以外にも色々と出来るようですが、コアの部分は動物とともにあるということなのでしょう。
二つ名は「片腕有角の仙人」です。最初から鬼であることを隠す気が無いのでは? 神仙思想なので道教ですが、宗教的なものというよりは健康法程度の道教要素です。そして、邪悪な鬼でもあります。ところで、なぜ彼女は鬼のままではいけなかったのでしょうか。鬼とは隠仁であり、その存在自体が追い遣られ隠されたものです。それなのに何故わざわざ自ら改めて仙人――つまり隠れ棲む者にならなければいけなかったのでしょうか。鬼と隠者は何が違うのでしょう。隠者と言えば紫ですが、ここではあまり関係ありません。
妖怪の賢者、その誰もが二面性を持つ存在ですが、茨木華扇は比較的分かりやすい存在だと言えるでしょう。それでも、妖怪の賢者なだけあって、十分に怪しい存在ではあるんですけれど。というわけで、いつものように怪しい角度から切り込んでみたいと思います。
元伊勢・元出雲
突然、伊勢神宮の話をします。どこにある神社かご存知でしょうか。そうですね、三重県伊勢市です。では、天照大神が伊勢にたどり着くまで、諸国を放浪していたことはご存知でしょうか。
天照大神は倭姫命とともに大和国を発ち、伊賀・近江・美濃・尾張の諸国を経て、伊勢の国に入ります。その道中で立ち寄った神社は「元伊勢」と呼ばれ、有名なのは丹後国一之宮である籠神社の奥宮、真名井神社です。伊勢神宮以外で天照大神と豊受大神を共に祀る代表的な神社ですね。というか、外宮の豊受大神はこちらから勧請されたわけですし。
伊勢が動いていたなら出雲だって動きます。撃つと動く。なんでもないです。伊勢が天照大神なら出雲はといえば、もちろん大国主命です。出雲を治める国津神であり、素戔男尊の娘である須勢理毘売命を妻に持つ神です。伊勢と出雲を並べるなら、天照大神の向こうを張るのに素戔男尊を置いたほうがバランスがいいでしょうか。姉弟にして子供を作った仲なわけですし。
ともかく、出雲にも「元出雲」と呼ばれる神社があります。丹波国一之宮である出雲大神宮ですね。出雲は様々な場所にあって、相撲の始まりとされる当麻蹴速と野見宿禰の戦いが出雲国風土記にありますが、その出雲ってどこの出雲なんでしょう。元祖とか本家とかありそうですね、出雲族。ちなみに出雲国一之宮はふたつあって、ひとつは勿論出雲大社(杵築大社)です。祭神は大国主命ですね。もうひとつの一之宮は熊野大社で、祭神は素戔男尊です。謎が多いですね、出雲。つまり、神とは動くものなのです。
ちなみに全くの余談ですが、元諏訪っていうのもあるみたいですね。どのお諏訪さんなのか分かりませんが。
神から鬼になった存在―素戔男尊
ということで、素戔男尊(須佐之男)のお話です。
伊邪那岐尊が黄泉平坂から戻り禊をしたときに生まれた神々の中でも、特に目と鼻を洗ったときに生まれた三柱の神を「三貴子」と呼びます。そして、それぞれ天照大神は高天原を、月夜見尊には夜食国を、素戔男尊には海原を治めるように言いました。
しかし素戔男尊は海原を治めようとせず、根の国にいる母の伊弉冉尊に会いたいと、泣いてばかりいます。素戔男尊が天照大神に暇を告げようと高天原に向かうと、素戔男尊が攻め込んできたと思った天照大神は、天の安川で素戔男尊と対峙します。素戔男尊が身の潔白を証明しようと宇気比(古代日本で行われた占い)をもちかけ、それに応じた天照大神が素戔男尊の剣から宗像三女神を生み、素戔男尊が天照大神のみすまるの玉から、五柱の男神を生みます。自らの剣から女神が生まれたことで身の潔白を示した素戔男尊ですが、高天原で暴れ回ったせいで追い出されてしまいます。ここから、天照大神の天の岩戸神話に繋がり、素戔男尊は八岐大蛇退治の物語が始まるわけですが、それはまた別の話。
天照大神との宇気比で生まれた宗像三女神は、海の女神です。おそらく一番有名なのは市寸島比売命で、つまり広島の安芸国一之宮である厳島神社です。祭神は宗像三女神で、日本三景の一つにも数えられる場所ですね。海原を治める素戔男尊の持ち物から海の女神が生まれたことで、その身が正しいことが証明されたわけです。たぶん逆ですけど。
とにかく、素戔男尊の天津神としてのエピソードはこのあたりでしょうか。ここから国津神になる話(八岐大蛇退治)や、国津神としての話(大国主命と須勢理姫との婚姻にまつわる話)が描かれます。つまり、素戔男尊は天津神(神)から国津神(鬼)になった存在として扱われるわけですね。
というわけで、海の神は天津神側の神ということになります。海は「あま」とも読みますし。大海人皇子とか。その海の民である氏族に安曇氏がいます。女神転生にもアズミっていますね。イソラもいます。こちらは綿津見三神を祖とする氏族で、本来は北九州一帯を本拠地としていました。なんでか長野県にもいます。安曇野のあたりに。広島と北広島(北海道)みたいなものです。長野県に海はないですが、安曇野のあたりには道祖神が沢山あるらしく、道祖神って岐の神で(海上)交通の神ですし、夫婦和合の姿をとる道祖神とは神々を先導する猿田彦命と天宇受売命ですね。たぶん海神と関係あるんでしょう。
動くものと共にあること
安曇氏がなぜ海から内陸部へたどり着いたのかといえば、おそらく朝廷での権力争いに敗れ、追われたからと言えるでしょう。
源頼朝は尾張の熱田神宮あたりの生まれらしいですが、族滅の憂き目に遭いかけたところを助けられ、伊豆に流されました。その後、自身の祖と縁のある鎌倉へと本拠地を移すことになります。当時の鎌倉は、海岸線が現代よりも内陸に入っており、人や馬がまともに移動できないような有様だったと言います。そこを整備して幕府を開いたわけですね。
徳川家康も、三河の地に生まれ、今川氏に人質に取られ、その後色々あって小田原を落とし本拠地を構えようとしたところで、秀吉によって江戸に左遷されます。当時の江戸のあたりは汽水域で農業に向かず、湿地帯で人馬の往来に向かないという、人が住むのには適さない土地でした。鎌倉よりも酷かったでしょう。そこを整備して江戸幕府を開いたわけです。
ふたりとも、わざわざ整備しなければまともに住めないようなところに行かざるを得なかったわけです。人の住めるところには当たり前にもう人が住んでいるので、人が住んでいない場所を選ばざるを得なかった。安曇氏もおそらくそうです。北九州を追い遣られて、安住の地を求めて信州安曇野まで辿り着いたのかもしれません。安曇野には魏石鬼八面大王という鬼(一説では義賊)がいて、安曇野の民を守るために朝廷から送り込まれた討伐軍に抵抗し破れてしまったという話が伝わっているようです。鬼が妖怪を守ろうとしたわけですね。
護法童子の出自
受動的に移動させられた阿曇氏とは違い、能動的に動き回った人たちもいます。その代表として、修験道の祖と言われる役小角が挙げられるでしょう。
彼を始めとする修験者たちや密教僧などは、山を開き修行場として整備していきました。同時に、山には辰砂や丹といった鉱山資源が埋まっています。それを求めて人が集まり、栄えることもあったかもしれません。人が増えれば治安も悪化し、山童のようにブラックマーケットを開こうとする輩連中も出てくることでしょう。修行の邪魔なわけです。諸々に対処するために、雑事であったり俗事であったりを任せる弟子や、妖々夢Ex・Ph道中ボスが使ってきそうな名前の式神がいたりします。
守護者は他教の神に限らず、式神(召使い)であったり、稲荷(神の使い)であったり、実際に守ってくれるなら何でもありという面もあるでしょう。式神から天狗になった鬼もいます。もうどれが正体なのか分かりませんが、とりあえず守ってくれます。強いに越したことは無いかもしれませんが、小回りがきくのも大事。
鬼と隠者―酒を呑み、歌を詠み、山に棲む
というわけで華扇ちゃんですが、動物を導く程度の能力です。じゃあ動物ってなにかといえば、魂のあるものと言えるでしょう。animalの持つanimaであったり、creatureに吹き込まれるspiritであったり、beastが備えるghostだったり、そういった魂たちを導くのがきっと得意なのだと思います。
鬼とはそもそも、表の世界から隠れ政治的権力を行使しない、もっというと社会的に死ぬことを求められてきた存在です。そのように他者から強制されると、妖怪は怨霊になってしまいかねません。そうではなく、自ら仙人――つまり隠者になることで、人に近い存在でいられるのでしょう。
酒を呑み、歌を詠み、山に棲む。鬼として人から恐れられるのではなく、天人のように地上を離れ暮らすのでもなく、仙人として適度な距離で関わり続けることにより、幻想郷の行く先を導いていくことができるわけです。
幻想郷は、外の世界から追い遣られた妖怪たちの駆け込み寺のような存在です。そこで必要とされるのは、場所を用意することであり、その場所に導くことであり、何よりそこで共に生き、魂を導いていくことです。妖怪の賢者たちは、誰も同じ道を行かない――つまり各々が違う世界を向くことで、幻想郷のバランスを取っていると言えるかもしれません。
高村蓮生の「幻視探求帳 ~ Visionary eyes.」第四回:妖怪の山の隠者 おわり