「幻想になるかもしれない。それも含めて楽しい砂遊びです」――イマジナリー饕餮という遊び(後編)

イマジナリー饕餮という遊び(後編)

 剛欲同盟の長・饕餮トウテツ。前編ではその原典である伝承やゲーム内での情報、そしてイマジナリー饕餮なる遊びが発生していることについて触れてきた。

ユーザーによって創造される、強火の幻覚――イマジナリー饕餮という遊び(前編)

 後編では、イマジナリー饕餮を描かれている同人サークル「東方幕府」のほおずきさんにインタビューを取らせていただき、イマジナリー饕餮について語っていただいた。

 

「幻想になるかもしれない。それも含めて楽しい砂遊びです」

――鬼形獣頒布後に「イマジナリー饕餮」という単語を出されたのはほおずきさんが最初かと思いますが、そこからイマジナリー饕餮を描くようになったきっかけはなんでしょうか。

ほおずき:
 先にこちらの絵を描いてから、このキャラが何なのか説明するためのキャプションとして「イマジナリー饕餮」という単語を出しました。

 イマジナリー饕餮を描いたきっかけは、饕餮が名前だけの存在なのに原作での情報が妙に多いこと、加えて、当時「鬼形獣おまけステージ」を妄想していたからです。

 鬼形獣本編では驪駒やオオワシ霊が饕餮本人について語っていたり、袿姫や吉弔が剛欲同盟やオオワシ霊に対する認識を口にしていました。これまでの名前のみのキャラに比べて、情報が具体的で人となりを推測できるような内容が語られているので、自然と見た目や振る舞いを想像してしまいました。

 鬼形獣おまけステージというのは、「鬼形獣に妖々夢PhantasmのようなEXのあとのステージがあって、そのボスが饕餮」という個人的な妄想です。私は驪駒と吉弔が好きなのですが、「もしそういうステージがあったら、ふたりが中ボスで一緒に登場してくれるかもな……。それでボスは饕餮かな」という想像をして、立ち絵に起こして動かしたのが先程のツイートの絵です。見た目と一緒にスペルカードを考えていたくらいで、イマジナリー饕餮はこの妄想とセットで生まれた存在でした。

――鬼形獣の段階でキャラクターに関する情報量があったからこそ、原作ステージの延長線上で想像しやすかったのですね。
 ほおずきさんはオリジナル要素が色濃く出ている東方架空園(※1)を描かれていますが、こうした創作活動とイマジナリー饕餮の発想は近しいものだと思います。今までの創作活動はアイデアの下地としてあるのでしょうか。「まだ登場していない、饕餮という設定のみのキャラクター」に惹かれる部分はありましたか?

(※1)東方架空園
ほおずき氏による東方二次創作作品。原作ストーリーを思わせるステージ構成で物語が進行していく。独自のボスキャラクターを登場させるなど、オリジナル要素が強い作品となっている。

東方架空園(体験版)

ほおずき:
 そうですね、下地になっていると思います。東方架空園は「存在しない東方原作STG」という空想を軸にして、各ステージのボスやスペルカードを創作した作品です。前述の「鬼形獣おまけステージ」という存在しないステージやイマジナリー饕餮も、それと同じような感覚で考えていました。

 饕餮のビジュアルが公開されていない点や種族が「饕餮」である点は、正直「今なら自分で見た目を考えたりできるな……」「饕餮なら角と饕餮紋という分かりやすいモチーフがあるから見た目を考えやすいな……」と受け取っていました。

饕餮紋(文) | Wikipediaより引用

 ただ、架空園もイマジナリー饕餮も、「オリキャラを作りたい」という理由で作ったわけではありません。

 これらの作品で表現したかったのは、あくまで「原作STGのボスとして登場したキャラクター」であり「原作で語られる情報から推測できる饕餮」です。「東方原作の世界にいたね」って自分を勘違いさせることが目的です。

 まあ、オリキャラなんですけど。

――原作の延長線上でモチーフを考えているのですね。ほおずきさんは鬼形獣以降、驪駒と吉弔のカップリングを積極的に描かれていますが、既存のキャラと饕餮の関連性についてお聞かせください。
 「原作で語られる情報から推測できる饕餮」というワードがありましたが、たとえば「吉弔や驪駒はこうした服装、性格だから饕餮はこうしよう」といったように、キャラ付けにあたっては組長二名との対比は考えますか?

ほおずき:
 自分なりに驪駒、吉弔、饕餮の対比はいろいろ妄想しています。

 驪駒は「吉弔がなんとかしてくれてる」と発言していて、また吉弔は驪駒の部下のオオカミ霊を「さすが心強いぞ!」と鼓舞しているので、このふたりは感情は別としても、お互いをそれなりに高く評価しているんだろうと思っています。しかし饕餮や剛欲同盟については、驪駒曰く「最悪な奴」、吉弔曰く「口先だけでないと信じているぞ」といった感じでやけに悪く言っていて、不信感が読み取れます。

 驪駒と吉弔と饕餮は、鬼形獣では同じ敵を倒すために協力する平等な間柄でしたが、驪駒、吉弔と饕餮があえて分けられているように感じました。

 この辺りから、饕餮は驪駒、吉弔という勢力に対して思うところがあるのではないかと想像しています。なので、イマジナリー饕餮はほかのふたりに差し置かれて怒ってるような感じで描いてみたりしています。

 イマジナリー饕餮の見た目についても、驪駒や吉弔と比べて裏社会のドン要素を濃くする意図がありました。プライドが高い剛欲同盟と言われていたりするので、盟主の饕餮は見栄をはった格好をしているのではないかと想像したからです。そのため、服や襟に華美な装飾が付いたりしています。こうしておくと、見た目にヤクザ要素があまりない驪駒、吉弔と並んだときに「一番もっともらしい格好してるけど、一番格下で見栄えだけの奴」感が出ていいんじゃないかと考えたりしていました。上手くいっているかはさておき……。

 驪駒、吉弔との関係性を考えると、饕餮の立ち位置は独自性があってとても面白いと思います。

――それぞれの組織が完全に三すくみではないという考えなのですね。服装についても、プライドの高さから見栄を張ることから、驪駒や吉弔と違いそれっぽい服装でもっともらしさを出すのは、力や知略で適わない饕餮なりの個性が出ていると感じます。
 最後に、読者の方へ向けて「イマジナリー饕餮」という一風変わった創作の魅力をお伝えいただければと思います。

ほおずき:
 テキストだけのキャラに形を与える二次創作文化は今までもあって、饕餮に関する創作もその流れの中にあると思います。ただ、饕餮が独特なのはストーリー本編に及ぼした影響が大きかったり、本編に登場したふたりの組長と立場的に対等だったりして存在感が強いことです。

 ほかの組長達と同じように、性格に一癖も二癖もあって個性的な弾幕を放つ幻想少女が存在するかもしれない、という幻想がそのまま形になるところが、イマジナリー饕餮という遊びの魅力じゃないかなと思います。

 東方剛欲異聞で本物の饕餮様が登場して、すべてのイマジナリー饕餮が幻想になるかもしれない。それも含めて楽しい砂遊びです。これからどうなるのか楽しみですね!

 

「見立て」を楽しむことの魅力

 イマジナリー饕餮の面白さというのは、思うに「見立て」の面白さなのだろう。雲に隠れた月を想像するように、未だ見せることのない姿を想像して楽しむ。それはほおずきさんが語った”砂遊び”という言葉にも表れているように感じる。いつか砂が崩れてしまったとしても、その砂で作ろうとした城はたしかに存在するのだ。

 「見立て」を楽しもうとするイマジナリー饕餮は、実に東方的な”遊び”なのかもしれない。

 最後になるが、この度インタビューに応じていただいたほおずきさんは例大祭にもサークル参加している。新刊も頒布されるとのことなので、ぜひ手に取ってほしい(なんとさきやち本で通算6冊目となる)。

「幻想になるかもしれない。それも含めて楽しい砂遊びです」――イマジナリー饕餮という遊び(後編) おわり