東方我楽多叢誌(とうほうがらくたそうし)は、世界有数の「同人」たちがあふれる東方Projectについて発信するメディアです。原作者であるZUNさんをはじめとした、作家たち、作品たち、そしてそれらをとりまく文化の姿そのものを取り上げ、世界に向けて誇らしく発信することで、東方Projectのみならず「同人文化」そのものをさらに刺激する媒体を目指し、創刊いたします。

     東方我楽多叢誌(とうほうがらくたそうし)は、世界有数の「同人」たちがあふれる東方Projectについて発信するメディアです。原作者であるZUNさんをはじめとした、作家たち、作品たち、そしてそれらをとりまく文化の姿そのものを取り上げ、世界に向けて誇らしく発信することで、東方Projectのみならず「同人文化」そのものをさらに刺激する媒体を目指し、創刊いたします。

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インタビュー
2020/07/01

2008はチケット即完売、2009は驚愕の幕張メッセイベントホール。たくさんの「人」と「大変」が押し寄せるFloweringNight、それでもこの場所には”楽しい”しかなかった

「FloweringNight」座談会【第4回】

躍進の2008年、ニコニコ動画への無断アップロード

ーー前回、2008年につながっていくところまでお聞きしました。出演者に新顔として2サークル、CROW’SCLAW【※】とSOS -Sound of Swing-【※】が参加しましたね。COOL&CREATEには、狐夢想さんに加えて、ジュクチョーさんも加入して。

FloweringNight2008の出演者リスト。公式サイト(InternetArchives)より抜粋。

※CROW’SCLAW:鷹氏が主催する、メタルアレンジを中心とした音楽サークル。東方アレンジCDの代表作に「Frozen Frog」「Brutal Games For Reminding Of Death」。2017年に二次創作を中心とするオフラインでの活動は休止し、現在はオンラインを中心とした活動を展開、新曲をリリースし続けている。

※SOS -Sound of Swing-:団長、紅葉饅頭氏が率いる音楽サークル、ジャズバンド。2008年時点ではCDのリリースがなく、2011年に初CDの「Cat’s Walk」をリリース。現在に至るまで定期的にCDをリリースしている、最新作は「Desert Moon」。

hellnian:
 当時のベースだったイノさんが、石鹸屋から抜けちゃって、COOL&CREATEのサポートが難しくなってしまったんですよね。うちの仲間たちを紹介して、そっちが入って。それで、石鹸屋のベースはササキっていう謎の人物になったけど、これが要は後のイガラシですね。

ーー2008のチケットの売れ行きはそれまでと変わらず9割くらい?

どぶウサギ:
 いや、2008はあっという間にチケットが売れたんですよ。これはなぜかっていうと、2007のときにDVDを作って売っていて。それが勝手に、何者かに、ニコニコ動画でアップロードされていたんです。

hellnian:
 ニコ動って、最初はアカウントがないと見れなかったじゃないですか。だから、すごいガラッと変わったのが、最初俺には分からなくて。 うちの仲間の絵描きたちが「石鹸屋の映像、ニコ動に上がってるよ。いいライブしてるって盛り上がってるよ」みたいなことを言われたんですけど、そもそも「ニコ動って何? 知らんのだけど」という状態でした。それでアカウントを取ってやっと入ったら、再生数がすごいことになっていて、(自分たちのライブを)こんなに見てもらってるんだなと思った。

どぶウサギ:
 でも、違法アップロードだから、削除してもらうかどうか、会議したんだよね。

hellnian:
 したね。かなり真面目に。

どぶウサギ:
 そうしたら、ほぼ満場一致で違法アップロードなんだけど、見逃して残しておこうと。お金を出してDVDを買ってくれた方には申し訳ない部分はあるんですが。

hellnian:
 2007のDVDを出した時は、正直に行ってしまうと、石鹸屋のCDはまだそんなに売れてなかったんです。FloweringNightに2年連続で出演してても知名度はそこまで変わらなくて、2007のDVDが出たら変わるかな?と思ったらそんなこともなくて。
 『トウホウパンチライン』ってCDを2007の夏に出したんですけど、もうあの時点で、次のCDを作れるようなお金もなくて…。そんな状況で家族にも「そろそろ生き方考え直せ」くらいのことを言われていました。バイトしながら、音楽ばっかやってたんで。
 そんなときに、ショップの在庫がどんどんどんどん消えていくんです。追加注文がずっと来るんですよ。それでなんでだろう?と思ったらニコ動をにアップされるのを見て「あ、これだったんだ」と。でもすぐにはお金がなくて増産できなくて(笑)。そこからお金を貯めてまとめて増産したのが2007の冬コミの時でした。

ーーニコ動をきっかけに一気に人気が爆発したんですね。

hellnian:
 それまではじわじわだったから、よく分かってなかったんですよ。すごい盛り上がってるなっていうのを、フラワリ2008が終わった後に感じました。 それこそ変な言い方ですけど、2007までは、ライブに出ていた面々の中で、知名度的にはCOOL&CREATE一強だったイメージがあるんです。

ーー当時、FloweringNightの存在が動画サイトと結び付くことで、東方音楽全体がより広まったということですよね。それで2008は、2007のバージョンアップとして開催した。

どぶウサギ:
 はい。まさにバージョンアップですね。東方自体の全体の人気が爆発した頃でもあるとは思うんですよ。2007に『風神録』が出て、2008に『地霊殿』が出て。その頃には、外国の方とかもイベントで見かけるようになったし、東方全体の裾野がすごい広がって、それに伴ってライブも同じように広がるのは、当然の流れだったんだろうなと思います。同人サークルもすごく増えたしね。

hellnian:
 圧倒的に増えたもんね。元々の絶対数が少なかったし(笑)。それに、あの頃のフラワリって、全然女性のお客さんいなかったよね?

どぶウサギ:
 東方は、昔は男性向けっていう感じだったからね。

ーー新旧含めた東方ファンが、ニコニコ動画にアップされた2007のライブ映像を見て、2008が開催されることを知って、東方のライブイベントに行きたい!となった。そんな経緯で石鹸屋を知ってファンになった方に、以前CDレビューを書いてもらいました。

「その美しさに、僕は、人間は、死んでしまう」東方思い出の一枚 石鹸屋『TOHOHUM』
https://touhougarakuta.com/music-review/20191113

hellnian:
 それはありがたい話です。今も言われてますけど、当時うちのCDは音が悪いって散々言われてまして、粗っぽい録り方をしてたんですよ。だからなのか、当時はCDよりライブのほうがいいって言ってもらえて(笑)。ライブで良い評価をもらって、うちの作品に来てくれたのはありがたかったですね。今の(音楽サークルの)子たちは本当に音がきれいでね。

 

FloweringNight2009、会場は「幕張メッセイベントホール」

ーーそんななか、翌年の2009で、突然会場が大きくなるような印象があるんですけど、これは一体何があったのでしょうか?

どぶウサギ:
 「幕張メッセイベントホール」……文字列見るだけで、胃が痛いんですよね……。

hellnian:
 音楽の世界の人からすれば、普通はZepp【※】を挟むところを、すっ飛ばして幕張メッセまでいっちゃったんだからね(笑)。

※Zepp:Zeppホールネットワークが運営する、ライブハウス。Zepp Tokyo、Zepp Namba、Zepp DiverCityなど、収容人数1500~2000程度の大型ライブハウスを日本全国に展開している。

どぶウサギ:
 でも、他に挙がった候補で武道館っていうのがありましたからね。第一候補として。それよりは、まぁ……。

ーーでも、幕張メッセイベントホールは、規模感的には日本武道館の1個下【※】ですよ。

hellnian:
 武道館とキャパの差が数千人だからね(笑)。

※幕張メッセイベントホールの公称収容人数は9000人程度。日本武道館の最大収容人数は14471人。

どぶウサギ:
 武道館に連絡したら無理で、幕張メッセに連絡したら大丈夫って言われたので決まったんです。

ーーまたリストの一番上から連絡していったんですね。どぶウサギさんのアクセルを踏んだ感がここでも出てますね(笑)。幕張メッセはどのようにして決めたのでしょうか?

どぶウサギ:
 やっぱり会議で決めました。FloweringNightは民主主義で決めていくから、自分ひとりの意思じゃないんです。自分が1人反対してても、みんなの多数決で決まったら、責任を持って自分が動く、みたいな流れでやっていたので。決まったら、あとは電話して予約して。
 2009はCLUB CITTA’のスタッフさんの力を借りるしかなくて、ステージを作るところとか、舞台とか音響設備とかいろいろ、協力してもらっています。そうせざるを得なかったから。 結局、ものすごい金額がかかって少しだけ赤字になったんです。でも、逆に言えばほとんど回収できたので、それならまぁ成功かなって。

ーー大失敗ではなかったと。

hellnian:
 当時の東方界隈の大きさが伺えるよね。今、俺がこんな赤字出したら飛ぶもん(笑)。

どぶウサギ:
 お金って結局数字でしかないんです。楽しかったかどうか、が大事だと思うので。来てくれた人に「いいイベントだった」って思ってもらえることが大事だったと思いますね。

ーーこの規模の会場のキャパでも、チケットが売り切れるのが早かった記憶があります。私が最初に参加したのがこのFloweringNight2009で、2階席の追加公演でようやくチケット取れたのを覚えています。

hellnian:
 イベントホールの収容人数約9000人は、ステージを作らない状態の数字ですね。

どぶウサギ:
 FloweringNightではステージをせり出したから、満席で5000ぐらいかな。でもさすがに埋まらなくて、8割ぐらいだったかな……。

ーー埋まってるじゃないですか! いま思い返すと、会場に撮影用のクレーンもあったりして、本当に気合が入っていたんだなと。

どぶウサギ:
 取りあえず、悔いのないようにしようみたいな感じではありましたね。
 でも、実際これはバカだったなぁと思います。2日やればいいのに、ステージ作って、ライブして、解体するの含めて1日なんですよ。めちゃくちゃもったいない(笑)。

 

コラム「日本で最も大きな会場でジャズが演奏されたのは、FloweringNight2009?」

「FloweringNight」って、すごく人が集まってくる

hellnian:
 よくよく考えると、これチケットの値段設定おかしいですよね。6000円とか5000円。俺、以前バンナムフェスに行ったんですけど、幕張メッセより大きいドーム会場だったとはいえ、全然値段設定が違う。同人のイベントだからアレだけど、これが普通にプロだったら、8000円、9000円とかなんだろうなって。

どぶウサギ:
 でも、高校生のことを考えるとね…。

hellnian:
 そうなんだよね。若い子に来てほしいから、チケットの値段が上げられないよねって。

ーー私も確か、高校卒業してすぐ位でチケットを買ったので、結構頑張った記憶があります。

どぶウサギ:
 高校生で6000円は結構でかいよね。

hellnian:
 当時、みんなチケット代すごい高いよねって言ってたからね。でも、手伝ってくれたチッタのスタッフさんとかに「これはもっと上げないと」っていうふうにすごい言われたのは覚えてる。「絶対後で続かなくなるから、高くしろ」って。

ーーそんなとんでもない会場の席が、みるみる埋まっていくわけです。全てがフルスロットルで進んでいく中、プロデューサーとしてはどういう気持ちで当日を迎えたんですか?

どぶウサギ:
 忙しかったですね。ピリッピリしてました。やっぱりいろいろ問題があったんですよ。前日の夜から、手配が上手くいってないとか。スタッフの人も基本ボランティアなので、見積もりがちょっと甘くて「これやってないの!? 」みたいな部分があったりしてて。業者さんが「これができてねぇんだけど、どういうことだ!」って怒っちゃって、ただただ謝ったりとか。 あとは雨漏りしてて、客席が濡れてしまってるのもありましたね。

ーーあのとき、豪雨が来てましたもんね。

どぶウサギ:
 みたいなことがあったりで、てんやわんやでしたね。まあでも、そんな状況はいつものことで。やってる側は必死でもがいてるだけでした。
 打ち上げもあったんですが、自分がいろいろ後片付けが終わって向かう頃には、食べ物も飲み物も全部なくなってるし、酔っ払いしかいないしみたいな感じで。ただひたすら、疲れちゃったなというか。感慨とか……何なんだろうな。もうよく覚えてないですね。いろいろありすぎて(笑)。

ーー龍道さんも、急激に拡大した例大祭当時を振り返って、すごい勢いであまりに大きくなり、色んなことが押し迫ってきていた、だから覚えていないと言っていました。それについて行くのに、ただただ必死だったと。

どぶウサギ:
 ただただ必死。そうならざるを得ないですね。

ーー同人という概念で行われたライブで、これより大きなものはないんじゃないですか?

どぶウサギ:
 自分はそういうのに疎いので分からないですけど、実際、ここが限界だと思いますね。人数的な意味でも、予算的な意味でも、安全上の懸念っていう意味でも。イベント保険はこのとき初めて入ったんですよ。地震が起きたり、台風が来たり。最悪、人が死んでしまうかもしれない。それでもちゃんと賠償金が出るみたいな保険に入ってましたね。

ーーそんな規模になってしまったイベントの顔役を張り、責任を取った。胃に穴が全部開いて、なくなってもおかしくないストレスです。なぜそれをやりきれたんだと思います?

どぶウサギ:
 それはもちろん出演者をはじめとするスタッフの、すごく大勢の方の助けがあったからなんですよね。 FloweringNightって、すごく人が集まってくるんですよ。
 例えば、第1回の2006年ってむちゃくちゃ撮影機材がしょぼかったんです。それを見かねて、映像技術部さんが「俺が撮影するから」って助けてくれて。他のことも「これやりたいから」って、どんどん人が集まってくる。それを「じゃあお願いします、任せます」ってやっていくと、次第に全体がどんどん良くなっていくんです。 だから、自分があれやってこれやってって、あんまり細かい指示を言ってないんですよ。最初は無茶振りもありましたけど、それ以降は基本的にお任せで。
 2009年に、クローク、荷物を預ける所があったんですけど、それも例大祭のスタッフさんにやってもらって。彼らが「そこでも面白いことをしたい」って、クロークで渡す券をやたら凝ったデザインで作ったりとか。でもそれが、ギリギリになってから予算が出てきて「こんなに掛かるの!?」みたいな苦労もあったりもしましたね(笑)。 でも同人だし、スタッフさんがやりたいっていうことは、出演者がやりたいっていうのと同じように、尊重してやるべきかなと思ったので。

ーーそこまでの責任を持って、ボランティアスタッフを率いて、個人でライブイベントを開いたというのは、オタク文化の中でも本当に稀有な事例だと思います。

どぶウサギ:
 個人の力じゃないんですよ。あのときFloweringNightのスタッフも、最終的には300人ぐらいになったのかな。みんなの意思なので、自分が個人で頑張ったように見られると、それはちょっと違うんです。

ーー真ん中にどぶさんがいて、どぶさんがいたから、踏むべき所でアクセルを踏んだから、周りが「手伝ってやる」って集まってきて。周りのやりたいいろんなことを許容して。そうやって、どんどん大きくなっていった。本当にすごいなと素直に感動しています。

どぶウサギ:
 ありがとうございます。個人的には本当に大したことをやってるつもりはないんですよ。誰でも出来るようなちょっと面倒くさい事務作業を主にやってただけですからね。

 

出演者が感じた、大きくなったがゆえの寂しさ

ーーそんなライブを出演者としても体験された、hellnianさんは2009年はどうだったんですか?

hellnian:
 俺の気持ちからすると、この辺りから手に負えない感じが出てきたなっていうのは、何となく感じてました。その前までは、このイベントに関わっている人の、顔が見えていたというか。それが段々と見えなくなってきたのが、この時、この規模だったのかな。
 当時は若さもあって、俺はそれに対して反発の気持ちもあって。これに関しては本当に申し訳ないと思っています。どぶさん思い出したくないと思うけど、結構俺らは言ってたよね。

どぶウサギ:
 いや、いいよ。大丈夫だよ。 結局、自分一人では全部見れなくなったんです。2008年のときからなのですが、バンド側の調整をUSOLのMass Kanekoさんにお願いしたんです。今まで、自分がやってた部分をちょっと分業し始めたんですね。
 そうしたら「どぶさんがいないとかどういうことだ」みたいな感じで、バンドメンバーのみんなわだかまりを持ってしまったのかな。

hellnian:
 サークル同士も、自分たちなりのやり方をし始めた時期で、横とのぶつかりが起きた時期かもしれないですね。「こいつらはここ」「俺らはこっち」っていうふうに、それぞれの領分にピッて線を引くみたいに。SOSなんかはやさしいから何も言わなかったんだけど。

どぶウサギ:
 SOSは毎度、何も問題がない。心の癒し。

hellnian:
 それだけに、俺らがどぶさんの胃を痛めつけてただろうなって。俺らの中では、最初にどぶさんの車に詰め込まれて運ばれてた、あのメンツの顔がずっと頭に残ってたけど、それがだんだんと疎遠になっていくように感じてたんです。最初の頃に密に交わしてたようなコミュニケーションもだいぶ少なくなったなって。自分たちは特にバンドでの活動もあって、そっちのほうに力を振ってしまっていたのもあったから。

ーー出演バンドの音楽ジャンルも、きれいに違いますからね。

hellnian:
 そういうのに端を発する違いとかが、ちょっとずつここで見えたかもしれません。言い方を変えるなら、“作る側から出る側になった”のが、2009だったのかな。俺も俺で、今でこそ初期にいっぱい関わってたことを「あの時は…」って話せるけど、当時はわけも分からずやってて、キャパオーバーだなって思っていたから、だんだんやらなくなって。本来だったら、出演するだけになったことに文句はないはずなんです。でも、やっぱりふと思うと、一番どぶさんと距離が広がったのはこのタイミングだったなと。

ーーちょっと寂しさも覚えつつだったんですね。今、振り返ると。

hellnian:
 色々と片付けたあと、打ち上げに俺も結構過ぎた後で行ったんですけど、やっぱり「お疲れ、飲んだー!」っていう感じがないんですよ。既にみんなベロンベロンになって。 何より思ったのは、誰だろうこの人?って人が会場にいっぱいいるんですよ。それはスタッフだった人もいたし、そうでない人もいたっていうのは後で聞いたんですけど、何をしてた人なのかが、分からない。スタッフが300人近く居たので仕方ないとは思うけど、当時は何かそこに寂しさを感じていたかも。

どぶウサギ:
 飲み会みたいなもんだよね。5、6人だったら密な会話ができるけど、何十人っていう飲み会になっちゃうと、全然会話してない人も出てきちゃう。人と人との会話をすることが薄くなっちゃうんだよね。これと全く同じことが、2009年のFloweringNightに起きてた。

hellnian:
 でも、やっぱり達成したっていうのは、すごいことだなっていうのは思ってましたよ。

ーーイベントそのものとしては、すごく大きな会場に、4000人近くの観客。その前で演奏したときの気持ちは覚えてますか?

hellnian:
 それは不思議となんですけど、それまでと全然変わらないんですよね。どこでやっても変わらないんだなって。あえて言うなら、音がちょっと違うな、めっちゃ響く~とかそのぐらい。幕張メッセも、チッタも、ロフトも、そんなに変わらないんです。むしろ、ロフトのときのほうが緊張してたかもしれないですね。不思議とよく覚えてるんですけど、ステージから2階席でも顔や表情がよく分かる。
 でも、すごいイベントやったんだなって思ったのは、2009の最後に、ステージ上で全員集まって話をした時ですね。あのときが一番、今、この人数の前でやったんだなっていう実感が大きかったですね。出演者全員で集まって、最後に挨拶して、ステージから客席を見渡したあのとき、初めて、こんなにでかいライブをやったんだなって。

ーーまりおさんと肩を組んで笑っていたのを、2階席から見ていたことを覚えています。

hellnian:
 まりおさんが俺のこととっ捕まえてくるんだよ(笑)。

 

それでも”楽しい”しかない

ーー基本、意思決定は楽しいほうに振ってきたという風に今までお聞きしました。2009には、それでも楽しいという部分はあったのでしょうか?

どぶウサギ:
 もちろん楽しいしかないですね。楽しいしかないです(笑)。
 どんどん有能な人が集まってくるんですよ、何もしなくても。今お願いしてる仕事は大変だから助っ人を呼びます。呼んだその人がまたすごい有能な方で、その人がまた強い助っ人を呼びます……という感じで、どんどん有能な人が集まってくるんですね。スタッフさんでも何でも。その様子を客観的に見てると面白かったなっていう。
 同人イベントって、こうやってでかくなっていくんだという感じがしました。人と人のつながりですね、どんどんつながっていく。それこそ、まりおさんと最初に知り合ったのだって、イベントでしたから。

ーーイベントを作る人って、沢山の来場者が集まった!っていうのを見て、成功を感じるわけじゃないんですよね。イベントを作っていて一番楽しいのって、準備中に、何かの困難が上手くいった瞬間で。解決しないと思ってた問題が、誰かが出した面白いアイデアによって解決したとか。ここに人が居ない、誰かはまってくれないかなと思っていたところに、ピタっと誰かがはまった瞬間が、一番楽しいんじゃないかと。

どぶウサギ:
 あります、ありますね。天運って言うんですかね、そういうの。この人がいなかったら、どうしようもないじゃんみたいなのが、すごくいいタイミングで仲間になるんですよね。イベントって。 当日が一番やることは多いのでてんやわんやですけども、楽しさで言えば準備のほうが強い感じはしますね。人がどんどんつながっていく楽しさって言うんでしょうか。

ーーイベントの楽しさですね…そういえばイベントをやるひとは、全部撤去されていくのを見て、ああ、終わっていく…というのが楽しいというのですが、どうですか?

どぶウサギ:
 祭りの後の寂しさみたいなのは、毎回ありますね。無事に終わってくれたっていう安堵感と、もっと上手くできたんじゃないかなっていう反省点と、いろんな感情がごちゃ混ぜになって。それで打ち上げで酒飲んで、きれいさっぱり忘れるっていう(笑)。

ーー本当にお祭りですね。準備は毎年すごく大変ではあったけれども、2009には、二度と訪れないであろう楽しさがあったという気持ちなのかなと。

どぶウサギ:
 そうですね。本当に、二度とやりたくない……。

一同:
 (爆笑)。

どぶウサギ:
 いや、違う! 今日は、夢のある話をするために来たんですよ! (笑)

コラム「ZUNさんのビール伝説は、伝説じゃなくて現実だった」

2008はチケット即完売、2009は驚愕の幕張メッセイベントホール。たくさんの「人」と「大変」が押し寄せるFloweringNight、それでもこの場所には”楽しい”しかなかった おわり