東方我楽多叢誌(とうほうがらくたそうし)は、世界有数の「同人」たちがあふれる東方Projectについて発信するメディアです。原作者であるZUNさんをはじめとした、作家たち、作品たち、そしてそれらをとりまく文化の姿そのものを取り上げ、世界に向けて誇らしく発信することで、東方Projectのみならず「同人文化」そのものをさらに刺激する媒体を目指し、創刊いたします。

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インタビュー
2020/09/30

「東方時代」とか言われるのマジで腹立つ。岸田は現在も「東方アレンジ活動が最重要」――岸田教団&THE明星ロケッツ・岸田×草野華余子 対談(中編)

「岸田教団&THE明星ロケッツ」岸田✕「紅蓮華」作曲者・草野華余子、アニメソングのこれからを担う“盟友同士”が語る「東方アレンジの魅力」(中編)

 2005年から東方アレンジシーンで活動を始めた岸田教団&THE明星ロケッツ(以下、岸田教団)の総帥・岸田氏。音楽作家としても活躍中で、3年前から東方アレンジサークル・ONSEN PROJECTの参加や、岸田教団のアレンジ作品『MOD』の編曲にも携わるシンガーソングライター・草野華余子氏。そのおふたりの対談が実現。

 岸田氏と草野氏が親交を深めた経緯と音楽的ルーツや明らかになった対談前編を経て、中編では岸田教団初の同人CD『SUPERNOVA』のリリースと、東方アレンジシーンに飛び込んだ経緯、メジャーデビューを決めた理由や、コンスタントに東方アレンジ作品をリリースし続けることへの想いを語っていただきました。

岸田(きしだ)
2005年から岸田の個人サークル「岸田教団」として東方ProjectのアレンジCDや、オリジナル楽曲を手がける。2007年東方アレンジライブイベント「フラワリングナイト」への出演のため、岸田教団&THE明星ロケッツを結成させる。作詞・作曲・編曲・エンジニアリング楽曲に関わるすべての工程をほぼ担当している。東方アレンジを主たる活動に置き、メジャーレーベルとも組み、岸田教団&THE明星ロケッツの活動をリーダーとして進めている。

草野華余子(くさの・かよこ)
大阪府出身・東京都在住、シンガーソングライターときどき作詞作曲家。3歳のころからピアノと声楽を始め、中学生のころに出会ったJ-ROCKシーンのバンドサウンドに衝撃を受け、18歳の大学進学を機にバンド活動を始める。バンド解散後、2007年ごろから「カヨコ」として活動を開始。自身の活動に加え、そのメロディの力強さが認められ、LiSAを始めとする数多くのアーティストやアニメ作品への楽曲を提供。2019年から活動名を「カヨコ」から本名の「草野華余子」に改名。

東方シーンに「ライブ」という現場が開かれたことで大きなうねりと流れができて、そのなかに巻き込まれていくことになる(岸田)

――岸田さんは東方でどのキャラクターがお好きですか?

岸田:
 霧雨魔理沙も好きだけど、いちばん最初はレミリア・スカーレットですね。東方って過去のボスがのちの作品に出てくるじゃないですか。それが作品を遡るきっかけにもなる。最初はゲームとしてプレイするからキャラに気を留めないんだけど、全キャラ使ってみてプレイしやすかったのがレミリアで、「そもそもこのレミリアって何者なんだ?」と調べてみると、どうやら『永夜抄』の前々作『紅魔郷』のボスらしい。じゃあ『紅魔郷』をやってみよう、となればその間にある『妖々夢』もやりますよね。

 その3作をやり終えたあたりで、ちょうど「第二回撃墜王決定戦」があったのかな? そこで曲を発表するというのがカルチャーとしてあって、そこに参加したのが初めての東方アレンジでした。それが支持されて、「じゃあ次は東方アレンジを中心に作っていきましょう」と。それでCDを出すか出さないかどうしようか悩んでいるタイミングで、とらのあなさんから「岸田教団さん同人CD出すらしいですね?」って電話がかかってきて(笑)。

※第二回撃墜王決定戦:
2005年にインターネット上で開催された、ゲームミュージックのハードロック・ヘヴィメタルアレンジ大会。投票で順位が決まるシステムで、第二回の1位は「岸田教団」の「亡き王女の為のエクステンドアッシュ」。

一同:
 へえ~!

岸田:
 当時とらのあなが出した『東方紫香花』(※2005年9月にとらのあなから出版された東方Projectアンソロジー作品集)に参加した流れで連絡先が知られてて、自分のWeb日記で「CDを出そうと思ってるけどどうしようかなあ」とちょっと書いてたのをとらのあなさんが見てたんですよね。

東方紫香花 ~Seasonal Dream Vision.~(画像引用:駿河屋.jp

岸田:
 まだふわふわしてた俺は「作るにしてもプレス代もかかるし、別に今すぐってわけでもないんですけど」と言ったんだけど、そしたらとらのあなさんが「今すぐ作品を作ってくれたら買い取って店頭に置くので作りませんか?」って。

草野:
 え~! すごい!

岸田:
 それで「まじっすか? じゃあやります!」って(笑)。それで作ったのが『SUPERNOVA』(※2005年12月の冬コミにて頒布)だったんです。当時の俺は東方以外に『マリア様がみてる』のジャンルにもいたので、そこで名の知れていたイラストレーターの蒲焼鰻さんが東方にもいるらしいことを知って――当時はけっこう『マリみて』界隈の人が東方にもいたんですよ。俺含め、やっぱり女キャラしかいない作品にしか生息できない人たちはけっこういるなあと(笑)。それでジャケットを鰻さんにお願いしたんですよね。

SUPERNOVA/岸田教団(画像:岸田教団&THE明星ロケッツ Official WebSiteから)

――岸田教団初の同人CD『SUPERNOVA』は、オリジナル曲とゲームアレンジ曲など全9曲が収録された作品でした。

岸田:
 だから次の作品は東方アレンジオンリーでCDを作ろうと。それが『明星ロケット』(※2006年5月「博麗神社例大祭3」にて頒布)ですね。それで例大祭に初参加するという。

草野:
 その頃にはもう「明星ロケット」があったんだ。すごい。

明星ロケット/岸田教団(画像:岸田教団&THE明星ロケッツ Official WebSiteから)

岸田:
 同人シーンを見まわしてみると、大体バンドサウンドと言えばメタル上がりだったんですよ。良くてフュージョン。バンドマンの人はバンドをやっていた時代なので、同人にはバンドマン上がりの人はほとんどいなかったんです。だからバンドマンの文脈から東方アレンジを作ってみようかなー……と軽い気持ちで作ったのが「明星ロケット」ですね(笑)。だから「明星ロケット」を作ったころは、まさかロキノンシーンで高速四つ打ちが流行るなんて思ってもみなかった。

――J-ROCKの高速四つ打ちブームは2013~4年あたりからなのでだいぶ先取りですよね。2007年あたりからthe telephonesやサカナクションといったダンスミュージックの要素をロックに取り入れたバンドや、9mm Parabellum Bulletや凛として時雨といったメタルや変拍子を取り入れたバンドが台頭してきて、そこにフェスブームが重なり、より着火性の高い音像を求めるようになったことで、高速四つ打ちが流行した印象があります。

岸田:
 なんで俺が「明星ロケット」をああいうアレンジにしたかというと、東方の曲ってスラッシュビートっぽいから、それを叩いたらすぐにメタルかパンクになっちゃうんですよ。「なんとかポップにならんか?」と考えて、スネアをハイハットに移動させたんです。だから何かの音楽の影響とかじゃないんですよね。たしか「風神少女」のアレンジをしてるときに思いついたのかな。「ダンスビートではない、8ビートの流れでの四つ打ちもアリじゃん」と思って。
 そうこうしているうちに『FloweringNight 2007』があって。東方シーンに「ライブ」という現場が開かれたことで大きなうねりと流れができて、俺はそのままそのなかに巻き込まれていくことになる(笑)。

草野:
 なるほど~。ずっと東方の歴史の授業を受けてるみたい(笑)。

★東方ライブイベント『FloweringNight』についてのインタビュー記事はこちら


東方音楽の青春期が詰まったライブイベント「FloweringNight」座談会

――2007年の例大祭で「幻想事変」がリリースされました。CDは瞬く間に完売し、どんどん規模が拡大していきます。その大きなうねりのど真ん中にいた岸田さんは、いったいどんな心境だったのでしょう?

幻想事変/岸田教団&The明星ロケッツ(画像:岸田教団&THE明星ロケッツ Official WebSiteから)

岸田:
 渦中にいる人間たちは、そんなに深く考えてないんですよ。よくわかってない。作ったらすぐ売れてたような状況だったけど全然実感がなくて、『FloweringNight』に出てそのまま解散しようと思ってたんです。でも『FloweringNight』のライブが、自分たちの思っていた以上に出来が良くなくて(笑)。

――評判が良かったからというわけではなく、リベンジの意味で解散を踏みとどまったと(笑)。

岸田:
 せめてCDではこのメンバーのポテンシャルを発揮できるものにしよう!という強い気持ちを持って制作したのが『幻想事変』ですね。自分たちなりにも手ごたえのある、気合いの入った1枚になりました。その結果『幻想事変』が売れていき、否が応にも流れに巻き込まれていき、引っ込みがつかなくなるという(笑)。

 メンバー全員「解散するつもりだったけど、これそういう空気じゃないよね……?」と思ってそのままにしていたら、来年のFloweringNightのステージにも立たないかと声をかけてもらって。「どうしよう?」「誘ってもらったし出る?」「じゃあもう1枚CD出さないとね」ってできたのが『Electric blue』(※2008年の例大祭で頒布)で、「同じメンバーでオリジナルを作ってみようか」という流れでできたのが『LITERAL WORLD』ですね。

 そしたら「こういう作品が作れるなら、うちの業界で楽曲制作してみませんか?」とバブリーで偉い大人の方々が寄ってきまして(笑)。最初は「同人サークルだからちょっとよくわかんないっす」みたいなテンションだったんですけど、その翌年、2009年に回ったライブツアーをその人たちに助けてもらったりして。1年間でなんとなく信頼関係ができあがっていったんですよね。

Electric blue/岸田教団&The明星ロケッツ(画像:岸田教団&THE明星ロケッツ Official WebSiteから)
LITERAL WORLD/岸田教団&The明星ロケッツ(画像:岸田教団&THE明星ロケッツ Official WebSiteから)

岸田教団は「東方アレンジを卒業してメジャーで活動してる」と思われてることがすごく多いけど、我々はそれを言われるとマジでキレる(岸田)

――そして2010年8月にメジャーデビュー。なぜこの道を選ばれたのでしょうか?

岸田:
 より大きな世界や高みを目指して音楽活動をしていきたい……とは欠片も思ってなかったけど、「ずっとここにとどまっているのは良くないな」とも思ったんですよね。

――というと?

岸田:
 「東方アレンジをやっていたサークルがアニメの主題歌でデビューする」という、東方アレンジをやった先のストーリーがあることは、界隈全体にとってすごく大事だと思ったんです。なにより自分たちのCDを手に取ってくれるファンに、続きのストーリーを見せたかった。
 別に趣味のままでも良かったんですけど、当時東方の大手サークルはみんな「金儲けだ!」とかって叩かれて(笑)、その疲れもあったし、規模が大きくなることで若干の責任感も生まれて――まあ、いいことがしたかったんでしょうね(笑)。罪悪感を消したかったのもあったんだと思います。

草野:
 なるほど。知り合う前の岸田さんの話を知ることができました。

岸田:
 メジャーデビューしたことで、バンドとして確立したところはある気がしてますね。同人サークルのころはロックバンドという意識もなく――今もその意識は当時よりはあるとはいえ薄いので、ロックバンドのコスプレだと思ってます(笑)。コスプレが行き過ぎてコスプレに見えなくなってきてるけど、本質的に我々は変わってないんですよね。

――メジャーで活動しながらも東方アレンジCDをコンスタントに制作していることもそうですか?

岸田:
 東方アレンジは「ルーツ」であり「素」なんですよね。メジャーでの活動よりも東方アレンジの活動のほうが重要なんですよ。だってメジャーデビューを決めたのも「続きのストーリーがあることを見てもらいたい」っていう軽い動機ですよ?(笑) 東方アレンジをやらないことのほうが不自然です。
 「東方アレンジを卒業してメジャーで活動してる」って思われてることがすごく多いんですけど、岸田教団はそれを言われるとマジでキレるんで!(笑)

一同:
 あはははは!

岸田:
 みんなから言われることで、本当に心の底からキレてることのひとつがそれです。もうメジャー落ちしてると思われて「メジャー時代」と言われるのはなんとも思わないんですけど、「東方時代」とか言われるのまじで腹立ちますね。目の前で言われたらマジでキレます。メジャーでの案件を断って東方アレンジを作ってること、多々ありますからね(笑)。東方アレンジをやらないという選択肢はない。
 同人出身で商業誌でも描きはじめた漫画家が、ずっと同人誌描いてるのと一緒ですよね。それを音楽でやってるだけ。でも「もう東方アレンジをやってない」と思われるのは、僕の気持ちが伝わってないということなので、とても悲しいなと。当たり前ですけど、どの東方アレンジのCDも超気合い入れて作ってるんで。

草野:
 岸田さんが東方の活動にプライオリティを置いていることは常々感じますね。その結果、この対談でも40分間ずーっと東方の話をしてるし(笑)。

岸田:
 アニメ界隈のお客さんを東方界隈に引っ張りたくてしょうがないですからね(笑)。だからちょっとずつアニメから東方に続く道を切り開いていって……。

――結果、草野さんがアニメシーンから東方シーンに引きずり込まれてますしね(笑)。

草野:
 『MOD』の7曲中4曲アレンジしてるのわたしなので(笑)。

岸田:
 ここから華余子のターンが始まります(笑)。

――『MOD』には過去に岸田教団が発表したアレンジ楽曲を、再アレンジした楽曲が収録されています。

岸田:
 自分の昔のアレンジをあらためて現在に復活させるための作品なので、最初から楽曲を改造させるつもりだったんです。ただ自分で作ったものを自分で改造するのはちょっと憚られる。だから『MOD』という作品の趣向も、華余子ありきで決まったところはありますね。

草野:
 ONSEN PROJECTのアレンジ楽曲も勝手にMODされてました(笑)。

岸田:
 ONSEN PROJECTの主催のichigoさんに聞いて「いい」と言われればもういいなと思って(笑)。まあ礼儀として一応華余子にも事後報告しとくかと。「だめ」って言われても引きさがれないタイミングを狙いました(笑)。

――(笑)。対談の前編で語ってくださった、「Reboot:RAVEN」の流れがあったからこそ『MOD』につながったと。

草野:
 岸田教団はシングル曲をたくさん収録した『LIVE YOUR LIFE』をリリースしたあと、「ここでバンドを再起動させないといけない」と思って『REBOOT』を作って。「Reboot:RAVEN」はそういうコンセプトを聞いていたうえで作ったものだったんです。岸田さんは「“REBOOT”した瞬間には変わらない」と言っていて。

岸田:
 うん、そう。変わるために再起動ボタンを押すことがREBOOTだからね。

草野:
 だから岸田さんがメジャーの楽曲、同人のオリジナルの楽曲、東方アレンジを分けている印象はなくて。岸田教団の活動という一本の線のなかで『MOD』という作品が生まれた気がしてますね。わたしも自分の音源のミックスやアレンジを手伝ってもらってたんで、「金銭ではなく技術を交換しよう」ということで『MOD』で初めて正式にお仕事をいただきました。

――――

 岸田教団と東方の関係性や岸田さんの熱い想いが語られた中編。後編ではようやく草野さんのターン!(笑)おふたりの楽曲アレンジ論などを伺います。お楽しみに。

「東方時代」とか言われるのマジで腹立つ。岸田は現在も「東方アレンジ活動が最重要」――岸田教団&THE明星ロケッツ・岸田×草野華余子 対談(中編) おわり